婚約破棄? ああ、結構です。それより慰謝料の小切手、桁が一つ足りなくてよ?

恋の箱庭

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「シビレ苺」の加工工場建設プロジェクトが始動し、私は多忙な日々を送っていた。

今日は、領都の銀行で工場の建設資金を引き出し、そのまま給与の支払いに向かう予定だった。

「……ふふふ。重いわ」

私は馬車の中で、膝の上に乗せた革袋を愛おしく撫でた。

中に入っているのは、金貨五百枚。

ずっしりとした重量感。これぞ、努力の結晶であり、私の精神安定剤だ。

「お嬢様、顔が緩んでいますよ」

向かいに座るアンナが呆れている。

「緩むに決まっているでしょう。この重みこそが『信頼』であり『力』なのですから」

私は袋の紐をきつく締め直し、しっかりと抱きかかえた。

馬車は人通りの少ない裏通りへと差し掛かった。

工場の建設予定地へ向かう近道だ。

その時。

ヒヒィィィン!!

突然、馬がいななき、急ブレーキがかかった。

ガタンッ!

「きゃっ!?」

私は前の座席に放り出されそうになったが、とっさに金貨袋をクッションにして顔面を守った。

「な、何事ですか!?」

御者に声をかけようとした瞬間。

「……動くな」

低い声とともに、馬車の扉が荒々しく開けられた。

そこに立っていたのは、黒い覆面をした男たちだった。

数は三人。全員、抜き身の短剣を持っている。

(……強盗? いいえ、装備が良すぎるわ)

彼らの構えは素人ではない。訓練された動きだ。

「キャンディ・ヴァイオレットだな?」

リーダー格の男が、剣先を私に向けた。

「ロナルド殿下を愚弄した罪、万死に値する。……ここで消えてもらおうか」

「ロナルド殿下?」

私は目を瞬かせた。

なるほど。あの夜会での恥辱を逆恨みして、刺客を送ってきたというわけか。

「……呆れましたわ。借金返済の努力もせず、殺し屋を雇う予算はあるのですか?」

「黙れ! 殿下の名誉を守るためだ。死ね!」

男が剣を振り上げた。

アンナが悲鳴を上げる。

「お嬢様!!」

絶体絶命。

普通の令嬢なら、ここで腰を抜かして震える場面だ。

あるいは、颯爽とジェラルドが現れて助けてくれるのを待つ場面だ。

だが。

私は瞬時に計算した。

(ジェラルド様は今、別の馬車で領主館に戻っている。助けは来ない)

(御者はすでに気絶させられているようだ)

(相手は武器を持っている。こちらは丸腰)

(……いいえ、丸腰ではない!)

私には、「武器」があるではないか。

男が剣を振り下ろそうと踏み込んだ、その瞬間。

私は膝の上の「革袋」を両手で掴み、思い切り振りかぶった。

「私の資産に指一本触れさせるものですかぁぁぁぁぁ!!!」

ブンッ!!

風を切る音。

私は遠心力を最大限に利用し、金貨五百枚(約十キログラム)の塊を、男の顔面に叩きつけた。

ドゴォォォォォン!!!

鈍く、そして重い音が響き渡る。

「ぶべらっ!!?」

男は奇声を上げ、コマのようにきりもみ回転して吹き飛んだ。

そのまま石畳に激突し、ピクリとも動かなくなる。

「あ……兄貴!?」

残りの二人が目を剥いて固まった。

「な、なんだ今の威力は……!? 鉄球か!?」

「いいえ、金貨です!」

私は袋を構え直し、仁王立ちになった。

「純金は比重が重いのです! 鉛よりも重く、鉄よりも硬い! つまり、金は最強の鈍器ですわ!」

「ひ、ひぃぃ……!」

「さあ、次は誰ですか? この『高額納税者アタック』を食らいたいのは!」

私は袋をブンブンと振り回しながら、一歩前に出た。

十キロの袋を軽々と振り回す私を見て、男たちが後ずさる。

「く、来るな! 化け物め!」

一人がやけくそで飛びかかってきた。

「隙あり!」

「甘いですわ! 今の私は『資本の守護者』モードです!」

私はステップを踏んで剣をかわすと、がら空きになった男の脇腹に、再び袋を叩き込んだ。

「これでも食らいなさい! 特別ボーナス(物理)支給!!」

ドスッ!!

「ぐほぉっ……!」

男はくの字に折れ曲がり、泡を吹いて倒れた。

「ひ、ひいいい!!」

最後の一人は、仲間が瞬殺されるのを見て、剣を放り出して逃げ出した。

「お、覚えてろよーっ!」

「待ちなさい! まだお釣りが残っていますよ!」

私は袋を投げようとしたが、中身が傷つくのを恐れて思い留まった。

「ふぅ……。逃げ足の速いこと」

私は乱れた髪をかき上げ、袋の重さを確かめた。

「ああ、よかった。袋は破れていないわ。中身が散らばったら回収が大変だもの」

「……お嬢様」

馬車の隅で縮こまっていたアンナが、恐る恐る顔を出した。

「……あの方たち、息をしていませんが」

「気絶しているだけよ。手加減しましたから」

私は倒れている刺客を見下ろした。

「治療費くらいは請求してもいいですが、この不始末のツケは雇い主(ロナルド殿下)に回します」

そこへ。

ドガガガガッ!

激しい蹄の音とともに、別の馬車が滑り込んできた。

ジェラルドだ。

彼は馬車から飛び降りるなり、血相を変えて駆け寄ってきた。

「キャンディ! 無事か!? 襲撃があったと聞いて……!」

彼は抜剣し、殺気立っていた。

しかし、現場の状況を見て、ピタリと固まった。

そこには、白目を剥いて伸びている二人の男と、金貨袋を愛おしそうに抱きしめる私の姿があったからだ。

「……えっと、これは?」

ジェラルドが剣を下ろす。

「見ての通りです。ロナルド殿下の使いの方が、私の資産を狙って(誤解)襲ってきたので、正当防衛を行いました」

「……君が、やったのか? 一人で?」

「はい。武器を持っていなかったので、手持ちの現金で応戦しました」

「現金で……?」

ジェラルドは倒れている男の顔を見た。

頬には、金貨の形にくっきりと打撲痕が残っていた。

「……金貨で殴られたのか、こいつら」

「はい。『金は力なり(Money is Power)』という言葉を、物理的に証明して差し上げました」

私は胸を張った。

ジェラルドはしばらく呆然としていたが、やがて肩を震わせ、空を仰いだ。

「はは……! ははははは!」

「ジェラルド様?」

「参ったな。俺が助けに来るまでもなかったか。……君は本当に、俺の想像の斜め上を行く」

彼は笑いながら剣を鞘に収めると、私を抱き寄せた。

「!? じ、ジェラルド様?」

突然の抱擁に、心臓が跳ねる。

「よかった。君が無事で」

耳元で囁かれる声は、震えていた。

「君にもしものことがあったらと思うと……生きた心地がしなかった」

腕の力が強い。

彼は本気で心配してくれていたのだ。

私の「物理攻撃」を見て笑った後でも、彼の中の私は「守るべき女性」のままらしい。

「……ご心配をおかけしました。ですが、私の資産管理能力(戦闘力)を甘く見ないでください」

私は照れ隠しに、彼の胸に顔を埋めたまま言った。

「ああ、分かったよ。最強の令嬢殿」

ジェラルドは優しく私の頭を撫でた。

「だが、次は俺に守らせてくれ。……君が戦う姿も勇ましいが、心臓に悪い」

「……善処します。見積もり次第ですが」

こうして。

ロナルド王子の卑劣な計画は、私の「金貨袋(鈍器)」の前に粉砕された。

倒れた刺客たちは憲兵に引き渡され、その自白によってロナルドの立場はさらに悪化することになるのだが……それはまた、後の話。

とりあえず今は、この温かい腕の中と、無事だった金貨の重みを感じていようと思う。
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