影の織り手たち

あおごろも

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【第三章】影の踊り場

12 : 従卒の仕事 ー中編ー

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 ドアを閉めた後、ルクスはまっすぐに廊下を進んだ。
 エリオの言葉が、頭の中で繰り返される。

ーーレイス班に関しては、後ほど様子を見てきてもらう。二名だけでいい。

 視察の対象は二名。
 内ひとりは、ヴァレン候補生。そして、もうひとりはーー
 必要なのは、感情ではなく事実。迷いではなく判断。

 士官学院の白い石畳が、足音を一定に返す。
 訓練区画までは、寮棟から歩いて数分。
 目に映る景色は、まだ静かだった。

 陽の傾きはさらに深まり、石畳の表面には、沈みきらない光がまだらに射している。

 カスパルが「口頭で伝えたほうがいい」と言ったときの、どこか迷いの気配の混じる表情を、ルクスは思い出していた。

 石畳の先、高い壁と重い扉の向こう、空気がわずかに変わる。

 第二訓練区画ーーその中央付近には、基礎戦術演習に対応した可変式の障害フィールドが設置されていた。
 複数の防壁が、展開されたままの状態で散在し、物陰や死角を使った射線の確認や、模擬戦の布陣確認が行われているようだった。

 入り口の端に立ち、ルクスは一度、視線を全体に走らせた。

 レイス班の候補生たちは、散開したまま各自の練度に合わせた訓練に励んでいた。
 中でもひときわ目立っていたのは、副班長のヴァレン候補生の動きだった。
 彼は、遠距離支援を想定した演習用ランチャーを担ぎながら、何度も障害物の間を素早く移動している。
 タイミングを見計らって姿を出し、隠れ、また出るーー戦況を読みながら前線に合図を送る一連の動作を、誰よりも早く、正確にこなしていた。

 だがーーその動きが、他の候補生たちと噛み合っていない。
 隊列の一部が、彼の動作に引きずられるように足を止め、あるいは、合図の意図を図りかねてタイミングを逸している。
 一人が突出しすぎれば、連携の歯車は簡単に狂う。

 ルクスは訓練区画の端を迂回し、障壁の陰へと身を移す。
 その先、少し高台になった区画の片端に、カスパルの姿があった。

 カスパルは、班全体を高所から見下ろす位置に立っていた。
 腕を組み、動きはない。
 だがその目は、わずかな誤差や遅れさえ見逃さぬよう、じっと候補生たちの連携を追っていた。
 緩みも、乱れも、すでに把握しているようだった。

 ルクスの気配を察したのか、カスパルが振り向く。
 表情は変わらない。
 ただ、目だけがわずかに細くなった。

「……来たんだ」

 感情の色を抑えた、低く穏やかな声。

「エリオの指示があった。……見て、言葉にして伝えるようにって」
「そう」

 カスパルは、候補生たちの様子から目を離さぬまま、淡々とした口調で言った。

 候補生たちの動きは、やや粗さを残しつつも、各人の基本的な技能と習熟度は高い。
 だが、その連携は、まだ不安定だった。
 班としての一体感に乏しく、連携が一瞬ずつ遅れ、それが全体の動きの歪みとなって浮かび上がる。

「……一人ひとりの動きは悪くない。でも、班としてのまとまりは不十分で脆い」

 ルクスがつぶやくように言うと、カスパルは短く応じた。

「そう。そこのバランスを、今は見てるところ」
「ヴァレンが少し、走りすぎてる」
「うん。彼は自分の力量を発揮することに意識が向いている。周囲に合わせて調整するより、自分が前に出る方がやりやすいんだろう」

 ヴァレンーー副班長である彼の動きは、確かに目を引いた。
 身体能力と反応速度は群を抜いている。
 だがそれが、一歩速いその判断が、今は独走として作用し、全体の連携を崩している。

「ただーーあれも、今のうちに思いきりやらせておいた方がいい」

 カスパルが言う。

「全体として動くには、自分の外の動きも意識できていないとどうにもならないと、わかっておく必要がある」

 班の全体像と、個々の気質。
 その成長の過程を見通し、今どの段階で何をさせるべきか、そこまでを織り込んでの沈黙、であるにしてはーー

 ルクスの眼差しに、カスパルは珍しく苦笑めいた表情を浮かべた。

「……やっぱり、見えてるんだな、君には。……エリオにも」

 そう言って、カスパルは少し目を伏せた。

「……こうなると、つくづく自分には向いてないと思うよ。統率する立場なんてもの」

 その声にはどこか危うく張り詰めたものがあった。

「……エリオのように、皆が従うカリスマ性もないし、シエルのように、貫く勇敢さもない。……間違えたらどうしようって、そればかり考えてる」

 慎重すぎるくらいの性格と、真面目すぎるほどの責任感ーーそれが今、カスパルの中で衝突しているのがはっきりわかる。

「今この班にとって、何が弱点で、何が必要なのか……どこをどうすれば、全体が噛み合うのか……わかってるんだ。でもそれを、どう伝えるか。どこまで踏み込むべきか……」

 言い淀む声には、明確な自覚と、葛藤が滲んでいた。

「……間違えたら、取り返しがつかなくなるかもしれないって。……そこに、足が止まってしまう」

 ルクスは、黙ってカスパルの横顔を見ていた。
 過不足なく、見える距離を保ちたいーーそう言っていたカスパルの、まさにその〈距離〉が、今、彼の足を引き止めているのだ。

「それでも、君が言わなきゃ、彼は変われない」

 少しの間をおいて、カスパルは小さく頷いた。

「……伝える。僕の言葉で」

 短く、それだけを言ったカスパルに、ルクスは、静かに頷きを返した。



 訓練が一段落したところで、カスパルはヴァレンを呼び止めた。

「ヴァレン。時間を取れ」

 即座に反応し、ヴァレンが振り向いて立ち止まる。
 返事はないが、従う意思は明白だった。
 少し離れた場所まで移動し、カスパルは先に立って向き直る。

「今日の訓練、全体の連携に齟齬が出た原因は明確だ」

 ヴァレンの表情がわずかに動く。

「君の動きは速いが、速すぎる。味方の動きを計算に入れていない」

 静かだが、一切の曖昧さを含まぬ声だった。

「このままでは、戦場で味方を見殺しにする」

 ヴァレンは顔をしかめた。

「……動きが遅い者に合わせて、遅く動けということですか?」
「違う。全体の流れを読み、調整するということだ」

 カスパルの語調に、曖昧さはなかった。

「個々の速度を落とすのではない。連携の〈質〉を高める」

 ヴァレンは一瞬、反論の気配を見せたが、口をつぐんだ。
 彼自身が無意識に感じていた違和感に行き着いた、そして理解し始めたーーその微細な変化を、カスパルは注意深く観察しながら、続ける。

「君の動きは確かに優れている。だが、全体を崩す結果になるなら意味がない」

 ヴァレンの眉がわずかに動く。だが、反論は出ない。
 カスパルはさらに一歩踏み込んだ。

「この班で動く以上、君一人が突出しても評価にはつながらない」

 それは、班長としての立場からの明確な通告だった。
 ヴァレンはまっすぐにカスパルを見た。

「……では、どう動けばよいと」
「周囲を見ろ。そして、必要な時に〈待て〉。必要な時に〈引け〉」

 ヴァレンは黙ったまま、何かを飲み込むように、呼吸を一つ、二つ、置く。
 そして、はっきりと答えた。

「理解しました。以後、留意します」

 カスパルは頷き、ひと言だけ返した。

「期待している」

 それは、班長としての、任務の一環としての言葉かけ。
 だがその言葉に、ヴァレンは確かに反応を見せた。

「はい!」

 目を輝かせ、踵を返す。
 カスパルはその背を見送りながら、小さく息を吐いた。

 言葉の選び方一つで、意図は届く。
 それを今、確かに学べた。
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