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第四章
第四十二話 守るべき世界
しおりを挟む「君程度の相手にこれを使うことは、ボクとしても甚だ不本意だったんだがな。驚いてもらえたかな?」
臀部から生える尻尾を床に打ち付けながら、ニタリと笑みを浮かべた。その口から覗く歯はいつもの爽やかな印象を与えていた白い歯ではなく、凶器のように鋭く尖った牙であった。
いや。その程度、ヴィルさんの全身の変化に比べれば瑣末な方だ。
倍以上に膨れ、破れた袖から露出した腕は甲殻のように硬質化し、黒色に鈍く輝く。それは指先にまで至り、爪はナイフのように鋭い。
頭部は特に変形が著しい。下顎は大きく肥大化し、頬から頭部に到るまでも腕と同じく硬質化していた。
長身であったヴィルさんの身長はさらに一回り大きくなり、その姿はおよそ人間とは思えなかった。
そう。それはまるで、
「魔属……」
「さすがレン君。ご明察」
思わず漏らしたつぶやきに、唯一人間らしさを残す双眸を細めてヴィルさんは笑いかける。
「ボクの能力、〈イーター〉が取り込めるのは、何も人間に限った話ではない。咀嚼し、嚥下することができればどんな生物でも取り込める。そう、例え魔属でもね」
その言葉と彼の容姿から、一瞬、僕の脳裏にある姿がフラッシュバックした。
「そんな、まさか……ブラインか!」
「その通り。証拠隠滅のため、マーレはあれを強引に押収して保管していたんだ。本当、ヤツには感謝してもしきれないよ。おかげでボクは目的を果たすことができるのだから」
取り込んだ対象の性質を発現できる、という彼の能力を鑑みれば、それは単純に戦闘能力以上の能力を得たことを意味する。
今回の唐突な魔属群襲撃のタイミングの不自然さにも説明がつく。
「今のボクは上級種魔属に等しい存在だ。もうわざわざ上級種を都市に呼び込むなどという面倒は必要ない。ボク自身が自由自在に魔属を使役できる。都市を襲わせることも、周囲一帯の魔属共に“共鳴”させることもできる。この意味がわかるな?」
言語を持たない魔属らが遠く離れた同族と情報を交換する、魔属間の意思疎通ネ
ットワーク。
その仕組は未だ解明できていないが確実に存在すると言われるそれに、彼は自らの意思を流し込むことができるのだ。
その効果範囲と距離は魔属ごとに違うが、上位種ほど広域の魔属を統率でき、遠くへ意思を飛ばせるというのが通説だ。
今回、彼単身で魔属領からあの規模の魔属を引き出すことができた。
すなわち、身一つでどの都市にでも魔属を呼び込み、ネスト化も思うがまま。効率的にその能力を使えば魔属領同士で共鳴させ、大規模魔属群を人類領に差し向けることもできよう。
彼の望む、魔属大戦の意図的な誘発も不可能ではない。
「必死に侵攻を防いだようだが、まったくの無意味だ。こっちはいくらでも魔属と共鳴し、呼び寄せることが出来るからな!君らを殺したあと、より大規模な魔属群を呼び寄せてやるさ」
高笑いを上げ、ヴィルさんは声高に宣言する。
今や彼は、個人としては最も脅威的な存在に違いない。
「ふざけるな!」
反射的に飛び出したアオイは叫びとともにヴィルさんに剣を叩きつける。粒子加速による奇襲も、ヴィルさんは悠然と右腕を持ち上げて受け止められてしまう。
失われた肘より先は、新たな腕が生えていた。先端は人間の五指ではなく、ブラインと同様の巨大な鋏を備えていた。
剣を受け流しつつ、すばやく切り返した右腕が薙ぎ払われる。いち早く回避行動に入っていたアオイだが、鋏の先端がわずかに肩口を掠める。それだけでも、アオイは体勢を大きく崩し、床をバウンドしながら転がった。
変異前とは、パワーが比較にならないほど上がっている。
「気を付けろよ。今のボクは闘争本能を抑えられない。手加減はできないからなァ!」
アオイが素早く立ち上がるも、振りかぶった体勢のヴィルさんがすでに目の前に。叫びとともに振り払われる大質量を、アオイは慌てて身を伏せて回避する。激しい風圧を伴って頭上を過る腕が、背後にあった太い石柱を粉々に打ち砕いた。
恐ろしいのは膂力だけではない。粒子加速にも匹敵する速度でアオイを追い打ちし、次々と鋏による殴打を浴びせかける。紙一重で躱し続けるアオイの背後で、黒檀の机が、キャビネットが、床が、壁が砕け散っっていく。
と、攻撃を見きったアオイが粒子を足元に展開し、側面へと回り込む――が、即座に弾かれるようにして背後へと大きく飛んだ。
直後、アオイの鼻先を黒の流線が過る。
凄まじい風圧をともなって眼前を過ったのは尾針。その威力を身を持って知ったアオイはかろうじて回避に成功する。
幸いなことに他の勇者の能力を使ってくる様子がない。これまでの戦いから推察するに、〈イーター〉で複数の能力を同時に発現はできないのだろう。彼が魔属化状態である限り、そちらを警戒する必要はない。
もっとも、それらの能力と引き換えにして余りある身体能力であると言わざるをえないが。
ヴィルさんは床を砕く勢いで跳躍。落下の勢いを乗せ、右腕の聖剣[イーター]を振り下ろす。片割れになったとはいえ[イーター]の機能は健在で、今は形状を長大な両刃剣へと変化させていた。
アオイは後ろへと引きながら、剣を真向からぶつける。刃は甲高い音を響かせ、粒子の火花を散らす。
今のアオイの聖剣は粒子を纏っている。[ベルカ]から継承したこの能力は、以前よりもより切断力が上がっている。
粒子の火花を散らしながら食らいつくのも一瞬、[イーター]の刀身を真っ二つに切り落とした。
素早く二の太刀を横に薙ぐアオイだったが、ヴィルさんは力押しすること無く、間合いの外に飛び退った。
「これは想定外だな。今のは手持ちの中でもっとも頑丈なものを再現したんだが……と、そういえば、もっといいのを手に入れたのを忘れていたよ」
言いながら、何かを思い出したのか指を鳴らし、その手をポケットに入れた。
「これが何か、わかるか?」
取り出されたそれを見た僕とアオイは、共に息を呑んだ。取り出されたのは、折れた剣の刀身。
見間違えるはずがない。
「[ベルカ]……」
「そうだ。あの地下で君が置いていった忘れ物だ。拾っておいてあげたんだが、君はもう別の聖剣に乗り換えたみたいだから、ボクがありがたくいただくとしよう」
言いながら、ヴィルさんは鋏で器用に[ベルカ]の刀身を摘んで持ち、[イーター]の基部に近づける。柄から伸びた触手は瞬く間にそれを食らい、取り込む。
そうして瞬く間に、ヴィルさんの左腕にはベルカが再現された。
陽光を反射する歪み一つない真っ直ぐな刀身を満足そうに眺めたヴィルさんは、ビッっと一振りし、切っ先をかつての主へと向けた。
瞬間、アオイから音が聞こえそうなほどの怒気が吹き出したのを僕は確かに感じた。
奥歯を噛み締め、柄を軋むほど強く握りしめたアオイは一足でトップスピードに乗り、ヴィルさんへと斬りかかった。
右から左への横一閃の斬撃は、傾けて翳した[ベルカ]によって防がれる。ベースは遺産型だけあり、粒子斬撃にも傷一つつかない。
それでも構わず、アオイは次々と剣を繰り出し、その度に粒子と火花を散らして剣戟が交錯する。
「あの日、私に勇者として戦うことを教えてくれたヴィルはどこに行った!?そうまでして……そんな姿になってまでお前は――」
「なら、貴様には出来るのか?!自分を都合のいい兵器としか見なさないこんな世界を!自分たちのために命を散らしていった英霊たちに敬意も払わず、弱いことに胡座をかいて罵倒してくるような世界を、お前は命をかけて救えるのか!?」
激昂の言葉を乗せた無数の乱打を頭上より浴びせかける。その一つ一つが鉄槌の一撃が如く凄まじい威力で、迂闊に受けることすら躊躇われた。アオイは右へ左へと素早く身を捌き、回避に専念するしかなかった。
「彼女らが民兵どもに殺された後、どんな扱いを受けたか知っているか?死ぬまで暴力に晒され続け、死後も死体は裸に剥かれ、引きずり回された後に広場で磔にされた。最後はバラバラに切り刻まれて
、路上に捨てられた!想像してみろ。そこのレン君がそんな目にあったら、君は正気を保てるか!?」
凄絶な過去の一端に触れ、アオイも返す言葉を見つけられなかった。
「そんなおぞましい世界、戦って守る価値などない!」
「だからお前は勇者を捨てたと?」
その問いに、ヴィルさんは渾身の一撃でもって返す。魔属化による桁外れの膂力は、剣で防いだアオイを衝撃で数メートル先にまで吹き飛ばした。
「言っただろう。ボクが失望し見限ったのは今のこの世界の在り方だ。勇者としての責務、世界を守るという誓いはけっして捨てない。そうでなければ、死んでいった彼女らを裏切ることになる。なら、世界の方を変えるしかないだろう!?」
誓い、責務、約束――
今やそれはヴィルさんを縛る呪いに等しい。
いっそ彼が無責任な、誠実さに欠いた人間であったなら。
もしくは彼に対し、誰か一人でも慮ってくれたなら。
彼の仲間が一人でも生き残ってくれていたなら。
何かが少しでも違っていたなら、こうはならなかっただろう。
そう考えると、いたたまれない気持ちに胸が痛くなる。
「なぁヴィル。さっきから世界世界言ってるけど、そもそもお前にとって世界ってなんだ?」
ふと、アオイは物静かな口調でそんな言葉を投げかけた。
「お前の守りたい世界というのが、この星と何十億の人間って意味なら、そんなのは無理な話だ」
「なら貴様にとっての世界とは何だ?!」
「私にとっての世界は、コイツだ」
そう言ってアオイが視線を向けた先にいたのは――僕だった。
「私にとって大切な人……レンがいて、クロウがいて、ギンがいて、そこから世界が始まる。さらにその周りにいろんなのが連なって連なって、そうやって私の世界はできてる。人類を救うなんてのは、そのついでだ」
そんなアオイを、ヴィルさんは一笑に付した。
「大義もない、自分本意な子供の理論だな。そうやって戦場で慣れ合う君らを見ていて、ボクは心底腹立たしかったよ」
「別にそう思われても構わない。見ず知らずのその他大勢よりも、まずは大切な人間のために全力で戦うのが勇者としての私だ」
それでも確固たる口調で言い切る。
――その言葉に、埋もれていた古い記憶が蘇った僕はハッとなる。
「見下げた勇者だな!所詮はお前も志などない、有象無象の似非勇者にすぎないというわけだ!」
アオイの表情が一瞬、痛みに耐えるようにわずかに歪む。
「そんなお前に、ボクを責める権利など――」
「もう忘れてしまったかもしれないが、そう教えてくれたのはお前だぞ。ヴィル」
その一言にヴィルさんは、口にしかけた言葉を途中で飲み込む。
果たして彼は思い出してくれただろうか。
アオイに語り聞かせた、あの時のことを。
「ヴィルがそうなってしまったのは悲しい。でも、例えお前であっても私はこの生き方を否定させない」
剣先をヴィルさんに向け、アオイは凛然とした表情で言い放った。
真っ直ぐすぎる視線を正面から受け止めたヴィルさんは、突如として笑い始めた。背中を大きく逸らし顔を上に向けて室内中に響く大音声で、狂ったように笑い続けた。
その笑いが唐突に途切れたかと思うと、ヴィルさんはがばっと上体を元に戻した。
そこにあったのは阿修羅の如き憤怒の形相であった。
「過去など関係ない!お前の生き方など知ったことか!ボクは世界を変える!命をかけて守るに値する世界に!犠牲を強いることを当然と考えるクソどもをこの地上から一掃する!そのためなら魔属だろうと悪魔だろうと、何にだってなってやる!誰だって……殺してやる」
言葉を叩きつけるように吠えたヴィルさんは、床を砕く勢いで踏み出し、真正面からアオイへと迫る。
迎え打つアオイの目に、絶望も無く、そして先程まで見られた憐憫の色すらも拭い去られていた。暴走列車のごとく迫り来るヴィルさんを冷静にひらりと躱すと同時に、すれ違いざまに水平に寝かした刃で撫で切った。
粒子により強化された刃が甲殻を切り裂くも、鮮血が噴出したのは一瞬。傷口はものの数秒で塞がってしまう。
そこに僕は、勝利への糸口を見出す。
たしかに今の彼は人間はおろか勇者すらも凌駕した、魔属と同等の存在だ。だがオリジナルのブラインより脅威かと問われれば、答えは“ノー”だ。
ブラインをベースにしているとわかった時から僕は密かにセンサーでヴィルさんの身体を解析したが、彼の体内に炉心は見当たらない。少なくとも炉心解離変異体でないのは間違いない。あくまでヴィルさんの能力は対象の特徴を自分に「付加」することであり、対象そのもに化けることではないということだ。
[ベルカ]では、ブラインの甲殻の奥深くまでは刃が届かなかった。[ベルカ]に高負荷をかけることで、かろうじてブラインを倒すことができた。
でも、今は違う。粒子をコントロールできる今の聖剣なら、攻撃の一瞬に粒子を剣に集中させることができれば、刃は通る。
「――というわけだから。めげないでチャンスを狙って!」
「別にめげてないし、ンな事は言われなくてもさっきからずっと狙ってるわ!いいからさっさとやってくれ!」
そりゃごもっともで。
とはいえ、今の手持ちの設計図に最適なものはない。
(ないなら、この場で組むだけ……やってやるさ)
無茶ではあるが、無理じゃない。
決意を固め、キーボードを叩き始める。
一方、アオイは高速で突き出される尾針の一撃を見極め、傾けた剣で軌道を逸らし、擦過させながら足を踏み出し急接近を駆ける。
鋏の薙ぎ払いも身を低くして躱すと、胸を逸らして矢のような突きを胸部目掛けて放った。
それを見越し、滑るように後ろへと下がり距離をあけるヴィルさん。
と、その時ヴィルさんの目が不意にすっと細められる。その顔が蜃気楼のように揺らめいたかと思った次の瞬間、目に見えぬ力が剣の切っ先とぶつかった。
ブラインの不可視の攻撃――念弾。
アオイがその不意の一撃を躱せる体勢にはなかった。聖剣そのものはこの衝撃に耐え切ったが、掛かる負荷はアオイの手からもぎ取り、回転しながら真上に吹き飛ぶ。
それでも尚、念弾の勢いは衰えない。空手になったアオイに襲いかかる衝撃が彼女の右腕に直撃。腕を覆うガントレットは原型を留めず粉砕し、腕から肩に至るまでが粉微塵に爆ぜた。
「アオ――!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
裂帛の気合と共に、抉れた肩口の傷から吹き出したのは鮮血の朱ではなく、光り輝く青の煌めき。
それは一つのうねりとなって形作られたかと思うと、そこに失われた腕が現出していた。
わずか一瞬の間での出来事。何が起こったのか、全く理解できなかった。
奇跡でも起きたのか、今見たのは僕の脳が見せた幻だったのか。
だが幻ではなく、事実アオイの腕はそこにあり、宙を舞い落ちてきた聖剣を再び掴み取っていた。
これまで〈L粒子〉は幾度となく傷を癒やし、瀕死の重傷からも復活させた。だが、失われた肉体を再生するというのは全く別次元の話だ。
何より、僕はそんなプログラムを施していない。
モニタリングデータからも、〈L粒子〉がアオイの肉体に直接作用させているという漠然とした推察しかできない。
今の現象は聖剣を介さず、アオイのみで行ったことになる。
――これはあくまで憶測だけど。
それまで〈L粒子〉を制御してきた[ベルカ]。その制約から解放されたことで、アオイも自分自身で粒子を操作するということが可能になったではないだろうか。
これはその第一歩。
いつの日か能力を完全に扱えるようになりこの聖剣すら必要なくなる時が来るかもしれない――
さすがにこれにはヴィルさんも驚愕に目を見開いていた。
そしてその顔が、まばゆい光に照らされる。
アオイの背から溢れ出た、二対の光。それは先ほどナーサリィとの戦いで見せた光の翼だ。サイズはあの時より小さくなっているが、その分、必要な機能に最適化させている。
その威容に本能的――魔属の持つ天敵への恐怖――にヴィルさんが大きく後ろへと下がる。
背中に翼を持ったアオイが一歩踏み出すと同時に、その姿が掻き消える。
現れたのは、ヴィルさんの目の前。そして翻る閃光。
「ぐぬゥッッ!」
どのような攻撃を放ったのか、僕の目にはわからなかった。
アオイの剣をヴィルさんが辛うじて[ベルカ]で受け止めていた、という"結果だけ"がそこにあった。
しかし、魔属化したヴィルさんをして、受け止めるのは一太刀が限界だったようである。
直後、ヴィルさんの右腿と右上腕からパッっと鮮血が迸る。
ヴィルさんが受け止めたのは、三戟目だったのだ。
今のアオイの速度は粒子加速の比ではない。粒子を体内各所に作用させ、一挙手一投足の動作全てが限界まで加速させている。
「くそっ!」
ヴィルさんは悪態を吐きながら後退し、同時に尾による刺突を繰り出す。
尾針はしかし、勢いのままアオイの頭上を山なりに飛んでいった。
完全にアオイの間合いの外であったにももかわらず、尾は半ばから断ち切られていた。
肉眼では刀身が僅かに発光しているようにしか見えないが、モニタ上では刀身を覆うように粒子が集結し、長大な刃を形成しているのがわかった。
「なんだ、その目は……それで勝ったつもりか!」
冷徹に見据えるアオイに、ヴィルさんは吠える。そして正面の空間が歪む。
念弾が来る!
警告の声を発する間もなく、轟音が室内全体を震わせた。
放たれた念弾がアオイに激突し、その余波が周囲の床をも粉砕した。
もうもうと立ち込める粉塵の向こうを凝視するヴィルさんは、確かな手応えに口の端を歪ませていた。
しかし、僕には何が起きているかわかっていた。
直後、粉塵を光の翼が吹き飛ばし、五体満足の姿で迫るアオイが顕わとなった。
ヴィルさんは驚愕の表情を浮かべながらも、反射的に斬撃で迎え撃った。[ベルカ]の刃は、そこを過ったアオイの首筋に侵入し、反対側へと突き抜けた。
手応えは、無い。
アオイの残影は霧霞の如く空気中へと消えていくのを目にし、ヴィルさんの表情が歪む。
そして次の瞬間、消えかかる似姿を突き破り、本物のアオイがヴィルさんの眼前に現れる。すでに引き絞るように後ろへと構えられていた剣は放たれていた。遅れてヴィルさんの[ベルカ]も振り下ろされる。
――直前、僕の指もかつて無い速さでキーボードの上を走る。来たる瞬間に間に合わせるために。
二つの聖剣が正面から激突。それは力だけでなく、お互いの内に秘めた意思の激突でもあった。
一瞬の交差は、信じられないことに、[ベルカ]の刀身に亀裂を走らせた。
ひび割れた刀身に、光刃が浸入していく。
そして、甲高い音を響かせて[ベルカ]は根本から折れた。
一度は折れ、そして異なる担い手により再生された聖剣[ベルカ]は、かつての担い手により再び断ち切られた。
驚愕に見開かれたヴィルさんの目の前を過り、くるくると回転しながら真上へと飛ぶ[ベルカ]の刀身。
[ベルカ]を砕き、斬り上げたアオイの剣はそのまま無防備となったヴィルさんの胸目掛けて駆け昇る。光刃は甲殻を鮮やかに切り裂いて抜ける。
永遠のような刹那の切り結びを経て、お互いにすれ違う。瞬間、アオイの光の翼が弾け、周囲に粉雪の如き光を舞い散らせた。
「ぐふっ……!」
盛大に血を吐き、床にぶちまけた。そして力なく膝を折り、自らの血溜まりに沈む。同時に、宙を舞っていたベルカの切っ先が床に突き刺さった。
「……ありがとう、レン」
鞘に剣を収めながら、アオイが背中越しに礼を言う。僕はただ、「うん」と短く応じた。
光の刃がベルカを砕き、甲殻を貫いた瞬間に、剣に纏った粒子が変質し、非致死性の性質に変換するようプログラムを走らせていた。
言葉を交わさずとも、僕にはアオイの願いがわかった。
彼は罪人だが、殺す訳にはいかない。然るべき罰を受けさせ、できるなら考えなおす機会を与えてあげたかったのは、アオイも僕も同じだ。
かなりシビアな作業だったけど、どうやらうまくいったようで、僕も内心でほっと胸をなで下ろす。
アオイの周囲を漂う粒子が、大気に溶けるように消える。もはやアオイには一粒の粒子すら生み出す余裕はない。僕は素早く設定をセーフモードに切り替え、アオイの体力維持に務める。
「君は……」
と、その時アオイの足元から声。すでにヴィルさんの体は魔属の姿から元に戻っていたが、体のダメージは深刻なようだ。血を吐きながら震える手で身を起こそうとするもままならず、仰向けになるのが精一杯だった。
アオイを下から睨みつけながら彼は言う。
「君はボクに勝った……。だが勘違いするなよ。それが君が正しいという証明にはならない。いくら否定しようとこの世界は歪み、腐りきっている。勇者として生き続けるなら君もいつか苦しみ、葛藤し、そして絶望する日がかならず来るだろう」
ぜぇぜぇと何度も息継ぎをしながら、しかし、怨嗟の籠もった低い声。
「そうかもしれないな」
意外にもアオイは反発せず、素直にそう頷いた。
「私はどうしようもなく弱いし未熟だ。私一人じゃ簡単に潰れる。お前の言う"世界の歪み"なんて、想像もつかない」
「その歪みに大切なレン君を奪われた時、君の言う"世界"とやらは容易く崩れ去る。その時、君はどうするだろうな」
「仮に僕が殺されても、アオイは人の道を踏み外すような真似は――」
「きっと鬼のように暴れ狂う」
「ちょっと、アオイさん!?」
僕の言葉を全否定した上に「なんだよ」みたいな目で見返してくる始末だ。
「私はそんなお利口さんじゃない。殺したやつ全員を、思いつく限り残虐な方法でブチ殺す。どこにいようと、例え便所に隠れていても引きずり出して必ず息の根を止めてやる」
「マフィアか!恐すぎるよ!お願いだからそんなことしないでね!?」
物騒なことを平然と述べるこの勇者に必死に訴える。割と本気で。
「……と、仮定の話ですらレンはこんなに嫌がるから、きっとそんなことはしないと思う。たぶんな」
と、冗談めいた笑いで言う。本当に冗談かどうかを証明することにならないよう、なんとしても生きねばと僕は心に決めた。
一方、そんなヴィルさんは顔を歪ませ、アオイを睨む。きっと彼の目には、茶化してまともに向き合っていないように見えているのだろう。
でも、それは違う。
「ヴィルの仲間は、怒り狂って関係ない人間まで殺すお前を見て、喜ぶような奴らだったのか?」
「……っ!」
投げかけられた言葉は短いながら、返す言葉が見つからないほどに深く突き刺さった。
果たして彼の胸中には何が去来しているのだろう。
誰の顔を思い浮かべているのだろう。
「今日、これを言うのは二度目だが……」
前置きをし、アオイは諭すようにゆっくりと言った。
「死んだ人間に私達ができることは、そいつらの気持ちを汲み取るくらいだ……もしお前が勇者であり続けると言うなら、世界どうこうよりも、まずは死んでいった仲間たちのことを思い出してやってほしいな」
それは在りし日に、涙する幼いアオイに言って聞かせるヴィルさんの姿に重なった。
その言葉を最後に、アオイはヴィルさんに背を向ける。もはやこれ以上かける言葉は無いと言わんばかりに。そして、過去と決別するかのように。
ヴィルさんも目を閉ざし、沈黙する。気を失ったのか、それ以上語る気が失せたのか。果たして、アオイの言葉が彼に聞き届けられたのだろうか。
願わくばそうであってほしい。
と、その時アオイがその場でゆっくりと跪いた。
「アオイ!大丈夫?!」
僕は心配して駆け寄るも、アオイは目の前で再び立ち上がった。その手の上には何かが乗っていた。
それは、[ベルカ]の刀身だった。
「ごめんなさい……」
両手の掌でそっと優しく包み込み、胸に抱きながら小さく呟いた。
その胸中に何を思っているのか、感情に揺れる瞳の色は複雑すぎて、僕には分かりかねた。
「アオイ……」
「さぁ。さっさと帰ろう。早く戻らないと、うるさい奴らがもっとうるさく――」
と、言いかけて再びアオイはガクッと身を傾けて膝を付く。今度こそ本当に体力の限界のようだ。全身から力が抜け、ぺたんとお尻をついてその場にへたりこんでしまう。
「はは。さすがに疲れたにゃ。って、呂律も回ってないし」
はにかむようにこちらを見上げながら言う。もはやアオイのエネルギーは限りなくゼロに近いが、立っているのも難しいようだ。
それでもアオイは立ち上がろうとする。どれだけ傷つこうとも、震える両腕をつき、気丈に立ち上がろうとする。
「だめだ……すまん、レン。手を貸してくれ」
おずおずと下から手を伸ばし、親の手を乞う子のように僕の指の先をつまんで引いた。
――だからこうして、その彼女に助けを求められることが、たまらなく嬉しかった。
「行こう、アオイ。みんなが待ってる」
僕はアオイの手を、しっかりと握った。
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しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
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