婚約破棄された「毒殺未遂」の悪役令嬢ですが、それ滋養強壮スープですけど?

恋の箱庭

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「……なんだ、この手紙は」


ギルバートは、王都から届いた伝書鳩の脚に結ばれていた小さな紙片を読み、眉間の皺を深くした。


そこには、震えるような走り書きでこう書かれていた。


『直ちに「解毒剤」のレシピを引き渡せ。リリィの命がかかっている。拒否すれば反逆とみなす』


「解毒剤……? リリィ嬢が毒に侵されているのか?」


「あら、大変!」


横から手紙を覗き込んだメリアナが、驚いたように声を上げた。


「リリィ様、まだ体調が戻らないのですね。それに『解毒剤』だなんて……殿下は相変わらず勘違いをなさっているわ」


「勘違い?」


「ええ。これ、きっと私がよく作っていた『滋養強壮スープ』のことですわ。あれを飲まないと調子が出ないから、レシピを教えろとおっしゃっているのです」


メリアナは困ったように頬に手を当てた。


「素直に『あの味が恋しい』と言えばいいのに。ツンデレなんですのね」


「……いや、文面からは殺気しか感じないが」


ギルバートは紙片をひらつかせた。


「それに『拒否すれば反逆』だと? 理不尽にも程がある。そもそも、お前を追放したのは彼らだろう」


「まあまあ、閣下。落ち着いてください。レシピくらい教えますわよ。ただ……」


メリアナは少し考え込んだ。


「あのスープ、材料の『マンドラゴラ』や『赤マムシ』の下処理が難しいんです。素人が作ると、本当にただの猛毒になってしまう可能性が……」


「……送らない方が、彼らのためかもしれんな」


その時だった。


カンカンカンカンッ!!!


屋敷の外にある火の見櫓(やぐら)から、けたたましい半鐘の音が鳴り響いた。


「敵襲か!?」


ギルバートの顔つきが一瞬で『将軍』のものに戻る。


ドンドンドン!


騎士が部屋に飛び込んできた。


「閣下! 北の森から魔物の大群が! 『スタンピード(暴走)』です!」


「規模は!?」


「数百……いえ、千を超えます! オーク、ゴブリン、それに大型のオーガも確認されました!」


「チッ……冬の前に食料を求めて南下してきたか」


ギルバートは舌打ちをし、剣を掴んだ。


「総員、迎撃態勢をとれ! 領民を屋敷の地下シェルターへ避難させろ! メリアナ、お前もだ!」


「え?」


「お前も避難するんだ。ここは最前線になる。調理器具を持って地下へ行け」


ギルバートは彼女の肩を掴み、真剣な眼差しで言った。


しかし。


メリアナは逃げるどころか、窓に駆け寄り、キラキラした瞳で外を見つめた。


「閣下……見てください、あれ!」


「何だ、新手の魔物か!?」


「いいえ……食材が! 食材が向こうから歩いてきましたわ!!」


「は?」


窓の外、雪原を埋め尽くす黒い影。
普通の人間なら絶望する光景だが、メリアナの目には『巨大なビュッフェ』にしか見えていなかった。


「あそこの先頭にいるのは『キング・オーク』! 最高級の豚肉ですわ! その後ろは『ワイルド・ターキー(狂暴七面鳥)』の群れ! クリスマスには少し早いけど、丸焼きにし放題です!」


メリアナは歓喜のあまり震えていた。


「地下に隠れるなんてとんでもない! あんなに新鮮な食材を、みすみす逃がすなんて料理人の恥です!」


「いや、相手は魔物だぞ! 殺される!」


「大丈夫です。私には最強の『下処理部隊(あなたたち)』がいますもの!」


メリアナはエプロンの紐をキリリと締め直し、台所から巨大な『肉叩き(ミートハンマー)』を持ち出した。


「さあ閣下! 行きましょう! 今夜は『スタンピード食べ放題祭り』ですわよ!」


「……くっ、もうどうにでもなれ!」


ギルバートは諦めて笑った。


屋敷の前には、すでに武装した騎士団が整列していた。
彼らの顔つきは、以前とは明らかに違っていた。


恐怖などない。あるのは、爛々とした『食欲』だけだ。


「総員、抜刀!」


ギルバートが号令をかける。


「目標、前方より接近中の食材(まもの)軍団! 我々の任務は、領民を守り、かつ今夜の晩飯を確保することである!」


「「「イエッサー!! 肉だーッ!!」」」


地鳴りのような咆哮とともに、騎士たちが突撃を開始した。


「グルァァァァッ!」


魔物たちが牙を剥いて襲いかかる。
しかし、最近メリアナの『滋養強壮料理』を食べ続けている騎士たちの身体能力は、人間離れしていた。


ドガァッ!


「ふんっ! オークごときが、俺の筋肉(プロテイン)に勝てるか!」


一人の騎士が、タックル一発でオークを吹き飛ばした。


「こいつは俺の獲物だ! モモ肉は渡さん!」


「オーガのロースは俺がもらう!」


騎士たちは魔物を『敵』ではなく『部位』として認識していた。


「待って! そこ、斬り方が雑ですわ!」


戦場の中央で、メリアナの指示が飛ぶ。


「オーガは首を一撃で! 腹を裂くと内臓の苦味が肉に移ってしまいます!」


「はっ! 承知しましたメリアナ総料理長!」


「そっちの『アーマード・タートル』は甲羅を割らないで! 蒸し焼きにするんですから、ひっくり返して急所を突きなさい!」


「了解!」


メリアナはミートハンマーを指揮棒のように振り回し、戦場全体を『巨大な厨房』へと変えていく。


「閣下! 右から『バッファロー・ブル』が来ます! 霜降り肉の特級品です!」


「注文が多いな!」


ギルバートは苦笑しながら、襲いかかる巨大な牛型の魔物を、一刀のもとに両断した。


ザンッ!!


鮮やかな剣筋。肉の断面は美しく、血すら流れていない。


「ナイスカットです閣下! 素晴らしい断面!」


「褒められている気がしないが……よし、次だ!」


戦いは一方的だった。
数千の魔物は、空腹と滋養強壮に満ちたヴォルグ騎士団の前に、ただの『食材の山』と化した。


数時間後。


戦場には、静寂の代わりに、ジュウウウゥゥ……という脂の焼ける音と、食欲をそそる香りが漂っていた。


「……勝ったな」


ギルバートは剣についた血を拭い、目の前の光景を見渡した。


そこでは、戦いが終わるや否や、即席の『大宴会』が始まっていた。


「焼けたぞー! オークの丸焼きだ!」


「こっちはオーガのスペアリブだ!」


「戦いの後のビール(エール)は最高だぜ!」


騎士たちは傷の手当てをするのも忘れ、肉にかぶりついている。


「皆さん、お疲れ様でした!」


メリアナは巨大な鍋の前で、スープを配っていた。


「今日は特別メニュー、『魔物のごった煮・勝利の味』です! どんどん食べて、消費したカロリーを取り戻してくださいね!」


「メリアナ様、最高です!」
「一生ついていきます!」


彼女の周りには、騎士や、避難場所から出てきた領民たちが笑顔で集まっている。
恐怖の象徴だったスタンピードが、彼女の手にかかればただの『豊作』になってしまった。


「……とんでもない女だ」


ギルバートは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。


焚き火の明かりに照らされたメリアナの横顔は、慈愛に満ちて……いや、やはり「美味しそうに食べる人を見るのが好き」というマニアックな喜びに満ちていた。


けれど、その笑顔が、この過酷な辺境を救っているのは事実だ。


「閣下! 何を黄昏て(たそがれて)いるんですか?」


メリアナが彼に気づき、走ってきた。
手には、焼きたての串焼きが二本握られている。


「はい、閣下の分! 一番美味しい『ほほ肉』をキープしておきました!」


「……気を使わせてすまない」


ギルバートは串焼きを受け取った。


「一緒に食べましょう。冷めないうちに」


メリアナは彼の隣に座り込み、ガブリと肉に食らいついた。
上品な公爵令嬢の作法など、ここにはない。あるのは、生きるための食事と、それを分かち合う喜びだけだ。


「……美味いな」


「でしょう? やっぱり、運動の後に外で食べるお肉が一番です!」


メリアナは口の端にタレをつけながら笑った。


ギルバートは、ふと、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。


彼女は追放された身だ。
いずれ、王都との問題が解決すれば、また戻らなければならないのかもしれない。
あるいは、彼女のこの才能を求めて、他の貴族が群がってくるかもしれない。


(……返したくないな)


ギルバートは、串焼きを見つめながら思った。


彼女の料理がない生活に戻りたくない。
いや、それ以上に。
彼女がいない、灰色の毎日に戻るのが怖い。


「……メリアナ」


「はい?」


「ずっと、ここにいてくれないか」


ギルバートの口から、ポロリと言葉がこぼれた。
酔った勢いでも、冗談でもない。本心だった。


メリアナは瞬きをした。
そして、ニカッと笑った。


「もちろんです! こんなに食材が豊富な場所、追い出されても帰りませんよ!」


「……そういう意味では、ないんだがな」


ギルバートは苦笑いした。
彼女には、まだこの『独占欲』の意味は伝わらないらしい。


「ま、いい。今はこれで」


ギルバートは彼女の頭に手を置き、ポンポンと撫でた。


「え? 閣下?」


「よくやった。今日の勝利は、君のおかげだ」


メリアナは急に撫でられて、顔を真っ赤にした。


「も、もう! 子供扱いしないでください! 私はもう立派なレディで……」


「レディはミートハンマーを振り回さん」


「うっ……それは言わない約束です!」


二人の笑い声が、夜空に溶けていく。


宴は深夜まで続いた。
ヴォルグ辺境伯領の歴史に、『スタンピード・フェスティバル』という新たな祝祭が刻まれた夜だった。


しかし。


その宴の影で、王都からの『厄介な客』が、静かに到着しようとしていた。


「……ここが、ヴォルグ辺境伯邸か」


闇に紛れて屋敷に侵入したのは、王家の密偵。
リリィを救うため、そしてメリアナを監視するために送られた男だ。


彼は屋敷の裏口から厨房へと忍び込んだ。


「まずは食料庫の調査を……ん?」


彼の鼻腔をくすぐる、残り香。
宴の後だというのに、厨房にはまだ濃厚なスープの香りが残っている。


「なんだ……この、抗いがたい誘惑は……」


密偵は、鍋の底に残っていたスープの残りを掬った。
任務中だ。毒見もしなければならない。当然の行為だ。


一口、飲む。


「……!!」


その瞬間、密偵の目からハイライトが消えた。


「う……うまい……。王都の飯なんて、泥水だ……」


彼は鍋を抱え込み、残りを貪り始めた。


「任務……? 報告書……? いや、今は……このスープの底にある肉を……!」


王家の優秀な密偵が、陥落するまで、あと三分。


メリアナの料理は、敵味方の区別なく、全てを胃袋の下に平伏させるのだった。
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