婚約破棄に歓喜で高飛びしたいのに、逃してくれません

恋の箱庭

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「――では、行ってらっしゃいませ、殿下」

王都の貧民街に近い裏路地。
私は馬車から、ボロ布をまとったレイド殿下を突き落とした。

「うわっ! 痛っ! もう少し丁寧に扱ってよ!」

「一般市民の扱いはそんなものです。ようこそ、底辺の世界へ」

私は冷ややかに告げ、馬車の扉を閉めた。

今日から一週間、レイド殿下の「サバイバル生活試験」が始まる。
ルールは簡単。
一、身分を明かさない。
二、所持金ゼロからスタート。
三、犯罪禁止。
四、一週間後に生きて戻る(体重減少は可)。

「待ってくれテレナ! せめて靴下くらいは! 裸足は痛いんだよ!」

「地面の感触を楽しんでください。大地と友達になれるチャンスですよ」

「そんな友達いらない!」

殿下は涙目で馬車を追いかけようとしたが、私の合図で御者が鞭を入れ、馬車は無慈悲に走り去った。

砂埃の中に残された、かつての王太子。
その背後には、同じくボロ服を着ているが、なぜか背中に巨大なリュック(筋トレ用の重り入り)を背負ったミナが仁王立ちしていた。

「……さあ、行きますよ殿下」

「ミ、ミナ……君だけが頼りだ……」

「甘えないでください。私は監視役です。殿下が野垂れ死にそうになったら水をかけますが、それ以外は手出ししません」

ミナはリュックからプロテインシェイカーを取り出し、グイッと飲み干した。

「あと、私はこれからランニングがありますので。殿下も走りますか? 空腹が紛れますよ?」

「……もう帰りたい」

サバイバル開始五分で、殿下の心は折れかけていた。

          ◇

宰相執務室。
私は優雅に紅茶を啜りながら、魔法の水晶(遠隔監視モニター)を眺めていた。

画面には、路頭に迷うレイド殿下の姿が映し出されている。

「……酷いな」

セリウス閣下が、書類仕事の手を止めて画面を覗き込んだ。

「開始一時間で、もう三回も詐欺に遭いかけている」

「世間知らずのカモがネギを背負って、さらに鍋まで持参して歩いているようなものですからね」

私は画面を指差した。

「見てください。屋台のリンゴを『つけ』で買おうとして、店主に水をかけられています」

画面の中で、殿下がずぶ濡れになりながら「僕は未来の王だぞ!」と叫んでいる(が、誰も信じていない)。

「……学習能力がないのか、あいつは」

「ありません。だからこそ、このショック療法が必要なのです」

私はクッキーを齧った。
高みの見物とは、なんと甘美な味がするのだろう。

「しかしテレナ。あいつが本当に野垂れ死んだらどうする? ミナ嬢も脳筋すぎて、適切な救護ができるか怪しいぞ」

「ご安心を。裏ルートで『赤熊亭』のジャンたちに手を回してあります。『金髪のバカが死にそうになったら、最低限の残飯を与えて生かしておけ』と」

「……残飯か」

「贅沢は言わせません。彼が普段捨てていた食材のありがたみを知る良い機会です」

その時、画面の中で動きがあった。

とぼとぼと歩いていた殿下が、ふと広場に集まっている人だかりを見つけたようだ。
そこでは、吟遊詩人が歌を歌い、小銭を稼いでいる。

殿下の目に、ピコーンと閃きの光が宿った。

『そうか! これだ!』

音声はないが、口の動きで分かる。

殿下は広場の中心へ躍り出ると、空の木箱の上に立った。

『皆のもの、聞け! 僕の歌を聞けば、その心は洗われるだろう!』

「……まさか、路上ライブか?」

閣下が頭を抱えた。

「レイドの歌唱力は……その、壊滅的だぞ」

「知っています。以前、夜会で一曲披露した際、貴婦人が二名失神しました。高周波のような音痴ですので」

案の定。

『♪お~お~ぞら~に~、はばた~く~、ぼく~の~……』

画面越しでも伝わる、不協和音の波動。
広場の人々が耳を塞ぎ、野良犬が吠え、カラスが逃げ惑う。

「やめろぉぉぉ! 耳が腐るぅぅ!」
「石を投げろ! 悪魔召喚の儀式か!?」

市民たちから、喝采の代わりに石と腐ったトマトが飛んできた。

『ぐえっ! な、何をする! 芸術が分からないのか愚民ども!』

殿下はトマトまみれになりながら、ミナに引きずられて路地裏へ退避していった。

「……」

執務室に、重苦しい沈黙が流れた。

「……テレナ。廃嫡の手続きを急ごう」

「賛成です。あれはもう、国家の恥です」

私たちは同時にペンを取り、書類作成のスピードを上げた。

          ◇

一方、その頃。
路地裏に逃げ込んだレイド殿下は、腐ったトマトを拭いながら、憤慨していた。

「くそっ! なんだあいつらは! 僕の美声が理解できないなんて!」

「殿下。ジャイ○ンリサイタルは公害です。やめてください」

ミナが真顔で言った。
彼女はスクワットをしながら監視している。

「うるさい! ……ハッ、でも待てよ」

殿下はニヤリと笑った。

「今の反応……確かに『衝撃』を与えたということだ。つまり、僕には大衆を動かす力がある!」

「ポジティブですね。石を投げられただけですよ」

「違う! これは試練だ。僕が真の王になるための!」

殿下の瞳に、怪しい炎が宿り始めた。

「見ていろミナ。僕はこの下町で『革命の英雄』になる。そして民衆を味方につけ、城に乗り込むんだ!」

「はあ……」

「そして叫ぶんだ! 『悪女テレナを倒し、真の王を迎え入れろ!』とな! そうすれば、父上も叔父上も僕を見直すはずだ!」

殿下の中で、またしても最悪のシナリオが構築されていた。
サバイバル生活を逆手に取り、民衆を扇動して「公開断罪(リベンジ)」を行おうというのだ。

「そのためには、まず仲間が必要だ。……おい、そこのお前!」

殿下は、路地裏で寝ていた浮浪者に声をかけた。

「僕の部下になれ! 成功の暁には、パンを一個やろう!」

浮浪者は面倒くさそうに寝返りを打っただけだった。

「無視か! ……いいだろう。見ていろ、一週間後、僕は数万の民衆を引き連れて城へ凱旋する!」

殿下は高らかに宣言し、ゴミ箱を漁り始めた(空腹には勝てないらしい)。

ミナはその様子を見て、こっそりと懐から通信用の魔石を取り出した。

『……こちらミナ。テレナ様、聞こえますか?』

『ええ、聞こえているわ。どうしたの?』

『殿下が……また変なことを言い出しました。「民衆を味方につけて革命を起こす」とか、「テレナ様を断罪する軍団を作る」とか……』

通信の向こうで、私が吹き出す音が聞こえた。

『プッ……そう。相変わらず懲りないわね。でも、面白いわ』

私の声は、楽しそうに弾んでいた。

『やらせておきなさい。どうせ誰もついてこないでしょうけど、万が一、彼が集団を作れたら……それはそれで「一斉検挙」の手間が省けるわ』

『……了解です。とりあえず、彼が腐った魚を食べようとしているので止めてきます』

『お願いね。食中毒で死なれると、書類手続きが面倒だから』

通信が切れる。
ミナは溜息をつき、殿下の首根っこを掴んでゴミ箱から引き剥がした。

「殿下! それは生ゴミです! 食べるなら、あっちの雑草にしてください!」

「いやだぁ! 肉が食いたいんだぁ!」

下町の片隅で繰り広げられる、低レベルな攻防。
これが、次期国王(候補)の姿である。

だが、この時の殿下の「革命計画」が、意外な人物――以前、私が撃退したバラン侯爵――の耳に入り、事態は少しだけややこしい方向へ転がることになる。

「……ほう。レイド殿下が下町でくすぶっている、だと?」

屋敷で報告を受けたバラン侯爵は、邪悪な笑みを浮かべた。

「これはチャンスだ。殿下を唆して『暴動』を起こさせれば……その混乱に乗じて、あの憎きテレナとセリウスを失脚させられるかもしれん」

新たな火種が、ゴミ箱の周りで燻り始めていた。
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