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黒砂糖デニーロ

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第二章

第十四話 英雄

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「やり過ごしたか……」
 壁を背にし、割れた窓の端から外を覗いていたアルベルトは、魔属群が雨の帳の向こうに消えたのを見てほっとため息をつく。
「こうなっちまったら、もう上級種どころの話じゃないな。ここは一旦引いて……」
「引くだと!?今更帰れるか!?大見栄切って出ていって、こんだけ被害を出しておいて、一体どの面下げて戻れっていうんだ!」
 アルベルトにゲイリーは詰め寄り叫ぶ。彼はここに至るまでに自らの従属を全員失っていた。
 彼だけではない。ガルスに入った時は勇者と各々の従属を合わせて総勢四〇人以上もいた大所帯が、今この場にいるのは勇者がたったの三人。
 レンの予想通り、アルベルトらはセントラル区画にまっすぐ向かったが程なくして魔属に出迎えられ、これに応戦した。当初こそ、十数名もの勇者により戦況は優勢であった。しかし、中心に近づくほど苛烈になる魔属の迎撃は勇者たちの気勢を体力とともに削ぎ落としていった。
 そしてついに数人の勇者が魔属の牙にかかり命を落とすとみるみる戦意を喪失し、形勢は逆転。勇者とはいえ戦意を喪えばただ狩られるだけの獲物である。
 その後は戦いとも呼べない、圧倒的な物量による一方的な殺戮。肉片すら残さず食い殺され、今や全滅の憂き目に合っていた。元々確たる作戦もなく、数に任せて互いが互いを当てにしていただけの愚連隊に、それはある意味当然の帰結であった。
 生き残ったアルベルトらは魔属が仲間の死骸に殺到している隙に逃げ出し、サブセントラルにあるこの雑居ビルに逃げ込んだのだ。
「元はといえば、お前が言い出したことだろ?!どう責任を取る気だ!」
「それに調子付いて乗ってきたのはテメェらだろうが!」
 そう言われ、ゲイリーはぐっと押し黙る。それは否定出来ない事実だったからだ。
 彼は英雄になれるというチャンスに、自分の力量も顧みず飛び付いた。だが結局のところ、大事を成すのはそれ相応の経験に裏打ちされた実力を有する者にしか成し得ない。
 ゲイリーもノーマンもそこを理解せず、今日まで目の前にラッキーチャンスが転がり込んでくるのをただ指を咥えて待ち続けた。それで成せることなどたかが知れている。
「やめないか!そんな事を言い合っている場合じゃないだろ!」
 見かねた年長者のノーマンは声を上げる。が、二人は視線をぶつけ合い、彼の方を見ようともしない。
「今はとにかく生き残るためにお互い協力し――」
 呆れのため息を吐きながら二人を引き剥がそうと歩みだした時、彼の声は途切れた。
 くぐもったうめき声に振り返った二人の視線が釘付けになる。
 ノーマンは窓から伸びる触手の先端に頭を丸呑みにされていた。
 先端が花の蕾のように肥大したそれをノーマンは引き剥がそうともがくが、それも一瞬。内側からゴキュッという鈍い音がしたかと思うと、彼は四肢を力無くだらりと下げて動かなくなった。
 ノーマンの体は力無く床に落ちるも、首から上を食い千切られたいた。触手口は彼の頭部を咀嚼しながら窓の向こうに引き戻される。
 それを目で追うアルベルトらは、窓の向こうにあるつぶらな瞳と目が合う。
 細長い腕で壁面につかまってぶら下がり、埴輪はにわに似たのっぺりとした頭に小さな双眸で室内を眺めるのは、『ゴルビア』。このガルス内で最も目にする下級種魔属だ。
 それも一体ではない。並んだ窓の全てから感情のない顔を覗かせていた。
 餌がまだあることを確認したゴルビアたちは、だらりと下がる触手、正確には口吻を床に引きずりながらのっそりと室内に足を踏み入れてくる。
「くそっ!いつの間に!」
 ゲイリーは即座に腰の後ろの得物に手を回す。
 が、見た目にそぐわない速さで迫ったゴルビアの腕がそれを阻む。形は人間のそれと酷似しているが、比較にならない握力で握りつぶされ、ゲイリーの右腕は使い物にならなくなる。筋肉が千切れ骨が砕ける激痛にゲイリーは怯む。
 彼とて勇者だ。ダメージに対する耐性は常人を凌駕している。この程度の負傷で戦意を喪失したりはしない。
 しかし、四肢をすべて失うような事態ともなると事情は異なってくる。
 足、腕、肩、、腰、脇腹……怯んだ一瞬の間に無数のゴルビアが腕を伸ばし、彼の体を思い思いに掴み、握り潰し、引き千切った。
「ぐあぁぁぁぁ!」
 彼は立っていることさえできなくなり、悲鳴を上げながら床に転がされる。こうなってしまうと、勇者の耐久性はむしろ彼の苦しみを長引かせるだけであった。
 達磨状態で床を転がった彼の眼前に、口吻が突きつけられる。先端が花開くように開口し、まだノーマンの血で濡れている無数の牙を見て、ゲイリーの顔は恐怖に歪む。手足を失った痛みすら忘れ、身を捩って這いつくばり、少しでもゴルビアから遠ざかろうとする。
 だが、それはあまりに無意味な行為だった。無防備となったゲイリーに、取り囲むゴルビアたちの口吻が次々と喰らいつく。
「ヒィあ、あ、あぁァァァあ!」
 群がり、食らいつき、牙を突き立ててゲイリーの血肉を貪る。腹が、内臓が、頭蓋が容赦なく食い千切られる。そこに人間としての尊厳などまったくない、凄惨な光景であった。
 そして、あぶれた魔属たちは部屋の隅で震えるアルベルトを見つける。
 アルベルトは雄叫びを上げ、剣を叩きつける。しかい、堅いゴルビアの表皮に激突すると根本から折れてしまった。彼の得物は勇者用に拵えられた合金製で頑丈な作りではあるが、聖剣ではない。ここまでの戦いで耐久性に限界が来てしまったたのだ。
 唖然とするアルベルトの腹部に触手が叩きつけられる。肥大化した先端の一撃は重く、アルベルトの肋骨を折り内蔵のいくつかを破裂させた。
 未覚醒者である彼に、もはや戦う術はない。
 得物を失い、恐怖と絶望感に飲まれたアルベルトはただ仰向けに床を転がり、痛みと恐怖に呻くしかできなかった。
 獲物が無抵抗とわかると、ゴルビアは彼へと群がりだす。そしてその内の一体が片足を掴み、引きずり寄せる。
 と、その時であった。背後からの衝撃にそのゴルビアの首が直角に折れ曲がる。
 頭上を何かが過ったことを察知したゴルビアは反射的に腕を伸ばすが、挟みこむ左右からの剣撃に今度は腕の骨が砕かれる。
 そうしてアルベルトの前に降り立ったのは、両手に木刀を携えた銀髪の男――ギンだった。
 瞬時に復活した腕をギンに伸ばし、さらに左右からも他のゴルビアが迫る。伸ばされる腕をギンは木刀で打ち払い、あるいは鮮やかに躱す。さらに、お返しとばかりに一体のゴルビアの懐に潜り込むと、真下から木刀の切っ先を突き上げた。切っ先は顎を突き破り、頭部を爆ぜさせた。
「立てるか!?」
 問いかけられるも、何が起こったのか理解できず、そして恐怖に腰を抜かしたアルベルトはくしゃくしゃになった顔をただ呆然と見上げているだけだった。
「負傷しているな……クロウ!」
「オラオラァ!クロウ様のお通りだ!頭が高ァい!」
 部屋の中心でチェーンソーを大きく振り回していたクロウは、取り囲むゴルビアを解体しながら駆け寄ってきた。
「ったく!世話焼かせやがって!行くぞ!」
 クロウがアルベルトの首根っこを片手で持ち上げる。「確保した!」とギンがレシーバーに向かって叫ぶと、二人は窓の外に身を投げてその場を急ぎ脱出した。
 ドスン!と重々しくクロウが、続いて音もなく静かにギンが降り立つ。
 周囲を探索していたところ、魔属分布に変化があった。それは自然な動きではなく、もしやと思い二人を向かわせたがどうやら読みは当たったようだ。クロウの肩に担がれたアルベルトは力無くうなだれている。どうやらショック状態のようだ。
「他の勇者は?無事なのかい?」
 問いかけにアルベルトは力なく首を横に振る。
「上で残ってたのはコイツだけだ。他に生存者はいなかった」
「間に合わなかったか……せっかくここまで来たのに!」
 反対を押し切ってまでここまで来た行為がほとんど無駄に終わってしまった。悔しさに地団駄を踏む僕の目の前に、大きな肉塊が上から落ちてきた。
 ギンたちを追ってきた、魔属だ。
 芋虫のような下半身と、象の鼻よろしく伸びた触手が特徴的な下級魔属『ゴルビア』。もごもごと咀嚼する口吻の端からは、人のものと思われる腕がはみ出ていた。
 視線を上げると、見た目はつぶらだが、その奥に潜む凶暴さを秘めた目が合い、竦んだ僕はその場に立ち尽くしてしまう。
 しかし、ゴルビアは何かアクションを起こすよりも先に、全身を細切にされ血煙となって消滅した。
「もうこうなっては長居は無用だ。一刻も早く脱出しよう」
 崩れるゴルビアの向こうで、血を振り払いながらヴィルさんが言う。僕は頷くとすぐさまトラックに飛び乗る。
「僕が魔属群を避けてナビをする。クロウは運転を!」
「おう!オレ様の華麗なハンドル捌きに酔わせてやるぜ!」
 訳のわからないことを言いながらクロウは車を発進させ、運転手の気性を反映させたか荒々しさでトラックは雨に濡れる通りを突き進む。
「なんだこの数は……」
「どうしたレン?」
 呻き声を上げる僕に、アオイが荷台から尋ねてくる。
「このへん一帯の魔属がこっちに向かって集まり出してる。さっきまでとは比較にならないすごい数だ!」
 ディスプレイ上の魔属群は、エリア全域に渡る魔属が急速に動き始めていた。もはや携帯型のセンサーでは全体の把握が不可能な有り様だった。
 そして早くもその第一波が雪崩れ込むように前方の交差点に姿を見せた。
 何体いるのか、数えるのも困難な一つの黒い濁流となってこちらに押し寄せてくる。
「道はボクが切り開く!」
 その言葉が耳に届いた時、すでにヴィルさんの姿はトラックの遙か前方にあった。
 驚嘆すべきスピードであったが、続く光景はそれを更に上回った。
 ヴィルさんの両腕の聖剣[イーター]が、一瞬にして変形する。
 現れたのは、鋭い円錐の先端を覗かせた剣。杭打機を取り込んだパイルバンカーだ。
 すでに魔属群は目前。
 ヴィルさんは両腕を引き、そして魔属群と激突する瞬間に両腕を駆ける勢いのまま前方へと突き出した。
 同時に、爆音が周囲数ブロックの空間を震わせた。
 射出された杭は相対した魔属を文字通り粉砕した。突き抜ける衝撃は後方まで連なる無数の魔属の肉体をも引きちぎり、すり潰しながら群れを一直線に貫通した。
 まるで指向性爆弾が爆発したに等しい一撃だった。
 行く手を阻んだ魔属群はたった一撃でその殆どが消滅し、血煙と肉片に塗り潰された道がそこに現れる。
「今のうちだ!」
 魔属群を一層した余韻もなく振り返ったヴィルさんが叫ぶ。
 呆気にとられていたクロウが我に返り、アクセルを踏むとトラックは血溜まりを撥ね上げて通りを走り抜けていく。
 ヴィルさんも危なげなく、全速力のトラックの軽々と追いつき荷台に飛び乗った。
 窮地を脱した――とまで言える状況ではない。
 進路を塞ぐ魔属群こそ退けたものの、凄まじい数の魔属が、この周囲一帯を埋め尽くしつつあるのがレーダー上からも読み取れた。
 そしてそれ以上に、群れの動きがまるで別物であった。
「なぁレン。オレ様の思い違いかもしれねぇが、魔属どもの様子がおかしくねぇか?なんつーか、一直線に向かってくる感じがねぇっつーか」
「うん。本能のまま愚直に追いすがるような動きじゃない。レーダーの動きを見る限りではむしろ真逆で、じわじわとこちらを追い詰めて、包囲しようとしてるみたいだ」
「ンなこと、ありえるのか?所詮は魔属だろ?」
「知性の低い下級種じゃありえない。それどころか、中級種でも考えられない挙動だ。まさか……」
 脳裏に過った可能性は、ほどなく現実のものとなる。
 荷台で周囲を警戒していたアオイが背中に氷でも投げ込まれたように身を震わせた。そして、勢いよく背後を振り返る。見ればケイン君やヴィルさんまでもが、アオイと同じ方角を見つめていた。
 彼らが視線の先は遙か後方、数多のビルが立ち並ぶガルスにあって一際高く聳え立つ超高層ビル。
 そのビルの上部が突如、爆発し吹き飛んだ。いや、直前に巨大な何かが激突したのを僕は確かに見た。
 巻き上がった粉塵と瓦礫が、激突したその正体を覆い隠す。しかし、ケイン君とヴィルさんは共にそれが何であるかを理解しているのか、険しい表情でその煙の向こうの存在を睨んでいた。
 吹き荒ぶ突風がすぐに粉塵を吹き飛ばし、その向こうにいるものの正体を顕にする。
「“ブライン”……!」
 ケイン君は怒りと恐怖が綯い交ぜになった声色で言う。
「ケイン君、もしかしてあれが……」
「都市を占拠し五人の勇者を殺した、上級種魔属です」
 僕の問いかけに、ケイン君は押し殺した低い声を漏らす。
 あれが、今ガルスを占拠している魔属群の中心である、上級種魔属。その姿は曇天の夜空を背にし、見るものを戦慄させる威容であった。
 四対八本全ての節足を有し、這うような体の上には、先端が鋭い針を備えた尻尾がまるで鎌首をもたげる蛇のように反り立ち、ゆっくりと揺らしている。体表面は分厚い甲殻に覆われ、鈍色の表面が雨に濡れぬらりと輝く。
 その外観はサソリに類似しているが、ビルの屋上全面を占領してなお余るほどの巨体は、常識的な生物のサイズを大きく逸脱している。
 鋭牙が生え並ぶ顎こそ確認できるが、眼球や耳鼻の類は見受けられない。ただ黒真珠の如き艶やかな球体状の頭部があるだけだ。ブライン盲目とはよく言ったものだ。
「まさか上級種自らこんなところまで出てくるなんて……」
「いや、魔属は総じて天敵である勇者の存在に敏感だ。これだけの数の勇者が固まっていれば、察知して出てきてもおかしくない。それが、奴らの巣であるネストの近くであれば尚更だ」
 努めて冷静に語るヴィルさんだが、その声は緊張を孕んでいた。クラス:マスターのヴィルさんをして、恐怖を禁じ得ない相手だとということか。
 ブラインは何かを探すように頭部をゆっくり巡らせる。それが僕達の方向でピタリと止まった。
 そしておもむろに節足を縮ませて身を沈めたかと思うと、爆音とともに姿を消す。
 それが跳躍したのだと分かったのは、舞い上がる粉塵と瓦礫の流れから。
 その脚力の反動に耐え切れず崩壊するビルを後ろに、ブラインは弾道軌道を描きながら地面に激突。その重量と衝撃は路面を陥没させ、周囲の建物が一斉に倒壊する。
 路面が激しく揺れ、クロウはブレーキを余儀なくされる。そこに雨のごとく瓦礫が降り注ぎ、天井を叩いた。
 着地点は、僕らの後方約数百メートル。
 舞い上がる土煙と瓦礫の向こうでゆっくりと沈んだ身を持ち上げたブラインが再び顔をこちらに向けると、雷鳴にも似た雄叫びを上げた。
 雨粒は弾け、大気は震え、質量すら伴って叩きつけられる大音声。ただ吠えただけで使命や正義など紙くずのように吹き飛ばされ、生物としての本能が全力で逃げるよう警鐘を鳴らした。
 その本能に逆らい、飛び出していく小さな影。
 何を思ったのかアオイは〈L粒子〉を発動させ、ブラインへと一直線に挑みかかっていく。
「やめるんだ!アオイ君!」
 ヴィルさんの制止も聞かず、粒子の輝きを後ろに引きながらブラインとの距離を詰めていく。
 高速で迫るアオイに、ブラインの頭上で揺れる尾針がピタリと静止する。
 そして、アオイが間合いに入ると同時に、霞んで消えた。
 恐ろしいまでの速度で突き降ろされた尾針は、勇者としては並外れた身のこなしのアオイでも、跳躍して紙一重、回避するのが精一杯であった。
 あれ程の質量だ。尾針は狙いを外し、地面深くに突き刺さると誰もが思った。
 だが実際には違った。巨大な尾は一瞬にして引き戻され、次の瞬間には滞空しているアオイの胴体めがけて突き出されていた!速いだけでなく、機敏で緻密なコントロールである。
 アオイは顔をしかめながらも空中で器用に身を捻り、逆さの状態になって尾針を頭の下でギリギリ躱す。
 そうしてブラインの頭部を間合いに捉える。
 アオイは天地逆転の状態で身を捻り、鋭い鋭角の斬撃を放つ。粒子を纏った刃は分厚い装甲をも貫き、頭部を真一文字に深々と切り裂いた。
 大抵の魔属は、これで絶命している。
 しかし、ブラインは怯んだ様子すら無く、着地したアオイの頭上から尾針を突き下ろしてきた。
「どうなってるんだ!確かにぞ!?」
「下級や中級種と違って、上級種は必ずしも頭が急所じゃないんだよ!」
 紙一重、弾かれるようにして飛び退いて躱したアオイは悪態をつく。
 上級種は既存の生命体とは異質な存在なのだ。頭を潰せば活動を停止するといったような生物のルールは必ずしも当てはまらないのだ。
 それでもまだ対峙を続けるアオイはブラインのリーチ外で剣を真一文字に構え、次に繰り出される攻撃を待ち構える。カウンター狙いでもう一撃を入れるつもりのようだ。
 対してブラインはその場で足を止め、歯を剥き出しにし唸り声を上げる。
「なんだ……?」
 訝しむアオイ。と、両者の間の空間が蜃気楼のように揺らぐ。直感的に危険を察知したアオイが、慌ててその場を飛び退る。
 次の瞬間、アオイのいた路面が激しく爆散した。コンクリートは粉々に砕け散り、その下の地面が露出するほど深く抉れていた。
 もし直感で避けていなければどうなっていたか、考えるまでもない。
 これまでとは明らかに異質な、不可視の攻撃。
(これが……)
「今は引くんだ、アオイ君!」
 ヴィルさんに窘められ、奴を倒す手立てがないことを痛感したアオイはヴィルさんの言葉をようやく聞き入れ、後退してヴィルさんと共に荷台に飛び乗る。
「踏み込め!全速で逃げろ!」
 ヴィルさんは荷台を叩きながら叫び、クロウも踏み抜かんばかりの力でアクセルを踏み込み急発進させる。同時に、ブラインは吠えながらまっすぐこちら目掛けて突進してくる。その速度も凄まじく、瓦礫や車などの障害物はその巨体で粉砕し、重戦車の如き勢いで迫り来る。その巨体からは想像もできない速度は、こちらが少しでもスピードを緩めればすぐに追いつかれてしまう!
 そして脅威はブライン一体ではない。すぐ隣の通りにはこちらと並走する黒い濁流――下位種の魔属群だ。ついに肉眼で確認できる距離にまで近づきつつあった。
「おいレン!ここさっき通ったぞ!」
「わかってるよ!今再検索しているんだ!少し待って!」
 焦りから声を荒げてしまう。
 必死に回避ルートを見出して経路を変更しても、その都度魔属群はこちらの動きに応じて回り込む。まるで僕の考えなど見透かしているかのように、正確にこちらを追い込んでいく。
 上級種に統率された魔属たちの動きは、本能で敵を追う獣ではない。高い知性を持つ一体の上位種の意思の元に統制された、別種の存在。まさしく"群体"であった。
(知識としては知っていたけど、こうも厄介だとは想像していなかった……)
 今の僕らは猟犬に追い立てられる羊も同然。もはや本来の脱出ルートからは遠く離れてしまい、立て直すどころか追い詰められないようにするのが精一杯であった。
 このままでは包囲され、退路を断たれてしまう。そうなれば最後。圧倒的な物量に為す術もなく圧し潰されるか、背後から迫る絶望に呑まれるか。
 全員が生きて帰れるかどうかは僕のナビにかかっている。その焦りが冷静な思考を阻む。背後から響く咆哮が恐怖を掻き立て、思考を鈍らせる。
 脳が焦げ付きそうなほど思考を巡らせるあまり、視界が真っ白になりかけた――その時だった。
『勇者チーム、聞こえますか!?』
 インカムから飛び込んできた聞きなれない声。僕はかぶりつかんばかりの勢いで応える。
『こちらグリュー軍ガルス防衛部隊所属のマークランド曹長。ランス大佐の指示であなた方を迎えに来ました!』
「大佐が!?」
『この先にハイウェイがあります!そこに入ってください』
 曹長の言う通り、前方を交差するように高架が通っている。タイヤが甲高いスリップ音を上げながら急カーブを切り、そこにいた中級魔属に車体をぶつけつつインターチェンジへと入る。背後に迫ったブラインは勢いを殺しきれず、滑るように向かいのビルに激突。崩れ落ちる瓦礫に埋もれた。
 インターチェンジを上ると、そこには見通しの良い道路と乗り捨てられた車が点在する他は何もない。
 どういうことかと困惑していた時、上空から空気を叩く爆音が轟く。そして僕らの視界に現れたのは前後にロータを備えたタンデムローター式の大型輸送用ヘリコプター。
『早くこちらに!』
 路面ギリギリの高さで前を飛ぶヘリ。機体後部のハッチを全開にし、マークランド曹長が手を振りながら叫んだ。
「一気に踏み込んで!」
 加速したトラックはそのまま勢いよくカーゴへと飛び込んだ。
「目標回収!離脱しろ!」
 搭乗を確認したマークランド曹長がパイロットに告げると、ヘリはローターの出力を上げ急速に高度を上げる。
「ふぅ。なんとか助かっ――うわぁっ!」
 息をつきかけたその時、ヘリの床を巨大な何かがぶち抜き、さらに天井を貫いた。
 突如目の間に現れたそれに、僕は慌てて窓から下を覗く。
 そこにはビルの壁面をよじ登りながらこちらに尻尾を伸ばしたブラインの姿があった。目のないその顔が一瞬、笑ったように見え、戦慄に背筋が凍りつく。
 パイロットは操縦桿を繰り、なんとか尾針を引き抜こうとするが鏃状の返しがそれを妨げる。
 一方ブラインはその巨体を揺らす。その動きに合わせヘリは左右に振り回される。機内は上下左右にシェイクされ、誰もが外に振り落とされないようにするので精一杯だった。
「ためだ!振り切れない!このままじゃ引きずり落とされる!」
 パイロットの悲鳴が機内に響く。全員が墜落を覚悟した、その時、
「アオイ君。後の事は頼んだ」
「えっ?」
 あまりに落ち着きを払ったその言葉に僕とアオイが振り返った時、ヴィルさんの体はハッチの外にあった。
 アオイが叫ぶより早く重力の手に引かれたヴィルさんは落下しながら空中で両腕を振るう。凄まじい速度と鋭い太刀筋で交差する二対の刃はヘリを突き刺す尾を綺麗に断ち切った。
 解放されてからのパイロットの判断は素早かった。空中でバランスを立て直すと、急いで高度を上げてブラインから遠ざかる。しかし、アオイは先程以上に取り乱しながらパイロットに向かって叫んだ。
「おい!何やってるんだ!早くヘリを戻せ!ヴィルが下にいる!」
「無茶言わないでください!飛んでるのがやっとなんですよ!?次食らったら今度こそ堕ちます!」
 パイロットの必死の訴えに「じゃあいい!」の一言で機体の外に飛び出そうとするアオイを、僕は慌てて飛びついて止める。
「離せ!レン!」
「だめだよアオイ!冷静になって!」
 どんなにアオイが叫ぼうと、僕は彼女の身体にしがみつき必死に抑える。ひ弱な僕が彼女を止められるはずもなく、ズルズルと引きずられる。
『来るんじゃない!』
 と、ヴィルさんの声がインカムから響く。ハイウェイに着地したヴィルさんは、頭上のブラインを見据えたまま語る。
『今ここで勇者全員を危機に陥れる訳にはいかない。だからコイツはボクが引き受ける』
「無理だ!一人じゃ勝てない!私も――」
『君がいても足手まといだ!』
 ヴィルさんの厳しい言葉に、アオイは言葉を失う。
『でも、いつかキミはボク以上の勇者になる。ボクが保証しよう。だからこそ、命の使い所を見誤るな』
 厳しい口調ではあるが、それは彼女を一人の勇者として認めたが故の言葉だった。
 そうしているうちに、ハイウェイの前後からは魔属群が迫りつつある。下からも、高架下の道路を完全に埋め尽くした魔属が這い上がってくる。
『なぁに、心配いらない。ボクだって大人しくやられてやるつもりはないさ』
 そんな状況でも彼は冗談めかした口調で笑う。絶体絶命の状況にあっても気丈に振る舞うヴィルさんの背はとても大きく、頼もしく見えた。
『後は頼んだぞ』
 その短い言葉を最後にヴィルさんの姿は路面を蹴って飛び降り、魔属群を蹴散らしながら林立するビルの間、宵闇の奥へと姿を消す。ヘリの存在は完全に意識の埒外となったブラインは、ビルをなぎ倒しながらヴィルさんの後を追って驀進していく。
 アオイは何度も何度もヴィルさんの名を呼びかけるも、もう返事が帰ってくることはなかった。
 遠ざかっていく都市を背後に、僕たちは生還を果たした。
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この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

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