「え、追放? 喜んで!」と即答したら、なぜか監禁(※執務室に)されました~

恋の箱庭

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「お帰りなさいませ、旦那様。そして――奥様」

ヴァレンタイン公爵邸の玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、私は石になった。

そこには、ズラリと整列した数十人の使用人たちが、軍隊のような統率力で頭を下げていたからだ。

「……え?」

私は瞬きをした。

今、なんて言った?

奥様?

「ちょっと待ってください。誰が奥様ですか」

私は抗議しようとしたが、執事長らしき初老の男性が、感動に打ち震えながら駆け寄ってきた。

「おお……! ついに、ついに閣下が女性をお連れになった! しかもこんなにお美しい方を! ばあやは嬉しいですぞ!」

「いえ、私はただの補佐官で……」

「お部屋の準備は万端です! お食事は最高級のローストビーフ! お風呂にはバラの花びらを浮かべておきました!」

「ローストビーフには釣られますが、バラ風呂は結構です!」

私の言葉は全く届かない。

彼らの目には、私はすでに『未来の公爵夫人』として映っているらしい。

隣を見ると、ルーカス閣下が満足げに頷いていた。

「うむ。教育が行き届いていて何よりだ」

「閣下の仕込みですか! 誤解を招くような教育はやめてください!」

「誤解ではない。予行演習だ」

彼は私の背中に手を添え、スムーズにエスコートする。

「さあ、行こう。肉が冷める」

   ◇ ◇ ◇

ダイニングルームは、王城のそれよりも趣味が良く、洗練されていた。

そして約束通り、テーブルの中央には巨大な肉の塊が鎮座していた。

「……すごい」

私はゴクリと喉を鳴らした。

表面は香ばしく焼き上げられ、中は美しいロゼ色。

肉汁が滴るその姿は、まさに芸術品だ。

「さあ、召し上がれ。君のために、私の領地から取り寄せた最高級の赤身肉だ」

「いただきます!」

私はナイフを入れた。

柔らかい。

力を入れなくてもスッと切れる。

口に運ぶと、濃厚な旨味が爆発した。

「んんっ……!」

「どうだい?」

「最高です……! こんな美味しいお肉、初めて食べました!」

私は感激のあまり、仕事のことも、ここが敵地(?)であることも忘れて肉に集中した。

そんな私を、ルーカス閣下は向かいの席からじっと見つめている。

彼は自分の皿にはほとんど手を付けず、ひたすら私が食べる様子を眺めながら、ワインを揺らしていた。

「……閣下。食べないんですか?」

「君が食べているのを見るだけで、私は満たされる」

「光合成でもしてるんですか?」

「愛の補給だよ」

「……胃もたれしそうです」

私は視線を逸らし、話題を変えることにした。

「ところで、今日の『緊急業務』とは何ですか? 食事が終わったら始めますので、資料を」

「業務? ああ、そんなものはないよ」

彼はあっさりと言った。

「は?」

「君をここに連れてくるための口実だ。君は真面目だから、『仕事だ』と言えば断らないだろう?」

「……騙しましたね!?」

「人聞きが悪い。これは『君をあのバカ王子から隔離する』という、極めて重要な安全保障任務だ」

ルーカス閣下の目が、ふと鋭くなった。

手に持っていたワイングラスを、カツンとテーブルに置く。

「昼間の、王子の発言……」

「え?」

「『リリーナには内緒で一番可愛がってやる』だったか? ……思い出すだけで反吐が出る」

彼の声の温度が急激に下がった。

執務室で見せる冷徹さとは違う。

もっとドロドロとした、暗い情念のようなものが滲み出ている。

「あんな男に、君の手を触れさせたことすら腹立たしい。……消毒が必要だな」

「しょ、消毒って……手は洗いましたよ?」

「それでは足りない」

ルーカス閣下は立ち上がると、ゆっくりと私の方へ歩いてきた。

私は本能的な危機感を覚え、椅子から立ち上がって後ずさる。

「か、閣下? 目が据わってますよ?」

「ダイアナ」

彼が私の名前を呼ぶ。

私は壁際まで追い詰められた。

背中が冷たい壁に当たる。

ドンッ。

彼の右手が、私の顔の横の壁に叩きつけられた。

左手が、私の腰を引き寄せる。

逃げ場なし。

完全なる『壁ドン』だ。

「逃がさないと言っただろう?」

至近距離。

彼の整った顔が目の前にあり、吐息がかかる。

アイスブルーの瞳が、熱を帯びて揺らめいている。

「君は無防備すぎる。自分がどれだけ価値があり、どれだけ男を狂わせるか、わかっていない」

「いや、私はただの地味な事務員で……」

「地味な事務員が、隣国の外交官を手玉に取り、王太子の腕を折りかけさせるか?」

「……それは閣下の腕力のおかげでは?」

「口答えをするな」

彼は私の顎をくい、と持ち上げた。

「私はね、ダイアナ。君が他の男――たとえそれが王子であっても――に名前を呼ばれるだけで、不愉快なんだ。君の有能さを知っているのは私だけでいい。君の笑顔を見るのも、君の作った書類にサインするのも、私だけの特権だ」

「……書類は誰でもサインできますよ」

「できない。君の書類は私の精神安定剤だ」

彼は真顔で言った。

この人、本当に仕事が恋人なのだろうか。

それとも、私が恋人なのだろうか。

境界線が曖昧すぎて混乱する。

「だから、君には『印』をつけておく必要がある」

「し、印……? まさか、焼き印とか!?」

私が怯えると、彼はふっと口元を緩めた。

「それも魅力的だが、君の美しい肌を傷つけるのは忍びない」

彼はポケットから何かを取り出した。

キラリと光る、銀色の細い鎖。

ネックレスだ。

トップには、深い青色の宝石――サファイアが輝いている。

「これは……?」

「ヴァレンタイン家に代々伝わる『守護の首飾り』だ。強力な結界魔法が込められている」

彼は私の首に手を回し、そのネックレスをつけた。

ひやりとした感触。

鎖は私の首にぴったりと吸い付き、まるで最初からそこにあったかのように馴染んだ。

「……これを身につけている者は、私の加護下にあると見なされる。手を出そうとする愚か者は、魔法で弾き飛ばされる仕組みだ」

「え、便利! 魔除けですか?」

「虫除けだ」

彼は満足げに私の首元を眺め、そして指先でサファイアに触れた。

「よく似合う。まるで……首輪のようだ」

「……っ!」

その言葉の響きに、背筋がゾクリとした。

首輪。

飼い犬。

あるいは、囚人。

「これで君は、名実ともに私のものだ。……嫌か?」

彼は覗き込むように私に尋ねた。

拒否すれば外してくれるのだろうか。

いや、この瞳は言っている。『嫌だと言っても外さない』と。

私はサファイアに触れ、小さくため息をついた。

「……デザインは素敵ですね。それに、リリーナ様や王子が寄ってこなくなるなら、実用的です」

「合理的で助かるよ」

「ただ、一つだけ条件があります」

「なんだ?」

私は彼を真っ直ぐに見返した。

「この首飾り代として、明日の朝食も最高級のメニューにしてください。パンケーキがいいです」

ルーカス閣下は一瞬きょとんとし、それから堪えきれないように吹き出した。

「くっ……あははは! 君という人は……!」

彼は肩を震わせて笑った。

氷の宰相が、腹を抱えて笑っている。

その笑顔は、なんだかとても年相応で、無邪気に見えた。

「ああ、いいだろう。パンケーキでもオムレツでも、好きなだけ用意させる。……だから、ずっと私のそばで食べていてくれ」

彼は私の額に、優しく口づけを落とした。

「おやすみ、私の可愛い共犯者」

私は顔が沸騰するのを感じながら、ただ頷くことしかできなかった。

(……ずるいわよ、その笑顔)

胃袋も、逃げ道も、そして少しずつ心までも。

私は確実に、この男に侵食されている。

首元のサファイアが、熱を持ったように重く感じられた。
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