影の織り手たち

あおごろも

文字の大きさ
30 / 33
【第五章】終夜の影

29 : カスパルの誓い言

しおりを挟む
「君と研究所に行った日、もしかして、カイもいた?」
「……誰かから聞いた?」

 カスパルの問い返しに、ルクスは首を横に振った。

「何となく、そう感じただけ。カイの〈反照〉の感触に、覚えがあるなって」

 ルクスの声音は、思考というより、体感の痕跡をたどるような響きだった。



 気配、感触、匂い、色ーー能力を持つ者は、他者の能力の残滓に触れた時、それぞれ異なる感覚で痕跡を掴み取る。

 ルクスは、エリオの〈支配域〉を道に例えたことがあった。
 〈演算〉は、緻密に編み上げた層が幾重にも重なってできた壁のようだった、と。
 カイロスの〈反照〉は、潤沢な水ーー大河のようだというが……

 カスパルは思考を組み立てる。

 カイロスの〈反照〉が制御を外れた時ーー
 大河に例えられるような膨大な水は、ひとたび氾濫すれば奔流となり、触れたものを丸ごと呑み込み、すべてを押し流す。
 研究所での暴発の爪痕を思えば、その例えはけして的外れではない。

ーー仮に、対峙することになれば……

 エリオの〈支配域〉は力比べだ。
 強い側が、弱い側を覆い尽くす構図になる。

 自分の〈演算〉はどうか。
 研究所の一件では、自分は影響を受けなかった。
 ルクスの〈重複〉が緩衝材になった可能性はある。
 だがそれ以上に、相性の問題が大きいように思う。
 氾濫した大河の奔流を真正面から止めるのではなく、水が届かない場所へ退避するようにーー〈演算〉は、触れずに済む位置を取る働きをしたのではないか。

ーー確認できるか……?

 そう一瞬考え、即座に打ち消す。
 リスクが大きすぎる。
 ただ、その選択肢が一瞬でも思い浮かんだことに、自分の中で、カイロスに対する警戒心がわずかに緩んでいるのだと気付く。

 ルクスの〈神経投射〉は……
 あの時、ルクスは負荷に耐え切れず気絶した。
 それは、あまりに唐突で大きな負荷だったからであり、今ならまた違う結果になるだろう。
 カイロスとの訓練を積み重ね、ルクスは〈反照〉の癖を細かく読み解いている。
 急流の中でも、水の流れを読んで、船を操り渡るように。
 その働きかけは、カイロス自身の制御の安定にもつながっていた。

 そう、カイロスは短期間で飛躍的に成長している。
 このまま能力の扱いに長けていけば……
 もしもカイロスが、ルクスの〈重複〉のように、自身の〈反照〉の発動中に、さらに〈反照〉を重ねてみせたなら……

 思考がそこに至った瞬間、背筋を冷たいものが走った。

 最強の矛と最強の盾が同じ場所でぶつかれば、何が起こるのか。
 計算も、予測も、追いつかない。
 仮定の先に広がるのは、ただ底知れぬ恐怖だけだった。



 やがて訪れる卒業までの月日ーー

 ルクスとカイロスの関係を、カスパルは複雑な思いで見ていた。

 ルクスは人の痛みや弱さに敏感で、時に自らをすり減らしてでも相手に寄り添おうとする。
 そのあり方は、カスパルから見れば危うい。
 けれど同時に、誰も触れられなかった孤独へと手を伸ばす強さでもあった。
 誰もが距離を置く存在ーーカイロスに、ルクスだけがためらいなく近付いていった。

 カスパルの目には、それは無謀にも、しかし必然にも映った。

 ルクスの存在があったからこそ、カイロスは徐々に能力を制御し、人としての輪郭を取り戻していった。

 ルクスもまた、危うさの極みにある存在に触れ続けることで、自らの能力の輪郭を掴み取り、成長していった。

 カスパルは二人を見ながら、互いが互いの支えになっているのを感じていた。
 そこにひそむ危うさも感じながら。

 思えば、エリオとルクスの関係は〈導く者〉と〈導かれる者〉だった。
 厳しさと配慮を併せ持つエリオの存在は、ルクスに確かな道筋を示していた。

 それに対し、カスパルは、ルクスを見守り、支え、いざという時には動くーーそんな立ち位置を選んでいた。

 だからこそーー



 今日、この別れの日に、伝えておかなければならない。



 学院の門まで見送りに来たルクスを、カスパルは抱きしめ、静かに告げた。

「何かあっても、君は、僕やエリオを頼りに来はしないだろう」

 カスパルは知っていた。
 ルクスは、けして弱音を吐かない。
 抱え込み、守ろうとして、自らが傷つく。

「だから、その時は僕が動く。君と、君が大切にしたいものを守るために」

 抱きしめた腕の中で、ルクスの呼吸が震え、ぎゅっと抱き返してきた。

「ありがとう……大好きだよ、カスパル」
「僕もだ、ルクス」

 ルクスがこれから誰を支え、誰に支えられて歩むのか。
 その先に待つのがカイロスであれ、他の誰であれ。

 ルクスが選ぶ道を守ると、カスパルは心の奥で固く誓った。



 澄んだ空の下。
 秋風がかすかに色づき始めた葉をふるわせる。
 忘れがたい影を残して、カスパル・レイスは士官学院を去った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

後宮に咲く美しき寵后

不来方しい
BL
フィリの故郷であるルロ国では、真っ白な肌に金色の髪を持つ人間は魔女の生まれ変わりだと伝えられていた。生まれた者は民衆の前で焚刑に処し、こうして人々の安心を得る一方、犠牲を当たり前のように受け入れている国だった。 フィリもまた雪のような肌と金髪を持って生まれ、来るべきときに備え、地下の部屋で閉じ込められて生活をしていた。第四王子として生まれても、処刑への道は免れられなかった。 そんなフィリの元に、縁談の話が舞い込んでくる。 縁談の相手はファルーハ王国の第三王子であるヴァシリス。顔も名前も知らない王子との結婚の話は、同性婚に偏見があるルロ国にとって、フィリはさらに肩身の狭い思いをする。 ファルーハ王国は砂漠地帯にある王国であり、雪国であるルロ国とは真逆だ。縁談などフィリ信じず、ついにそのときが来たと諦めの境地に至った。 情報がほとんどないファルーハ王国へ向かうと、国を上げて祝福する民衆に触れ、処刑場へ向かうものだとばかり思っていたフィリは困惑する。 狼狽するフィリの元へ現れたのは、浅黒い肌と黒髪、サファイア色の瞳を持つヴァシリスだった。彼はまだ成人にはあと二年早い子供であり、未成年と婚姻の儀を行うのかと不意を突かれた。 縁談の持ち込みから婚儀までが早く、しかも相手は未成年。そこには第二王子であるジャミルの思惑が隠されていて──。

僕の、しあわせ辺境暮らし

  *  ゆるゆ
BL
雪のなか3歳の僕を、ひろってくれたのは、やさしい16歳の男の子でした。 ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります! ぽて と むーちゃんの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

拗らせ問題児は癒しの君を独占したい

結衣可
BL
前世で限界社畜として心をすり減らした青年は、異世界の貧乏子爵家三男・セナとして転生する。王立貴族学院に奨学生として通う彼は、座学で首席の成績を持ちながらも、目立つことを徹底的に避けて生きていた。期待されることは、壊れる前触れだと知っているからだ。 一方、公爵家次男のアレクシスは、魔法も剣術も学年トップの才能を持ちながら、「何も期待されていない」立場に嫌気がさし、問題児として学院で浮いた存在になっていた。 補習課題のペアとして出会った二人。 セナはアレクシスを特別視せず、恐れも媚びも見せない。その静かな態度と、美しい瞳に、アレクシスは強く惹かれていく。放課後を共に過ごすうち、アレクシスはセナを守りたいと思い始める。 身分差と噂、そしてセナが隠す“癒やしの光魔法”。 期待されることを恐れるセナと、期待されないことに傷つくアレクシスは、すれ違いながらも互いを唯一の居場所として見つけていく。 これは、静かに生きたい少年と、選ばれたかった少年が出会った物語。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

狼の護衛騎士は、今日も心配が尽きない

結衣可
BL
戦の傷跡が癒えた共生都市ルーヴェン。 人族と獣人族が共に暮らすその街で、文官ユリス・アルヴィンは、穏やかな日々の中に、いつも自分を見守る“優しい視線”の存在を感じていた。 その正体は、狼族の戦士長出身の護衛騎士、ガルド・ルヴァーン。 無口で不器用だが、誠実で優しい彼は、いつしかユリスを守ることが日課になっていた。 モフモフ好きなユリスと、心配性すぎるガルド。 灰銀の狼と金灰の文官―― 異種族の二人の関係がルーヴェンの風のようにやさしく、日々の中で少しずつ変わっていく。

処理中です...