悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「グラッセ・ド・ラズベリー! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」

王立学園の卒業パーティー。

煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族の生徒たちが息を呑んで見守る中、アラン王子の絶叫が響き渡った。

私の目の前で、王子は隣に侍らせた男爵令嬢ミナの肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように鼻を鳴らしている。

まるで舞台役者のような大見得だ。

私は手に持っていた扇をパチリと閉じた。

「……承知いたしました」

「ふん、泣いて縋(すが)っても無駄だぞ! 貴様の悪逆非道な行いは、すべて露見しているのだからな!」

アラン王子がビシッと私を指さす。

その隣で、ピンク色の髪をふわふわと揺らすミナが、上目遣いで王子を見上げた。

「アラン様ぁ……。私、怖いですぅ。グラッセ様、私を見る目がとっても冷たくて……」

「大丈夫だ、僕の愛しいミナ。この女がいかに冷酷で、金に汚い守銭奴であるか、ここにいる全員に知らしめてやる!」

会場がざわめく。

「おい、聞いたか? 守銭奴だと」

「公爵令嬢なのに、ドレスの生地をケチってるって噂だぞ」

「パーティーの料理も、余ったら持ち帰るらしい」

ひそひそ話が聞こえてくるが、私は表情一つ変えずに王子を見据えた。

無駄な時間だ。

この会場の貸切時間はあと二時間残っているが、この騒ぎで音楽演奏は中断、料理の提供も止まっている。

時間対効果(コストパフォーマンス)が最悪だ。

「アラン殿下。理由はともあれ、婚約破棄の意思は固いのですね?」

「ああ、そうだ! 貴様のような愛のない女より、ミナのような純真な心を持つ女性こそ、次期王妃にふさわしい!」

「左様でございますか。では、この話は『商談成立』ということで」

「……は?」

王子の顔が間の抜けたように歪む。

私は懐から、あらかじめ用意しておいた分厚い羊皮紙の束を取り出した。

ズシリと重いその束を、片手で掲げる。

「な、なんだそれは」

「お忘れですか? 私が常々申し上げておりました通り、契約解除の際には所定の手続きが必要です」

私は羊皮紙の束をめくり、懐から携帯用の小型魔道具『電卓』を取り出した。

パチパチパチ、と軽快な音が静まり返ったホールに響く。

「えー、まずは婚約期間中における、私の王子への教育費およびマナー講師代。これが締めて金貨三千枚」

「はぁ!?」

「次に、殿下が私の目を盗んでミナ様に贈られたドレス、宝石、および夜会への馬車手配料。これらはすべて、殿下のツケとして私の名義で処理されております。これが金貨五千枚」

「なっ……!?」

アラン王子が狼狽し始める。

しかし、私の指は止まらない。

計算速度はさらに加速する。

「さらに、殿下が公務をサボってミナ様とお忍びデートに行かれた際の、影武者の手配料および関係各所への口止め料。これが特別料金で金貨二千枚」

「ま、待て! そんなものまで……!」

「そして最後に、一方的な婚約破棄に対する精神的苦痛への慰謝料。これは公爵家の体面を傷つけた賠償も含みますので、相場の三倍とさせていただきます」

パチン!

最後にひときわ大きく『=(イコール)』のボタンを叩き、私は数値を読み上げた。

「締めて、金貨一億枚になります。お支払い方法は一括のみ。分割は利子がトイチ(十日で一割)つきますが、よろしいですね?」

会場中が凍りついた。

金貨一億枚。

それは小国の国家予算にも匹敵する金額だ。

アラン王子は顔面蒼白になり、パクパクと口を開閉させている。

「い、一億……!? ふざけるな! そんな金、払えるわけがないだろう!」

「おや、払えませんと? 次期国王となる方が、まさか無銭飲食ならぬ無銭婚約破棄とは、笑えない冗談ですわ」

私は冷ややかな視線を送る。

「ひ、酷いですぅ!」

そこで、ミナが金切り声を上げた。

涙目で私を睨みつけ、震える声で訴える。

「愛はお金じゃ買えないんですよ!? アラン様との思い出を、そんな汚いお金に換算するなんて……グラッセ様には人の心がないんですか!?」

周囲の生徒たちが、「そうだそうだ」と頷きかける。

しかし、私は鼻で笑った。

「ミナ様。あなた、今着ていらっしゃるそのドレス、おいくらかご存じ?」

「えっ……?」

「最高級のシルクに、東方の刺繍。市場価格で金貨五十枚は下りません。それ、誰の財布から出たと思っていて?」

「そ、それはアラン様が……」

「アラン殿下の個人資産は、先月のカジノでの豪遊ですでに底をついています。そのドレスの代金を立て替えたのは、私です」

「……え」

ミナの顔から血の気が引いていく。

私はさらに追撃の手を緩めない。

「愛で腹は膨れませんが、ドレスは金で買えます。あなたが身につけているネックレスも、靴も、髪飾りも、すべて私が支払ったものです。『汚いお金』と仰るなら、今すぐすべて脱いで返していただけますか? 中古品として売れば、多少は回収できますので」

「い、いやぁっ!」

ミナは自分の体を抱きしめ、王子の背後に隠れた。

「や、やめろ! ミナをいじめるな!」

アラン王子が叫ぶが、その声には先ほどまでの威勢がない。

私はため息をつき、羊皮紙の束――『請求書』を王子の胸に押し付けた。

「いじめてなどおりません。正当な対価を求めているだけです。……さて、殿下。お支払いの期限は明日までとさせていただきます」

「あ、明日だと!? 無理だ! 父上……国王陛下に相談しなければ……」

「あら、陛下にはすでに写しを送ってありますわ」

「なっ……」

「陛下からは『息子の不始末だ、好きにしろ』との言質(げんち)をいただいております。つまり、王室の金庫からは一銭も出ないということです」

アラン王子が膝から崩れ落ちた。

私はその姿を見下ろし、スカートの裾を優雅につまんでカーテシーを行った。

「それでは、私はこれにて失礼いたします。明日、屋敷へ集金に伺いますので、金策に走られることをお勧めしますわ。……ああ、それと」

私は会場の出口に向かいかけて、ふと立ち止まった。

振り返り、青ざめる二人にニッコリと微笑む。

「その婚約破棄、喜んでお受けいたします。これでもう、あなたの無駄遣いの尻拭いをしなくて済むと思うと……せいせいしますわ!」

その言葉を残し、私は颯爽と会場を後にした。

背後で王子が何か叫んでいたが、私の頭の中はすでに別のことでいっぱいだった。

(さて、一億枚の回収計画を練らなくては。王子の私財を差し押さえるとして、まずはあの無駄に豪華な馬車と、別荘の権利書……あとは玉座の装飾についている宝石も外せば金になるかしら)

廊下を歩きながら、再び電卓を叩き始める。

カツ、カツ、カツ、というヒールの音が、私の新たな人生の始まりを告げるカウントダウンのように響いていた。

まさかこの時の私は知る由もなかった。

この強引な取り立てが、隣国の冷徹公爵の目に留まり、さらなる大きな商談(トラブル)を招くことになろうとは。

「あら、この廊下の絨毯……意外と高く売れそうね」

私は王城の廊下に敷かれた赤絨毯をめくり、裏地の品質タグを確認してほくそ笑んだ。

私の辞書に「泣き寝入り」という文字はない。

あるのは「損益分岐点」と「回収率」のみである。
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