婚約破棄された「毒殺未遂」の悪役令嬢ですが、それ滋養強壮スープですけど?

恋の箱庭

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北の果て、未開の氷河地帯。


そこは、人間が立ち入ることを許されない『絶対零度の世界』である。
吹き荒れるブリザードは岩をも砕き、気温はマイナス五十度を下回る。
普通の人間なら、数分で氷像と化す死の領域だ。


しかし。


「ほらレオン! ミア! しっかり足場を固めて!」


「うぅ~、寒いよお母様! 鼻水が凍っちゃう!」


「弱音を吐くな! あの雲の向こうに『空飛ぶご馳走』がいると思えば、寒さなんてスパイスみたいなものだ!」


そんな極限環境の雪山を、ピクニック気分で登る一家がいた。
ヴォルグ辺境伯家の面々である。


先頭を行くのは、巨大なリュック(調理器具満載)を背負ったギルバート。
その後ろを、防寒着に身を包んだ双子のレオンとミアが続き、殿(しんがり)をメリアナが守っている。


「あなた! 高度計を見てください! そろそろ『スカイ・ホエール』の生息域ですわ!」


メリアナがゴーグル越しに空を見上げて叫ぶ。


「了解だ。……風向きが変わった。来るぞ!」


ギルバートが足を止めた瞬間。


ゴオオオオォォォッ……!!


頭上の厚い雲が割れ、巨大な影が姿を現した。


それは、船など比較にならないほどの巨体だった。
白銀の鱗を持ち、優雅に空を泳ぐ『スカイ・ホエール』。
その大きさは、ヴォルグ邸の屋敷が小さく見えるほどだ。


「デ、デカい……!」
「お父様! あんなのどうやって狩るの!?」


子供たちが口をあんぐりと開ける。


しかし、メリアナの反応は違った。


「素晴らしい……!!」


彼女は頬を紅潮させ、よだれを拭った。


「見て、あのお腹の張り! たっぷりと脂(ラード)を蓄えていますわ! 背中の肉は赤身で、お腹はトロ! 捨てるところがありません!」


彼女の目には、クジラではなく『巨大な空飛ぶ寿司ネタ』に見えていた。


「作戦開始よ! ギルバート、足場をお願い!」


「任せろ! 『氷結階段(アイス・ステップ)』!」


ギルバートが剣を振るうと、空中に氷の足場が次々と形成されていく。


「レオン、ミア! あなたたちは牽制役よ! ヒレの動きを止めて!」


「了解!」
「任せて!」


双子は身軽な動きで氷の階段を駆け上がっていく。


「いくぞミア! 『ダブル・ショット』!」


レオンがパチンコで『痺れ木の実(麻痺弾)』を放ち、ミアがナイフで風の魔法を誘導する。
二人の連携攻撃が、クジラの動きを一瞬鈍らせた。


「グオオオッ!?」


スカイ・ホエールが驚いて身をよじる。
その隙を見逃すメリアナではない。


「お待たせしました! 本日のシェフ、メリアナです!」


彼女は氷の階段を蹴って高く跳躍した。
手には、愛用の『炎竜のフライパン』。
五年間の酷使により、その輝きはいぶし銀の風格を帯びている。


「このサイズ、普通に焼いては火が通りません……。ならば!」


メリアナはフライパンに全魔力を注ぎ込んだ。


「秘奥義・『大気圏突入焼き(メテオ・グリル)』ッ!!」


彼女は自らを火の玉と化し、上空からクジラの背中へと落下した。


ドゴォォォォォォンッ!!!!


衝撃と共に、クジラの背中に巨大な『焼き目』がついた。
ただの攻撃ではない。
衝撃波で肉を柔らかくしつつ、表面をカリッと香ばしく焼き上げる、メリアナ流の調理術だ。


「ギャアアアッ!」


クジラが悲鳴を上げるが、すでにその背中からは食欲をそそる匂いが漂っている。


「トドメだ!」


ギルバートが追撃する。


「『氷狼剣・絶対零度断(アブソリュート・スラッシュ)』!」


巨大な氷の刃が、クジラの急所を正確に貫いた。
苦しませず、鮮度を保ったまま氷漬けにする。
完璧な『〆(シメ)』だ。


ズズズズズ……。


巨星墜つ。
スカイ・ホエールは、氷河の谷間へと静かに着地した。


「「「やったぁーーッ!!」」」


家族四人の歓声が、雪山にこだました。


***


一時間後。
氷河の上で、世界で一番高い場所にある『青空レストラン』が開店した。


「はい、お待ちどうさま! 『スカイ・ホエールの極上ステーキ ~雲海仕立て~』です!」


メリアナが焼き立ての肉を皿に盛る。
クジラの肉は、牛肉よりも色が濃く、しかし驚くほど柔らかい。


「いただきまーす!」


子供たちがかぶりつく。


「ん~っ! ふわふわ!」
「口の中で溶けちゃった!」


「美味いな……。脂が軽やかで、いくらでも食べられる」


ギルバートも満足げにワイン(を持参していた)を傾ける。


メリアナは、家族が美味しそうに食べる姿を見つめ、自分も一切れ口に運んだ。


「……うん、最高」


空の味がした。
自由で、広大で、そして温かい味。


ふと、彼女はここに来るまでの道のりを思い出した。


王子の婚約者として、窮屈な王宮で自分を押し殺していた日々。
「毒殺令嬢」と罵られ、絶望の中で追放されたあの日。


もし、あそこで諦めていたら。
もし、自分の「好き」を貫くことを恐れていたら。


こんなに美味しい景色を見ることはできなかっただろう。


「……メリアナ?」


ギルバートが心配そうに顔を覗き込む。


「どうした? 味が薄かったか?」


「いいえ」


メリアナは首を振り、満面の笑みを向けた。


「あまりにも美味しくて……私、世界一幸せだなと思って」


「……そうか」


ギルバートは優しく微笑み、彼女の肩を抱いた。


「私もだ。……お前と出会えて、本当によかった」


「お父様とお母様だけズルい! 僕たちも!」
「私もー!」


子供たちが抱きついてくる。
氷点下の雪山で、そこだけが暖炉のように温かかった。


「さあ、皆さん! 食べてばかりじゃありませんよ! この巨大なクジラ、持って帰るまでが遠足(狩り)です!」


メリアナが立ち上がり、ミートハンマーを掲げた。


「ええーっ! これ全部!?」
「何往復すればいいんだ……」


子供たちが悲鳴を上げるが、その目は笑っている。


「頑張りましょう! 持って帰れば、領民のみんなもお腹いっぱい食べられますから!」


「ああ、そうだな。……行くぞ、ヴォルグ家の底力を見せてやれ!」


「「「オーッ!!」」」


四人は力を合わせ、巨大な食材に向き合った。


かつて「悪役令嬢」と呼ばれた少女は、今、愛する家族と領民に囲まれ、「美食の聖女」として笑っている。


彼女の冒険は、これで終わりではない。
世界にはまだ、見ぬ食材が山ほどあるのだから。


深海のクラーケン。
砂漠のサンドワーム。
そして、魔界のドラゴン……。


「次はどこへ行きましょうか、あなた?」


「……どこへでも行こう。お前の料理が食べられるなら、地の果てまでもな」


空飛ぶクジラの背中で、メリアナは高らかに宣言した。


「さあ! 食卓は続くよ、どこまでも!」


彼女の輝くような笑顔と共に、物語の幕は下りる。
美味しい匂いを、世界中に振りまきながら。
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