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バイトしますよ、賄い付きなら②
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ピピピピとスマホのアラーム音で一花は目を覚ました。ぼんやりする頭でアラームを止めて時間を確認する。
「……十一時……」
昨日の居酒屋バイトが遅かったせいだ。まだ寝ていたい気持ちと戦い、仕方なしに起き上がる。ベッドから這い出して部屋を出て、階下のリビングへと降りた。リビングでは一花の祖母がワイドショーを横目に新聞のクロスワードパズルをしていた。
「あら一花さん。お早いお目覚めで」
「おばあちゃん、おはよ。お母さんは?」
「お仕事ですよ。今日は夕方には戻りますって」
「そっか」
「一花さんは今日のご予定は?」
「んー……大学行ってから、バイト」
「そう。何か食べる?」
「うん。ありがとう」
祖母は新聞を折りたたんでから立ち上がってキッチンへと向かった。一花はとりあえず顔でも洗おうかと、洗面所に移動する。
顔を洗ってさっぱりしてからリビングに戻ると、祖母が朝食兼昼食を用意してくれていた。焼きそばだ。
「いただきまーす」
祖母の作る焼きそばは野菜がたっぷり入っている。熱々のそれを口にすると、祖母が一花に話しかけてきた。
「一花さん、アルバイト変えたほうがいいんじゃないかしら? 女の子だというのに帰りが遅すぎておばあちゃんは心配よ」
「うーん。でも時給いいんだよね」
「学費ならおばあちゃんも出しているでしょう。そんなに一生懸命稼がなくったっていいんじゃない」
「そうだねぇ」
「何か事件にでも巻き込まれたら大変よ」
祖母は最近、一花と顔をあわせるとこの話ばかりをしてくる。二十歳になった一花が居酒屋でアルバイトを始めてからずっとこの調子だ。一花としては時給がいい夜の居酒屋バイトを気に入っているのだが、午前一時や二時に帰ってくる一花を祖母がとても心配しているのも知っていた。
「他にもっといいバイト先が見つかったら変えるよ」
「見つからなくても、おばあちゃんとしてはもう辞めてほしいんだけどねえ」
「ご馳走様でした」
一花は祖母の追撃をかわすためにさっさと焼きそばを食べ終えるとキッチンに皿を持っていき、きっちりと洗う。それから自室に戻って支度をし、荷物を持って家を出る。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。あまり遅くなりすぎないようにね」
「はーい」
外に出て、玄関前にかかっている表札を見た。「北条」。八年も前から一花の名字は北条になっているというのに、未だに慣れないのは何故なのだろうか。
アスファルトには灼熱の太陽が照りつける。街路樹にとまったセミがうるさく鳴いていた。
季節はもう夏へと進んでいる。
一花の通う美術大学にはアトリエと呼ばれる場所がある。
三角屋根が特徴的なアトリエの二号館は二年生が使用する場所であり、広々としていて天井も高く大きな絵を描くにももってこいの場所である。本日一花が行ったのは、アトリエではなく同じフロアに存在している絵画組成室の方だ。
空いている場所に画材道具一式を広げて、まだ白いカンバスを見つめる。
夏休み明けに提出する制作課題。
一花はまだその下書きすら出来ていなかった。
それどころか何を描くのかさえ決まっていない。
こうして絵画組成室に来てカンバスを見つめていれば何かアイデアが思い浮かぶかも、と思って来てみたのだが、何も思いつかなかった。
周囲にはすでに描くべきものを決めてモデルをセッティングし下書きを始めている人や、色をつけている人もいる。一花だけが取り残されているようだった。
————夏が終わると進級制作に取り掛かる必要がある。
それまでには何か自分なりの表現の道筋というものを決めておきたい。
それなのに一花の中では入学したての時に持っていた絵画に対する溢れ出る情熱が消え、代わりに空虚さだけが心を満たしていた。
二週間前に進藤とともに行った中目黒のビストロ店で明美が言った台詞が脳内に木霊した……
『わかっているんでしょう⁉︎ 私には……才能なんてないって事!』。
この言葉が重くのしかかるのは、一花とて自分に才能がないと知っているからだ。
やった事は到底許されないが、彼女の気持ちがわかってしまって辛い。
同じ立場だったなら、一花も同じ事をするだろうかと考える。
誰かのアイデアを盗んで、それで評価が手に入るなら……でもそれで心から満足できるのかな。
明美さんは、多分どこかで後悔していた気がする。もてはやされて、ニュースにもなって、取材もされて店には行列が出来て。きっと彼女が夢に描いていた通りの光景なんだろうけど、それは上っ面だけだ。
どこかで見たような洒落た店構え、人から盗んだレシピ。並んでいるのは流行に目ざとい二十代三十代の女子や、評判を聞きつけてデートに利用する人々ばかり。彼ら彼女らはきっと、店をリピートして利用する事はないだろう。一度足を運べば満足する。「流行りの店に来た自分」に酔っているだけなのだ。
進藤の受け継いだ店とはおおよそ異なる。あの小ぢんまりとして趣のある、若者から家族連れまで魅了する、何度でも来たくなるあたたかい店とは。
白いカンバスを見つめながら心ここに在らずな状態でいると、唐突に頬にピタリと冷たい感触がした。
「……十一時……」
昨日の居酒屋バイトが遅かったせいだ。まだ寝ていたい気持ちと戦い、仕方なしに起き上がる。ベッドから這い出して部屋を出て、階下のリビングへと降りた。リビングでは一花の祖母がワイドショーを横目に新聞のクロスワードパズルをしていた。
「あら一花さん。お早いお目覚めで」
「おばあちゃん、おはよ。お母さんは?」
「お仕事ですよ。今日は夕方には戻りますって」
「そっか」
「一花さんは今日のご予定は?」
「んー……大学行ってから、バイト」
「そう。何か食べる?」
「うん。ありがとう」
祖母は新聞を折りたたんでから立ち上がってキッチンへと向かった。一花はとりあえず顔でも洗おうかと、洗面所に移動する。
顔を洗ってさっぱりしてからリビングに戻ると、祖母が朝食兼昼食を用意してくれていた。焼きそばだ。
「いただきまーす」
祖母の作る焼きそばは野菜がたっぷり入っている。熱々のそれを口にすると、祖母が一花に話しかけてきた。
「一花さん、アルバイト変えたほうがいいんじゃないかしら? 女の子だというのに帰りが遅すぎておばあちゃんは心配よ」
「うーん。でも時給いいんだよね」
「学費ならおばあちゃんも出しているでしょう。そんなに一生懸命稼がなくったっていいんじゃない」
「そうだねぇ」
「何か事件にでも巻き込まれたら大変よ」
祖母は最近、一花と顔をあわせるとこの話ばかりをしてくる。二十歳になった一花が居酒屋でアルバイトを始めてからずっとこの調子だ。一花としては時給がいい夜の居酒屋バイトを気に入っているのだが、午前一時や二時に帰ってくる一花を祖母がとても心配しているのも知っていた。
「他にもっといいバイト先が見つかったら変えるよ」
「見つからなくても、おばあちゃんとしてはもう辞めてほしいんだけどねえ」
「ご馳走様でした」
一花は祖母の追撃をかわすためにさっさと焼きそばを食べ終えるとキッチンに皿を持っていき、きっちりと洗う。それから自室に戻って支度をし、荷物を持って家を出る。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。あまり遅くなりすぎないようにね」
「はーい」
外に出て、玄関前にかかっている表札を見た。「北条」。八年も前から一花の名字は北条になっているというのに、未だに慣れないのは何故なのだろうか。
アスファルトには灼熱の太陽が照りつける。街路樹にとまったセミがうるさく鳴いていた。
季節はもう夏へと進んでいる。
一花の通う美術大学にはアトリエと呼ばれる場所がある。
三角屋根が特徴的なアトリエの二号館は二年生が使用する場所であり、広々としていて天井も高く大きな絵を描くにももってこいの場所である。本日一花が行ったのは、アトリエではなく同じフロアに存在している絵画組成室の方だ。
空いている場所に画材道具一式を広げて、まだ白いカンバスを見つめる。
夏休み明けに提出する制作課題。
一花はまだその下書きすら出来ていなかった。
それどころか何を描くのかさえ決まっていない。
こうして絵画組成室に来てカンバスを見つめていれば何かアイデアが思い浮かぶかも、と思って来てみたのだが、何も思いつかなかった。
周囲にはすでに描くべきものを決めてモデルをセッティングし下書きを始めている人や、色をつけている人もいる。一花だけが取り残されているようだった。
————夏が終わると進級制作に取り掛かる必要がある。
それまでには何か自分なりの表現の道筋というものを決めておきたい。
それなのに一花の中では入学したての時に持っていた絵画に対する溢れ出る情熱が消え、代わりに空虚さだけが心を満たしていた。
二週間前に進藤とともに行った中目黒のビストロ店で明美が言った台詞が脳内に木霊した……
『わかっているんでしょう⁉︎ 私には……才能なんてないって事!』。
この言葉が重くのしかかるのは、一花とて自分に才能がないと知っているからだ。
やった事は到底許されないが、彼女の気持ちがわかってしまって辛い。
同じ立場だったなら、一花も同じ事をするだろうかと考える。
誰かのアイデアを盗んで、それで評価が手に入るなら……でもそれで心から満足できるのかな。
明美さんは、多分どこかで後悔していた気がする。もてはやされて、ニュースにもなって、取材もされて店には行列が出来て。きっと彼女が夢に描いていた通りの光景なんだろうけど、それは上っ面だけだ。
どこかで見たような洒落た店構え、人から盗んだレシピ。並んでいるのは流行に目ざとい二十代三十代の女子や、評判を聞きつけてデートに利用する人々ばかり。彼ら彼女らはきっと、店をリピートして利用する事はないだろう。一度足を運べば満足する。「流行りの店に来た自分」に酔っているだけなのだ。
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