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覚悟 パート2
しおりを挟む翌日の土曜日の朝だった。
「斗真……ねえ、起きて」
綺麗な声に微睡から引きずり上げられる。
目を開けると、自室の天井。光源は窓からの光のみ。ベッドと毛布の感触。そして、首を傾ければ俺の肩を揺する香織の姿があった。
長い黒髪が美しく垂れていて、白のブラウスの胸元を覗かせるエプロンがよく似合っている。
「もうお昼になるよ。やっぱり具合悪かった?」
昨日と変わらず心配してくれる。
何か答える前に体温計を渡されるので、礼を言ってから受け取って脇に挟む。
ベッド脇に、不安そうに握られた香織の拳があった。不安がらせるのは全く俺の望みとは違うので、空いている手で彼女の拳を包みこむ。
「大丈夫だよ。元気だから」
「本当に? それならいいんだけど……無理しちゃダメだよ? 言ってくれれば私、なんでもするから」
「ありがとう。でも本当に大丈夫。……あ、ほら、36.7度」
「微熱じゃない?」
「平熱だよ」
言っても不安そうな顔は変わらない。
昨日は結局、香織が帰った後も色々考えてしまってあんまり眠れなかった。その疲れが顔に出ているのかもしれない。
「心配なら触ってみる?」
前髪をかき上げて、おでこを晒す。
わずかにたじろいだ香織だったが、気を取り直した様子でひんやりとした白い手が俺の額に触れた。
「……あっついよ」
「手が冷たいんだよ。ほら」
ぎゅーっと握りしめた指先は、手の甲よりもずっと冷たかった。普段香織の手は温かいので、どれだけ心配させてしまっているのか痛感する。
安心させる意味も込めて香織の前髪に触れ、持ち上げてから、露わになった額に俺の額をくっつける。
鼻が触れ合いそうな距離に頬が熱くなってくる。
「どう?」
「……あったかい」
「じゃあ平熱だよ」
「……うん。元気ならいいんだけど」
「ああ。朝からありがとう」
「もうお昼なんだって」
至近距離で、香織はずっと下を向いていた。
そんな様子もたまらなく可愛い。
……どうしたもんかね。
「ご飯は食べれそう?」
「食べれるよ。昨日も全部食べたでしょ? 香織が作ってくれたご飯だったらいくらでも食べれる」
「じゃあたくさん食べてもらおうかな。私は作りに戻るね。準備できたら来て」
「わかった」
パタリと柔らかく戸が閉まる。
まだ少しぎこちない香織の笑みを思い出しながら俺は大きく息を吸う。
「……マジで、どうしたもんかね」
夜になっても状況は何も変わらなかった。
ご飯を食べ終わった後、いつもは俺の役割である食器洗いも香織が手伝ってくれていて、倍以上のペースで食器たちがピカピカになっていく。
「ねえ斗真」
「ん?」
「今日、泊まってもいい?」
言った香織が半歩身を寄せてくる。
最後に香織がうちに泊まったのはいつだったかな。多分、中学二年生の頃、俺がまだ香織の前でも上手く繕えていなかった時期だ。
女子である香織はともかく、男子である俺は中学に比べるとだいぶ身体が大きくなっていて、その頃みたいに俺のベッドで二人寝るっていうのはかなり無理がある。
しかし、香織が俺を一人にしないようにしてくれているって事実が嬉しい自分もいた。
今はそれが一番問題なのに、我ながら情けない。
「……寝る場所はどうする? さすがに同じベッドは無理だと思うけど」
「同じベッドで寝るよ。狭く感じるなら私を抱き枕にでも何でもしてくれていいから。一緒にいさせて」
優しい言葉が耳朶を打つ。
「……わかった。抱き枕にはしないけどな」
「なら、私が斗真を抱き枕にしちゃうかも」
「それは困る」
「なんで?」
「……風紀が乱れます」
目を逸らして言うと、香織は今日初めて楽しそうな声で「あはは」と笑ってくれた。
泡まみれの手をもどかしそうにした後で、半歩寄って肩を触れ合わせてくる。
「……斗真が元気いっぱいになるなら、何してもいいよ」
「そういうこと言わないの」
お泊まりの話、同じベッドで寝る話。
その後に「何してもいいよ」なんてセリフはやめて欲しい。
急激に高まる鼓動が、俺の心を全力で揺さぶってくる。
一緒に入ると言って聞かなかった香織と久しぶりに一緒にお風呂に入り、彼女が淹れてくれたココアを飲みながら雑談して、眠気を感じ始めたことから今は二人でベッドの中。
さすがに枕は香織にあげた。半ば押し付ける形になったが、「二人で使おうよ」という提案だけは飲めなかった。
そんなことしたら寝れなくなっちゃうでしょ、と心の中でツッコミを入れる。
体温を逃さない毛布は共有で、薄い布越しに香織と繋がっているような、妙な感覚を覚えてしまう。
「斗真のいい匂いがする」
「……やめて」
「ふふ、今日はここで寝るからやめられないよー」
機嫌が良さそうで、今朝よりずっと笑顔が増えてきた。
もっとも、香織の機嫌が悪い日なんて、少なくとも俺にそう感じさせた日なんて今まで全くないのだが。
楽しそうな香織に俺の頬も緩んでしまう。
すると、香織が笑みを強めて吐息をこぼした。
「良かった、やっと笑ってくれた」
「え?」
「最近ずっと考え込んでるような顔してたから。笑っても、私のために笑ってくれてるって感じだった」
どこまでも、優秀な幼馴染にはバレバレらしい。まだついたままの部屋の電気が香織の横顔をそっと照らし、我慢できずに俺は彼女の頭を撫でた。「ごめんな」と言うと、香織は膝を抱えるようにして体を小さくした。
「斗真が今悩んでることって、私には話しづらい?」
強要する雰囲気を一切出さず、優しくしっかり寄り添ってくれる。だけどその瞳は不安そうで、今すぐ抱きしめてしまいたくなるが、そこは理性が仕事する。
話すべきか、話さないべきか。
話すなら、今ほどの機会はないだろう。
「え、斗真!?」
瞬間、香織に手を握られる。
どうしたのと聞く前に、自分で理解した。
ベッドで横になっていたせいか、堪えようもなく無意識のうちに涙を流していたらしい。別に今この瞬間そんなにナイーブな気持ちになっていたつもりはなく、呼吸も普通にできるのだが、涙だけが勝手に出たようだった。
ああ、馬鹿か俺は。
こんなの、話さない選択肢を自分で潰したようなものだ。
「ごめん、大丈夫」
「大丈夫じゃないよ。私の前では強がらなくていい。どんな斗真でも、絶対に離れたりしないから。ずっとこうして手を握ってる。握ってたいの」
力のこもった手の温かさに、心が急激に溶かされていく。
香織を泣かせたくない。
離れてほしくない。
でも、そばにいるのが俺じゃあ、一生香織を束縛してしまう。
散々祖母に束縛されてきた香織の人生は、一般的な女性以上に、これからもっともっと楽しいものになるべきだ。
こんな優しい人、付き合いたい男は五万といるはずで、その中のほとんどが香織を束縛せずに幸せにしてくれる人格者だろう。
俺の気持ちは、依存の域を超えている。
「話しづらいなら話さなくていい。でも、私はずっとそばにいる。何があっても斗真の味方だよ」
自分が泣いているのかも分からない。
離したくない。
絶対に離したくないのに、離すべき。
あまりの矛盾に胸が痛くなる。
息を吸う。
大きく吸って、吐いてから、香織の目を見て思いを吐露する。
「…………俺は香織に、ずっとそばにいて欲しい」
「大丈夫。ずっとそばにいるよ」
「これからもこうして手を繋いでいて欲しい」
「大丈夫。ずっと繋いでるよ」
「俺は香織のこと…………大好きだよ」
大切以上に大切な、一人の女性として。
いつもとは違う意味を孕んだ言葉に息を呑み、香織はふわりと笑って言う。
「私も、大好きだよ。……愛してる」
その方が適切かもと、恥ずかしそうに頬を染める。
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手を引いて、彼女と一緒に上体を起こす。
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言え。
香織を真に想うなら。
「…………俺は、香織の気持ちには答えられない」
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