婚約破棄に歓喜で高飛びしたいのに、逃してくれません

恋の箱庭

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「――殿下。お捜しいたしましたぞ」

レイド殿下がゴミ箱から腐ったリンゴを拾おうか迷っていたその時、一台の豪奢な馬車が路地裏に横付けされた。

窓から顔を出したのは、脂ぎった笑顔のバラン侯爵だった。

「こ、侯爵!? なぜこんな所に……!」

「風の噂で、殿下が不当な扱いに苦しんでおられると聞きましてな。居ても立ってもいられず馳せ参じた次第です」

バラン侯爵は、部下に命じて殿下を馬車の中へ招き入れた。
そこには、温かいスープと柔らかいパン、そして最高級のワインが用意されていた。

「ああっ! パンだ! 白いパンだ!」

殿下は涙を流してパンに食らいついた。
その姿は王族の威厳もへったくれもないが、空腹はプライドを凌駕するらしい。

「ああ、なんてお労しい……。本来なら国を統べるべきお方が、このような仕打ちを受けるなど」

侯爵はわざとらしくハンカチで目頭を押さえた。

「全ては、あの悪女テレナと、彼女に誑かされた宰相のせいですな?」

「そうだ! その通りだ!」

殿下は口の中をパンでいっぱいにしながら叫んだ。

「あいつらが僕を罠に嵌めたんだ! 僕は悪くないのに!」

「ええ、分かっておりますとも。私めだけは、殿下の潔白と高潔さを信じております」

「ううっ……侯爵ぅ……!」

殿下は感激し、侯爵の手を握りしめた。
単純だ。チョロすぎる。

「殿下。私に考えがございます」

バラン侯爵は、獲物を見つけた蛇のように目を細めた。

「私財を投じて、殿下のために『義勇軍』を集めましょう。彼らを率いて城へ戻り、あの悪女たちに正義の鉄槌を下すのです」

「義勇軍……!」

その甘美な響きに、殿下は酔いしれた。

「そうだ、革命だ! 僕が先頭に立ち、悪を討つ! これこそ王道!」

「素晴らしい! 決行は三日後。宰相たちが油断している隙を突き、城門を突破しましょう」

侯爵は心の中でほくそ笑んだ。
(馬鹿な王子だ。金で雇ったゴロツキを『義勇軍』と信じ込むとは。騒ぎを起こして宰相を失脚させれば、後の実権は私が握れる……)

二人の思惑(片方は勘違い、片方は陰謀)が合致し、ここに最悪の同盟が結成された。

だが。
馬車の屋根の上で、ヤモリのようにへばりついて聞き耳を立てているミナの存在に、彼らは気づいていなかった。

「……あちゃー。殿下、また変な壺を買わされる老人みたいになってますね」

ミナは小声で呟き、通信用の魔石を取り出した。

          ◇

「――報告。カモがネギを背負って、さらに鍋とカセットコンロまで持参しました」

宰相執務室。
ミナからの通信を受けた私は、ニヤリと笑って受話器(魔導具)を置いた。

「どうやらバラン侯爵が動いたようです。レイド殿下を神輿に担いで、武力行使に出るつもりですね」

「……愚か者が」

セリウス閣下は、ペンをへし折る……ことはせず、静かに書類に走らせていた。
その落ち着きが、逆に怖い。

「侯爵の狙いは、暴動による混乱に乗じた権力奪取か。あるいは、私の暗殺か」

「両方でしょうね。殿下は単なる『使い捨ての旗印』です」

私はため息をついた。

「一週間、真面目にホームレス生活をしていれば、少しは成長するかもと期待した私が馬鹿でした。安易な救いの手に飛びつくとは」

「で、どうする? 今すぐ侯爵邸に踏み込むか?」

「いえ。それでは面白くありません」

私は立ち上がり、壁に貼られた王都の地図を見上げた。

「現行犯で捕まえましょう。『国家転覆罪』および『王族誘拐罪』。これならバラン家を取り潰し、その資産を全額没収できます」

「……君は本当に、転んでもタダでは起きないな」

「資産没収後の競売リスト、もう作成済みです」

私はファイルを掲げた。

「決行は三日後。殿下が『義勇軍(笑)』を引き連れて城門に来る時です。そこで、盛大な『断罪カウンター・ファイナル』を開催しましょう」

「……許可する。演出は任せた」

「御意」

          ◇

そして、運命の三日後。

王城の正門前広場。
普段は市民の憩いの場であるそこに、異様な集団が現れた。

「進めーっ! 悪を討てーっ!」

先頭に立つのは、ピカピカの鎧(サイズが合っていない)に身を包んだレイド殿下。
その横には、不敵な笑みを浮かべるバラン侯爵。
そして後ろには、金で雇われた数百人のゴロツキや傭兵たちが、武器を手に気勢を上げている。

「我らは『レイド革命軍』だ! 城門を開けろ! テレナとセリウスを出せ!」

殿下が拡声器(魔法具)で叫ぶ。

城壁の上。
私とセリウス閣下は、その様子を冷ややかに見下ろしていた。

「……随分と集めたな。三百人といったところか」

「バラン侯爵も奮発しましたね。あの装備と人数、金貨二千枚は下りませんよ」

私は電卓を弾く。

「元を取ろうと必死なんでしょう。……哀れですね」

「ああ。始めるか」

閣下が手を挙げた。

ギギギ……と音を立てて、巨大な城門が開く。

「おおっ! 開いたぞ! 恐れをなしたんだ!」

レイド殿下は歓喜した。

「見たか侯爵! やはり僕には王の資質が……」

「全軍、突撃ぃぃぃ! 城を制圧しろぉぉぉ!」

バラン侯爵は殿下の言葉を遮り、傭兵たちに号令をかけた。

「うおおおお!」

ゴロツキたちが雄叫びを上げ、開かれた門へと殺到する。

だが。
門の向こうで待ち構えていたのは、怯える兵士たちではなかった。

「……いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

門の中央に、机と椅子を用意し、優雅に紅茶を飲んでいる私、テレナ・フォン・ベルベット。
そして、その背後に整列する、完全武装の『影の騎士団』精鋭部隊。

さらに、左右の櫓には弓兵と魔導師がズラリ。

「えっ」

先頭のゴロツキたちが足を止めた。

「よ、ようこそ『レイド革命軍』の皆様」

私はカップを置き、ニッコリと微笑んだ。

「入城料はお一人様、金貨十枚となっております。お支払いは現金、または労働で承りますが?」

「な、なんだ貴様は!」

バラン侯爵が叫んだ。

「ふざけるな! 我々は革命を起こしに来たのだ!」

「革命? いいえ、これは『不法侵入』および『武装蜂起』です」

私はスッと手を挙げた。

「これより、特別会計監査……いえ、鎮圧を開始します。騎士団、構え!」

ジャキン!
一斉に武器が構えられる音。
その統率された動きに、寄せ集めのゴロツキたちは完全に気圧された。

「ひぃっ! 話が違うぞ! 城門は内通者が開ける手はずだったじゃねえか!」

「内通者? ああ、先日解雇しましたわ」

私は冷酷に告げた。

「さあ、殿下。そして侯爵。……年貢の納め時ですわよ?」

「く、くそっ! やれ! やるんだ! 数ではこっちが勝っている!」

バラン侯爵が無理やり兵をけしかける。

ゴロツキたちがヤケクソで突っ込んでくる。

「かかってこい! 俺たちは金のために……ぐはっ!?」

先頭の男が、突如として横から吹っ飛ばされた。

「……え?」

見ると、巨大なハンマー(工事現場用)を持った、メイド服の少女が立っていた。
背中の筋肉がドレスを突き破りそうなほどパンプアップしている。

「ここから先は通しませんっ!」

ミナだ。

「ミ、ミナ!?」

レイド殿下が目を剥いた。

「な、なんだその筋肉は! そのハンマーは!」

「トレーニングの成果です! 殿下、目を覚ましてください!」

ミナはハンマーを軽々と振り回した。

「物理で目を覚まさせてあげますっ!」

「ひぃぃぃっ!」

最強の門番ミナの参戦により、戦場(一方的な蹂躙)の幕が切って落とされた。
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