影の織り手たち

あおごろも

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【第二章】利の配置

7 : 差の輪郭

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 夕方前の訓練棟は、少し肌寒く、けれどほどよく静かだった。
 授業を終えたばかりの生徒たちがちらほら姿を見せるが、まだ本格的な使用時間帯には入っていない。
 ルクスは廊下を歩いていた。
 小型戦術機の調整許可が下りていたのを思い出し、整備区画に立ち寄ってみようと向かっていたところだった。

 ふと、曲がり角で足が止まる。
 そこに、見覚えのある姿があった。

ーーエリオ・グランヴェレス。

 やや離れた距離で、誰かと話していた。
 手に持っている制御盤を指で操作しながら、時折頷くなどして、相手に返答している。
 会話の内容は聞こえないが、その横顔には落ち着きと理知があり、そこに視線が引き寄せられる。
 ルクスは、なぜか目を逸らす気になれなかった。

 ふと気配に気づいたように、エリオの視線が、こちらを捉える。
 彼はやがて話を終えると、こちらにゆっくり歩いてきた。

「奇遇だな」

 それは通り過ぎるための言葉ではなかった。
 ルクスのほんの一歩分先で、エリオの足が止まる。

「調整か?それとも、試すつもりだったか?」

 問いかける口調には、どこか柔らかい響きがあった。
 探るのではなく、観察に近い余裕。

「……調整、のはずだったんですけど。何か、試されそうな気がしてきました」

 それは、勘に近いものだった。
 エリオは目を細め、わずかに笑んだ。

「なら、つきあおう」

 その一言に、はっきりとした指示はなかった。
 ルクスは自然と、まるで最初から決まっていたかのような迷いのない足取りで歩き出していた。



 訓練棟の一区画にある一室に足を踏み入れると、照明が頭上で静かに点いた。
 背後で、扉が閉まる音がして振り返ると、エリオがゆるやかにマントを外し、ドアのすぐ横にあるスペースに置くところだった。
 その所作は美しく、ここが訓練場であることを一瞬忘れそうになる。

「この部屋を選んだか」
「静かでいい場所でしょう。余計な目にも触れにくい」

 ここには見物人も、評価を下す教官もいない。
 ただ、自分の動きと、向き合う相手だけがある。

「武器は、どうする?」

 問いかけたエリオの声音はあくまで静かだった。
 ルクスは一瞬だけ目を伏せた後、顔を上げて言った。

「……模擬用の実剣で」

 武器の選択の余地を与えられた。
 それは、こちらの判断を見定めるためであることを、ルクスは理解していた。

 エリオは短く頷き、部屋の奥、武器棚の前へ向かう。
 そこでひとつ、模擬用の実剣を手に取り、確かめるように柄を握った。
 次いで、似た型の一本を選び、ルクスに差し出す。
 ルクスは一礼し、それを受け取った。
 手に伝わる重みーー馴染みのある、訓練用の標準型。
 だが、手を抜ける類のものではない。

「確認だが、これは、手合わせの範囲でいいな?」

 ルクスは小さく笑った。

「もちろんです。……ただ、範囲のなかで、どこまで応じるかは、それぞれの判断で」

 即ち、出し惜しみはしない。

「なるほど」

 言葉の奥にある意思を正しく察したエリオの口元に、わずかに笑みのようなものが浮かぶ。
 だがそれはすぐに消え、エリオは静かに模擬用の実剣を構えた。

 ふたりの間に、空気が張る。
 室内に響くのは、換気設備の低い駆動音だけ。

 先に動いたのは、ルクスだった。
 速い速度での踏み込み。
 初手の意図は牽制と、距離感の確認。

 エリオはその一撃を、最小限の足運びと、剣先の角度だけで受け流す。
 ルクスの剣筋は鋭い。
 だが、どこか直線的だった。
 そのまっすぐな動きに、わずかな癖と傾向があることを、エリオは瞬時に読み取る。

 一撃、また一撃。 

 ルクスの額に汗が滲む。
 体力的なものではない。
 観察されているーーその実感が、肌を伝ってくるのだ。

 エリオは、何も言わない。
 ただ、見ている。
 目の前の動き、その意味、その裏にある思考を、ひとつずつ拾い上げるように。

 ルクスもまた、見ていた。
 エリオの立ち方、間合いの読み、反応の速さ……
 体の芯の部分でわかる。
 これは、相手の動きを見てから動いている反応ではない。
 エリオは、ルクスの選択そのものを、予測している。
 選択の傾向、そこから生まれる間合い、重心の移し方ーーそういったものが、すでに読まれている。

ーーなら、試してみる。

 次の瞬間、ルクスは、踏み込みの角度を意図的に変えた。
 いつもの自分では選ばない軌道。
 わざとらしく、粗さすら滲む変化をつけた。
 だがそれは、仕掛けとしての、囮。
 あえて読みづらくし、相手の対応を計る意図的な変化。

 エリオの目が、わずかに動く。
 読みのズレが、エリオの反応の端に生じた。

 手応えはあった。
 しかし、その一瞬後には、エリオの重心が、ごく自然に滑るように切り替わっていた。
 こちらの狙いに正面から反応せず、脇に受け流すような、静かな切り返し。

 ルクスの剣が空を切る。
 間合いを詰めたつもりの次手も、そのまま空間の隙間へと滑り落ちた。

「……試してきたか」

 初めて、エリオが言葉を発した。
 剣を交えたままの、低く落ち着いた声音。

 ルクスは息を整えながら、一歩、後ろへ引いた。

ーーいなされた。

 それは、明確な力量差のあらわれだった。

 エリオは、構えを解かないまま、まっすぐにルクスを見ていた。
 ルクスは、間合いを見直すように視線を巡らせた。
 汗が頬を伝う。
 ここまでの応酬は、すべて見きられていた。
 しかけた試しも、見抜かれ、いなされた。
 けれど、それで終わらせたくはなかった。
 明確な差を知った今こそ、その差の輪郭を、自分の中に刻むべきだと感じていた。

「……もう一度、お願いします」

 そう言って、ルクスは剣を構え直す。
 エリオは、目を細め、構えを解かずいる。
 その静寂を、応えとした。

 そしてーー再び交わる。

 今度のルクスの動きは、先ほどとはまた違っていた。
 粗さは捨て、意識を一点に絞る。

 エリオは、剣を後ろへ引き、見極める一瞬の間の後、狙い澄ました軌道で剣を前に伸ばした。
 ルクスの剣を正面から受け、横に弾いた。
 受けた勢いに見合わない、軽い音が響く

 受け止めない。
 力で抑え込みもしない。
 ただ、かわす。
 それだけで、成立してしまうのだ。

ーー届かない。

 ルクスは剣を下げた。
 呼吸を整えながら、視線はエリオから逸らさずに。

「……負けました」

 そう言ったルクスの声音は、静かで落ち着いていた。
 自分の中にある悔しさも、すでに受け止めている。

 エリオは構えを解き、静かに剣を下ろした。
 まっすぐな眼差しを保ったまま、応じる。

「戦いは、点では測れない。……ただ、君の打ち込みは、よかった」

 ルクスは深く一礼した。

 この日の手合わせは、短くも、確かなものだった。
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