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17ピアス
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どういうわけか猫耳と尻尾が王都で大流行した。獣人の耳そっくりな付け耳と尻尾も売り出され、街中を歩くご婦人も紳士も荷を持った商売人風の男も、屋台で肉を焼く中年男性も老若男女が猫耳である。
喫茶店では窓から見える店内に同じ制服に身を包んだ猫耳と尻尾をつけた従業員たちが、忙しそうに立ち働いている。
(猫耳に何があったのかな)
まさか自分の猫耳が事の発端とは知らぬサキであるから、猫耳がたくさんで嬉しいなと頬を緩める。クラースに護衛をお願いして、二人は城下街をあてどなく歩いているところだ。
マティアスが身体を薄く覆う常時発動型結界を組み込んだピアスを完成させたので、身体に毒素が溜まらないか試しているところなのだ。
サキは自分を見てどうこうしようと思う変態よりも、隣を歩くクラースに桃色の視線を送るご婦人の方が圧倒的に多いではないかと思いながら歩いている。桃色の視線は自分に向けられているわけではないので、まったく問題はない。
当のクラースも愛想良くご婦人方に笑いかけながら、たまに手を振ったりして歩いている。クラースだわ、クラースよ、と黄色い声で囁きが聞こえるがおかしな行動に出るご婦人が一人も出てこないあたり、上手にやっているのだろう。サキにはそのように上手く立ち回れる気がしないから、羨ましいことである。
たまに黒紫色をした精気がサキの方を向いて伸びてくることがある。以前ならば不快に思っていたが結界のおかげで不快な精気がサキに直接触れることはなく、ピアスの効果は上乗であるといえよう。
(帰ったら父さんにピアスの穴を開けてもらおう)
サキは上機嫌でクラースに試しはそろそろ終了だと告げ、せっかく城下街に来たのだから皆で食べるお菓子でも買って帰ろうと店を覗いた。売り物のクッキーまで猫耳がついたものがあり、かわいらしくアイシングで彩られていた。
その夜サキがピアスの穴を開けて欲しいとマティアスに頼むと、珍しく拒否された。
「お前の身体に傷をつけることはできない」
と断られれば仕方ない。たかがピアスの穴、と自分でこの辺りかと針を刺そうとしていたら危ないから止めなさいと全力で止められた。
(一体どうしろと……)
明日の朝ムスタ師匠にでも頼むか、とサキは自室に下がりよく眠った。
翌朝ムスタにピアスの穴を開けて欲しいと頼むと、いいぞと快活な返事をもらった。
「それで?ピアスは耳か鼻か胸かへそか、どこだ」
本気かと驚いて見上げれば逆に驚かれた、ムスタの故郷では皆財産として多くの装飾品を身につけるそうで、ピアスは外れないから重宝するらしい。服の中に隠せば見えないから身体中ピアスだらけという獣人もいるそうだ。
「わしも今は装飾品をつけておらんが、耳にはほれ開いておる」
ちなみに獣の姿に変身したりするのか、とこの機会に聞いてみるとそんな獣人はいないと返答が返ってきた。この世界の獣人はどうやら耳と尻尾だけのようである。獣型はいないのか、と残念そうにつぶやけば顔や身体に体毛や鱗のある獣人はたまに見かけると教えてくれた。
この世界で獣型といえば魔獣だから見掛ければ狩られてしまうだろう、それもそうかとサキは納得した。大人になったらいつかこの広い世界を周ってみたいものである。
ピアスの穴を開けるために、ムスタが爪を伸ばした。普通の爪がニュッと鋭く伸びて先はカギ爪のように尖っている。無言で大興奮するサキに、特別に見せてやろうと笑ってムスタが何度も爪を出し入れして見せてくれた。
真っ赤な顔をしてぶんぶんと頷き、ムスタにすがりつかんばかりに爪を見つめるサキに、触っていいぞと手を差し出せば小さな白い手がそっと爪先を撫でた。カギ爪を触っているところで一旦爪を仕舞い、ビクッとしたサキが白い手を逸らしたのを確認してもう一度カギ爪をニュッと出す。
黒い瞳を真ん丸くしてカギ爪を触り、嬉しそうな顔をしてにっこりと笑うサキに怖くないのかと聞けば、何がですかと尋ねられた。
「獣人が怖くはないのか」
「いえ、まったく?」
なぜ怖いのかわからないという顔で首を傾げるから、可笑しくなってムスタは笑う。
「この耳も尻尾もずいぶん気に入っていると思えば、牙も爪も怖くないとは全く変わった人間だの」
「僕の半分は魔族の夢魔なんで。獣耳なんてできることなら僕のが獣耳ならいいと思っているくらいです」
「……ははっ……は?」
「僕の母が夢魔なんです、あ、これ内緒でお願いしますね」
魔族と人間で子供ができるものなのか、と混乱するムスタにサキはさっさとピアスの穴を開けてくださいと催促した。ムスタの爪で開けてもらった穴は全く痛みなく、左右に一つずつピアスが通った。
片方が魔導具でもう片方はレプリカなのだが、そのうち他の用途の魔導具に付け替えればよいと両耳にピアスを通したのだった。金細工で縁取られた限界までマティアスが魔力を込めた魔石の色は、青白く輝いてサキの耳元で揺れた。
イェルハルドが浮かない表情で屋敷にやって来た、いつものようにクラースが護衛である。来月の誕生日に15歳で成人を迎えるので、主役としてパーティに出なくてはいけないらしい。何といっても第一王子である。
憂いを帯びた美形が睫毛を下げてため息をついてもやはり美しいだけなのだが、そんな表情で切々と語っている相手は3歳なのだから、見ていて何やら気の毒になる。
「私にはキーラという婚約者がいるというのに、貴族のご令嬢というのは本当に恐ろしいのです。この間など徒党を組んで逃げられぬよう取り囲まれ、重いドレスに挟まれたまま身体を押されて、フロアーから廊下へ出されそのまま個室に押し込まれて数人がかりでベッドに押し倒されたのです……うぅっ」
普通の男なら据え膳と喜ぶ話であろうが、イェルハルドが大変真面目なのを知っているサキは心の底からイェルハルドが気の毒になった。優しい王子様はきっとそんな目にあっても肉食ご令嬢たちに暴力を振るったりはできないであろう。
「ご令嬢たちからどうやって逃げたの?」
「私を見張ってくれているクラースが部屋に乗り込んで助けてくれたのです」
(さすがクラース、本物の騎士だなあ)
肉食貴族ご令嬢とイェルハルド、どちらが騎士が守る本物のお姫様か問われれば、見た目の美しさだけでもイェルハルドに軍配が上がるに違いない。内面だって深窓のご令嬢も驚きの素直さと初心さなのである。
よしよしと床に座るイェルハルドの頭を撫でてやれば、サキの腹の辺りにそっと頭を預けてきた。かわいい王子様だ、キーラには早く成長して王子様を思い切り甘やかしてやってもらいたいものだ。
キーラに健やかな成長を促す子守唄を歌ってやりながらイェルハルドの頭を撫でつつ、何とか魔導具で助けてやれないものかと考え、イェルハルドは容姿だけでも目立つものなあと思う。逆にイェルハルドの存在自体を薄く結界で覆ってみてはどうかと思いついた。今より少しだけ存在感を薄くしてやれば、大分楽になるのではないか。
後でマティアスに相談だ、と空中に簡単な魔方陣を構築して図案を考えていると。カティに預かったのかお茶とお菓子をワゴンで運んできてくれたクラースが、ずいぶん器用なことしてんなあと呆れた顔をした。
気づけばサキは立ったままで、子守唄を歌ったキーラは寝ており腹に抱えたイェルハルドの頭を左手で撫でつつ、右手では魔法を操っていた。
「そういえばイェルハルドの館の横に引っ越すの、そろそろなんだろ」
「はい、そうなんです。遊びに来てくださいね」
「イェルハルドの館の隣だからな、今よりもっと入り浸るんじゃねぇの」
「ふふっ、楽しいから嬉しいです。クラースもぜひ入り浸ってください」
「すげー口説き文句だな」
ガキの戯言になど乗らないでしょう、と笑って言えば真面目な顔で顎をスッと掬われた。グッと顔を近づけてくるから瞬きもせずに待てば、ブハッと笑われた。サキは無表情のまま唾が飛んで汚いと右のシャツの袖で顔を拭った。
そんな頭上での遣り取りにさえ反応せずじっと動かないのだから、本当に成人のパーティに出るのが嫌なのだろう。腹のところにイェルハルドの頭を抱えたままサキはその金色の頭を撫で続けた。
(どうしてこうなった)
サキは自分の発言を後悔していた。
確かにイェルハルドを気の毒に思いマティアスに魔導具で存在感を薄める方法について相談はした。結果無事に魔導具は完成したが、試した結果あまり使えないことが判明した。
魔道具を身につけていれば存在感はやや薄れる、だが元から過度に注目されていれば役には立たなかったのだ。それでも付けないよりはマシであろうから、当日イェルハルドには身につけさせる予定ではいた。
日を追うごとに俯いていくイェルハルドに、軽い助け船のつもりでサキは言ってしまったのだ。
「イェルハルドより派手に目立つ人に、隣にいてもらったらいいじゃない」
「……それはどなたですか」
俯いていたイェルハルドが久しぶりに顔を上げたのだ、答えがないでは済まされない。
「えぇと……フロイライン様とひろきとか」
「あの人が公の場にひろきを出すはずがないでしょうぅぅ……」
「んーと、ラミ……は無理か。父さん……は華があるわけじゃないか」
あ、とサキは閃いた。一人いるではないか、見た目が派手で美しく華のある人が。
「ムスタ師匠は?恰好良いしイェルハルドと僕で頼んでみたらどうでしょうか」
ちょうど猫耳が流行っていることだし、注目間違いないだろう。いくらか気分の上昇したイェルハルドにお願いしますとせっつかれて、サキはムスタの所へパーティへ出てはもらえないか打診しに行った。
ムスタの住まいはエーヴェルト邸の奥にある館である。そういえば昼間に尋ねるのは久しぶりだと、イェルハルドと二人歩きながら話す。
「ところでムスタ師匠はなぜここに住んでらっしゃるの」
「私も詳しい話は知りませんが、前王の古い友という話ですよ」
「ふうん、国賓扱いかあ。本当は何だろ」
「さぁ……ムスタ師匠は受けてくれるでしょうか」
ムスタの国賓扱いよりも、パーティの参加不参加の方が気になるらしいイェルハルドに、受けてもらえるといいけれどと歩を進めた。
「イェルハルドの成人のパーティ?出るのは構わないが」
「え、本当ですか」
「頼んでおいてなんだ、まぁ条件はあるがの」
「何でもおっしゃってください。私でできることならば」
ムスタの条件はいくつかあった。
「ひとつ、エーヴェルトの許可を取ること。ふたつ、出るからにはわしの傍を離れぬこと。みっつ、サキがわしと供に出ること、以上」
にやりと笑う褐色の肉食獣にぐぬぬとサキは奥歯を噛みしめる。社交界デビューが済んでいない子供でも大人同伴であればパーティに出ることはできる。サキに貴族の名はないが高位魔法師と言えばそこらの爵位持ちなどより余程位が高いから、パーティに出ないことへの言い訳にはできない。
つまりサキにはムスタにパーティに出るよう頼んでおいて、自分は断るという不義理はできないということである。
「あぁそれと、サキにはわしと揃いの獣耳と尻尾をつけてもらうぞ。何でも王都で流行っているらしいからの」
楽しみじゃの、と口を開けてカラカラと笑うムスタに、イェルハルドはもう拝まんばかりである。
「ムスタ師匠ありがとうございます。サキも本当にありがとう」
「本当に良かったねえ、ははは」
他意のない輝く笑顔で美貌の主から心からの感謝を伝えられて、断れる者がいようか。褐色の肉食獣め、サキは心の中でガクリとヒザをついて項垂れた。
エーヴェルトからは、ムスタが出てくれるの?お誘いしたいくらいだったのだから、もちろん大歓迎だよとお許しをもらった。
サキはパーティに着て行く服など持っていないが一度しか着ないものを買うのはもったいないので、イェルハルドのおさがりを借りることを、パーティに出る条件とした。
猫耳と尻尾はクラースが本物に見えるほど似せて作ったものを責任を持って手配する、と言ってくれたのでお任せした。
パーティと言っても子供にダンスはないし、サキは踊れない。サキのパーティ参加を聞いたマティアスが保護者として参加してくれると言うので、不安はなくなった。
そしてパーティ当日。
(どうしてこうなった)
サキは自分の発言を後悔していた。
喫茶店では窓から見える店内に同じ制服に身を包んだ猫耳と尻尾をつけた従業員たちが、忙しそうに立ち働いている。
(猫耳に何があったのかな)
まさか自分の猫耳が事の発端とは知らぬサキであるから、猫耳がたくさんで嬉しいなと頬を緩める。クラースに護衛をお願いして、二人は城下街をあてどなく歩いているところだ。
マティアスが身体を薄く覆う常時発動型結界を組み込んだピアスを完成させたので、身体に毒素が溜まらないか試しているところなのだ。
サキは自分を見てどうこうしようと思う変態よりも、隣を歩くクラースに桃色の視線を送るご婦人の方が圧倒的に多いではないかと思いながら歩いている。桃色の視線は自分に向けられているわけではないので、まったく問題はない。
当のクラースも愛想良くご婦人方に笑いかけながら、たまに手を振ったりして歩いている。クラースだわ、クラースよ、と黄色い声で囁きが聞こえるがおかしな行動に出るご婦人が一人も出てこないあたり、上手にやっているのだろう。サキにはそのように上手く立ち回れる気がしないから、羨ましいことである。
たまに黒紫色をした精気がサキの方を向いて伸びてくることがある。以前ならば不快に思っていたが結界のおかげで不快な精気がサキに直接触れることはなく、ピアスの効果は上乗であるといえよう。
(帰ったら父さんにピアスの穴を開けてもらおう)
サキは上機嫌でクラースに試しはそろそろ終了だと告げ、せっかく城下街に来たのだから皆で食べるお菓子でも買って帰ろうと店を覗いた。売り物のクッキーまで猫耳がついたものがあり、かわいらしくアイシングで彩られていた。
その夜サキがピアスの穴を開けて欲しいとマティアスに頼むと、珍しく拒否された。
「お前の身体に傷をつけることはできない」
と断られれば仕方ない。たかがピアスの穴、と自分でこの辺りかと針を刺そうとしていたら危ないから止めなさいと全力で止められた。
(一体どうしろと……)
明日の朝ムスタ師匠にでも頼むか、とサキは自室に下がりよく眠った。
翌朝ムスタにピアスの穴を開けて欲しいと頼むと、いいぞと快活な返事をもらった。
「それで?ピアスは耳か鼻か胸かへそか、どこだ」
本気かと驚いて見上げれば逆に驚かれた、ムスタの故郷では皆財産として多くの装飾品を身につけるそうで、ピアスは外れないから重宝するらしい。服の中に隠せば見えないから身体中ピアスだらけという獣人もいるそうだ。
「わしも今は装飾品をつけておらんが、耳にはほれ開いておる」
ちなみに獣の姿に変身したりするのか、とこの機会に聞いてみるとそんな獣人はいないと返答が返ってきた。この世界の獣人はどうやら耳と尻尾だけのようである。獣型はいないのか、と残念そうにつぶやけば顔や身体に体毛や鱗のある獣人はたまに見かけると教えてくれた。
この世界で獣型といえば魔獣だから見掛ければ狩られてしまうだろう、それもそうかとサキは納得した。大人になったらいつかこの広い世界を周ってみたいものである。
ピアスの穴を開けるために、ムスタが爪を伸ばした。普通の爪がニュッと鋭く伸びて先はカギ爪のように尖っている。無言で大興奮するサキに、特別に見せてやろうと笑ってムスタが何度も爪を出し入れして見せてくれた。
真っ赤な顔をしてぶんぶんと頷き、ムスタにすがりつかんばかりに爪を見つめるサキに、触っていいぞと手を差し出せば小さな白い手がそっと爪先を撫でた。カギ爪を触っているところで一旦爪を仕舞い、ビクッとしたサキが白い手を逸らしたのを確認してもう一度カギ爪をニュッと出す。
黒い瞳を真ん丸くしてカギ爪を触り、嬉しそうな顔をしてにっこりと笑うサキに怖くないのかと聞けば、何がですかと尋ねられた。
「獣人が怖くはないのか」
「いえ、まったく?」
なぜ怖いのかわからないという顔で首を傾げるから、可笑しくなってムスタは笑う。
「この耳も尻尾もずいぶん気に入っていると思えば、牙も爪も怖くないとは全く変わった人間だの」
「僕の半分は魔族の夢魔なんで。獣耳なんてできることなら僕のが獣耳ならいいと思っているくらいです」
「……ははっ……は?」
「僕の母が夢魔なんです、あ、これ内緒でお願いしますね」
魔族と人間で子供ができるものなのか、と混乱するムスタにサキはさっさとピアスの穴を開けてくださいと催促した。ムスタの爪で開けてもらった穴は全く痛みなく、左右に一つずつピアスが通った。
片方が魔導具でもう片方はレプリカなのだが、そのうち他の用途の魔導具に付け替えればよいと両耳にピアスを通したのだった。金細工で縁取られた限界までマティアスが魔力を込めた魔石の色は、青白く輝いてサキの耳元で揺れた。
イェルハルドが浮かない表情で屋敷にやって来た、いつものようにクラースが護衛である。来月の誕生日に15歳で成人を迎えるので、主役としてパーティに出なくてはいけないらしい。何といっても第一王子である。
憂いを帯びた美形が睫毛を下げてため息をついてもやはり美しいだけなのだが、そんな表情で切々と語っている相手は3歳なのだから、見ていて何やら気の毒になる。
「私にはキーラという婚約者がいるというのに、貴族のご令嬢というのは本当に恐ろしいのです。この間など徒党を組んで逃げられぬよう取り囲まれ、重いドレスに挟まれたまま身体を押されて、フロアーから廊下へ出されそのまま個室に押し込まれて数人がかりでベッドに押し倒されたのです……うぅっ」
普通の男なら据え膳と喜ぶ話であろうが、イェルハルドが大変真面目なのを知っているサキは心の底からイェルハルドが気の毒になった。優しい王子様はきっとそんな目にあっても肉食ご令嬢たちに暴力を振るったりはできないであろう。
「ご令嬢たちからどうやって逃げたの?」
「私を見張ってくれているクラースが部屋に乗り込んで助けてくれたのです」
(さすがクラース、本物の騎士だなあ)
肉食貴族ご令嬢とイェルハルド、どちらが騎士が守る本物のお姫様か問われれば、見た目の美しさだけでもイェルハルドに軍配が上がるに違いない。内面だって深窓のご令嬢も驚きの素直さと初心さなのである。
よしよしと床に座るイェルハルドの頭を撫でてやれば、サキの腹の辺りにそっと頭を預けてきた。かわいい王子様だ、キーラには早く成長して王子様を思い切り甘やかしてやってもらいたいものだ。
キーラに健やかな成長を促す子守唄を歌ってやりながらイェルハルドの頭を撫でつつ、何とか魔導具で助けてやれないものかと考え、イェルハルドは容姿だけでも目立つものなあと思う。逆にイェルハルドの存在自体を薄く結界で覆ってみてはどうかと思いついた。今より少しだけ存在感を薄くしてやれば、大分楽になるのではないか。
後でマティアスに相談だ、と空中に簡単な魔方陣を構築して図案を考えていると。カティに預かったのかお茶とお菓子をワゴンで運んできてくれたクラースが、ずいぶん器用なことしてんなあと呆れた顔をした。
気づけばサキは立ったままで、子守唄を歌ったキーラは寝ており腹に抱えたイェルハルドの頭を左手で撫でつつ、右手では魔法を操っていた。
「そういえばイェルハルドの館の横に引っ越すの、そろそろなんだろ」
「はい、そうなんです。遊びに来てくださいね」
「イェルハルドの館の隣だからな、今よりもっと入り浸るんじゃねぇの」
「ふふっ、楽しいから嬉しいです。クラースもぜひ入り浸ってください」
「すげー口説き文句だな」
ガキの戯言になど乗らないでしょう、と笑って言えば真面目な顔で顎をスッと掬われた。グッと顔を近づけてくるから瞬きもせずに待てば、ブハッと笑われた。サキは無表情のまま唾が飛んで汚いと右のシャツの袖で顔を拭った。
そんな頭上での遣り取りにさえ反応せずじっと動かないのだから、本当に成人のパーティに出るのが嫌なのだろう。腹のところにイェルハルドの頭を抱えたままサキはその金色の頭を撫で続けた。
(どうしてこうなった)
サキは自分の発言を後悔していた。
確かにイェルハルドを気の毒に思いマティアスに魔導具で存在感を薄める方法について相談はした。結果無事に魔導具は完成したが、試した結果あまり使えないことが判明した。
魔道具を身につけていれば存在感はやや薄れる、だが元から過度に注目されていれば役には立たなかったのだ。それでも付けないよりはマシであろうから、当日イェルハルドには身につけさせる予定ではいた。
日を追うごとに俯いていくイェルハルドに、軽い助け船のつもりでサキは言ってしまったのだ。
「イェルハルドより派手に目立つ人に、隣にいてもらったらいいじゃない」
「……それはどなたですか」
俯いていたイェルハルドが久しぶりに顔を上げたのだ、答えがないでは済まされない。
「えぇと……フロイライン様とひろきとか」
「あの人が公の場にひろきを出すはずがないでしょうぅぅ……」
「んーと、ラミ……は無理か。父さん……は華があるわけじゃないか」
あ、とサキは閃いた。一人いるではないか、見た目が派手で美しく華のある人が。
「ムスタ師匠は?恰好良いしイェルハルドと僕で頼んでみたらどうでしょうか」
ちょうど猫耳が流行っていることだし、注目間違いないだろう。いくらか気分の上昇したイェルハルドにお願いしますとせっつかれて、サキはムスタの所へパーティへ出てはもらえないか打診しに行った。
ムスタの住まいはエーヴェルト邸の奥にある館である。そういえば昼間に尋ねるのは久しぶりだと、イェルハルドと二人歩きながら話す。
「ところでムスタ師匠はなぜここに住んでらっしゃるの」
「私も詳しい話は知りませんが、前王の古い友という話ですよ」
「ふうん、国賓扱いかあ。本当は何だろ」
「さぁ……ムスタ師匠は受けてくれるでしょうか」
ムスタの国賓扱いよりも、パーティの参加不参加の方が気になるらしいイェルハルドに、受けてもらえるといいけれどと歩を進めた。
「イェルハルドの成人のパーティ?出るのは構わないが」
「え、本当ですか」
「頼んでおいてなんだ、まぁ条件はあるがの」
「何でもおっしゃってください。私でできることならば」
ムスタの条件はいくつかあった。
「ひとつ、エーヴェルトの許可を取ること。ふたつ、出るからにはわしの傍を離れぬこと。みっつ、サキがわしと供に出ること、以上」
にやりと笑う褐色の肉食獣にぐぬぬとサキは奥歯を噛みしめる。社交界デビューが済んでいない子供でも大人同伴であればパーティに出ることはできる。サキに貴族の名はないが高位魔法師と言えばそこらの爵位持ちなどより余程位が高いから、パーティに出ないことへの言い訳にはできない。
つまりサキにはムスタにパーティに出るよう頼んでおいて、自分は断るという不義理はできないということである。
「あぁそれと、サキにはわしと揃いの獣耳と尻尾をつけてもらうぞ。何でも王都で流行っているらしいからの」
楽しみじゃの、と口を開けてカラカラと笑うムスタに、イェルハルドはもう拝まんばかりである。
「ムスタ師匠ありがとうございます。サキも本当にありがとう」
「本当に良かったねえ、ははは」
他意のない輝く笑顔で美貌の主から心からの感謝を伝えられて、断れる者がいようか。褐色の肉食獣め、サキは心の中でガクリとヒザをついて項垂れた。
エーヴェルトからは、ムスタが出てくれるの?お誘いしたいくらいだったのだから、もちろん大歓迎だよとお許しをもらった。
サキはパーティに着て行く服など持っていないが一度しか着ないものを買うのはもったいないので、イェルハルドのおさがりを借りることを、パーティに出る条件とした。
猫耳と尻尾はクラースが本物に見えるほど似せて作ったものを責任を持って手配する、と言ってくれたのでお任せした。
パーティと言っても子供にダンスはないし、サキは踊れない。サキのパーティ参加を聞いたマティアスが保護者として参加してくれると言うので、不安はなくなった。
そしてパーティ当日。
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サキは自分の発言を後悔していた。
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