影の織り手たち

あおごろも

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【第三章】影の踊り場

11 : 従卒の仕事 ー前編ー

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 午後の陽が傾きかけた頃、ルクスは、エリオの部屋を訪れた。
 寮棟の中にある、カピタンとプレフェクトに与えられる個室の専用階ーーそこは、他の階よりも静けさが際立っていた。
 ドアの前に立ち、ルクスは一度だけ深く息を吸う。
 ノックの音が、廊下に硬く響く。
 少しの間を置いて、中から返事があった。

「入れ」

 短く、低い声だった。
 ルクスは姿勢を正し、ドアを開ける。

「失礼します」

 ドアが閉まると、空気がわずかに張った。
 カピタン専用の個室は、二人部屋よりも広い造りで、窓も大きい。
 壁には備え付けの書棚と装備棚。
 私物と思しきケースがいくつか積まれている。
 まだ完全には片付いていないようだったが、雑然とした印象はなく、空間はどこか整っていた。
 ほのかに香るのは、深い森のような香水と、紙とインクの匂いが混ざったもの。
 古典的な調香と質のいい筆記具、革のブックカバー、書棚に並ぶ書物。
 それらが、エリオの生活の輪郭を静かに語っていた。

 書棚の前で、入り口に背を向けるようにしてエリオが立っていた。
 制服の上着は脱がれ、シャツの袖が折り上げられている。
 振り返らぬまま、エリオは低く言った

「そこに置いておけ」

 動作で背後の机を示され、ルクスは返事とともに、持参した記録ファイルを机の上に置く。

「……報告事項です」

 ルクスの声は、わずかに硬い。
 エリオは応えず、書棚の前で数冊の本を指でなぞっていた。
 その沈黙に、ルクスが戸惑いを覚えかけた頃、ようやくエリオが動いた。
 手に取った本を一冊、机の上に無造作に置くと、そのままルクスへ向き直る。

「わざわざ、部屋まで来て伝えるような内容か?」

 ルクスは一瞬だけ口をつぐみ、それから率直に答える。

「……カスパルが、口頭で伝えたほうがいい、と」

 エリオは目を細め、ほんのわずかに息を吐く。
 それが、納得の色か、あるいは別の感情かは読み取れなかった。
 ルクスは黙って立ち、ただ相手の反応を待った。

「何についてだ」
「本日行われた、班単位の戦術演習についてです」
「ああ、あれか……」

 エリオの声に、微かに苦味がにじんだ。

 エリオは椅子を片手で引き、音を立てずに腰を下ろした。
 机の上に置かれた記録ファイルに目を通す。

「……で、君の考えは?」

 問われると思っていなかったルクスは戸惑ったが、すぐに返答する。

「現状の編成で、問題はありません。班長レベルの判断で機動性が保たれています」

 エリオは黙って聞いていた。
 沈黙のまま、指先が机の端を軽く叩く。
 そのリズムが、どこか不規則だった。

「……全員、動けているのか?」

 エリオの問いに、ルクスは一瞬だけ視線を揺らした。

「はい。現在、レイス班およびシエル班の両班とも、報告上は問題なく行動しています」
「報告上は、か」

 エリオがひとつ息を吐いた。
 少しの間の後、続けられた声は、鋭さを帯びていた。

「表向きの報告だけを、鵜呑みにして伝えるのが君の仕事か?」

 その声音に、ルクスは思わず姿勢を正した。

 エリオの視線が、静かにルクスに向けられている。

 従卒ーーカピタンに直属する補佐役となったルクスは、組の運営そのものを担う立場にはない。
 班長たちの統括役には、また別の候補生が就いている。
 ルクス自身は、あくまで報告と随行、そして必要に応じた指示の伝達といった補佐業務を担う役割にある。

 だが、だからこそエリオは問うていた。

 班長たちの言葉をそのまま伝えに来るだけで、務めを果たしたつもりかーーと。

 君は、その目で何を見たーーと。

 ルクスは、すぐには答えられなかった。
 けれど、目だけはそらさずにいた。

「……カスパル……レイス班の動きに、多少の齟齬が見えます。特に副班長のヴァレン候補生が、全体の歩調を乱している場面が何度か。結果として周囲との摩擦を生んでいる印象です」

 わずかな言い淀みの後は、意識的に淡々と言葉をつなぐ。

「シエル班のほうは、統制は取れています。ただ、班長であるシエル候補生と、他の候補生たちとの間に若干の緊張があるように見えました」

 報告上ではーー班長たちからは語られていない、ルクス自身の視点からの報告。

「……それでいい」

 エリオは軽く頷き、告げる。

「それがわかる目を持っているのなら、言葉にすることを躊躇うな。従卒が班を束ねる必要はないが、見て報告する責任はある」
「……心得ます」

 エリオは目を閉じ、数秒の沈黙を置いた。
 その顔には、静かな検証の気配があった。

「レイス班に関しては、後ほど様子を見てきてもらう。二名だけでいい」
「……シエル班のほうは?」

 尋ねると、エリオは目を開け、ルクスを一瞥した。

「必要ない。シエル本人は、他の候補生との距離を測りあぐねているだけだ。〈緊張〉を正確に感じ取れていれば、修正の余地は十分にある」

 ルクスは、その答えをすぐには呑み込めなかった。
 だがエリオの言葉の端に、彼が見ている一線のようなものが透けて見えた。

「見たものは曖昧にするな。言葉にして伝えろ。それが、現場に立つ者の義務だ」
「了解しました」



 部屋を辞したルクスの足音が、静かな廊下に消えていく。

 エリオはしばらく無言のまま、椅子の背に身を預けていた。

 窓の外、午後の陽が鈍く傾きかけている。
 外壁の厚いガラス越しに見る空は、ほんのわずかに橙を帯びながらも、全体に灰色がかった鈍色のままだった。

 シエル班で〈緊張〉が生じるのは、シエルのやり方が、まだ班の中で浸透しきっていないゆえーーただそれだけのことだと、シエルが自覚できれば、解消する。

 レイス班のほうが、危うい。
 班の内部で起きている温度差と、声にならない焦燥。
 それに蓋をしたまま、表面的な秩序だけを保っている。

 放置すれば、崩壊する。
 しかし、むやみな介入では、効を成さないどころか、逆の刺激を与えかねない。
 現状に、波を立てずに影響を与えようとするならばーーおそらく、ルクスが適任だろう。

「……さて、どう動いてみせてくれるのか」

 落とした呟きは、どこか期待の色を帯びていた。
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