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「……はぁ、はぁ。もう、指の感覚がありません……。ジャガイモの夢を見そうです……」
地下の厨房で、かつては着飾っていたバルゴ伯爵が、涙を流しながら小刀を動かしていた。
彼の前には、山のように積まれたジャガイモの皮。もはや剥くマシーンと化した彼の横で、ゼクスさんが腕を組んで立っている。
「おい、手が止まってるぞ。お嬢様の命令だ、あと三カゴ分終わらせるまで寝かせねえからな。それより、さっきの続きを話せ。王子の言っていた『反乱分子』ってのはどこのどいつだ?」
「ひ、ひぃ! 隣国のエメリン女王に不満を持つ旧貴族の残党です! 彼らは国境付近の隠れ里に潜伏しており、王子が武器と資金を援助する代わりに、この砦を襲撃して女王との仲を裂く手はずに……!」
バルゴ伯爵が震えながら白状したその時、砦の屋上からけたたましい警笛が響き渡った。
「お嬢様! 正面街道より、正体不明の武装集団が接近! その数、およそ五百! 旗印は……隣国の反乱軍、『黒い牙』です!」
見張りの元聖騎士の叫び声に、砦内が緊張に包まれる。
私はちょうど、新作の「焦がしバターの芳醇フィナンシェ」をオーブンから取り出したところだった。
「まあ。五百人もいらっしゃるの? それは大変ですわ。……ゼクスさん、急いで大鍋を三つ追加で用意して! それから、備蓄の塩漬け肉を全部戻しておいてちょうだい!」
「……。アマリリス、お前、今なんて言った? 五百人の『武装集団』が来るって言ってんだぞ? 迎撃の準備だろ普通は!」
ゼクスさんが目を丸くして、私の肩を揺さぶった。
私は熱々のフィナンシェを一口かじり、幸せな溜息をついてから彼を見つめた。
「迎撃? いいえ、制圧ですわよ。……ゼクスさん、反乱なんてものを企てる方々は、大抵の場合、心が荒んでいますの。そして心が荒む原因の九割は、『お腹が空いていること』と『睡眠不足』ですわ」
「九割!? 残りの一割は何だよ!」
「それは、お肌の乾燥ですわね。……さあ、反乱軍の皆様に、『革命よりも美味しいものがある』という現実を教えて差し上げましょう!」
数十分後。
砦の正門前に、漆黒の鎧を纏い、殺気を放つ五百人の戦士たちが集結した。
「……ここが、女王と通じているという魔女の砦か。フン、小綺麗な建物にしおって。我ら『黒い牙』が、溜まりに溜まった民の怒りを叩きつけてくれるわ!」
先頭に立つ筋骨隆々の大男、反乱軍リーダーのドレイクが、巨大な斧を振り上げて咆哮した。
「突撃せよ! 砦を血に染め、女王の鼻を明かして――」
その時。
ギィィ……と、重厚な音を立てて砦の門がゆっくりと開いた。
そこには防御陣地も弓兵もいない。ただ、真っ白なテーブルクロスが敷かれた長いテーブルが、街道のど真ん中に整然と並べられていた。
「いらっしゃいませ。反乱軍の皆様。……あ、そこの斧を持っている方、足元の白線から中に入る時は、靴の泥を落としていただけますかしら?」
私は、エプロン姿でパラソルの下に立ち、優雅に扇子を振って彼らを出迎えた。
私の後ろには、武装こそしていないものの、磨き上げられた配膳トレイを構えたゼクスさんと元聖騎士たちが、隙のないフォーメーションで控えている。
「な、なんだこれは!? 貴様、我らを馬鹿にしているのか! 俺たちは攻め込みに来たんだぞ!」
ドレイクが困惑しながらも斧を構え直す。
「分かっておりますわ。でも、戦うには体力が要りますでしょう? 皆様、顔色が土色ですわよ。そんな不健康な顔で革命を叫んでも、誰もついてきませんわ。……まずは、こちらの『具沢山・お肉たっぷり牛すじカレー』を召し上がってからになさいな」
私が指を鳴らすと、ゼクスさんたちが一斉に動き出した。
巨大な鍋の蓋が開けられた瞬間、スパイスの刺激的で芳醇な香りが、秋の冷たい空気に乗って五百人の鼻孔を直撃した。
「……なっ。なんだ、この匂いは……! 鼻が、鼻が勝手に胃袋を刺激してくる……!」
「……。リーダー、俺……最後にまともな飯を食ったの、三日前です……」
「……。俺も、干し肉の欠片しか……」
殺気に満ちていた反乱軍の戦士たちの目が、一瞬にして「飢えた仔犬」のそれに変わった。
「……お、俺たちを餌で釣ろうというのか! 誇り高き『黒い牙』が、カレーごときで――」
「隠し味に、完熟マンゴーのチャツネと、三日間煮込んだフォン・ド・ボーを使用しておりますの」
私のその一言が、最後の一押しとなった。
ドレイクの斧が、ガランと力なく地面に落ちた。
「……。……。一杯、……いや、大盛りでくれ」
「かしこまりました。……さあ皆様、順番に並んで! 福神漬けとらっきょうはセルフサービスですわよ!」
こうして、凄惨な流血の惨事になるはずだった襲撃は、史上稀に見る「大カレー試食会」へと変貌した。
「うめぇ……! なんだこれ、辛いのに甘い! そして肉が口の中で溶ける!」
「リーダー! 俺、女王を倒すより、このカレーを毎日食える国を作りたいです!」
「……。俺もだ。革命なんて言ってる場合じゃねえ。このルーの深みこそが、俺たちの求めていた真理だったんだ……!」
地面に座り込み、涙を流しながらカレーを掻き込む五百人の男たち。
ゼクスさんが隣で、呆れたように、でもどこか誇らしげに腕を組んでいた。
「……。アマリリス。お前、ついに五百人の反乱軍を、一食で『カレー信者』に変えちまったな」
「あら。平和でよろしいではありませんか。……さて、ゼクスさん。彼らにおかわりの催促をされる前に、デザートの準備をお願いしていいかしら?」
その頃、後方で高みの見物を決め込んでいたウィルフレッド王子は。
「まだか! なぜ反乱軍が、砦の門の前で全員座り込んでいるのだ!? もしや、強力な麻痺魔法でもかけられたのか!? ひえぇ、アマリリスめ、今度は五百人を一瞬で石にしたのか!」
王子、彼らが石のように動かないのは、単に「お腹がいっぱいで動きたくないから」ですわよ。
地下の厨房で、かつては着飾っていたバルゴ伯爵が、涙を流しながら小刀を動かしていた。
彼の前には、山のように積まれたジャガイモの皮。もはや剥くマシーンと化した彼の横で、ゼクスさんが腕を組んで立っている。
「おい、手が止まってるぞ。お嬢様の命令だ、あと三カゴ分終わらせるまで寝かせねえからな。それより、さっきの続きを話せ。王子の言っていた『反乱分子』ってのはどこのどいつだ?」
「ひ、ひぃ! 隣国のエメリン女王に不満を持つ旧貴族の残党です! 彼らは国境付近の隠れ里に潜伏しており、王子が武器と資金を援助する代わりに、この砦を襲撃して女王との仲を裂く手はずに……!」
バルゴ伯爵が震えながら白状したその時、砦の屋上からけたたましい警笛が響き渡った。
「お嬢様! 正面街道より、正体不明の武装集団が接近! その数、およそ五百! 旗印は……隣国の反乱軍、『黒い牙』です!」
見張りの元聖騎士の叫び声に、砦内が緊張に包まれる。
私はちょうど、新作の「焦がしバターの芳醇フィナンシェ」をオーブンから取り出したところだった。
「まあ。五百人もいらっしゃるの? それは大変ですわ。……ゼクスさん、急いで大鍋を三つ追加で用意して! それから、備蓄の塩漬け肉を全部戻しておいてちょうだい!」
「……。アマリリス、お前、今なんて言った? 五百人の『武装集団』が来るって言ってんだぞ? 迎撃の準備だろ普通は!」
ゼクスさんが目を丸くして、私の肩を揺さぶった。
私は熱々のフィナンシェを一口かじり、幸せな溜息をついてから彼を見つめた。
「迎撃? いいえ、制圧ですわよ。……ゼクスさん、反乱なんてものを企てる方々は、大抵の場合、心が荒んでいますの。そして心が荒む原因の九割は、『お腹が空いていること』と『睡眠不足』ですわ」
「九割!? 残りの一割は何だよ!」
「それは、お肌の乾燥ですわね。……さあ、反乱軍の皆様に、『革命よりも美味しいものがある』という現実を教えて差し上げましょう!」
数十分後。
砦の正門前に、漆黒の鎧を纏い、殺気を放つ五百人の戦士たちが集結した。
「……ここが、女王と通じているという魔女の砦か。フン、小綺麗な建物にしおって。我ら『黒い牙』が、溜まりに溜まった民の怒りを叩きつけてくれるわ!」
先頭に立つ筋骨隆々の大男、反乱軍リーダーのドレイクが、巨大な斧を振り上げて咆哮した。
「突撃せよ! 砦を血に染め、女王の鼻を明かして――」
その時。
ギィィ……と、重厚な音を立てて砦の門がゆっくりと開いた。
そこには防御陣地も弓兵もいない。ただ、真っ白なテーブルクロスが敷かれた長いテーブルが、街道のど真ん中に整然と並べられていた。
「いらっしゃいませ。反乱軍の皆様。……あ、そこの斧を持っている方、足元の白線から中に入る時は、靴の泥を落としていただけますかしら?」
私は、エプロン姿でパラソルの下に立ち、優雅に扇子を振って彼らを出迎えた。
私の後ろには、武装こそしていないものの、磨き上げられた配膳トレイを構えたゼクスさんと元聖騎士たちが、隙のないフォーメーションで控えている。
「な、なんだこれは!? 貴様、我らを馬鹿にしているのか! 俺たちは攻め込みに来たんだぞ!」
ドレイクが困惑しながらも斧を構え直す。
「分かっておりますわ。でも、戦うには体力が要りますでしょう? 皆様、顔色が土色ですわよ。そんな不健康な顔で革命を叫んでも、誰もついてきませんわ。……まずは、こちらの『具沢山・お肉たっぷり牛すじカレー』を召し上がってからになさいな」
私が指を鳴らすと、ゼクスさんたちが一斉に動き出した。
巨大な鍋の蓋が開けられた瞬間、スパイスの刺激的で芳醇な香りが、秋の冷たい空気に乗って五百人の鼻孔を直撃した。
「……なっ。なんだ、この匂いは……! 鼻が、鼻が勝手に胃袋を刺激してくる……!」
「……。リーダー、俺……最後にまともな飯を食ったの、三日前です……」
「……。俺も、干し肉の欠片しか……」
殺気に満ちていた反乱軍の戦士たちの目が、一瞬にして「飢えた仔犬」のそれに変わった。
「……お、俺たちを餌で釣ろうというのか! 誇り高き『黒い牙』が、カレーごときで――」
「隠し味に、完熟マンゴーのチャツネと、三日間煮込んだフォン・ド・ボーを使用しておりますの」
私のその一言が、最後の一押しとなった。
ドレイクの斧が、ガランと力なく地面に落ちた。
「……。……。一杯、……いや、大盛りでくれ」
「かしこまりました。……さあ皆様、順番に並んで! 福神漬けとらっきょうはセルフサービスですわよ!」
こうして、凄惨な流血の惨事になるはずだった襲撃は、史上稀に見る「大カレー試食会」へと変貌した。
「うめぇ……! なんだこれ、辛いのに甘い! そして肉が口の中で溶ける!」
「リーダー! 俺、女王を倒すより、このカレーを毎日食える国を作りたいです!」
「……。俺もだ。革命なんて言ってる場合じゃねえ。このルーの深みこそが、俺たちの求めていた真理だったんだ……!」
地面に座り込み、涙を流しながらカレーを掻き込む五百人の男たち。
ゼクスさんが隣で、呆れたように、でもどこか誇らしげに腕を組んでいた。
「……。アマリリス。お前、ついに五百人の反乱軍を、一食で『カレー信者』に変えちまったな」
「あら。平和でよろしいではありませんか。……さて、ゼクスさん。彼らにおかわりの催促をされる前に、デザートの準備をお願いしていいかしら?」
その頃、後方で高みの見物を決め込んでいたウィルフレッド王子は。
「まだか! なぜ反乱軍が、砦の門の前で全員座り込んでいるのだ!? もしや、強力な麻痺魔法でもかけられたのか!? ひえぇ、アマリリスめ、今度は五百人を一瞬で石にしたのか!」
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