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藤森あやめは出向する(3)
しおりを挟む「おはようございまーっす!」
翌朝あやめは徹夜明けとは思えぬ溌剌とした元気さで畑へと現れた。服装は昨日とはまるで異なり、買ったばかりの真新しい農作業着に全身身を包んでいる。つば広の帽子、ドブ色のつなぎ、紺色のゴム長靴。爪のマニキュアは綺麗に剥がされ、手袋を握っていた。
綺麗にセットしていた髪は無造作に一つに束ねられている。化粧だけは相変わらずしっかりと施されていた。
「おはよう………藤森さん、ええっとその服装は?」
「今日から私も一緒に作業をしようと思いまして!」
「えっと」
実岡が面食らったような顔をしている。まさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。実岡が契約を結ぶ時に会った社長や専務のように、適当に視察して適当に帰っていく、あやめもそういう類の人間だと思い込んでいたのだ。
あやめは鼻息も荒く実岡に問いかける。
「私昨日あれから本を買い込んで色々と勉強したんですけど、やっぱり実際の作業をしてみないとわからないことばかりだと思うんです。だから実岡さんには色々とご教授願おうと思っていて。至らないことばかりだと思いますが、よろしくお願いします!」
頭を九十度直角に下げ、そしてバッと勢いよくあげる。凄まじく体育会系のノリだ。
「今は何をしているところだったんですか?」
「えーっと、トラクターで土壌を作っていたんだ」
たじろぎつつも実岡が答える。
「なるほど。トラクターって、この大きさなら公道にでなければ普通運転免許があれば乗れるんですよね。乗り方を教えてもらえませんか?」
「うーん」
「ダメですか?」
「ダメっていうか、農業は大変なんだよ。暑いし寒いし日にも焼けるし虫だってたくさん出る」
「あ、虫なら平気ですよ。清掃業者でバイトしていた時に汚部屋の掃除に入ったことがありまして、ゴキブリもカミキリムシもコオロギもネズミも散々見ましたから」
「え、そんなバイトしてたの?」
「はい、花嫁修行で!」
「あ、そうなんだ」
「で、トラクターの乗り方、教えていただけますか?」
真剣な眼差しのあやめに実岡は心を動かされたのだろうか。どのみち人手が足りていないのは事実だったし、自身の監督として赴任して来た人間にやる気があるならば教えて損はないだろう。
「わかった、教えるよ」
「ありがとうございます!」
そんな実岡の気持ちを知ってか知らずか、とっておきの笑顔でお礼を言うとあやめは実岡にトラクターの乗り方を教わるべく、彼の指示に従った。
ブウウウウン、と唸りを上げて土が掘り起こされていく。周囲に土塊と砂埃を巻き上げながら硬い土壌は適度な柔らかさになり、作物を育てるのに適した環境へと生まれ変わっていく。
「実岡さん、こんな感じですかー!?」
耕運機の騒音に負けないようにあやめは大声で見守る実岡に話しかけた。
「ああ、バッチリだよー!」
「ありがとうございまーす!」
一時間ほどかけて扱い方を教わったあやめは、前日に仕入れた知識と実岡のレクチャーをすり合わせ、ものの数十分でトラクターの乗り方をマスターした。驚くべき成長速度である。さすがミシュラン一つ星の小料理屋で板長に「お前は才能がある」と言わしめただけのことはある。
これには実岡も驚きであった。操っていたトラクターを止め、土壌に近寄ると、その出来ぶりを確かめた。
「均一に、しかもブレなく耕されている……藤森さん農作業やったことあったの?」
「いいえ、今日が初めてです」
「すごいなぁ!」
「昔から器用だと言われてました」
「すごいね、俺の出る幕がなさそうだ」
人のいい笑みを浮かべる実岡が困ったように言う。
「とりあえずいい時間だし、お昼にしようか?」
「それなら私、お弁当を持ってきたんです、交流を深めるためにも一緒に食べませんか?」
「おっ、いいのかい?」
「どうぞどうど、たくさん作ったのでぜひ!」
言うが早いがあやめはローズマリー号からレジャーシートと水筒、そして三段重ねの重箱に入った弁当を持ってくる。近くの水道で綺麗に手を洗い、レジャーシートの上に弁当を広げた。
「なんだかピクニックみたいですね」
あやめは非日常な体験にワクワクしていた。空は快晴、吹く風は刺すように冷たく寒い極寒の二月であるが体を動かした後にはちょうどいい。見渡す限りの広大な畑の真ん中で食べるお弁当、実にピクニック日和だ。
「ではお弁当、オープン!」
ぱかっと開けた重箱に入っていたのは、彩も豊かな数々のおかず達。おにぎりは三種類、筑前煮になます、コロッケ、唐揚げ、ポテトサラダ、煮豆に魚の照り焼き。正月のおせちもかくやというほどのクオリティの弁当がそこにはあった。
「これはすごいね、料亭でも行って来たの?」
「いいえ、私の手作りです。今日は気合を入れて作りました!では、両手を合わせて。いただきまーす!」
「い、いただきます……」
あやめの勢いに押されつつ実岡が箸を手に取った。
そして恐る恐るといった風におにぎりからひと齧り。途端に顔つきが変わった。
「このおにぎり美味しいな!」
「ありがとうございます。自家製おかか入りです」
続いておかずに手を伸ばす。唐揚げ、筑前煮。煮豆にサラダ。
なんだこれは。
久しく食べていなかった凝った、それでいてどこか懐かしさを感じるような味わい。
どれもこれもに手がかかっていて、含んだだしの味は優しく胃の腑を満たしていく。
早朝からの作業によって腹を減らしていた実岡は、次々に弁当を平らげていった。
「うまいなぁ、こんなにうまい料理は久々に食べたよ」
「それは良かった、じゃんじゃん食べてくださいね!」
「これも花嫁修行の一環だったのかな?」
「はい、そうなんですよ」
「こんなに美味しいご飯を作れるんだから、藤森さんはいい奥さんになれるな」
実岡の悪意のない一言があやめの胸に直撃し、古傷を抉った。先ほどまで浮かべていた笑顔が瞬時に消え、箸をパタリと取り皿に置き、地獄の底から這い出るような声を出す。
「……フラれちゃったんですけどね……」
「あ……そうなんだ……」
「はい……」
先ほどまでのご機嫌ぶりとは打って変わってフォローのしようがない程に落ち込むあやめに、実岡はなんて声をかけていいやらわからなくなった。出会ったばかりであるがどうにも落差の激しい女性のようだ。恋愛関係はおそらく触れない方がいいんだろうなと思う。
「ま、まあいい出会いがあるよきっと」
「いいえ、いいんです!私は仕事に生きることに決めたんですから」
前を向き自らを奮い立たせるあやめの姿に実岡は心を打たれた。
藤森さん、健気でいい子だ。
「だから、二人で頑張りましょう!」
えいえいおーと拳を振り上げるあやめ。なんとなく乗っかる実岡、昼食は和やかに終わった。
+++
実岡が保有している土地は面積にして千坪近くある。ここを均し、作物を育てるのに適した柔らかさに耕し、肥料を撒き、そして苗や種を植える。
「有機野菜っていうのは堆肥なんかで土を作って、種まきや苗付けの二年以上前から農薬や化学肥料を使ってない土地で育った作物にしか名乗ることを許されないんですよね」
昨日本で仕入れた知識に基づいてあやめはトラクター指導をしてくれる実岡に尋ねる。
「そうだよ」
「ってことはここは土地の改良から始めたんですか」
「うん、そうだよ」
「すごいですねぇ」
土から作るなど気の遠くなるような仕事だ。
「実岡さんはどうしてうちの会社と専属契約を結んだんですか?」
脱サラして自分の農園を持ったのに、専属で農家になるのは会社に雇われているようなものではないのか。不思議に思ったあやめが聞くと、実岡は人のいい顔の眉尻を下げ、困ったような表情をする。
「有機栽培って大変でね。土地の改良のために専用の肥料なんかも用意しないといけないし、害虫対策に自然由来の薬をつくって散布したり、まあやることが色々とあるんだ。それでもどうしたって被害は出るし、野菜の形もスーパーで売ってるものより歪になったりする。それでもコストがかかっているから原価が高くなって、売り出した時の値段も上がる」
確かに有機野菜は通常の野菜より高めだったなと、あやめは高級スーパーなどで並んでいた有機野菜の値段を思い出す。
「ネット販売に手を出したり、道の駅とかに置かせてもらってたんだけど、なかなか上手く売れなくて。かれこれ五年頑張ってみたけど、どうにもならない。けど諦めるのも癪だ。そんな時、アジーレから声がかかったんだ。社のプロジェクトで有機野菜を作っている農園と専属契約を結びたいからどうかって」
「実岡さんの農園は昔からうちの会社に野菜を卸していたんですか?」
「いいや、声をかけられた時が初めてだったよ。ウェブサイトで見つけてくれらしい」
実岡はあやめの目をまっすぐにみた。
「正直いい話だと思った。堅実な収入を得ながら好きなことができるんだ。収入のために一時的にでもサラリーマンに逆戻りするかなと思ってたところだったから嬉しいよ」
「ちなみに前は何の職業をされていたんですか?」
「しがない銀行員」
「かっこいいですねぇ、バンカー」
あやめは農作業着に身を包んだままキメ顔を作り、人差し指を突き出して「倍返しだ!」と言ってみる。実岡は苦笑していた。
「そんないいもんじゃないよ。ドラマだって苦労してただろ。銀行には色々な理由で金を借りに来る人がいて、そして金の貸し借りには色んなトラブルがつきものだ。俺はそういう世界に向いてなかった」
「そうでしたか。人には向き不向きがありますもんね」
あやめは基本的にやると決めたことに対して凄まじい能力を発揮するため、何かにつまずいたという経験がないが、それでも頷く。そういえば元彼の奏太も色々と思い悩んでいる節があった。あやめはその全てを、「大丈夫、奏太くんならできるよ!」と励まし、その度に奏太は微妙な笑顔を返して来ていた。
「気を取り直して野菜づくり頑張っていきましょう」
「藤森さんと話してるとなんか元気が出るなぁ」
「そう言ってもらえると嬉しいですね!」
こうして二人の有機野菜栽培プロジェクトが幕を開ける。
実岡も言っていた通りに有機栽培というのは大変である。
そもそも「有機」と名乗るには有機JAS認証を取得する必要がある。これは厳格な規約に従わなければならず、農林水産省食料産業局の元に明示されている。
堆肥管理や栽培管理、有害動植物の防除、収穫、輸送、選別、調整、洗浄、貯蔵、包装その他の収穫以後の工程に係る管理。
生産方法についてはそのほかにも細かい基準が設けられている。
また「無農薬」と名乗ることは許されておらず、あくまでも「有機農産物」「有機栽培物」「有機○○」「オーガニック○○」と名乗らなければならない。
認証後も最低一年に一度は有機JAS規格に基づいた生産が成されているのかの調査の手が入る。
「なるほどね」
あやめは農業が終わった後に自宅でPCに向かいながら頬杖をついた。
モコモコのピンクと白のボーダーのルームウェアに身を包み、顔にはパックが貼られていて、髪にはカーラーが巻き付けられていて、ヨガにおける「鳩のポーズ」を取っていた。日課である。
あやめは日報を作成してメールに添付する。宛先は社長と専務、そして他部署の部長。
東京都心を遠く離れ、群馬の片田舎に居を構えて見知らぬ男二人と農業に従事する。そんな状態に置かれるくらいなら、平社員でもいいから本社から離れたくない、と思うのがビジネスマンの常だろう。
しかしあやめはそんなことを歯牙にも掛けないタフなメンタルの持ち主だ。
やると決めたら、やる。
仕事に生きると決めたから、仕事を全力で頑張る。
たったそれだけのことで、そしてそれはとてもシンプルだと思っている。
あっという間に社長から返信が来た。内容は一言。
ーーー期待している、夏には全ての野菜を実岡農園産のものに置き換えられるよう引き続き頑張ってくれたまえ。
「なんでそんなに、慌てて切り替えようとしてるんだろう」
あやめは独り言ちた。
今のままでも野菜は十分賄えているはずだ。
「もしかして取引している農家さんとトラブルでもあったのかな」
しかしそこに関してはあやめが関与するべき部分ではない。あやめは与えられた仕事を全うするだけだ。
「よーし、明日からもがんばろ」
両手に拳を作って気合を入れた。
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