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出会いはビーフシチューの味わいと共に⑥
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「っはぁぁぁあぁあ、もう駄目だ、僕はもう、駄目だぁぁぁぁ!!」
一体何事だろうか。あまりの光景に一花の思考はフリーズした。店内は一花の記憶の中にある通りのインテリアであったが、テーブルは乱雑に傍に避けられ、椅子はこの男が倒したのかひっくり返っているものが多い。目の前で店の中を転げ回る男は、一花の存在にまるで気がつかずに騒ぎ続けた。
「店を開ける勇気がないいぃぃぃ。僕は……意気地なしだっ! あぁぁぁ、どうしてこうなったんだっ。僕はどうしてこんなにも不幸なんだ⁉︎」
絶望的な声で喚き続ける男に、一花はどうすればいいかわからなくなった。この男、完全に不審者である。やばい人だ。今すぐ逃げ帰り、もう二度とこの店を訪れない方がいいと一花の本能が告げていた。一花が決意しかけた時、男が聞き捨てならないセリフを発した。
「あぁぁ、親父になんて言い訳すれば……このままだと店は閉店だっ。お袋にも、顔向けができない……!!」
「……何ですって?」
思わず声が漏れた事で、男の動きがピタリと止まる。それから両手を下げると、一花とバッチリ目が合った。
ギョッとする。不審者っぽい人間に認識されてしまった。しかもこの男、情けない言動と行動に相反して異様に顔が整っていた。まごう事なきイケメンである。
いやいや、イケメンであろうと怪しい人間には違いない。不審なイケメンという初めて出会う人種に一花は混乱した。
美大には変人や不審者まがいは掃いて捨てるほどいても、本物の不審者はいない。
どうしようか、とりあえずいつでも逃げられるように半開きになった扉の外に半歩足を出すと、男がガバリと起き上がり姿勢を正す。
「あ、お、お客様ですか」
立ち上がった男は、大きい。威圧感すら感じるその背丈に一花の身が竦んだ。
一花の身長は百六十センチなのでそれほど小さくないのだが、男との身長差は三十センチはありそうだった。
怯える一花を知ってかしらずか男は非常にバツの悪そうな顔をしながら頭をかき、言葉を続ける。
「すみませんが今、ご覧の通り店はやっていなくって……と言うか、もう閉店を検討しているところで……」
閉店。その言葉に怯みかけていた一花の気持ちが再び強くなる。足を扉の外に出したまま、男を見上げて話しかけてみた。
「どうして閉店するんですか?」
「どうして……」
「さっきの独り言。ここのお店の息子さん、ですよね? シェフじゃないんですか?」
「そりゃあ僕はシェフだけど」
「シェフで自分のお店があるのに、どうして閉店するんですか」
「…………」
一花の質問に、男は俯くと何も言わなくなる。
一花が男が何か言うのを待っていると、俯いた男の顔からポタリと床に向かって水滴が落ちた。
ポタタ、ポタ。
とめどなく溢れる水滴が、埃っぽい床を濡らしていく————涙だ。
「っはああああぁぁぁ!! 僕だって、本当は閉店したくなんかないんだあああ!!」
再び叫び出した男は、膝からその場に崩折れて頭を左右にブンブンと振り出した。形のいい瞳から大粒の涙をとめどなくこぼしつつ、すがるような目つきで一花を見上げ、心の底から訴え始めた。
「あうううう、でもでも、仕方がないじゃないか。僕にはもう、この店の看板メニューを作る資格なんてない……! 厨房に立つと、罪悪感が押し寄せるんだ!! 自分のしたことが信じられなくて……とてもじゃないけど店を開ける事なんて出来ないんだぁぁ!!」
この男、おそらく一花より十歳ほど年上だろう。初対面の大人が情けなく泣きわめく姿を見て、一花はどんどん気持ちが冷えていくのを感じた。警戒心を保ちつつも一花は膝をつき、目線を男に合わせてから言う。
「Bistro Gens joyeux特製ビーフシチュー サラダとカリカリのバゲットを添えて」
すると、一花の言葉に反応して男の動きがピタリと止まった。
「創業当初からの看板メニューですよね。私も小学三年生くらいの時まで……よく来て、食べていました」
一花の心に当時の記憶が蘇る。美味しい料理、居心地のいい店内、心満たされるあたたかな家族団欒のひと時。
今この店は薄暗く埃をかぶっており、おそらくこの店の息子であろう変な男と成長した一花の二人しかいない。
同じ場所だというのに、全く違う空間にいるかのようだった。一花は話を続ける。
「
私、この店が好きなんです。楽しい思い出がたくさん詰まっていて。ここに来ると昔の幸せだった時のことを思い出せて。だから、閉店なんてしないで欲しいんです」
「…………君は、常連さんだったのか」
「と言う程にしょっちゅう利用していたわけじゃないんですけど。誕生日とかクリスマスとか、ちょっと特別な日に利用させてもらっていました」
「そうか……」
少し冷静になったのか、男は床に正座をした。一花もしゃがみこんだまま男になおも話しかける。
「あの、何があってあんなに大騒ぎしていたのか……お話、聞かせてもらえませんか?」
それは一花の心に芽生えた少しの好奇心だった。男は少し迷ったように口をパクパクとさせた後、店の中を見回す。それから立ち上がるとテーブルを持って来て、向かい合わせに椅子を配置した。
「もし良かったら、座ってくれ。長い話になるから」
一花は言われた通りに腰掛ける。男も向かいに座った。こうして普通にしていると、その顔立ちの良さが際立つ。
大きな手をテーブルの上で組み、アンニュイな顔をしていると伏せられたまつげの長さが目立った。出会いがあんなんでなければどきりとしていたところだが、生憎一花の中でこの男の評価はマイナス一兆点になっているため全く心が動かされない。
「紹介が遅れたけど、僕の名前は進藤 歩。親父とお袋の後を継いでこの店の二代目店主をやっているシェフだ」
「私は北条 一花。都内の美術大学に通う二年生です」
進藤は一花の自己紹介にさして興味がなさそうに頷くと、鼻からフーッと息を吐き出した後に続ける。
「まあ、さっき見てもらった通り、僕は少々のトラブルに見舞われて店を開けられずにいる。と言うのも…………」
進藤は何かを思い出したのか、ジワリとその目が潤んだ。薄い唇を震わせ、またしても「あうううううぅうう」と情けない声を絞り出した。
「……全部、全部、明美が悪いんだぁぁぁ!! うわああああぁぁぁ!!」
進藤のシリアスな表情は五分と持たなかった。絶叫した進藤はテーブルに突っ伏し、拳をドンドンと叩きつけながら泣きわめく。
「くそぅ、明美のヤツ……! あんなに僕の事を好きって言っておきながら……!」
これは独り言なのだろうか。一花は全く状況を理解できないまま、ひとまずこう言った。
「……明美って、誰ですか?」
一体何事だろうか。あまりの光景に一花の思考はフリーズした。店内は一花の記憶の中にある通りのインテリアであったが、テーブルは乱雑に傍に避けられ、椅子はこの男が倒したのかひっくり返っているものが多い。目の前で店の中を転げ回る男は、一花の存在にまるで気がつかずに騒ぎ続けた。
「店を開ける勇気がないいぃぃぃ。僕は……意気地なしだっ! あぁぁぁ、どうしてこうなったんだっ。僕はどうしてこんなにも不幸なんだ⁉︎」
絶望的な声で喚き続ける男に、一花はどうすればいいかわからなくなった。この男、完全に不審者である。やばい人だ。今すぐ逃げ帰り、もう二度とこの店を訪れない方がいいと一花の本能が告げていた。一花が決意しかけた時、男が聞き捨てならないセリフを発した。
「あぁぁ、親父になんて言い訳すれば……このままだと店は閉店だっ。お袋にも、顔向けができない……!!」
「……何ですって?」
思わず声が漏れた事で、男の動きがピタリと止まる。それから両手を下げると、一花とバッチリ目が合った。
ギョッとする。不審者っぽい人間に認識されてしまった。しかもこの男、情けない言動と行動に相反して異様に顔が整っていた。まごう事なきイケメンである。
いやいや、イケメンであろうと怪しい人間には違いない。不審なイケメンという初めて出会う人種に一花は混乱した。
美大には変人や不審者まがいは掃いて捨てるほどいても、本物の不審者はいない。
どうしようか、とりあえずいつでも逃げられるように半開きになった扉の外に半歩足を出すと、男がガバリと起き上がり姿勢を正す。
「あ、お、お客様ですか」
立ち上がった男は、大きい。威圧感すら感じるその背丈に一花の身が竦んだ。
一花の身長は百六十センチなのでそれほど小さくないのだが、男との身長差は三十センチはありそうだった。
怯える一花を知ってかしらずか男は非常にバツの悪そうな顔をしながら頭をかき、言葉を続ける。
「すみませんが今、ご覧の通り店はやっていなくって……と言うか、もう閉店を検討しているところで……」
閉店。その言葉に怯みかけていた一花の気持ちが再び強くなる。足を扉の外に出したまま、男を見上げて話しかけてみた。
「どうして閉店するんですか?」
「どうして……」
「さっきの独り言。ここのお店の息子さん、ですよね? シェフじゃないんですか?」
「そりゃあ僕はシェフだけど」
「シェフで自分のお店があるのに、どうして閉店するんですか」
「…………」
一花の質問に、男は俯くと何も言わなくなる。
一花が男が何か言うのを待っていると、俯いた男の顔からポタリと床に向かって水滴が落ちた。
ポタタ、ポタ。
とめどなく溢れる水滴が、埃っぽい床を濡らしていく————涙だ。
「っはああああぁぁぁ!! 僕だって、本当は閉店したくなんかないんだあああ!!」
再び叫び出した男は、膝からその場に崩折れて頭を左右にブンブンと振り出した。形のいい瞳から大粒の涙をとめどなくこぼしつつ、すがるような目つきで一花を見上げ、心の底から訴え始めた。
「あうううう、でもでも、仕方がないじゃないか。僕にはもう、この店の看板メニューを作る資格なんてない……! 厨房に立つと、罪悪感が押し寄せるんだ!! 自分のしたことが信じられなくて……とてもじゃないけど店を開ける事なんて出来ないんだぁぁ!!」
この男、おそらく一花より十歳ほど年上だろう。初対面の大人が情けなく泣きわめく姿を見て、一花はどんどん気持ちが冷えていくのを感じた。警戒心を保ちつつも一花は膝をつき、目線を男に合わせてから言う。
「Bistro Gens joyeux特製ビーフシチュー サラダとカリカリのバゲットを添えて」
すると、一花の言葉に反応して男の動きがピタリと止まった。
「創業当初からの看板メニューですよね。私も小学三年生くらいの時まで……よく来て、食べていました」
一花の心に当時の記憶が蘇る。美味しい料理、居心地のいい店内、心満たされるあたたかな家族団欒のひと時。
今この店は薄暗く埃をかぶっており、おそらくこの店の息子であろう変な男と成長した一花の二人しかいない。
同じ場所だというのに、全く違う空間にいるかのようだった。一花は話を続ける。
「
私、この店が好きなんです。楽しい思い出がたくさん詰まっていて。ここに来ると昔の幸せだった時のことを思い出せて。だから、閉店なんてしないで欲しいんです」
「…………君は、常連さんだったのか」
「と言う程にしょっちゅう利用していたわけじゃないんですけど。誕生日とかクリスマスとか、ちょっと特別な日に利用させてもらっていました」
「そうか……」
少し冷静になったのか、男は床に正座をした。一花もしゃがみこんだまま男になおも話しかける。
「あの、何があってあんなに大騒ぎしていたのか……お話、聞かせてもらえませんか?」
それは一花の心に芽生えた少しの好奇心だった。男は少し迷ったように口をパクパクとさせた後、店の中を見回す。それから立ち上がるとテーブルを持って来て、向かい合わせに椅子を配置した。
「もし良かったら、座ってくれ。長い話になるから」
一花は言われた通りに腰掛ける。男も向かいに座った。こうして普通にしていると、その顔立ちの良さが際立つ。
大きな手をテーブルの上で組み、アンニュイな顔をしていると伏せられたまつげの長さが目立った。出会いがあんなんでなければどきりとしていたところだが、生憎一花の中でこの男の評価はマイナス一兆点になっているため全く心が動かされない。
「紹介が遅れたけど、僕の名前は進藤 歩。親父とお袋の後を継いでこの店の二代目店主をやっているシェフだ」
「私は北条 一花。都内の美術大学に通う二年生です」
進藤は一花の自己紹介にさして興味がなさそうに頷くと、鼻からフーッと息を吐き出した後に続ける。
「まあ、さっき見てもらった通り、僕は少々のトラブルに見舞われて店を開けられずにいる。と言うのも…………」
進藤は何かを思い出したのか、ジワリとその目が潤んだ。薄い唇を震わせ、またしても「あうううううぅうう」と情けない声を絞り出した。
「……全部、全部、明美が悪いんだぁぁぁ!! うわああああぁぁぁ!!」
進藤のシリアスな表情は五分と持たなかった。絶叫した進藤はテーブルに突っ伏し、拳をドンドンと叩きつけながら泣きわめく。
「くそぅ、明美のヤツ……! あんなに僕の事を好きって言っておきながら……!」
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