影の織り手たち

あおごろも

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【第二章】利の配置

6 : 〈カマル・セルベ〉の夜

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 夜の帳が下りる頃。
 士官学院の敷地の外れにその場所はあった。
 小さな門扉の奥、沈黙する石造りの建物。

 〈カマル・セルベ〉

 静謐と隔絶を意味する、古語の名を冠したそこは、士官学院の正式な管轄ではない。
 しかし、一定の階級に達した生徒たちの間では、限られた目的で使用される共有の空間として、密かに知られていた。

 あくまで非公式の場。
 監視も記録も原則として存在しない、ただし、その分だけ、己の言葉と行動には全責任が伴う。
 誰かが誰かに何かを差し出すにはーーこの空間ほど適した場所はなかった。


 重厚な扉を押し開いたのは、カスパルだった。
 滲むような控えめな灯りが、古い壁に等間隔に並んで点いている。
 夜の静けさに抱かれるようにして、その空間はゆっくりと目を覚ます。

「ルクス」

 名を呼ぶ声に、奥の椅子からルクスが立ち上がり、淡い光の中で影をつくる。
 指先で制服の襟元を一度整える仕草に、わずかな緊張がにじんでいた。

「……待たせた?」

 カスパルの声は穏やかだった。
 公式の場では見せない、ほんの少し柔らかい音を帯びている。

「……いえ」

 短く返された言葉は、少しだけ硬かった。
 私的な場面でのやりとりにしては少し距離があるそれに、カスパルは気づく。

「緊張してる?」

カスパルの声は、あくまで穏やかだった。

「……してないよ」

 ルクスは、少しの間を置いて、答える。
 その言葉の温度を測るように、カスパルはルクスの目を見つめる。

「大丈夫。今日は、君に不利なことは何もない」

 その言葉が空気に馴染むより早く、扉が静かに開いた。
 空を切るように現れたその姿に、ルクスの目が動く。
 入ってきたのは、白に近い銀色の髪の青年だった。

 制服の上に軽く羽織ったマントが、立ち姿に静かな威圧を添えている。
 所作には、貴族らしい威厳と洗練が滲んでいた。

 淡い照明の中で、彼の目だけが一瞬、光を返す。
 澄んだ氷を思わせる青色が、ふたりを見据える。

ーーエリオ・グランヴェレス……

 初演習のとき、同じ班だった。
 能力の発動下で、彼の指示に従い、彼の動きを見ていた。
 〈支配域〉の中にいながら、平然としていられた自分に、彼がほんの僅かに口元を緩めたこと。
 自分は名乗り、彼の名を確かめたこと。
 カスパルの名を口にしたとき、彼が僅かな反応を見せたことも覚えている。

 あれから、言葉を交わす機会はなかった。
 けれど、今、こうして再び向けられた視線には、あのとき感じた温度が、変わらず、あった。

 ルクスは一歩、前に出る。
 そして、相手の目をまっすぐに見返す。

「……こんばんは。演習のとき以来ですね」

 それだけを、落ち着いた声で。
 あくまで礼儀正しく、しかし過剰なへりくだりもない距離感で告げた。

 カスパルは静かに見守っていた。
 言葉を挟むでもなく、ただそこに在るという形で。

 やがて、カスパルが口を開いた。

「この場に、君たちふたりを引き合わせたのは……僕の判断だ」

 穏やかに、しかし曖昧さのない声音だった。

「学院の評価制度でも、演習の成績でもなく。僕自身が見たものを信じて、選んだ」

 カスパルの視線が、ルクスとエリオを順にとらえる。
 淡く灯る室内の光の中で、その眼差しはどこまでも静かだった。

「無理に仲良くしてくれ、とは言わない。だが、きっと君たちは、交わるに足るだけのものを持っている」

 その言葉に、ルクスの眼差しが揺れる。
 何かを受け取るように、短く息を吸って、気持ちを言葉にする。

「……ありがとう、カスパル」

 エリオは何も言わず、その眼差しだけで答えを示した。
 口に出すまでもない、そう判断した者の沈黙だった。

 壁際の卓に置かれた水差しの縁に、光がわずかに揺れていた。
 まるで、その場に残された余白を映すように。



 部屋に戻ると、窓辺には淡い灯りが残っていた。
 ルクスにとっては、見慣れた空気。
 体から、少しずつ緊張がほどけていくのが分かる。

 カスパルは上着を脱ぎ、衣かけにかけた。
 いつもと変わらぬ落ち着いた動作。
 部屋の空気も、それに呼応するように落ち着いていく。

 ルクスはベッドに腰を下ろし、ひとつ息をついた。
 そのまま、しばらくぼんやりと床の一点を見つめる。

 カスパルは、自分のカップとルクスのカップへ水を注ぐ。
 ルクスはカップを受け取ると、ぽつりとこぼした。

「なんか、変な感じ。何かが動き出したみたいな」
「そう感じたなら、それでいい」

 カスパルの声は、あくまで穏やかだった。

「利のこととか、考えて動いたわけじゃないけど」
「それでいいさ」

 少し口の端を上げて、カスパルはそう返した。

「……僕、あの人のこと、たぶん気になるんだと思う」

 唐突に、けれど自然にこぼれた言葉だった。
 カスパルは驚いたふうもなく、ふっと小さく笑った。

「それも、利の一部かもしれないね」

 冗談のように言って、流す。
 その声には、無言の了解の気配があった。
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