婚約破棄? ああ、結構です。それより慰謝料の小切手、桁が一つ足りなくてよ?

恋の箱庭

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「うん、このキッシュは絶品ね。ベーコンの塩気がちょうどいいわ」
「……キャンディ、君のポケット、すでに四次元空間になっていないか?」

ジェラルドが引きつった顔で私の腰回りを見ている。
私のドレスの隠しポケットには、すでにスコーン五個、マドレーヌ三個、そしてナプキンに包んだキッシュが二個収納されていた。
見た目は完璧なシルエットを保っている。マダム・セシルの技術力に感謝だ。

「ご心配なく。まだ容量(キャパ)の三割です。さあ、次はデザートコーナーへ……」

私が意気揚々とタルトの列に向かおうとした、その時だった。

「待てぇぇぇい!!」

会場の空気を切り裂くような大声が響いた。
またしても、あの男だ。
ロナルド王子が、リリィを引き連れて壇上に上がっていた。

「皆様! ご注目ください! 今宵、このめでたい席をお借りして、僕たちの『真実の愛』を証明させていただきたい!」

会場中の視線が集まる。
ざわめきが広がる中、ロナルドは勝ち誇った顔で私の方を指差した。

「そこのキャンディ・ヴァイオレット! そしてジェラルド公爵! よく見ておくがいい!」

彼は懐から、拳大ほどの大きさがある、巨大な宝石箱を取り出した。
パカッ。
中から現れたのは、卵ほどの大きさがある、巨大なダイヤモンド……らしき物体だった。

「おおおお……!」
会場からどよめきが上がる。
照明を浴びてギラギラと虹色に輝くその石は、確かにインパクトだけは絶大だった。

「見よ! これぞ伝説の秘宝『天使の涙』! 僕がリリィへの愛の証として、全財産を叩いて購入した至高の逸品だ!」

ロナルドが叫ぶ。
リリィが「まぁ! 素敵! ロナルド様、なんて大きな愛!」と感涙にむせぶ(ふりをしている)。

「どうだキャンディ! 悔しいか! お前のような可愛げのない女には、一生縁のない輝きだ!」

ロナルドが私に向かってドヤ顔を決める。
周囲の貴族たちも、「あれほどのダイヤ、見たことがない」「やはり王家の財力はすごい」と噂し始めた。

ジェラルドが眉をひそめる。
「……『天使の涙』? 聞いたことがないな。あんな巨大なダイヤが市場に出れば、私の耳に入らないはずがないのだが」

「ええ、私も初耳です」

私は遠目からその石を凝視した。
距離、約十メートル。
だが、私の「鑑定眼(マネー・アイ)」に死角はない。

(……輝き方が不自然ね。屈折率がおかしい。ダイヤ特有の鋭いブリリアンスがない。むしろ、全体的に白っぽく光っている……)

私は懐から、愛用のオペラグラス(倍率二十倍・鑑定用レンズ付き)を取り出した。

「なっ、なんだその双眼鏡は!?」
ロナルドがギョッとする。

「失礼。よく見えませんので」
私はピントを合わせた。
レンズ越しに、その巨大な石の表面が拡大される。

「……気泡(バブル)発見」

私はボソリと呟いた。

「え?」
ジェラルドが聞き返す。

「気泡があります。天然のダイヤモンドに、あんな丸い気泡が入るわけがありません。それに、エッジ(カット面)が摩耗して丸くなっています。硬度10のダイヤが摩耗するはずがない」

私はオペラグラスを下ろし、冷徹な声で結論を下した。

「あれはガラスです。それも、鉛を混ぜて輝きを増しただけの、ただのクリスタルガラスですわ」

「……なんだと?」

「原価、せいぜい金貨一枚。細工賃を含めても三枚が妥当ですね」

私の声は、静まり返った会場によく響いた。

「な、ななな、何を言っているんだ貴様!!」
ロナルドが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ガラスだと!? これは王室御用達の宝石商から、金貨五千枚で買ったんだぞ! 侮辱罪で訴えてやる!」

「五千枚!?」
私は思わず絶句した。
「ガラス玉に五千枚……! ああ、なんというカモ……いえ、なんという経済効果への貢献でしょう!」

「ふ、ふざけるな! 証拠を見せろ!」

「よろしいでしょう」

私はドレスの裾を翻し、壇上へと歩み寄った。
ジェラルドも無言でついてくる。

壇上に上がると、私はロナルドの手から宝石箱をひったくった。
「あ、おい!」

「皆様、よろしいですか? ダイヤモンドは世界で最も硬い鉱物です。ガラスなどで傷つくことは絶対にありません」

私は近くのテーブルから、フルーツ用のナイフを一本拝借した。
そして、躊躇なくその「天使の涙」に突き立てた。

ガリッ。

嫌な音がして、巨大な石の表面に、白い傷跡がくっきりと刻まれた。

「…………」

会場が凍りついた。
ロナルドとリリィの目が飛び出しそうになっている。

「ご覧の通りです。ナイフ程度の硬度で傷がつく。これはモース硬度5程度のガラス玉です」
私は傷ついた石をロナルドに返した。

「う、嘘だ……嘘だぁぁぁ!!」
ロナルドが絶叫する。
「騙された! あいつ、あの商人はどこだ!?」

彼はキョロキョロと会場を見回した。
すると、会場の出口付近で、こそこそと逃げ出そうとしている男の姿があった。
先ほど密談していた、あの胡散臭い宝石商だ。

「あいつだ! 捕まえろ!」

ロナルドが叫ぶが、衛兵は遠い。
商人がニヤリと笑い、扉を開けようとしたその時。

「逃がすかよ」

ドスッ!

何かが飛んできて、商人の足元に突き刺さった。
銀色のフォークだ。
投げたのは、もちろんジェラルドである。

「ひいぃっ!」
商人が腰を抜かす。
ジェラルドは優雅に手を払いながら言った。

「我が国の王族を騙るとはいい度胸だ。……連れて行け」
ジェラルドの合図で、控えていた近衛兵たちが商人を拘束した。

騒然となる会場。
その中心で、ロナルドは傷ついたガラス玉を抱えて呆然と立ち尽くしていた。
リリィに至っては、「うそ……私のダイヤが……ガラス……」と白目を剥いて倒れかけている。

まさに公開処刑。
だが、私の「鑑定」はまだ終わっていなかった。

「ついでに申し上げますと」
私はロナルドの袖口を指差した。
「そのカフスボタン。ルビーだと思っていらっしゃるようですが、加熱処理で色を濃くしただけの低品質なコランダムです。市場価値は十分の一」

「え……」

「さらに、その首飾り。プラチナではなくシルバーにメッキ加工したものです。そろそろ剥げてきて、地金が見えていますよ」

「ひっ……!」
ロナルドが慌てて首元を隠す。

「全身、偽物だらけですわね。まあ、中身(人間性)がスカスカだと、装飾品もそれに合わせて安っぽくなるのかもしれませんが」

私は扇を広げ、優雅に微笑んだ。

「鑑定料はサービスしておきますわ。これに懲りたら、今後はもう少しマシな投資先を見つけることですわね。……例えば、サツマイモとか」

トドメの一言。
会場からは、こらえきれない失笑と、私への称賛の拍手が巻き起こった。
「ブラボー!」「なんて目利きだ!」「あの王子、とんだ恥さらしだな」

ロナルドは顔を茹でダコのように赤くし、
「お、覚えてろぉぉぉ!!」
と、古典的な捨て台詞を残して、リリィを引きずって逃げ出した。

「……やれやれ。騒がしい客だったな」
ジェラルドが肩をすくめる。
「だが、見事だったよキャンディ。君の目は節穴ではないようだ」

「当然です。金貨五千枚あれば、城壁の修繕と下水道の整備ができます。あんなガラス玉に浪費されるなんて、国家的損失を見過ごすわけにはいきません」

私は胸を張った。
そして、ポケットの中のスコーンが無事かを確認する。
(よし、型崩れなし)

「さて、邪魔者も消えましたし」
私はニッコリと笑った。
「ジェラルド様、あちらに『限定マカロンタワー』が出現しました。確保に向かいます」

「……君は本当に、ブレないな」

ジェラルドは呆れつつも、嬉しそうに私に腕を差し出した。
「エスコートしよう。最強の鑑定士殿」

こうして、隣国での夜会は、ロナルド王子の自爆と、私の「お持ち帰り大作戦」の成功をもって幕を閉じた。

帰りの馬車の中で、ポケットいっぱいの焼き菓子を数えながら、私は幸せな計算をしていた。
「これで一週間分のおやつ代が浮いたわ……!」

隣でジェラルドが「公爵夫人が賞味期限切れのマカロンを食べるのはやめてくれ」と嘆いていたが、それはまた別の話である。
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