「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい

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「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

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 その日の王都は、朝からどこか浮足立ったような熱気に包まれていた。
 ルーセント侯爵家の屋敷の二階、フェリシアの自室では、数人の侍女たちが忙しなく立ち働き、主であるフェリシアを「完璧な淑女」へと仕立て上げるべく心血を注いでいる。

「お嬢様、もう少しだけ息を止めてくださいませ。……よし、入りました!」

 侍女がコルセットの紐をぐっと引き絞ると、フェリシアは「ひうっ」と小さな悲鳴を上げた。
 十六歳のデビュタント。それは社交界という名の戦場へ、一振りの剣も持たずに放り出される儀式のようなものだ。

「……あの、お母様。やはりこのドレス、少し白すぎませんか? それに、この胸元の刺繍も、自分では上手くいったと思っていましたけれど、いざ着てみると何だか寂しい気がして……」

 鏡の中に映る自分は、まるで見知らぬ令嬢のようだった。
 ブルーグレーの緩やかにウェーブした髪は、真珠と銀の髪飾りで上品にまとめられ、腰まで届く艶やかな輝きを放っている。サファイアのような大きな瞳は、垂れ目気味でどこか儚げだ。
 フェリシアが数ヶ月かけて一針一針、愛を込めて刺した白いバラの刺繍は、ドレスの裾や袖口で慎ましく光を反射している。

「何を言っているの、シア。その白さこそが、あなたの若さと純真さの象徴よ。……まあ、確かに、もう少し胸元に『厚み』があれば、宝石もより映えたのでしょうけれど」

 母親である侯爵夫人が、鏡越しに娘の平坦な胸元を見て、わずかに残念そうに眉を寄せた。
 フェリシアは「ううっ」と呻き、恥ずかしそうに視線を伏せる。
 彼女の最大のコンプレックス。それは、同年代の令嬢たちがコルセットで豊かに持ち上げている「淑女の果実」が、自分には決定的に不足していることだった。

「いいじゃないか、母上。シアはそのままで十分に可愛らしい。まるで、朝露に濡れた小さな花のようだ」

 部屋に入ってきたのは、ルーセント侯爵家の嫡男であり、フェリシアの自慢の兄だった。
 彼は妹の緊張をほぐすようにその肩を優しく叩く。

「さあ、行こうか。父上も下で待ち兼ねている。今夜はルーレンス王国中の貴族が集まる。お前を射止めようと、悪い虫がたくさん寄ってくるだろうから、僕が見張っていなきゃいけないしね」
「もう、お兄様ったら……。わたくしなんて、誰の目にも留まりませんわ」

 フェリシアは自嘲気味に笑いながら、兄のエスコートを受けて部屋を出た。
 彼女はまだ知らなかった。今夜、彼女の人生が根底から覆されることを。






 王宮へと続く並木道は、無数の馬車の灯火で川のように輝いていた。
 ルーセント侯爵家の紋章が入った馬車の中で、フェリシアは膝の上に置いた手を何度も握り締めていた。

「いいかい、シア。デビュタントの挨拶は、淑女の格を決める。相手は王族の方々だ。まずは第一王子のカシウス殿下。そして第二王子のヴァルカス殿下。その後ろに、国王ジグルド陛下と王妃グラディス様が並んでいらっしゃる」

 向かい側に座る父、ルーセント侯爵が、優しい顔で確認するように告げる。
 フェリシアは必死に頭の中で、王立学園の淑女科で叩き込まれたマナーを反芻した。
 背筋は伸ばしたまま。膝を折る角度は深く、それでいて揺らさず。指先はドレスの裾を優雅につまみ、視線はわずかに伏せて――。

「大丈夫です、お父様。わたくし、家の名を汚すようなことはいたしません」

 やがて馬車が止まり、扉が開かれた。
 目の前に広がるのは、夜の闇に浮かび上がる白亜の王宮だ。
 会場となる大広間へ足を踏み入れた瞬間、フェリシアは思わず息を呑んだ。
 巨大なシャンデリアから降り注ぐ光。豪華なドレスを纏った令嬢たちの香水の匂い。そして、楽団が奏でる優雅なワルツ。
 全てが煌びやかで、フェリシアの目には眩しすぎた。

「さあ、行くぞ」

 父にエスコートされ、会場の最奥――一段高い場所に設けられた王族の席へと向かう。
 赤い絨毯の上を歩くたび、周囲の視線が突き刺さるのがわかった。

「……あの子、ルーセント家の娘か? なんて可愛らしいんだ」
「まるで妖精のようね。でも、少し幼すぎるんじゃないかしら」

 そんな囁き声の中を、フェリシアは一心不乱に歩いた。
 そして、ついにその御前へと辿り着く。
 手前左側には、王妃譲りの鮮やかな赤い髪を短く整えた第一王子、カシウス。見た目こそ麗しいが、その瞳にはどこか周囲を見下すような傲慢さが漂っている。
 その隣には、国王譲りの深い紺色の髪をだらしなく結んだ第二王子、ヴァルカス。彼は退屈そうに欠伸を噛み殺し、フェリシアの姿を見ると、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
 フェリシアは、心臓の鼓動を抑えながら、ゆっくりと膝を折った。
 完璧な、最高礼。
 サファイアの瞳を伏せ、白鳥のような首筋を見せて、彼女は鈴を転がすような声で告げた。

「ルーセント侯爵が娘、フェリシアにございます。……王国の栄光に、心よりの祝福を」

 練習した通り。これ以上ないほどの出来栄えだった。
 だが、フェリシアがゆっくりと顔を上げた、その瞬間。

 ドクン。

 心臓が、耳元で鐘を鳴らしたかのような衝撃に襲われた。
 視界が急激に色褪せ、世界の中心に「一人」の男しか映らなくなる。
 黄金の、切れ長で鋭い瞳。
 その瞳と、フェリシアのサファイアの瞳が、正面からぶつかり合った。

 全身の血が逆流し、熱い何かが魂を焦がす。
 本能が、理屈を飛び越えて叫んでいた。
 ――見つけた。
 ――わたくしの、半分を。

「つ、がい……わ、わたくしの……」

 震える唇から、掠れた声が漏れる。
 その言葉は、静まり返った謁見の間に、あまりにも明瞭に響き渡ってしまった。

 ---

 フェリシアの呟きが空気に溶けた瞬間、会場を支配していた優雅な調べさえもが止まったかのような、重苦しい静寂が降りた。
 誰一人として動かない。誰一人として、言葉を発せない。
 その静寂を、乱暴な嘲笑が切り裂いた。

「――は? 今、何と言った?」

 声を上げたのは、目の前に立つ第一王子、カシウスだった。
 彼は信じられないものを見るかのように目を剥き、次の瞬間には、腹の底から湧き上がるような不愉快さを隠そうともせずに鼻で笑った。

「『つがい』だと? おいおい、ルーセント侯爵。貴公の娘は、デビュタントの緊張で頭が狂ったのか? それとも、よほど王太子妃の座が欲しくて、お伽話の妄想でも口走ったのか?」

「あ、いえ……殿下、これは……っ」

 父である侯爵が顔を真っ青にして絶句する。
 しかし、カシウスは止まらない。彼はフェリシアを、まるで市場の家畜でも値踏みするかのような無遠慮な視線で見下ろし、最後にはその「控えめな胸元」に視線を固定して、これ見よがしに吐き捨てた。

「ふん……。見ろよ、その貧相な体を。俺の『番』だと? 冗談はやめろ。俺の隣にふさわしいのは、もっとこう、大人の色香を纏った、豊潤な薔薇のような女だ。お前のような、どこが前だか後ろだかも分からんような『板』が、俺の運命の相手なわけがないだろう!」

 周囲の貴族たちから、くすくすと下品な忍び笑いが漏れる。

「まあ、なんて恥知らずな」
「デビュタントでいきなり番宣言なんて、ルーセント家の教育を疑うわ」

 突き刺さるような冷たい視線。罵倒の言葉。
 だが、フェリシアにはそのどれもが届いていなかった。

「……ルーセント侯爵」

 地を這うような、深く、重厚なバリトンボイスが響いた。
 カシウスが「ほら見ろ、父上もお怒りだ」と言わんばかりに得意げな顔をする。しかし、ジグルドが発した言葉は、王子の期待とは違うのものだった。

「……その令嬢を連れて、今すぐ別室へ行け。……後ほど、私が直接、話を伺う」

 国王ジグルドの声は震えていた。怒りではなく、どうしようもないほどの動揺を必死に抑え込むための震えだった。

「は、ははっ……! 畏まりました!」

 父は、娘の手を引くというよりは、もはや抱え上げるような勢いでその場を辞した。
 背後でカシウスが「父上、あんな小娘を甘やかす必要はありません! 不敬罪で即座に――」と喚いていたが、ジグルドはそれに応えるどころか、息子を一瞥もせず、ただ去りゆくフェリシアの背中を視線で見送っていた。






 王宮の片隅にある控え室に押し込められた瞬間、ルーセント家の面々は、堰を切ったようにパニックに陥った。

「シア! お前、なんてことを……! よりによって、王族の御前で『番』などと!」

 父が頭を抱えて部屋の中を往復する。兄もまた、窓の外を見つめながら「不敬罪で国外追放か、あるいは処刑か……。いや、僕が代わりに処刑されるから、シアだけは……」と縁起でもないことを呟き始めている。

「……お父様、お兄様。わたくし、嘘を言ったわけではありませんの」

 フェリシアは、ふかふかのソファに腰掛けながら、自身の小さな手をじっと見つめていた。
 カシウス王子に「貧相だ」と罵られたことは、確かに少しだけ悲しかった。けれど、それ以上に、あの黄金の瞳と視線が合った瞬間の、あの甘美な痺れが忘れられなかった。

「……陛下と目が合った瞬間、分かってしまったのです。ああ、あの方がわたくしの魂の半分なのだと。あの方以外、もう何も見えないのだと」
「……はぁっ!?」

 父と兄が同時に声を上げる。

「陛下だと!? お前、カシウス殿下ではなく、ジグルド陛下に言ったのか!?」
「ええ。カシウス殿下は、正直、お綺麗だとは思いますけれど……何というか、その……」

 フェリシアが眉を下げて儚げな笑みを浮かべる。
 その様子に、家族はさらなる絶望を感じた。
 相手は国王だ。すでに王妃がおり、二人の王子がいる、この国の頂点。
 もしそれが本当だとしたら、それは単なるスキャンダルでは済まない。国を二分する、あるいは王室の正統性を根底から揺るがす大事件になる。
 そこへ、静かに扉が開いた。
 入ってきたのは、国王の最側近である宰相だった。

「ルーセント侯爵。陛下が、フェリシア嬢とお二人での対話を望んでおられます」
「二人きり!? 宰相閣下、それはあまりにも……!」
「拒否権はないものと心得てください。……陛下は、本気です」

 宰相の、冷徹な中にもどこか高揚感を含んだ言葉に、ルーセント家の人々は黙り込むしかなかった。
 フェリシアはゆっくりと立ち上がり、自身の白いドレスを整えた。
 胸元の、自慢の白いバラの刺繍。

(大丈夫。あの方の瞳は、嘘を言っていなかった……)

 フェリシアは、自分を案じる家族に一度だけ微笑むと、宰相の先導に従って、王の私的な執務室へと続く回廊を歩き始めた。
 一歩進むごとに、心臓の鼓動が早まる。けれど、それは恐怖からではない。
 もう一度、あの黄金の瞳に会えるという、抗いようのない喜びからだった。



 やがて辿り着いた、重厚な黒檀の扉。
 宰相がそれを静かに開け、フェリシアを中へと促す。
 室内に満ちていたのは、上質なインクと古書の香り、そして――。
 窓際に立ち、月明かりを浴びながら、自身の荒い呼吸を整えようとしている一人の男の気配だった。

「……来たか」

 振り返った国王ジグルドの瞳は、夜の闇の中でも、黄金色の炎を灯しているかのように爛々と輝いていた。
 二人の視線が、再び重なり合う。
 今度は邪魔者のいない、二人だけの空間。

「フェリシア嬢……と言ったな。……改めて聞こう。君は、私を見て、何を感じた?」

 ジグルドが一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
 フェリシアは逃げることなく、その黄金の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、小さな唇を開いた。

「……わたくしの、全てが。あなた様を、求めております……陛下」

 その瞬間、ジグルドの理性が、甘く、音を立てて崩れ去った。



 王の私的執務室。そこに流れる空気は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静謐で、しかし肌を刺すような熱を帯びていた。
 ジグルドは、フェリシアの目の前まで歩み寄ると、その小さな体を覆い隠すように影を落とした。三十八歳の成熟した男が放つ圧倒的な存在感に、十六歳のフェリシアは思わず息を呑む。

「……フェリシア嬢。私の名を呼んでくれないか」

 ジグルドの声は掠れ、切実な響きを含んでいた。
 フェリシアは頬を林檎のように染めながらも、逃げることなくその黄金の瞳を見つめ返す。

「ジグルド……ルド様。わたくしの、運命の方」

 その瞬間、ジグルドは堪えきれないといった様子でフェリシアの細い肩を引き寄せ、その小さな体を力強く抱きしめた。
 厚い胸板、鍛え上げられた腕の力強さ、そして微かに漂う白檀の香りと、彼自身の熱。フェリシアの鼻腔をくすぐるすべてが、彼女の魂を「ようやくあるべき場所へ帰ってきた」という安堵感で満たしていく。

「ああ……信じられない。この歳になるまで、私の人生は義務と退屈の積み重ねだった。王としての責務を果たし、政略で結ばれた妻を尊重し、ただ淡々と日々を消化していた。だが……君を見た瞬間、世界に色が灯ったのだ」

 ジグルドは、宝物を扱うかのような手つきでフェリシアの頬を包み込んだ。
 親指の腹で彼女の柔らかな肌をなぞり、そのサファイアのような瞳を覗き込む。

「フェリシア嬢……シア、君はあまりにも愛らしい。……カシウスの愚か者が、君に対して何と言ったか、私はすべて聞いている。あやつは、私の宝を『貧相』だと罵ったな?」

 ジグルドの瞳に、一瞬だけ鋭い「王」の威厳と、父親としての怒りが混じる。

「……申し訳ございません、 ルド様。わたくし、本当にその……胸も小さくて、お世辞にも大人の魅力があるとは言えませんから」

 フェリシアが気まずそうに視線を逸らすと、ジグルドは彼女の顎をそっと指先で持ち上げ、とろけるような甘い微笑みを浮かべた。その拍子に目元にくしゃりと寄るシワが、フェリシアの庇護欲を激しく揺さぶる。

「何を言う。この小柄な体も、柔らかい髪も、そして何より私だけを見つめるこの瞳も……すべてが私にとっての至宝だ。カシウスのような青二才には、この繊細な美しさは理解できんのだろう。……シア、君は君のままでいい。これからは、私が世界で一番君を愛で、守り抜くと誓おう」

 ジグルドはそのまま、フェリシアの額に、慈しむような長い口づけを落とした。
 その熱烈な独占欲を隠そうともしない姿に、フェリシアは恥ずかしさで溶けてしまいそうになりながらも、幸せな溜息をついた。






 一方その頃、王妃の私室では、対照的な光景が広がっていた。

「……ふざけないで! あの小娘、まだ城に留まっているというの!?」

 王妃グラディスは、手近にあったクリスタルの香水瓶を壁に叩きつけた。ガシャンという音と共に、高価な香料が床にぶちまけられるが、彼女はそれすら気にする様子もない。
 彼女の吊り上がった赤茶色の瞳は、怒りと焦燥で赤く充血していた。

「王妃様、お気を静めてくださいませ。陛下は単に、不敬罪の取り調べをされているだけかと……」

「黙りなさい! 私の勘が言っているわ。あの陛下が、私に向けることなど一度もなかった、あの情熱的な瞳。あれは……あれは、女を見る男の目よ!」

 グラディスは、自身の艶やかな肢体をなぞり、鏡の中の自分を睨みつけた。
 豊かな胸、くびれた腰、熟した果実のような魅力。三十八歳になってもなお、社交界に君臨してきた自負がある。
 それなのに、あのような、どこがいいのかも分からぬ小娘に、夫の心が動かされるなど、あってはならないことだった。

「だいたい、あのルーセント家なんて、家柄ばかりで大した金もない、古いだけの貴族じゃない! 私はローゼンクロイツ公爵家の娘よ! この国を経済的に支えているのは、私の実家なのだから!」

 彼女は、自分がどれほど傲慢で、周囲から疎まれているかに気づいていなかった。
 グラディスは、政務などという面倒なことはすべて「地味な男たちの仕事」として押し付け、自分はお茶会と夜会に明け暮れていた。
 隣国から取り寄せさせた最高級のケーキを一皿だけ食べて捨て、一度袖を通したドレスは二度と着ない。実家から送られてくる莫大な「お小遣い」を、すべて自身の虚栄心を満たすためだけに注ぎ込んできた。

「……いいわ。陛下がその気なら、私にも考えがある。カシウスには、早く本当の『番』を見つけさせなければ。そうすれば、あの小娘の言葉が嘘だったと証明できるはずよ。必ず不敬罪で追放してやるわ!」

 グラディスは、右唇の下にある黒子を忌々しげに指でなぞりながら、不敵な笑みを浮かべた。
 彼女は知らない。ジグルドがすでに、彼女のこれまでの浪費、および実家の資産にまで手を出そうとした不法行為の数々を、完璧にリストアップしていることを。
 そして、自分の兄であるローゼンクロイツ公爵当主が、すでに妹を見捨て、「これ以上、我が家の名を汚させないでくれ」と国王に嘆願していることを。






 同じ頃、第一王子カシウスは、不機嫌を絵に描いたような顔で王宮の裏門をくぐり、市井へと逃げ出していた。

「ったく、父上も父上だ。あんな貧相な板きれみたいな小娘、さっさと地下牢にでも放り込めばいいものを……」

 カシウスは、自分が恥をかかされたことへの怒りで頭がいっぱいだった。
 王太子候補として甘やかされて育った彼にとって、自分の審美眼こそが絶対であり、自分を否定する存在はすべて「悪」だった。
 彼はそのまま、あてもなく歩き続け、路地裏の小さな定食屋にたどり着く。

「……腹が減ったな。おい、何か適当に出せ」

 横柄な態度で席に座ったカシウス。
 そこへ、「はい! 只今お持ちしますね!」という、春の陽だまりのような明るい声が響いた。
 トレイを抱えて走ってきた少女――ミーナと、カシウスの視線が真正面からぶつかる。

 その瞬間。
 カシウスの脳内に、言葉では言い表せないほどの衝撃が走り抜けた。

「……っ!?」

 薄茶色のボブカット。丸く大きな、リスのような瞳。
 彼女から溢れ出す魔力の波長が、カシウスの魂にガチリと噛み合う。
 カシウスは、自分がフェリシアの時に感じなかった、しかし紛れもない「本物の感覚」に、全身を粟立たせた。

「お、お前……名前は?」
「え、あ、あの……ミーナ、ですけれど。……お客様、お顔が真っ赤ですよ?」

 ミーナが首を傾げた拍子に、彼女の小さな胸元がわずかに揺れる。
 それを見たカシウスは、確信した。
 ――見つけた。
 ――これこそが、俺の、真実の番だ。

「ははは! 見ろ、これだ! これこそが俺の求めていた運命だ!」

 カシウスは、困惑するミーナの手を強引に掴み、勝利を確信して空を見上げた。
 この出会いが、自分を救うものではなく、王室崩壊の引き金になるとも知らずに。



 カシウスは、己の腕の中で戸惑うミーナを離そうとはしなかった。

「おい、何を驚いている。お前は今日、世界で一番幸せな女になったんだ。俺が、この国の第一王子、カシウス・ルーレンスだ!」
「お、王子……様……!?」

 ミーナは持っていたトレイをガシャリと床に落とした。周囲の客たちが一斉にこちらを振り返るが、カシウスはそんな視線など微塵も気にする様子はない。

「そうだ。お前は俺の『番』だ。魂がそう叫んでいる。あの嘘つき令嬢とは違う、本物の結びつきだ! さあ、すぐに城へ行くぞ。お前に相応しい、最高のドレスと宝石を用意させてやる!」
「待ってください! 私、まだ仕事が……それに、お母さんが遺してくれたこの店を放っておけません!」
「仕事だと? そんな下俗なことはもう忘れろ! 俺の隣に座ることこそが、これからの貴様の仕事だ!」

 カシウスは強引にミーナの細い腰を抱き寄せ、店から連れ出した。ミーナは泣きそうな顔で振り返ったが、逆らえるはずもない。王子の力は絶対であり、何より彼女自身も、この不遜で美しい男から伝わってくる強烈な「引力」に、体の奥底が熱くなるのを抗えずにいた。



 王宮のバルコニーでは、そんな兄の愚行を遠目に見守る影があった。
 第二王子、ヴァルカスである。彼は深い紺色の髪を後ろで緩く結び、手にしたワイングラスを軽く揺らしながら、口元に冷笑を浮かべていた。

「……やれやれ。カシウス兄上も、つくづく単細胞だね。市井から平民を連れ帰るなんて、火に油を注ぐようなものだって気づかないのかな」

 ヴァルカスは、母であるグラディス王妃の強欲さも、兄の無能さも、すべてを冷徹に理解していた。彼は、侍女の肩に馴れ馴れしく手を回しながら、ふと、父の執務室がある方向へ視線をやった。

「父上の『番』である、あのフェリシア嬢……。彼女が現れた時点で、僕たちの『王子様ごっこ』は終わりなんだよ。……まあ、僕としては、こんな窮屈な王宮を出て、自由になれるなら万々歳だけどね。ねえ、君もそう思うだろう?」

 彼に抱き寄せられた侍女が、顔を赤くして俯く。ヴァルカスは、破滅へと向かう家族を憐れむどころか、その混乱を特等席で楽しんでいるかのようだった。






 数日後。
 王宮の奥深くに隠された秘密の庭園では、ジグルドとフェリシアが、穏やかな午後のティータイムを過ごしていた。
 テーブルの上には、フェリシアの好物であるという甘さ控えめの焼き菓子と、ジグルドが厳選させた最高級の茶葉の香りが漂っている。

「シア。……その、昨日よりもさらに可愛らしくなったのではないか?」

 ジグルドが、どこか落ち着かない様子で茶器を置き、フェリシアの顔をじっと見つめた。
 三十八歳の威厳ある国王が、十六歳の少女の前で、初恋を知った少年のようにソワソワしている。そのギャップに、フェリシアは思わずコロコロと鈴を転がすような声で笑ってしまった。

「ルド様ったら。たった一日で、そんなに変わるわけございませんわ。……でも、嬉しいです。わたくし、ルド様にそう言っていただけるだけで、自分が特別な女の子になれたような気がいたしますの」
「特別な女の子、どころではない。君は私の、そしてこの国の太陽だ」

 ジグルドは、フェリシアの手をそっと取り、その手の甲に熱烈な、しかし羽が触れるような優しい口づけを落とした。

「シア。……君に、頼みたいことがあるんだ」
「わたくしに、ですか?」
「ああ。来月、再び大きな夜会を開く。そこで、正式に君との婚約を発表し、グラディスとの離縁を公表するつもりだ。……その時、君が自ら刺繍したドレスを纏って、私の隣に立ってくれないだろうか」

 ジグルドの黄金の瞳が、真剣な光を湛えてフェリシアを射抜く。

「君の刺繍は、どんな宝飾品よりも気高く、美しい。……私の誇りである君のその腕前を、世界中に見せつけてほしいのだ。あの日、君を笑った愚か者たちの目を、君の輝きで潰してしまいたい」

 フェリシアは、目を見開いた。
 自分の小さな特技。胸が小さいことを隠すために始めた刺繍。それが、この国を統べる王に、これほどまでに必要とされている。

「……はい! ルド様。わたくし、精一杯の愛を込めて、世界で一番幸せなドレスを縫い上げますわ!」

 フェリシアの満面の笑みに、ジグルドは魂が震えるほどの歓喜を覚えた。彼は椅子から立ち上がると、フェリシアをそっと抱き寄せ、そのブルーグレーの髪に顔を埋めた。



 だが、その甘い時間の裏側で、不穏な影は着実に膨らんでいた。
 カシウスは、城に連れ帰ったミーナに、王妃がかつて着ていた最高級の――しかしミーナには似つかわしくないほど華美な――ドレスを無理やり着せ、着飾らせていた。

「見ろ、ミーナ! お前こそが、この国に君臨する真の番だ! 次の夜会で、あのルーセントの小娘を不敬罪で叩き出し、お前を王太子の正妃として披露してやる!」
「カ、カシウス様……私、怖いです。こんなに派手な格好……」
「黙れ! お前は黙って俺に従っていればいいんだ!」

 カシウスの瞳には、もはやミーナへの純粋な愛ではなく、フェリシアへの、そして自分の意見を無視して彼女を擁護した父への、歪んだ対抗心だけが渦巻いていた。



 同時刻、王妃グラディスは、実家であるローゼンクロイツ公爵家へ一通の手紙を認めていた。

『お兄様。陛下が、あのルーセントの小娘にたぶらかされています。すぐに軍を動かしてでも、あの娘を排除してください。私が王妃でなくなれば、公爵家への利益も途絶えることになるのですよ!』

 彼女は、自分の言葉がもはや誰にも届かないことに気づいていなかった。彼女の兄、現ローゼンクロイツ公爵は、すでに国王ジグルドから「妹の不始末をすべて清算する代わりに、公爵家の安泰を約束する」という密約を交わしていたのである。



 幸せを縫い上げるフェリシアの針先と、破滅へと向かって突き進むカシウスたちの欲望。
 二つの対照的な動きが、一月後の夜会という終着点に向かって、急速に収束していく。
 ジグルドは、フェリシアの細い肩を抱きながら、窓の外に広がる王国を静かに見下ろした。

(嵐が来る。だが、シア……君だけは、私が地獄の果てまで行こうとも守り抜く。……この命に代えても)

 黄金の瞳に宿ったのは、一人の男としての、決して揺らぐことのない決意だった。






 運命の審判を下す夜が訪れた。
 王宮の大広間は、一月前にも増して眩い光に包まれていた。しかし、そこに集う貴族たちの間に流れる空気は、前回のような華やかさとは異なり、どこか刺々しい緊張感を帯びている。
 今夜、重大な発表がある――。その噂は、王都中の社交界を駆け巡っていた。

「……シア、大丈夫だよ。お前は、誰よりも美しい」

 入場を待つ控えの間で、父のルーセント侯爵が、震える娘の手を力強く握った。
 今夜、フェリシアが身に纏っているのは、一月かけて自身の手で作り上げた最高傑作のドレスだ。
 シルクの光沢を抑えた、深みのある乳白色の布地。その胸元から裾にかけて、サファイアのような青い糸と銀の糸を使い、夜空に咲く大輪のバラと、寄り添う二羽の鳥が、驚くほど精緻な刺繍で描かれている。
 派手な宝石はない。だが、その一針一針に込められた「愛」と、フェリシア自身の清純な美しさが、ドレスそのものに命を吹き込んでいるかのようだった。

「はい、お父様。わたくし、ルド様を信じております」

 フェリシアはサファイアの瞳を輝かせ、真っ直ぐに前を見据えた。



 会場の中央では、第一王子カシウスが周囲の注目を浴びながら、鼻高々に立っていた。その隣には、薄茶色の髪を無理やり飾り立てられ、明らかに身の丈に合わない、真っ赤なフリルが何重にも重なったドレスを着せられたミーナが、今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くしている。

「おい、ミーナ。もっと胸を張れ。今日がお前の、いや、俺たちの栄光の幕開けなんだ」
「カシウス様……でも、皆さん、私のことを笑っているような……」
「気にするな。あんな連中、俺が国王になれば皆這いつくばる。……見ろ、あの嘘つき女が来たぞ」

 カシウスの視線の先。大広間の入り口から、フェリシアが静かに入場してきた。
 一月前、彼女を「貧相だ」と笑った貴族たちが、その姿を見た瞬間に絶句する。
 彼女が歩くたびに、ドレスに施された銀の刺繍が月の光を浴びた海のようにキラキラと揺れ、会場全体が静まり返った。

「フェリシア・ルーセント! よくも厚顔無恥に、再びこの場に現れたな!」

 カシウスが、列席者の真ん中で吠えた。
 音楽が止まる。人だかりが割れ、カシウスはミーナの手を引いてフェリシアの前に立ちはだかった。

「皆、聞け! この女は一月前、王族を騙し、この俺の『番』だなどという妄言を吐いた! だが、真実の番はこのミーナだ! 見ろ、この魂の輝きを! 平民であろうと、本物の番こそがこの国の至宝なのだ!」

 カシウスは、隣のミーナを無理やり引き寄せ、見せしめのように抱きしめた。

「フェリシア! 王族相手に嘘をつき、国を混乱させた罪、万死に値する! 国王の息子として、そして次期王位継承者として、俺がお前に国外追放の命を下してやる! 今すぐこの国から去れ!」

 カシウスの罵声が会場に響き渡る。
 ミーナは恐怖に震え、周囲の貴族たちは「まさか本当に追放か」とざわめき出した。
 しかし、フェリシアは微動だにしなかった。
 彼女はただ、静かにカシウスを見つめ、それから彼の後ろの……一段高い玉座の方を、信頼を込めて見上げた。

「――不敬なのは、お前の方だ。愚か者が」

 その声は、重厚なバリトン。
 怒りを押し殺した、地を這うような重低音が会場の空気を一変させた。
 玉座の前から、国王ジグルドがゆっくりと階段を降りてきた。
 その隣には、これまで見たこともないような冷徹な表情を浮かべた宰相が、一束の書類を抱えて従っている。

「ち、父上! 見てください、俺は本物の番を見つけました! これで、あの女の嘘も……」
「黙れ、カシウス。……お前は、自分の立場を一度でも考えたことがあるのか?」

 ジグルドの黄金の瞳が、凍てつくような光を放って息子を射抜いた。
 カシウスの体が、本能的な恐怖で硬直する。

「お前が連れているその少女、ミーナ嬢は確かに番だろう。……だが、それは『お前の』番であって、私の番ではない。そして、お前が今、追放を命じた女性……フェリシア嬢こそが、この私の、唯一無二の番だ」

「は……? な……何を……」

 カシウスが絶句する。
 そこへ、さらに追い打ちをかけるように、派手なドレスを纏った王妃グラディスが割り込んできた。

「陛下! いい加減になさってください! カシウスは正統な継承者、私は貴方の王妃! そんな子供のたわ言を……!」
「グラディス。……お前のその汚れた口で、彼女の名を呼ぶな」

 ジグルドが右手を挙げると、会場の四方から騎士たちが一斉に踏み込んできた。

「何よ……何をするの! 離しなさい!」
「グラディス・ルーレンス。貴女を、公費横領、脱税、および王妃としての義務放棄の罪で、本日を以て王妃の座から解任する。……これは、貴女の実家であるローゼンクロイツ公爵の同意も得ていることだ」

 宰相が淡々と告げた言葉に、グラディスの顔から一瞬で血の気が引いた。

「嘘よ……お兄様が、私を捨てるはずがないわ! 私は、私は王妃なのよ!」
「捨てられたのだよ、グラディス。お前が実家の威を借りて、好き勝手に振る舞いすぎたせいでな。……そしてカシウス、お前もだ」

 ジグルドは、フェリシアの隣に並ぶと、迷うことなくその腰を抱き寄せた。
 怯えるフェリシアを安心させるように、彼は全貴族が見守る前で、彼女の耳元に優しく囁き、それからカシウスを冷たく見下ろした。

「番が現れた場合、その間に生まれた子が正当な継承者となる。……それがこの国の不文律だ。資質も皆無で、他者を貶めることしか知らぬお前に、もはや王子としての籍はない。カシウス、お前は本日を以て廃嫡とする」

「あ……あ……っ」

 カシウスの喉から、声にならない悲鳴が漏れた。
 信じていた世界が、文字通り足元から崩れ去っていく。
 彼が「勝利」を確信して計画したこの夜会は、彼自身の、そして母の、無惨な「終わりの儀式」へと変貌したのである。



「嫌よ! 離しなさい! わたくしを誰だと思っているの、王妃なのよ!」

 グラディスの金切り声が、静まり返った大広間に無残に響き渡った。かつて「国の華」と称えられた美貌は、恐怖と怒りで見る影もなく崩れ、掴みかかる騎士たちの腕を必死に振り払おうと無様に暴れ回る。
 しかし、彼女を助けようとする者は、この広い会場に一人としていなかった。彼女がこれまで見下し、踏みつけにしてきた貴族たちは、ただ冷ややかな軽蔑の眼差しを彼女に向けているだけだった。

「お兄様! お兄様、助けてちょうだい!」

 グラディスが、列席者の中にいた兄、ローゼンクロイツ公爵を必死に呼ぶ。だが、公爵は苦渋に満ちた顔で目を逸らし、短く一言だけ放った。

「……グラディス。我が家の名をこれ以上汚さないでくれ。お前の処遇は、陛下と宰相閣下に一任してある」

 その言葉が、グラディスの最後の支えを打ち砕いた。彼女は糸が切れた人形のようにその場にへたり込み、ずるずると騎士たちによって会場の外へと引きずられていった。

 一方で、第一王子カシウスは、膝をついたまま動けずにいた。その隣で、ミーナが声を殺して泣いている。カシウスの黄金の瞳には、先ほどまでの傲慢さは消え失せ、ただ絶望だけが泥のように沈んでいた。

「……カシウス」

 ジグルドが、冷徹な声で息子を呼ぶ。

「お前と、そのミーナ嬢。番としての結びつきは本物だろう。だが、お前が彼女にしたことはどうだ? 似合いもしないドレスを着せ、自分の見栄のために飾り立て、挙句の果てに私の番であるフェリシアを侮辱するための道具として使った。……愛する者さえ守れず、利用することしか考えぬ者に、王冠を頂く資格などない」
「父……上……」
「お前たち三人は、王籍を剥奪。ローゼンクロイツ公爵家が所有する北端の領地へ移送する。そこで平民として、己の犯した罪を生涯かけて償うがいい。……ヴァルカス、お前はどうする」

 隅で静観していた第二王子ヴァルカスが、肩をすくめて歩み出た。

「僕はいいですよ。もともと王位なんて興味ありませんし。……自由になれるなら、どこへでも行きます。カシウス兄上の面倒くらいは、見てあげますよ」

 ヴァルカスは冷めた笑みを浮かべ、気絶したカシウスと、泣き崩れるミーナを支えて、静かに会場を後にした。ミーナだけが、去り際にフェリシアに向かって深く、深く頭を下げていったのが印象的だった。






 嵐のような断罪が終わり、再び静寂が戻った大広間。
 ジグルドは、震えるフェリシアの手をそっと取り、集まった貴族たちに向き直った。

「皆に宣言する。ここにいるフェリシア・ルーセントこそが、私の真実の番であり、この国の新しい王妃となる女性だ。……彼女を侮辱する者は、このジグルドが許さぬ。我が魂の半身を、全力で守り抜くことを、ここに誓おう」

 ジグルドがフェリシアの腰を引き寄せ、その額に柔らかく口づけを落とすと、会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。
 フェリシアは、サファイアの瞳を潤ませながら、愛おしそうにジグルドを見上げた。

「……ルド様。わたくし、夢を見ているようですわ」
「夢ではないよ、シア。……これから、君と一緒に本当の幸せを築いていくんだ」






 それから数年。
 ルーレンス王国の王宮は、かつてないほどの穏やかさと活気に満ちていた。
 新王妃となったフェリシアは、そのおっとりとした優しい性格で、使用人や貴族たちの心を瞬く間に掴んだ。彼女が主宰するお茶会は、かつての贅沢三昧なものとは違い、心のこもった刺繍の講習会や、穏やかな歓談の場となり、淑女たちの憧れの的となっていた。
 そして何より、国王ジグルドの変化は著しかった。
 無表情で冷徹だった「美しき獅子」は、今やフェリシアの前では、目元をくしゃりとさせて笑う、愛妻家として知られている。

「シア。あまり根を詰めると、目に悪いと言っただろう」

 王宮のサンルーム。
 フェリシアが、生まれたばかりの第二子の王女ために小さな産着に刺繍をしていると、公務を終えたジグルドが後ろから彼女を抱きしめた。

「まあ、ルド様。お帰りなさいませ。……だって、この子にも、わたくしとルド様の愛が伝わるように、一針一針縫い込みたいのですもの」

 フェリシアの膝元では、長男である幼い王子が、ジグルド譲りの紺色の髪を揺らしながら、おもちゃの剣で元気に遊んでいる。

「ふふ、シア。君が縫ってくれるなら、その子はきっと世界一幸せな王女になるだろう。……私があの日、君に見つけてもらったようにね」

 ジグルドは、フェリシアの小さな、しかし確かな温もりを感じる手を握りしめた。
 あの日、デビュタントで出会った衝撃。
「貧相だ」と笑われた少女の刺繍が、今や国中の幸せの象徴となり、黄金の瞳を持つ王の唯一の安らぎとなっている。

 二人の間に流れる時間は、これからも永遠に、サファイアと黄金の輝きに満ちて、この国を温かく照らし続けることだろう。



(完)
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