Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

理性と抑制、壊れかけのそれ

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 その光景を目にした途端、カッと頭に血が上った。

 気付けばリューシに一物を挿れているイェンを引き倒していた。
 後から追いついたセドルアも加勢し、さかったαは不意討ちの攻撃に呆気なく伸びる。

「何で、」

 どろどろに汚されたリューシが自分たちを見上げ、呟く。助けは来ないと諦めていたのだろう。痛い程に心臓が締め付けられる。
 手を伸ばしてその身体を抱こうとした。しかし、それより早くセドルアが動いた。

「……っ!? 殿下……?」

 突然抱き締められたリューシが驚愕の声を上げる。思いがけない行動にバルトリスも硬直するが、ハッとして引き剥がしにかかった。

「殿下! いけない!!」

 セドルアはαだ。十中八九この濃密なフェロモンに誘発されてしまっているだろう。折角暴漢共を処理したというのに、セドルアが強姦してしまっては洒落にならない。
 焦ってその肩を掴んだが、「大丈夫だ!」というセドルアの強い声で制止される。

「誘発されてはいるが、理性はある」

 心配するな、とリューシを抱く腕に力を込めた。それを困惑こそすれ、リューシは嫌がるでもなく受け入れている。そこは俺の位置なんじゃないか、等と思うのはきっとアドレナリンが分泌され過ぎているせいだ。

「リューシ」

 名前を呼ぶと、熱に潤んだダークブラウンの瞳が向けられた。涙を流していたのか、目元が赤くなっている。

「悪いな……何度も」

 セドルアの腕の中で口端を上げてみせるその姿は痛々しく、いつもの威風堂々とした軍人の彼からは想像出来ない。

 ──また、間に合わなかった。

 この男は相手がαだろうがβだろうが、いつでも対等にいようとする。Ωである事を理由に弱者として扱われるのをよしとしない。だからこそ軍人になり、一軍を束ねていた。それは尊敬に値する事であり、バルトリスもそこが気に入って入隊当初から目をかけてきた。
 だが、もう少し。もう少しでいいから頼って欲しい。Ωだとか、年下だとか、関係なく。守られる事を極端に嫌う彼にそんな願いを言うのは野暮かも知れない。それでも、背中を任せられる存在ぐらいにはなりたかった。
 
「……俺が気付いた時には、いつも手遅れだ」

 くしゃりとリューシのしなやかな髪を撫でる。汗ばんでいるだろうにその感触はさらりとしていて、なぜか、それが辛かった。

「鎮静剤……持ってるか……?」

 セドルアの上着を肩に掛けただけのリューシが問う。呼吸は乱れ、脈も速い。
 イェン達から引き離す為、現在はバルトリスとセドルアが眠っていたラシルァンまで移動している。バルトリスは運んでやると言ったのだが、頑なに自分で歩けると言って聞かなかった。

「10倍に薄めた経口用ならある。ちゃんと投与するとなると、器具がごちゃごちゃして大荷物になっちまうからな」

 ただ、とバルトリスは苦い顔で続けた。

「──ただ、注射より格段に効きが悪い」

 注射なら血管を通って直ぐに全身に回る。しかし、経口の場合はそうはいかない。鎮静剤の成分が行き届くまでかなり時間がかかってしまう上に、10倍に薄めた事で元々の効果も劣ってしまう。
 リューシ本人はまだ意識をしっかり持っているが、これは驚くべき事だ。今回の原因不明の発情はフェロモンが異常に濃い。普通のΩなら誰彼構わず求めてもおかしくない状態である。βのバルトリスでさえ、妙な気分になる程だ。その点では、αでありながら正気を保ち続けているセドルアはかなりの精神力の持ち主だろう。
 それだけ強烈な発情を、経口用の鎮静剤で抑制出来るわけがなかった。

「……ないよりはマシだろう」

 寄越せ、と手が伸ばされる。
 液体の入った小瓶を渡してやると、リューシは躊躇せずに飲み干した。

「は……っ、何も、変わらねぇな……」

 素の口調で自嘲するように笑い、口元を拭う。
 いけないとわかっているが、その挑発的な色香に当てられてしまう。ごくりと唾を飲み込んだ。先程から押し黙って堪えているセドルアもそれは同じらしく、かなり辛そうだ。
 それに気付いているのか、リューシは視線を落として言った。

「……俺といたら、不味いだろ……特に、殿下は……っ」
「じゃあ、どうしろってんだ」
「外、出てろよ……またαが来ねぇように、見張りでもしてろ……っ」

 ──また、1人で抱えるのか。

 そう言いそうになるのを喉の奥に押し留める。言ってしまえば、何かが壊れてしまう気がした。

「1人で大丈夫か?」

 そう尋ねれば、リューシは熱い息を吐いて吼えた。

「……いいから……っ早く、出ろ……!」

「……わかった。ある程度収まるまで、外にいる」

 立ち上がり、鹿皮の扉をめくって外へ出る。行きましょうと促せば、後からセドルアもついてきた。

 リューシの身体が熱を欲しているのはわかっている。彼がその欲望に抗い、自慰もせずただひたすらに耐える事もわかり切っている。だからこそ、彼の言葉に従った。

 彼に触れて熱を発散させてやるのは造作ない。あの時のように、「治療」だと言って愛撫してやればいいのだ。しかし、それをすれば、きっと彼は壊れてしまう。
 長い間彼を見ていた自分だから断言出来る。あいつの心は、崩壊寸前だと。

「何度も……と言ったな」

熱を収めようとしゃがみ込んでいるセドルアが言う。

「以前にも、こんな事があったのか」

 リューシの言葉を聞いたのだろう。かなり混乱した現場だったというのに、耳敏い事だ。

「俺が知る限りでは、あいつが犯されたのは2回目だ」

 敢えて敬語を外して答える。
 皇子としてではなく、1人の男として尋ねられている。直感的にそう感じた。ならば、自分も「ロドス軍医長」ではなく「バルトリス・ロドス」として答えねばなるまい。

「──あいつは、相手が誰か絶対に言わなかった。だが、αなのは間違いない」
「……なぜ言い切れる」
「その時も突然発情してたからな。原因不明の今回とは違って、ストレス性の発情周期異常だってのは間違いねぇ。十中八九、誘発されたαに襲われたんだろう」
「しかし……βの可能性も、皆無ではないだろう」

 どうしようか。
 一瞬、考える。言うべきか否か。恐らくリューシ本人は知られたくないだろう。バルトリスも一生胸の内に秘めておくつもりだった。
 
 リューシがαに強姦されたと判断する、決定的な証拠。それは──

 ──避妊薬だ。

 Ωはβとでもαとでも子を成せるが、αの精子の方が格段に受精率が高い。特に発情期は妊娠し易く、αとの性交で孕ませられる確率はほぼ100%である。それに対し、βとの場合は20%前後。
 故に、子作りが目的でない性交で服用する避妊薬の量は相手がαなのかβなのかで決まる。一般的にルバルア帝国内で流通している避妊薬はαなら2錠、βなら1錠だ。
 バルトリスが口酸っぱく言い聞かせていた為、リューシはいつもそれを軍服の内ポケットに忍ばせていた。αとβ、どちらにも対応出来るように2錠。加えて予備に1錠。合計3錠を携帯していた。彼に鎮静剤を投与してから確認したところ、残っていたのは1錠。

 ──つまり、彼が服用したのは2錠。αに犯されたという事だ。

 避妊薬の数で情交の相手を絞り込まれるなど、本人にとっては屈辱でしかないだろう。だから、彼自身にも気付いた事は言っていない。もっとも、真実を語る事を拒絶された後ではバルトリス自身がそこまで踏み込めなかったというのもあるのだが。

「……言えないならいい。何となく、察しはついた」

 黙り込むバルトリスから目を逸らし、セドルアが言う。ただの引きこもり皇子かと思っていたが、頭は悪くないらしい。直接的な言葉を口にせずに済んだ事に安堵しながらも、本人の承諾もなく暗い事実を知られてしまった事に後ろめたさを感じる。

「……あんた、辛いんじゃないのか。かなりフェロモンに当てられてるだろ」

 気不味い沈黙とラシルァンから漏れ出る誘惑の香りに耐え切れず、うずくまっていよいよ苦しそうにしているセドルアに声をかけた。俺がここで張ってるから向こうで処理してきてはどうだと提案してみるが、セドルアは「構わない」と首を振る。

「ラヴォルが何倍も耐えているというのに、俺が折れるわけにはいかない」

 そう強く言われてしまえば、もう後に続けるべき言葉はなかった。

 そういえば、とバルトリスは引っ掛かりを覚えた。この第2皇子殿は兄と同じΩ嫌いではなかったか。だからウィランドンの王子との縁談も蹴ったのだと聞いた。だが、彼のリューシに対する挙動はそれに矛盾している。嫌悪しているというより、むしろ──


 ……よそう。今はそれを考える時ではない──


◇◇◇


 目が覚めると、ベッドに寝ていた。

 布団を捲ってみれば、裸の上にローブのような病衣を着せられている。現在地が軍の病院である事は直ぐにわかった。だが、いつ、どうやってここに来たのか、前後の記憶がない。

 ラシルァンの中で発情が落ち着くまで1人丸まっていたところまでは覚えている。細かい部分は思い出せないが、バルトリスの忠告通り鎮静剤の効きが悪く、無意識に自慰をしそうになっては自分を叱咤するという事を繰り返していたように思う。どれだけの時間そうしていたのかはわからない。いつの間にか気を失って、ここまで運んで来られたのだろうか。

 身体の熱さが随分引いているのに気付き、リューシは自身の下半身を確かめた。
 あれだけだらだらと溢れていた蜜は多少後孔が濡れる程度になっており、痛い程に屹立していたものも今は尋常と変わらない。余韻は残っているものの、どうやら峠は越えたらしかった。太腿に注射の痕があるのを見る限り、きちんと鎮静剤を投与されたようだ。それが効いたのだろう。

 ほっと息をついてまたベッドに横たわる。副作用の眠気が強く出ているらしく、全身が怠い。
 イェン達はあの後どうなっただろう。マストネラの輸出の件はどうなっただろう。自分のフェロモンに当てられたセドルアはかなり苦しそうだったが、大丈夫だったのだろうか──様々な事が頭に浮かんでは消える。発情を乗り越えた身体は熟考する事を許してくれないらしい。いつもの思考の海が干上がっている。

 そのままうとうとと微睡んでいると、ふわりと髪に触れる感触があった。愛する子供を寝かしつけるように撫でられる。さらさらと髪の上を滑る手は温かい。それが心地好く、無意識にすり寄る。

「……バルトリス……?」

 ぼんやりした意識で呼び掛けると、その手は一瞬動きを止め、一度だけ優しく髪をいて離れて行った。温かさが離れ、少し残念に思う。

 今は何時だろうという些細な疑問がふわふわと覚束ない頭を掠めたが、リューシの双眸は鉛のように重くなった瞼に閉じられた。


◇◇◇


 リューシが次に目を覚ました時、外は既に暗くなっていた。
 殆ど一日中眠っていた事になるのだろうかと身体を起こして幾分かすっきりした頭で考えていると、静かに扉が開く。そこから顔を出したのは赤毛の男である。リューシが寝ていると思っていたのだろう。おや、という反応をして近づいてくる。

「バルトリス、」
「おう。起きて大丈夫か?」
「ああ……随分落ち着いた」
 
 そう答えれば、バルトリスはほっとした様子でベッドの端に腰掛けた。

「お前3日も寝てたんだぜ?」
「3日も?」
「おうよ。そりゃもうぐっすり……腹減ってるだろ。今下っ端の若い奴に飯運ばせる。それ食って精出せ」
「……もう出し切ったようなもんだが」
「ばっかお前、真面目な面してそういう事言うなよ」

 下ネタくらい男なら誰でも言うだろうと言い返せば、不安気な深緑の瞳が覗き込んでくる。なぜ、そんな表情をするのだろう。

「お前さ……無理してねぇか?」

 彼に似合わぬ躊躇うような問い掛けに、ぎゅっと心臓を圧迫される。

 この男は、気付いているのだ。自分がぎりぎりで踏み留まっているという事に。今回の件で、その足をも踏み外しそうになっている事に。冗談で誤魔化そうとしても、流石だ、彼にはわかってしまう。
 だが、それは己の問題だ。自分が口に含んだものは、自分が咀嚼するしかない。そうして全て飲み込んで、消化し切らなければならない。雛鳥のように親鳥が噛み砕いたものを与えてもらう事は出来ないのだ。

「──してない。お前は昔から心配性だな」

 そう笑ってやれば、バルトリスは「俺が過保護なのはお前にだけだ」と言ってぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜてきた。

 ──お前、どういうつもりでそう言ってるんだ?

 その問いは喉の奥に押し込められる。聞いたところで、どうなるというのだ。どうにもならないだろう? 
 ──なあ、リューシ。お前がバルトリスに求めようとしているものは何だ……?

「そうだ、イェン達の事だが……」

 あっと思い出したようにバルトリスが切り出す。そういえば彼らがどうなったのか聞いていなかった。

「とりあえず興奮状態が収まるまで待って話してみた。そうしたらだな、あいつら、2次性別の事を知らなかった」
「それは、どういう……」
「ウラウロイ族は、αの部族だったんだよ」

 あまりの驚きに時が止まった。
 αの部族。聞いた事もない。あそこにいた老若男女、全員がαだったというのか。絶句していれば、「ちゃんと調査したから間違いねぇぞ」とバルトリスが念を押してくる。

「αばかりだから、βやΩの存在を知らねぇんだ。αが普通だと思ってる。──まあ、こっちで生活してたイェンは別なんだが、それでもΩの発情に当たったのは初めてだったらしい。だから余計に理性がブッ飛んじまって、ああなった……という事だ」

 「めちゃくちゃ反省して命で償わんばかりの勢いだったから集団自決すんのを止めてきた」と言う彼は些か疲弊しているようだ。余程の労力を有したのだろう。
 ウラウロイ族は貞操観念が強く、配偶者以外の者に手を出すと姦通の罪で死罪になるのだと言う。故に、強姦は最も罪深い悪行という位置付けであり、正気を取り戻したイェンらは真っ青になって謝罪したらしい。あの4人のうちの1人は自分がしでかした事を知って泡を噴いて倒れたと言うのだから、何というか、こちらが気の毒になってくる。

「そもそも、俺が突然発情した原因は何なんだ」

 根本的な問題を口にすると、バルトリスはそこなんだとでも言いた気に膝を打った。

「アニモラの実ってやつ、食ったろ」
「ああ」
「それだ」
「は?」
「あの実には、発情促進効果のある成分が高濃度で含まれる。それさえなきゃただの美味い果物なんだが、この成分が厄介でな……違法薬物の発情促進剤より数倍強烈だ。αのウラウロイ族やβの俺は食っても影響はないが、Ωのお前が食えば直ぐに全身に回っちまう」
 
 薄桃色の果実を思い浮かべ、リューシはなるほどと頷いた。食べ物が原因なら何の脈絡もなく発情してしまった事に説明がつく。
 
「ま、ざっとこんなとこだ──んじゃ、あとは腹満たしながら話そう」

 飯作れって言ってくる、と立ち上がるバルトリスを、ふと思いついて呼び止める。

「バルトリス」
「ん?」
「お前……俺が寝ている時、部屋に入って来たか?」
「いや? ヤスミーさんが通って世話してくれてたからな。俺は鎮静剤打ったっきり来てねぇぞ」
「……そうか」
「どうした? 急にんな事聞いて」
「いや……少し気になっただけだ」

 怪訝そうな顔をしながらもバルトリスは部屋を出て行った。

 じゃあ、あの手は。あれは誰だったんだ。
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