影の織り手たち

あおごろも

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【第二章】利の配置

8 : 統合型戦術演習 ー前編ー

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 部屋の灯りはまだ落ちていなかった。

 ルクスはベッドの上で、演習用装備と携行物の点検をひととおり終えると、荷物を横に、演習資料に手を伸ばす。
 カスパルもまた、自分のベッドの上で端末に目を通していた。手にしているのは、演習とは別任務の資料だろう。

「明日は、別任務でそっちの演習は出られないけど……君なら、ちゃんとやれる」

 声は、ルクスの力みや焦りを見透かしたような、落ち着いた響きだった。

「ただ、何かが起きたときに、どこまで従うかは決めておいたほうがいい」

 ルクスは少し考えて、言葉を選ぶように答えた。

「従わない……って選択も、ありってこと?」

 カスパルは目線を上げ、わずかに笑う。

「さあ。……どう従うか、かもしれない」

 淡々と、カスパルは資料を閉じ、端末を脇へ置いた。
 そのまま手を伸ばして、枕元の灯りを落とす。
 ルクスもそれにならい、演習用にまとめた荷物と資料を片付けると、枕元の灯りを落とした。

 部屋に静かな夜の気配が満ち、ふたりはそれぞれの眠りについた。



 演習当日、空はよく晴れていた。
 小隊規模の演習とはいえ、構成された顔ぶれは、各科から選抜された者たちで固められている。
 実戦さながらの緊張感があった。

 この演習の目的は、護衛対象を守りつつの進行と、敵方との遭遇からの撤退行動の実地訓練。
 今回は、護衛対象として、情報科と戦術支援科の非戦闘職の候補生がふたり参加している。
 ふたりとも演習仕様の軽装だった。

 ルクスは演習用の装備に身を包み、副補佐として部隊の後衛寄りに配置されていた。
 主指揮官のエリオは、前方の斜面の中腹に立ち、地図と現在地を照合しながら、進行ルートの指示を出していた。

 序盤の進行は順調だった。
 予定されたルートを、用心深く進みながら、地形の変化に応じて随時、配置と歩調を調整していく。
 エリオの指示は簡潔で的確だった。
 彼の目は常に全体を見ていて、決して前のめりにならない。
 その進行のなかで、ルクスも必要に応じて動き、情報の伝達と連携をスムーズに整えていく。

 穏やかな進行が続いていた中で、突然の事態が起きた。

 山道の脇を進んでいたとき、護衛対象の候補生ふたりが、緩んだ地盤に足をとられ、体勢を崩した勢いのまま斜面を滑り落ちた。

「落下は約八メートル!骨折や負傷の可能性あり!」

 すぐに報告の声が飛び、部隊が足を止める。

 斜面の下に取り残されたふたりは、まだ意識があり、軽く手を振って合図を送ってきていた。だが、足場の不安定さと、すでに敵方の展開エリアに近づいている状況を考えれば、救助に向かうのはリスクが高かった。

「戻って保護すべきでは……!」

 副指揮官の候補生が声を上げた。
 その声を、エリオが遮る。

「戦術的価値は低い。全体の動きを変更するには足りない。……この場での利は、戦力を維持したまま撤退することだ」

 その声音は、あくまで冷静で、冷徹だった。
 判断としても、間違っていない。

ーーその判断は、正しい。……正しい、けど……

 反論を口にはしなかった。
 今のルクスに許されていることは、命令に従うことーーどう従うか、を選択すること。


 ルクスは、あくまで副補佐としての範囲を保ったまま、自分にできる選択を模索した。

 命令違反はーーしない。

 隊列から離脱もーーしない。

 指揮系統はエリオに一任されている。
 だが、撤退ルートの再編成については、現場の状況に応じて副補佐の意見が取り入れられる部分も多い。

「……撤退ルートについてですが、敵との接触は避けられない状況です。ですが、このルートであれば遮蔽物が多く、視界の確保もしやすい」

 ルクスは、地図の一点を指し示しながら続けた。

「もし視認された場合でも、排除行動に移りやすい地形です。戦力の損失を抑える意味でも、有効かと」

 エリオは、示されたルートを一瞥する。
 地形としての利点はたしかにあり、撤退の妨げにはならない。
 それは、彼自身の、利を取る、という判断とも、正面から矛盾しない選択肢だった。

 しかし、そのルートは、斜面下に取り残されたふたりの候補生に、最も近づける位置でもあった。
 同様の条件を満たす候補ルートは他にもあった。
 それでもルクスは、あえてその一本を選び、提示したのだ。

 エリオは、一瞬、確認するようにルクスの目を見ると、静かに頷いた。

「……いいだろう。全体をそちらに誘導する。撤退態勢をとれ」

 それ以上、何も言わなかった。


 敵役の展開部隊が姿を現したのは、まさに部隊の進行ルート上だった。
 小規模ではあるが、訓練とは思えぬ動きの鋭さを持った一隊。
 それを正面から迎えるかたちで、演習部隊の撤退行動が開始された。

「先行班、左斜面から回り込め。中央は俺が押さえる」

 エリオは低く指示を飛ばしながら、指揮位置を前へと移す。
 そして、敵が一線に入る瞬間ーーエリオの掌が、ひとつ、空をなぞった。

 エリオの能力〈支配域〉が発動された。

 地盤の緩さを考慮し、空間そのものに圧をかけるのではなく、発動領域に触れた人体にのみかかるよう調整された、重さのない圧。
 敵の動きがわずかに鈍る。
 反応の遅延、それによる判断の誤差を狙う使い方だった。

「一掃する。……前を開けろ」

 低く響く声とともに、エリオが立つ位置から前方に向けて、見えない力の線が走った。

 やや後方に位置していたルクスは、周囲が前方の敵に意識が向いている隙を狙って、動いた。
 敵とエリオを結んだ直線上に自身を置きーールクスは、迷いなく自らの能力を発動する。

 〈神経投射〉の裏の使い方ーー対象の意識に直接干渉する、侵入系の使い方。
 本来は、対象との距離や相性、必要とする集中力やかかる負荷の高さといった制限が大きい。
 しかし、今、その制限を大幅に広げられる条件が揃っている。

ーー今なら、あそこまで届けば……!

 ルクスが伸ばした〈神経投射〉は、前方の〈支配域〉の発動起点に到達した瞬間に、滑り込むように〈支配域〉に紛れ込んだ。
 エリオの〈支配域〉という大きな流れに乗せることで、本来なら届かない範囲での干渉を可能にした。

 敵役の数名が、明らかな意識の混乱を起こす。
 進行ルートを塞いでいた布陣が大きく乱れ、味方の突破口は易々と開かれた。
 撤退ルートの追撃態勢を整えるにも時間を要するだろう。

「この状況であれば、護衛対象の二名も回収できるのでは……!」

 思わず声を上げたのは、副指揮官の候補生だった。

「可能だ。隊列を乱さず、対象二名の回収にまわれ」

 エリオの声は淡々としていたが、その判断は驚くほど速かった。
 まるで、最初からこの事態を見越していたかのように。
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