悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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数年後。

大陸の勢力図は大きく塗り替えられていた。

かつて財政破綻しかけた王国と、隣国ノワール帝国は事実上の経済統合を果たし、巨大な連合国家『ラズベリー・ノワール経済圏』として生まれ変わっていた。

その中心に君臨するのは、一人の女性。

「……ふむ。今期の連結決算、過去最高益(レコード)を更新ね」

大陸一の高層ビル、その最上階にあるCEO執務室。

私は革張りの椅子に深く腰掛け、窓の外に広がる摩天楼を見下ろした。

かつては古臭い石造りの街並みだった王都は、今や魔導列車が走り、ネオンが輝く近代都市へと変貌を遂げている。

「おめでとうございます、会長(グラッセ様)」

コーヒーを運んできたのは、私の筆頭秘書官ミナだ。

かつてのフリフリドレスは卒業し、今はシャープなスーツを着こなし、眼鏡をクイッと押し上げている。

「この調子なら、私の借金完済も夢ではありません!」

「あら、完済する気なの? あと十年は私の下で働いてもらう予定だったのだけど」

「勘弁してくださいよぉ。私だってそろそろ婚活したいんですから」

ミナは苦笑いしながらも、その表情には充実感が漂っている。

かつてのスパイとしての技術は、今や『企業スパイ』や『競合調査』に遺憾なく発揮され、彼女は裏社会でも「ピンク・スパイダー」として恐れられる存在になっていた。

「会長。本日のスケジュールです」

ミナがタブレットを操作する。

「午前中は、食品部門のバルバロス本部長と『激辛ソース』の新作試食会。午後は、警備保障会社のガストン社長と『最新型ゴーレム』の視察。夜は……シリル総裁との結婚記念日ディナーです」

「バルバロスとガストンね。あいつらも出世したわね」

バルバロス将軍は、あの後完全に「食」の道に目覚め、今や世界的な食品メーカーのトップだ。彼の開発した『爆裂激辛カレー』は中毒者が続出している。

ガストン団長も、私の私設軍隊を警備会社として法人化し、世界中のVIPの警護を請け負っている。もちろん、給料は肉現物支給(高級和牛)だ。

「……平和ね」

私はコーヒーを啜った。

「そういえば、あいつはどうしてる?」

「あいつ、ですか?」

「ほら、北の海から帰ってきた『元パンダ』よ」

「ああ、アラン様ですね。……今は屋敷の庭で『草むしり』をさせています」

「呼んで」

***

数分後。

執務室に現れたのは、作業着に麦わら帽子、首にタオルを巻いた男だった。

日焼けして精悍になり、以前のようなブヨブヨした贅肉は消え失せている。

アラン元王子だ。

「お呼びでしょうか、旦那様……いえ、会長」

アランは直立不動で敬礼した。

その目には、かつての傲慢さや甘えはない。あるのは「労働者の目」だ。

「アラン。草むしりの進捗はどう?」

「はい! 午前中だけで庭の三割を完了しました! 雑草一本残さず、完璧に仕上げております!」

「よろしい。マグロ漁船での三年間の修行が効いているようね」

そう。彼は三年間、荒波にもまれ、カニと格闘し、マグロを一本釣りする過酷な労働を経て、この国に帰還したのだ。

帰ってきた時、彼は別人のように逞しくなり、そして「働くことの尊さ(と金の重み)」を骨の髄まで理解していた。

「あの頃の僕は……馬鹿でした」

アランは遠い目をして語り出した。

「金は湧いてくるものだと思っていた。地位があれば何でも許されると思っていた。……でも、北の海で巨大なカニに指を挟まれた時、気づいたんです。自分の手で掴み取ったものしか、本物じゃないって」

「いい心がけです。で、借金の残高は?」

「……あと金貨一億枚です」

「頑張りなさい。死ぬまでには返せる計算よ」

「はい! 一生働かせていただきます!」

アランは爽やかに笑った。

かつて私を婚約破棄した男は、今や私の庭師として、幸せそうに汗を流している。

これもまた、一つのハッピーエンドだろう。

「会長。そろそろお時間です」

ミナが時計を見る。

「ええ。行きましょう」

私は立ち上がり、窓際のコート掛けからジャケットを取った。

その時、執務室の隠し扉が開き、一人の男が入ってきた。

「やあ、グラッセ。迎えに来たよ」

シリルだ。

数年経ってもその美貌は衰えるどころか、渋みを増して色気が漂っている。

彼もまた、連合国家の財務総裁として、私と共に経済を牛耳るパートナーだ。

「シリル。早いわね」

「君に会いたくて、会議を5分で終わらせてきた」

シリルは私の腰に手を回し、慣れた手つきでキスを落とした。

「……相変わらずね」

「君こそ。……ん? そのブローチ」

シリルが私の胸元を見る。

そこには、巨大なダイヤモンドのブローチが輝いていた。

「先日、新しく買収した鉱山から出た一級品よ。どう? 似合う?」

「ああ。だが、君の輝きには劣るな」

「あら、お上手。……で、今日のディナーの予算は?」

「君の好きな店を貸し切りにした。支払いは私のポケットマネーだ。経費では落とさない」

「合格です」

私たちは腕を組んで歩き出した。

ミナとアランが、背後で深々と頭を下げる。

「行ってらっしゃいませ、会長!」

「ごゆっくり!」

廊下に出ると、そこには私の会社で働く数千人の従業員たちが、忙しくも楽しそうに行き交っていた。

私は彼らを見渡し、シリルに囁いた。

「ねえ、シリル」

「なんだ?」

「私、『悪役令嬢』と呼ばれて、本当によかったわ」

「ほう?」

「だって、いい子にしていたら、こんな景色は見られなかったもの」

もし私が、婚約破棄されて泣き寝入りするだけの「悲劇のヒロイン」だったら。

もし私が、世間体を気にして復讐を諦めていたら。

この巨大なビルも、経済圏も、そして隣にいる最高のパートナーも、手に入らなかっただろう。

「悪役令嬢とは……『自分の欲望に忠実で、誰にも媚びず、自分の足で立つ女』のこと。私はそう定義しました」

「……違いない」

シリルは優しく微笑んだ。

「そして、私はそんな『悪役』の君だからこそ、生涯を共にすると誓ったんだ」

「ふふ。奇遇ね。私も、あなたのような『共犯者』がいてくれて、最高の人生よ」

私たちはエレベーターホールへと向かう。

その時、窓の外に新たなニュース速報が流れる巨大スクリーンが見えた。

『速報! 西方の大国でバブル崩壊の兆しか!?』

そのニュースを見た瞬間。

私とシリルは同時に足を止め、顔を見合わせた。

そして、ニヤリと同じ角度で口角を上げた。

「……聞こえたか、グラッセ?」

「ええ、聞こえましたわ」

「崩壊の音か?」

「いいえ。――『ビジネスチャンス』の足音です」

私はエレベーターのボタンを押すのをやめ、ミナに振り返って叫んだ。

「ミナ! ディナーはキャンセルよ! 緊急役員会議を招集して!」

「ええっ!? またですか!?」

「アラン! 荷物をまとめなさい! 西方の国へ買い付けに行くわよ!」

「は、はいっ! カニ漁船以外ならどこへでも!」

私はシリルとガッチリ握手を交わした。

「行きましょう、シリル。暴落する前に空売りを仕掛けて、底値で買い叩くわよ!」

「ああ。最高の記念日になりそうだ」

私たちは走り出した。

愛も、ロマンも、安定も手に入れた。

けれど、私の魂はまだ満たされない。

世界にはまだ、私の知らない「金脈」が眠っているのだから。

私はヒールを鳴らし、高らかに宣言する。

「さあ、今日も稼ぎますわよ!!」
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