悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「グラッセ様! グラッセ様万歳!」

「我らが救世主! どうかご無事で!」

王都の正門前。

国境へ向けて出陣しようとしていた私とシリルは、予想外の光景に足を止めていた。

沿道を埋め尽くす、数千、いや数万の民衆。

彼らは「ラズベリー・ランド」の小旗(一本銅貨一枚で販売中)を振り、熱狂的な声援を送っていたのだ。

「……すごい人気だな。一国の女王のようだ」

馬上のシリルが感心したように呟く。

「解せませんわね。私はただ、この国を『私物化』しただけですのに」

私は馬車(防弾仕様の特別商用車)の窓から手を振りながら首をかしげた。

すると、群衆の中から一人の老婆が進み出て、涙ながらに叫んだ。

「グラッセ様! ありがとうございます! あなたが建ててくださった孤児院のおかげで、孫たちが飢えずに済んでおります!」

「孤児院?」

シリルが私を見る。

「……君、そんな慈善事業をしていたのか?」

「ああ、あれですか」

私は電卓を取り出し、確認した。

「慈善ではありません。『節税対策』です」

「節税?」

「ええ。孤児院への寄付金は、法人税の控除対象になりますから。それに、そこで育った子供たちには『ラズベリー商会』への就職優先権(という名の青田買い)を与えています。将来の優秀な労働力を確保するための、長期投資ですよ」

私が淡々と説明すると、今度は若い男が叫んだ。

「俺たちスラムの住人に、毎日炊き出しをしてくれてありがとう! あのスープ、最高に美味かったです!」

「炊き出し?」

シリルが再び私を見る。

「……君、スラム街の支援も?」

「いいえ。『在庫処分』です」

私は即答した。

「商会の倉庫で賞味期限が切れそうな野菜や、形が悪くて市場に出せない肉を、廃棄費用をかけて捨てるくらいなら、彼らに配った方がコストが浮きます。産業廃棄物の削減と、肥料代わりのPR活動ですね」

「……なるほど。無駄がないな」

シリルは呆れつつも感心している。

しかし、民衆にはそんな裏事情は伝わらない。

「なんて慈悲深いお方なんだ!」

「自分の利益を削ってまで、俺たちを助けてくれていたなんて!」

「聖女だ! 聖女グラッセ様だ!」

わぁぁぁっと歓声が上がる。

私の計算高い行動が、勝手に美談としてフィルター補正され、聖女伝説として拡散されているようだ。

「……まあ、悪くありませんわ」

私は群衆に向かって、ニッコリと『聖女スマイル(営業用)』を振りまいた。

「皆様! 私は必ず戻ってまいります! この国の平和と……皆様の『納税』を守るために!」

「うおおおおっ! 一生ついていきます!」

「税金払います! 喜んで払います!」

チョロい。あまりにもチョロすぎる。

だが、支持率が高いことは商売において有利だ。株価も安定するし、暴動のリスクも減る。

「さて、行きましょうか。……ん? あれは」

ふと見ると、隊列の最後尾に、着ぐるみを着たパンダ(アラン元王子)がトボトボとついてきていた。

背中には『必勝祈願』ののぼり旗が刺さっている。

「……グラッセ。僕も行くのか? 戦場だぞ?」

パンダの口から情けない声が漏れる。

「当然です。マスコットキャラクターが前線慰問に行くのは常識でしょう? 兵士たちの士気を上げなさい。……サボったら、中の人を『入れ替え』ますからね」

「ひぃっ! やります! 踊ります!」

パンダ王子は慌ててムーンウォークを始めた。

それを見た子供たちが「あ、パンダ王子だ!」「キモーい!」と石を投げている。

……うん、平和だ。

***

数日後。

私たちは国境の前線基地に到着した。

そこには、ガストン団長率いる我が軍(元近衛騎士団+元野盗の混成部隊)が布陣していた。

「お待ちしておりました、社長!」

ガストン団長が敬礼する。その顔はツヤツヤしており、体格も以前より一回り良くなっている。

「報告します! 兵士たちの士気は最高潮です! 昨夜の夕食『特製ハンバーグ定食』の効果は絶大でした!」

「よろしい。で、敵軍の動きは?」

「はい。渓谷の向こう側に、鉄血の国の軍勢三万が展開しております。……いつ開戦してもおかしくない状況です」

私は丘の上に立ち、双眼鏡で敵陣を確認した。

黒い鎧に身を包んだ大軍が見える。

中央には、ひときわ豪華な天幕。あそこに敵将バルバロスがいるのだろう。

「数で言えば、こちらは五千。まともにぶつかれば勝ち目はないな」

隣でシリルが冷静に分析する。

「ええ。だからこそ、ぶつかりません」

私はマントを翻した。

「ガストン団長。白旗を上げなさい」

「は? こ、降伏ですか!?」

「いいえ。『商談の合図』です。使者を出しなさい。『ラズベリー・ランド代表取締役社長が、バルバロス将軍に極秘の取引を申し込みたい』と」

「と、取引……? 殺されますよ!?」

「殺されません。手土産を用意してありますから」

私は後ろに控えていた荷馬車を指差した。

そこには、厳重に梱包された木箱が積まれている。

中身は、金塊でも宝石でもない。

「……あれは?」

シリルが怪訝な顔をする。

「ふふふ。鉄血の国の『弱点』を突くための、最高級の賄賂です」

私は不敵に笑った。

「さあ、行きましょうシリル閣下。パンダ王子も連れてきて。……歴史に残る『買収劇』の幕開けよ!」

***

一時間後。

敵陣のど真ん中にある天幕。

私は、殺気立つ敵兵たちに囲まれながら、悠然と椅子に座っていた。

目の前には、巨漢の男。

顔の半分を火傷の痕で覆い、隻眼の眼光を放つ猛将、バルバロス将軍だ。

「……貴様が、この国を乗っ取ったという女狐か」

バルバロスの声は、地底から響くような低音だった。

「女狐ではありません。女性実業家とお呼びください」

「ふん。何の用だ? 命乞いなら聞かんぞ。我が軍は血に飢えているのだ」

バルバロスが机を叩き割らんばかりの勢いで威圧する。

周囲の兵士たちも剣を抜きかけている。

普通なら失禁するレベルの恐怖空間だ。

しかし、私は涼しい顔でパンダ(アラン王子)を前に押し出した。

「手始めに、こちらの珍獣を差し上げます。ストレス解消のサンドバッグにどうぞ」

「えぇっ!? グラッセ、話が違う!」

パンダが悲鳴を上げる。

「黙れパンダ。……将軍、これは冗談ですが。本題はこれです」

私はパチンと指を鳴らした。

シリルとミナが、例の木箱を運び込み、蓋を開ける。

そこに入っていたのは――。

「……なんだ、これは」

バルバロスが眉をひそめた。

箱の中に詰まっていたのは、大量の『瓶』だった。

ラベルには『激辛! ラズベリー特製・火を噴くスパイスソース』と書かれている。

「スパイス……だと?」

「ええ。事前調査によれば、鉄血の国は寒冷地で、食事が味気ないのが悩みだとか。兵士たちの最大の不満は『飯が不味いこと』だと聞いております」

私は瓶を一本取り出し、テーブルに置いた。

「これは、私が開発した万能調味料です。ただの干し肉にかけるだけで、あら不思議。極上の旨辛料理に早変わり」

「……馬鹿にするな! そんなもので我々が引くと思うか!」

バルバロスが怒鳴る。

「まあまあ。まずはご試食を」

私は小皿にソースを垂らし、干し肉をつけて差し出した。

バルバロスは疑わしそうに私を睨んだが、毒見役が食べて「美味い!」と叫んだのを見て、恐る恐る口に運んだ。

その瞬間。

カッ!!

バルバロスの隻眼が見開かれた。

「な……っ!?」

「いかがです? 体が芯から温まるでしょう?」

「……う、美味い。なんだこの、脳髄を刺激するような刺激と旨味は……!」

バルバロスの手が震える。

彼は無言でもう一切れ、ソースをつけて食べた。

「……白米はないか? これには白米が合うはずだ」

「ありますとも。あちらの荷馬車に、山ほど積んであります」

私はニヤリと笑った。

「バルバロス将軍。商談です」

私は電卓をテーブルに叩きつけた。

「我が国から撤退していただければ、この『特製スパイス』の独占輸入権を差し上げます。さらに、あなたを我が社の『食品部門・特別顧問』として迎え入れ、年俸金貨一万枚をお約束しましょう」

「……い、一万枚!?」

「部下の兵士たちにも、このスパイスと白米を一年分提供します。……どうです? 泥をすすって戦うのと、温かいご飯にこのソースをかけて食べるのと。どちらが兵のためになりますか?」

天幕の中に、ゴクリと唾を飲む音が響き渡った。

兵士たちの視線が、私の首ではなく、ソースの瓶に釘付けになっている。

「……くっ」

バルバロスは葛藤した。

武人の誇りと、食欲の狭間で。

そして、長い沈黙の後。

彼はガクリと膝をついた。

「……白米を。……大盛りで頼む」

「商談成立です!」

私は勝利の笑みを浮かべた。

こうして。

三万の軍勢による侵略危機は、激辛ソースと白米によって、一滴の血も流れることなく回避されたのである。

「……またしても食欲か」

シリルが呆れ顔で呟く。

「食欲は人間の三大欲求の一つですもの。金欲と同じくらい強いのですわ」

私は電卓を胸にしまい、新たな「顧客(バルバロス)」の手を握った。

さあ、これで外敵の脅威も去った。

あとは国内に残る、最後の「火種」を片付けるだけだ。
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