明治不忍蓮華往生

No.37304

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 第一回目の内国勧業博覧会が開かれたのはこの先年、明治十年のことだ。日本国内の産業を振興するという目的のもと開催この博覧会の推進者は、先述の通り、内務卿大久保利道であった。
 さて、こちらも先にふれていることであるが、明治十年の日本と言えば、ひとつの大きな出来事があった。西郷隆盛の下野をきっかけにして勃発した内戦──西南戦争である。
「うん、捻木くんなら鹿児島に行っていたよ。たしか、半隊長だったかな」
「田原坂に回されていたらしいんだが、何せ田原坂だろう。話を知っているものがだれも生き残っとらんのだ、すまんな」
「所属していた隊が壊滅したのをいいことに、ほかの隊に転属を繰り返して城山まで戦い続けた、って聞いたぜ。いや、酒の席で聞いたことだから、本当かどうかは知らんが、本当なら大した執念だ」
「弟だったか甥だったかが私学校の出で、最後まで籠城していたそうだな。ま、薩摩者にはよくあることだが」
「恨み言?いやあ、聞いたことはありませんよ、そういう人じゃないでしょう。……何かあったんですか、捻木警部に。最近そう言えば姿を見ませんが……」
 警視庁に駆け戻った藤田が行ったのは、捜査の基本中の基本とも言える、聞き込みだった。叶うならば、捻木泰介が警視隊として鹿児島に居た頃の知り合いに話を聞く心づもりがあった。が、聞き出せる話から判断する限り、かれの直属の部下、あるいは上官はほとんど全滅に近い有様であったらしい。
 藤田もまた、西南の役に従軍していた。が、最前線ではなく後方支援を主とする舞台への配属であり、田原坂や鹿児島城での苛烈な戦いは伝え聞くだけにすぎない。それでも、伝え聞く苛烈さと、かれの置かれた立場から、終戦のあとに抱いた心理を想像することはできる。
 ──明治十年九月末、城山に籠城していた西郷隆盛は自刃、かれが伴っていた主だった将らも戦死か自刃を遂げ、西南の役は集結した。半年にわたって繰り広げられた内戦の中での死者は、両陣営併せて一万二千人を数え、日本最後の内戦は、日本最大の内戦ともなった。
 戦争が終結すれば、動員されていた兵隊や警官は平時の配置へと戻される。元が警視庁勤務であった捻木は、東京へと帰ることになる。最後まで鹿児島で戦っていたかれが帰ったころ東京は、十月を迎えていたはずだ。
 明治十年十月。この月、東京では一つの催事があった。三月から起きていた戦争のために開催が危ぶまれていたが、なにしろ内務大臣その人の肝いりで企画された博覧会である。内国勧業博覧会は、予定通りに上野公園で大々的に開催されることとなった。
 藤田は想像する。つい昨日まで命を削りあう戦場にいた男が、そのようなものとは何の関係もなく浮き足立つ人々を見たときのことを。否。自身の体験のうち、もっともそれに近い状況を思い起こし、増幅させる。
 幕府の瓦解する前夜、かれが京都にいたときの話だ。かれは密命を負っていた。敵対する組織に潜入し、情報を逐一吸い上げるという密命──ようは、間者の仕事だった。かれはその種の仕事に才能を持っている。仕事の内容に不満があったわけではない。何しろ警官になった今でも似たようなことをしているほどだ。かれは、仕事を完璧にこなしていた。求められた種類の情報を得られるよう組織の幹部に取り入り、そちらでの仕事も完璧にこなし続けた。
 そんな仕事を続けて、どれほど経ったころだったか。市中を歩いていたかれは、往来のなかで立ち止まった。かれに密命を負わせた男のもとへ、定時報告を告げに行く途中であったと記憶している。潜入先はもちろん、本来の組織のものにも見られるわけには行かないゆえ、変装をして周囲に警戒しながら歩いている、その途中だった。何の前触れがあったわけでもない。何のきっかけがあったわけでもない。ただ、かれのほかに通りを行き交う人々が、ごく自然な調子で、かれの緊張も警戒も知らず歩いていることに気づいた、それだけだった。たったそれだけのことで、かれの心中にはすさまじい疎外感が生まれ、代わりに存在していたはずの気力や張り合いといったものがすべて抜け落ちていくのがわかった。
 しばし呆然と立ち尽くしていたかれは、それでも身についた習慣に従って報告に赴いた。その場で、どのように言ったものだったか。かれはこれ以上の潜入は危険であることと、潜入先を壊滅させるに足る情報とを上司に伝え、納得させたのだった。それでその仕事は終わり、あとは潜入先を抜けるためという名目で、島原の馴染みのもとへと時化こんで、七日ほど逗留し続けた。もしも彼の所属元の組織に「離脱すれば死罪」との掟がなければ、それこそ捻木のように一月でもそれ以上でも逗留し続けたやもしれぬ。
 あのときの驚くほどに投げやりな気持ちは、容赦なく突き進む時代に引きずられることでいつの間にか霧散していた。たゆたう水では、蓮の芽も出ぬ、とは、拙い俳句を好んだかれの上司が口にした、拙いたとえだったか。だが、時代はもはや安定に向かっている。いまならば疎外感は消えずに残り、怨念を芽吹かせる。
(斬れる)
 いまや捻木警部は、藤田の合わせ鏡のような存在になっていた。かれを斬ることは、自分の身を斬るようにつらいだろう。ゆえに、斬れる。矛盾しているようでかれの信念からすれば筋の通った確信が、藤田の心中に確固と浮かんでいた。
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