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王宮から馬車に揺られること三十分。
我がド・マニエール公爵家の屋敷が見えてくる頃には、私の脳内では一人反省会が始まっていました。
「……やっぱり、あそこでネックレスを投げた後、一瞬だけ瞳に『未練』の色を混ぜるべきだったかしら。その方が、後で殿下が後悔する時のスパイスになったはずだわ」
私は馬車の窓に映る自分の顔を見ながら、微調整の表情を作ります。
そう、私は今、幸せの絶頂にいます。
十年間に及んだ「王太子妃(悪役令嬢)役」という大役を、無事にやり遂げたのですから。
屋敷の玄関をくぐると、そこにはすでに事の顛末を聞き及んだらしい父、公爵様が腕を組んで立っていました。
威厳ある髭を蓄え、鋭い眼光を放つその姿は、まさに国を支える重鎮。
しかし、私と目が合った瞬間、その表情は一変しました。
「ヨレン! 聞いたぞ、ついに千秋楽だったそうだな!」
「お父様! はい、たった今、劇的な幕引きを演じて参りましたわ!」
私はドレスの裾を掴んで深々とカーテシーをしました。
これは儀礼的なものではなく、公演を終えた役者としての礼です。
父は満足げに頷くと、私を執務室へと手招きしました。
「まずは座れ。……それで、どうだった。アリスター殿下の反応は」
「最悪でしたわ! 私のことを『反吐が出るほど嫌いだ』と仰ってくださいました! 役者冥利に尽きますわね」
私はソファーに深く腰掛け、用意されていた紅茶を一口。
ようやくコルセットから解放される喜びを噛み締めながら、父に詳細を報告しました。
「ほう、『反吐が出る』か。それはまた、彼の演技も熱が入っていたな。だがヨレン、一つ聞かせてくれ。最後、リゼ嬢への視線はどうした?」
「ええ。冷徹な、しかしどこか慈悲深い『女王の去り際』をイメージしましたが……」
父はうーん、と唸り、手元の書類をトントンと叩きました。
「甘いな。あそこはもう少し『哀れみ』を強調すべきだった。若すぎる殿下には、高潔な女王の孤独までは理解できん。単なる『嫉妬に狂った女』に見えてしまった可能性が高いぞ」
「……っ! 流石はお父様。私の未熟さを見抜かれるとは。確かに、観客のレベルに合わせた演技構成もプロの仕事ですわね」
父は元々、王宮での権力闘争を「壮大な茶番劇」と称して楽しむような、少し変わった感性の持ち主です。
私が幼い頃に「完璧な令嬢を演じてみたい」と言い出した時も、止めるどころか一流の演技講師を雇ってくれた恩人でもあります。
「まあ良い。殿下との婚約破棄については、王家から多額の慰謝料が出る。これまでの君の『献身的な演技』に対する、国からのギャランティだと思えばいい」
「ギャランティ……。素敵な響きですわ」
父が差し出してきたのは、領地目録と一枚の地図でした。
そこには、王都から遠く離れた、のどかな田舎町が記されています。
「ここが、君の『退職金』だ。静かな場所で、劇場もある。君が望んでいた観劇三昧の生活を送るには、これ以上の場所はないだろう」
「お父様、大好きです! これでようやく、朝から晩まで脚本を読み耽り、誰にも邪魔されずに発声練習ができますわ!」
私は地図を抱きしめ、喜びの舞を踊りました。
王太子の顔色を伺い、令嬢たちの陰口を華麗にスルーする日々は、もう終わったのです。
「だがな、ヨレン。一つだけ忠告しておく」
父が少しだけ真面目な顔をして、私を直視しました。
「君の演技は完璧すぎて、時に真実を隠しすぎる。……もしも、君の『素』の姿を見せるべき相手が現れた時は、その仮面を外す勇気を持ちなさい」
「ふふ、そんな方、現れるかしら? 私の『素』なんて、芋を焼きながら演劇論を叫ぶだけの、ただのオタクですのに」
私は笑って受け流しました。
この時の私は、自分の演技がどれほど周囲を狂わせ、そして一人の男の執着を招いているのか、全く気づいていなかったのです。
翌朝。
私は公爵家の紋章が入っていない、ごく普通の馬車に荷物を積み込みました。
目指すは、南部の領地。
「さらば、退屈な王都! こんにちは、私のセカンドライフ!」
馬車が走り出すと同時に、私は金髪のウィッグを脱ぎ捨て、地毛の少し癖のある髪を解放しました。
悪役令嬢ヨレンは死にました。
今日から私は、ただの自由な演劇愛好家として生きるのです。
……そう、そのはずだったのです。
領地に到着したその日の夕暮れ、私が別荘の庭で「ハムレット」の独白を全力で演じている最中に、生垣越しに「ブラボー!!」と叫ぶ不審者が現れるまでは。
我がド・マニエール公爵家の屋敷が見えてくる頃には、私の脳内では一人反省会が始まっていました。
「……やっぱり、あそこでネックレスを投げた後、一瞬だけ瞳に『未練』の色を混ぜるべきだったかしら。その方が、後で殿下が後悔する時のスパイスになったはずだわ」
私は馬車の窓に映る自分の顔を見ながら、微調整の表情を作ります。
そう、私は今、幸せの絶頂にいます。
十年間に及んだ「王太子妃(悪役令嬢)役」という大役を、無事にやり遂げたのですから。
屋敷の玄関をくぐると、そこにはすでに事の顛末を聞き及んだらしい父、公爵様が腕を組んで立っていました。
威厳ある髭を蓄え、鋭い眼光を放つその姿は、まさに国を支える重鎮。
しかし、私と目が合った瞬間、その表情は一変しました。
「ヨレン! 聞いたぞ、ついに千秋楽だったそうだな!」
「お父様! はい、たった今、劇的な幕引きを演じて参りましたわ!」
私はドレスの裾を掴んで深々とカーテシーをしました。
これは儀礼的なものではなく、公演を終えた役者としての礼です。
父は満足げに頷くと、私を執務室へと手招きしました。
「まずは座れ。……それで、どうだった。アリスター殿下の反応は」
「最悪でしたわ! 私のことを『反吐が出るほど嫌いだ』と仰ってくださいました! 役者冥利に尽きますわね」
私はソファーに深く腰掛け、用意されていた紅茶を一口。
ようやくコルセットから解放される喜びを噛み締めながら、父に詳細を報告しました。
「ほう、『反吐が出る』か。それはまた、彼の演技も熱が入っていたな。だがヨレン、一つ聞かせてくれ。最後、リゼ嬢への視線はどうした?」
「ええ。冷徹な、しかしどこか慈悲深い『女王の去り際』をイメージしましたが……」
父はうーん、と唸り、手元の書類をトントンと叩きました。
「甘いな。あそこはもう少し『哀れみ』を強調すべきだった。若すぎる殿下には、高潔な女王の孤独までは理解できん。単なる『嫉妬に狂った女』に見えてしまった可能性が高いぞ」
「……っ! 流石はお父様。私の未熟さを見抜かれるとは。確かに、観客のレベルに合わせた演技構成もプロの仕事ですわね」
父は元々、王宮での権力闘争を「壮大な茶番劇」と称して楽しむような、少し変わった感性の持ち主です。
私が幼い頃に「完璧な令嬢を演じてみたい」と言い出した時も、止めるどころか一流の演技講師を雇ってくれた恩人でもあります。
「まあ良い。殿下との婚約破棄については、王家から多額の慰謝料が出る。これまでの君の『献身的な演技』に対する、国からのギャランティだと思えばいい」
「ギャランティ……。素敵な響きですわ」
父が差し出してきたのは、領地目録と一枚の地図でした。
そこには、王都から遠く離れた、のどかな田舎町が記されています。
「ここが、君の『退職金』だ。静かな場所で、劇場もある。君が望んでいた観劇三昧の生活を送るには、これ以上の場所はないだろう」
「お父様、大好きです! これでようやく、朝から晩まで脚本を読み耽り、誰にも邪魔されずに発声練習ができますわ!」
私は地図を抱きしめ、喜びの舞を踊りました。
王太子の顔色を伺い、令嬢たちの陰口を華麗にスルーする日々は、もう終わったのです。
「だがな、ヨレン。一つだけ忠告しておく」
父が少しだけ真面目な顔をして、私を直視しました。
「君の演技は完璧すぎて、時に真実を隠しすぎる。……もしも、君の『素』の姿を見せるべき相手が現れた時は、その仮面を外す勇気を持ちなさい」
「ふふ、そんな方、現れるかしら? 私の『素』なんて、芋を焼きながら演劇論を叫ぶだけの、ただのオタクですのに」
私は笑って受け流しました。
この時の私は、自分の演技がどれほど周囲を狂わせ、そして一人の男の執着を招いているのか、全く気づいていなかったのです。
翌朝。
私は公爵家の紋章が入っていない、ごく普通の馬車に荷物を積み込みました。
目指すは、南部の領地。
「さらば、退屈な王都! こんにちは、私のセカンドライフ!」
馬車が走り出すと同時に、私は金髪のウィッグを脱ぎ捨て、地毛の少し癖のある髪を解放しました。
悪役令嬢ヨレンは死にました。
今日から私は、ただの自由な演劇愛好家として生きるのです。
……そう、そのはずだったのです。
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