12 / 28
12
しおりを挟む
「……閣下。確認ですが、これはドレスですか? それとも美術館の展示品ですか?」
私は目の前に置かれたトルソーを見上げ、呆然と呟いた。
そこにあるのは、ドレスという概念を超えた芸術品だった。
夜空を切り取ったような深い藍色のシルク。
そこに散りばめられているのは、ガラス玉やビーズではない。本物のダイヤモンドとサファイアだ。
動くたびに星々のように瞬き、見る者の視線を釘付けにする。
「気に入らないか?」
アレクセイ閣下が、子供のように不安げな顔で問いかける。
「気に入るも何も……これ、おいくらですか?」
「値段? 気にするな。王家の宝物庫に眠っていた『伝説の織り子』の作品だ。金で買えるものではない」
「非売品……つまり、時価測定不能(プライスレス)ということですね」
私は頭を抱えた。
「こんなものを着て、もしワインをこぼしたら? 裾を踏んで破いたら? 私の生涯年収でも弁償できませんよ」
「弁償などいらん。汚れたらまた新しいのを織らせればいい」
「その『新しいの』を作る職人がもういないから伝説なのでしょう!?」
私が抗議すると、閣下はクスクスと笑って私に近づき、そっとドレスの布地に触れた。
「リーナ。このドレスの色は『アークライト・ブルー』。我が公爵家の瞳の色と同じだ」
「はあ。確かに、閣下の瞳と同じ綺麗な色ですね」
「我が家では代々、この色のドレスを贈る相手には特別な意味を持たせる。……『私の全てを捧げる』という契約の証だ」
閣下の青い瞳が、私を射抜く。
契約。
その言葉に、私の職業病(ビジネス脳)が反応した。
「なるほど。つまり、このドレス着用中は『公爵家の所有物』としての独占権を行使される、ということですね?」
「……まあ、そういう解釈でもいい」
閣下は少しだけ肩を落としたようだが、すぐに気を取り直した。
「とにかく、今夜の舞踏会ではこれを着てくれ。隣国の連中に、君が誰のものかを知らしめる旗印だ」
「承知しました。動く広告塔として、完璧に着こなしてみせます」
私は覚悟を決めた。
このドレスを着る以上、私は「国一番の宝石」として振る舞わねばならない。
それが、この高価な衣装への礼儀であり、プロの仕事だ。
***
一方その頃、王城の一角にある王太子の部屋。
「なんでだ! なんで予算が下りないんだ!」
ギルバート王太子が空の金庫を叩いて叫んでいた。
「殿下……前回の建国記念祭での赤字補填で、王家予算は凍結されております」
側近が申し訳なさそうに告げる。
「だ、だが、今夜は隣国ランベールの舞踏会だぞ! 私も招待されているんだ! みすぼらしい格好で行けるか!」
「しかし、無い袖は振れません。……あるもので何とかしてください」
「あるものだと!?」
ギルバートはクローゼットをひっくり返した。
出てくるのは、流行遅れの礼服や、サイズが合わなくなった古い服ばかり。
そこに、ミミアが泣きながら飛び込んできた。
「ギルバート様ぁ! 私のドレスがありませんぅ!」
「なんだと? 先月買ったばかりだろう!」
「あれは質に入れちゃいましたぁ! おやつのケーキ代が足りなくてぇ!」
「ば、馬鹿者!」
ギルバートは頭を抱えた。
今夜の舞踏会は、隣国の次期国王候補も来る重要な外交の場。
そこで存在感を示せなければ、廃嫡の噂がいよいよ現実味を帯びてくる。
「くそっ……こうなったら、リメイクだ!」
「えっ?」
「ミミア! あの建国記念祭で売れ残った『カーテン生地』があっただろう! あれを巻け!」
「ええっ!? カーテンですかぁ?」
「金色のタッセルがついているから豪華に見えるはずだ! 私だって、学生時代の制服のボタンを付け替えて着ていくんだぞ!」
「そんなぁ……」
二人は薄暗い部屋で、針と糸を手に涙を流した。
その姿は、かつて国一番の栄華を誇った王太子カップルとは程遠い、哀愁漂うものだった。
***
そして、夜会の時刻。
隣国ランベールの迎賓館は、各国の王族や貴族たちで埋め尽くされていた。
シャンデリアが煌めき、オーケストラの生演奏が響く。
「――アルファポリス王国、ギルバート王太子殿下、並びにミミア嬢のご入場です」
衛兵の声と共に、扉が開く。
ざわっ……。
会場に入ってきた二人を見て、人々は一瞬言葉を失い、次いでひそひそと囁き始めた。
「おい、見ろよあれ……」
「王太子殿下、袖がつんつるてんじゃないか?」
「あの令嬢のドレス……あれ、カーテンじゃないか? ほら、裾に『遮光一級』ってタグが見えるぞ」
「ブフッ! マジかよ!」
嘲笑のさざ波が広がる。
ギルバートは顔を真っ赤にして、縮こまったミミアの手を引いて早足で歩いた。
「くそっ、見ろ! みんな僕たちに注目しているぞ! やはり私のオーラは隠せないな!」
「そ、そうですね! みんな笑いかけてくれてますぅ!」
ポジティブ変換しなければ心が折れてしまうのだろう。
二人が会場の隅で小さくなっていると、再び衛兵が高らかに声を上げた。
「――アルファポリス王国宰相、アレクセイ・フォン・アークライト公爵閣下。並びに……」
衛兵が一瞬、息を呑んだ。
「並びに、その婚約者、リーナ・ベルモンド嬢のご入場です!」
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
その瞬間。
会場の照明が、まるでそこだけ明るくなったかのように錯覚した。
現れたのは、夜の支配者と、夜空の女神。
漆黒の礼服を完璧に着こなしたアレクセイ閣下。
そしてその腕に手を添える、星空を纏った私。
「おお……ッ!」
会場中から、感嘆のため息が漏れた。
アークライト・ブルーのドレスは、シャンデリアの光を受けて幻想的な輝きを放っている。
私の黒髪は高く結い上げられ、うなじには大粒のサファイアのネックレス。
計算し尽くされた姿勢、歩き方、そして微笑み。
「……計算通りですね」
私は小声で呟いた。
「ん? 何がだ?」
「照明の角度とドレスの反射率です。この位置で静止することで、最も美しく見えるよう計算しました」
「……君というやつは」
閣下は呆れたように笑ったが、その目は誇らしげだった。
私たちは優雅に会場の中央へ進む。
人々が海が割れるように道を開ける。
その視線の先で、ギルバートとミミアが口をあんぐりと開けていた。
「な、なんだあのドレスは……!」
ギルバートが震える指で指差す。
「あんな高そうなもの……いや、あれは国宝級じゃないか!? なんであいつが着ているんだ!」
「キィーッ! 悔しい! 私のカーテンよりキラキラしてるぅ!」
ミミアが地団駄を踏むが、悲しいかな、遮光カーテンは光を吸い込んで鈍く重たい音を立てるだけだ。
そこへ、一人の青年がワイングラス片手に近づいてきた。
隣国ランベールの第二王子、ルイスだ。
「やあ、アレクセイ公爵。ようこそ我が国へ」
「久しいな、ルイス殿下」
「そちらが噂の?」
ルイス殿下が私を見る。
品定めするような目つきだったが、すぐに感服の色に変わった。
「……なるほど。クリス皇子が一千億出すと言ったのも頷ける。宝石よりも価値のある女性だ」
「お褒めにあずかり光栄です、殿下」
私は完璧なカーテシー(礼)を披露した。
「ふふ、立ち振る舞いも洗練されている。……どうだい? ダンスの予約は空いているかな?」
ルイス殿下が手を差し出す。
しかし、その手は空中で遮られた。
「残念だが、満席だ」
アレクセイ閣下が、私の腰をぐいと引き寄せる。
「今夜の彼女のスケジュールは、秒単位ですべて私が埋めている」
「おや、厳しいね。一曲くらい減価償却させてくれてもいいじゃないか」
「ならん。彼女は私専用の『重要文化財』だ。他国の手垢をつけるわけにはいかない」
閣下の独占欲全開の発言に、周囲のご婦人方が「きゃあ、素敵!」と頬を染める。
私は心の中で電卓を弾いた。
(重要文化財……。維持費が高そうですね。固定資産税はどうなるのでしょうか)
そんな色気のないことを考えていると、会場の音楽が変わった。
ワルツだ。
「行くぞ、リーナ。私に委ねろ」
「はい、閣下。……追加料金は発生しませんのでご安心を」
「フッ、可愛くないことを言う」
閣下が私の手を取り、ダンスフロアへと滑り出す。
私たちは視線を絡ませ、ステップを踏んだ。
その完璧な調和は、言葉など必要ないほどに美しく、会場中の視線を独占した。
一方、その光の輪の外で。
「くっ、くそぉ……! 僕だって!」
ギルバートがミミアの手を引いて踊ろうとした。
しかし。
ビリッ!!
「あっ」
ミミアがドレスの裾を踏んだ瞬間、カーテン生地の耐久限界を超え、背中の縫い目が裂けた。
「きゃあああ! 裂けましたぁ!」
「うわっ、中身が見えてるぞ! 隠せ!」
「ギルバート様のマント貸してくださいぃ!」
「嫌だ! 僕の服まで汚れる!」
ドタバタと騒ぐ二人。
衛兵が飛んできて、「お客様、少々静かに……」とつまみ出そうとする。
その無様な姿は、煌びやかな私たちとは対照的な「喜劇」として、夜会の余興となった。
私は閣下の腕の中で回りながら、その光景を横目で見た。
(……慰謝料五億、安い買い物でしたね)
かつて私を捨てた男の末路。
それは計算するまでもなく、破滅の一途を辿っていた。
だが、夜会はこれで終わりではない。
私たちのダンスが終わった直後、会場の入り口が再びざわめいた。
「――ガルディア帝国、クリス第三皇子のご到着です!」
例の赤毛の皇子が、不敵な笑みを浮かべて現れたのだ。
そして彼は、私とアレクセイ閣下を見つけるなり、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「やあ、僕の女神。そのドレス、最高に似合っているよ。……僕が贈るはずだったエメラルドより美しい」
「クリス……」
アレクセイ閣下の声が低くなる。
「懲りずにまた来たか」
「挨拶くらいさせてくれよ。……それに今日は、ビッグニュースを持ってきたんだ」
クリス皇子はニヤリと笑い、爆弾発言を投下した。
「我が帝国は、アルファポリス王国に対し、正式に『宣戦布告』……いや、訂正。『リーナ争奪戦』を申し込むことにした」
「……は?」
「つまり、武力ではなく、経済力と魅力で彼女を奪い取る。そのための特使として、僕がこの国に駐在することになったんだ」
会場がどよめく。
外交問題、ここに極まれり。
私は頭の中で警報が鳴り響くのを感じた。
(駐在……? つまり、毎日この男が職場に来るということですか?)
「君の執務室の隣に、僕のデスクを用意してね」
ウィンクする皇子。
殺気を放つ宰相。
そして、遠くでつまみ出される元婚約者。
私の優雅な夜会は、新たなトラブルの予感と共に更けていった。
私は目の前に置かれたトルソーを見上げ、呆然と呟いた。
そこにあるのは、ドレスという概念を超えた芸術品だった。
夜空を切り取ったような深い藍色のシルク。
そこに散りばめられているのは、ガラス玉やビーズではない。本物のダイヤモンドとサファイアだ。
動くたびに星々のように瞬き、見る者の視線を釘付けにする。
「気に入らないか?」
アレクセイ閣下が、子供のように不安げな顔で問いかける。
「気に入るも何も……これ、おいくらですか?」
「値段? 気にするな。王家の宝物庫に眠っていた『伝説の織り子』の作品だ。金で買えるものではない」
「非売品……つまり、時価測定不能(プライスレス)ということですね」
私は頭を抱えた。
「こんなものを着て、もしワインをこぼしたら? 裾を踏んで破いたら? 私の生涯年収でも弁償できませんよ」
「弁償などいらん。汚れたらまた新しいのを織らせればいい」
「その『新しいの』を作る職人がもういないから伝説なのでしょう!?」
私が抗議すると、閣下はクスクスと笑って私に近づき、そっとドレスの布地に触れた。
「リーナ。このドレスの色は『アークライト・ブルー』。我が公爵家の瞳の色と同じだ」
「はあ。確かに、閣下の瞳と同じ綺麗な色ですね」
「我が家では代々、この色のドレスを贈る相手には特別な意味を持たせる。……『私の全てを捧げる』という契約の証だ」
閣下の青い瞳が、私を射抜く。
契約。
その言葉に、私の職業病(ビジネス脳)が反応した。
「なるほど。つまり、このドレス着用中は『公爵家の所有物』としての独占権を行使される、ということですね?」
「……まあ、そういう解釈でもいい」
閣下は少しだけ肩を落としたようだが、すぐに気を取り直した。
「とにかく、今夜の舞踏会ではこれを着てくれ。隣国の連中に、君が誰のものかを知らしめる旗印だ」
「承知しました。動く広告塔として、完璧に着こなしてみせます」
私は覚悟を決めた。
このドレスを着る以上、私は「国一番の宝石」として振る舞わねばならない。
それが、この高価な衣装への礼儀であり、プロの仕事だ。
***
一方その頃、王城の一角にある王太子の部屋。
「なんでだ! なんで予算が下りないんだ!」
ギルバート王太子が空の金庫を叩いて叫んでいた。
「殿下……前回の建国記念祭での赤字補填で、王家予算は凍結されております」
側近が申し訳なさそうに告げる。
「だ、だが、今夜は隣国ランベールの舞踏会だぞ! 私も招待されているんだ! みすぼらしい格好で行けるか!」
「しかし、無い袖は振れません。……あるもので何とかしてください」
「あるものだと!?」
ギルバートはクローゼットをひっくり返した。
出てくるのは、流行遅れの礼服や、サイズが合わなくなった古い服ばかり。
そこに、ミミアが泣きながら飛び込んできた。
「ギルバート様ぁ! 私のドレスがありませんぅ!」
「なんだと? 先月買ったばかりだろう!」
「あれは質に入れちゃいましたぁ! おやつのケーキ代が足りなくてぇ!」
「ば、馬鹿者!」
ギルバートは頭を抱えた。
今夜の舞踏会は、隣国の次期国王候補も来る重要な外交の場。
そこで存在感を示せなければ、廃嫡の噂がいよいよ現実味を帯びてくる。
「くそっ……こうなったら、リメイクだ!」
「えっ?」
「ミミア! あの建国記念祭で売れ残った『カーテン生地』があっただろう! あれを巻け!」
「ええっ!? カーテンですかぁ?」
「金色のタッセルがついているから豪華に見えるはずだ! 私だって、学生時代の制服のボタンを付け替えて着ていくんだぞ!」
「そんなぁ……」
二人は薄暗い部屋で、針と糸を手に涙を流した。
その姿は、かつて国一番の栄華を誇った王太子カップルとは程遠い、哀愁漂うものだった。
***
そして、夜会の時刻。
隣国ランベールの迎賓館は、各国の王族や貴族たちで埋め尽くされていた。
シャンデリアが煌めき、オーケストラの生演奏が響く。
「――アルファポリス王国、ギルバート王太子殿下、並びにミミア嬢のご入場です」
衛兵の声と共に、扉が開く。
ざわっ……。
会場に入ってきた二人を見て、人々は一瞬言葉を失い、次いでひそひそと囁き始めた。
「おい、見ろよあれ……」
「王太子殿下、袖がつんつるてんじゃないか?」
「あの令嬢のドレス……あれ、カーテンじゃないか? ほら、裾に『遮光一級』ってタグが見えるぞ」
「ブフッ! マジかよ!」
嘲笑のさざ波が広がる。
ギルバートは顔を真っ赤にして、縮こまったミミアの手を引いて早足で歩いた。
「くそっ、見ろ! みんな僕たちに注目しているぞ! やはり私のオーラは隠せないな!」
「そ、そうですね! みんな笑いかけてくれてますぅ!」
ポジティブ変換しなければ心が折れてしまうのだろう。
二人が会場の隅で小さくなっていると、再び衛兵が高らかに声を上げた。
「――アルファポリス王国宰相、アレクセイ・フォン・アークライト公爵閣下。並びに……」
衛兵が一瞬、息を呑んだ。
「並びに、その婚約者、リーナ・ベルモンド嬢のご入場です!」
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
その瞬間。
会場の照明が、まるでそこだけ明るくなったかのように錯覚した。
現れたのは、夜の支配者と、夜空の女神。
漆黒の礼服を完璧に着こなしたアレクセイ閣下。
そしてその腕に手を添える、星空を纏った私。
「おお……ッ!」
会場中から、感嘆のため息が漏れた。
アークライト・ブルーのドレスは、シャンデリアの光を受けて幻想的な輝きを放っている。
私の黒髪は高く結い上げられ、うなじには大粒のサファイアのネックレス。
計算し尽くされた姿勢、歩き方、そして微笑み。
「……計算通りですね」
私は小声で呟いた。
「ん? 何がだ?」
「照明の角度とドレスの反射率です。この位置で静止することで、最も美しく見えるよう計算しました」
「……君というやつは」
閣下は呆れたように笑ったが、その目は誇らしげだった。
私たちは優雅に会場の中央へ進む。
人々が海が割れるように道を開ける。
その視線の先で、ギルバートとミミアが口をあんぐりと開けていた。
「な、なんだあのドレスは……!」
ギルバートが震える指で指差す。
「あんな高そうなもの……いや、あれは国宝級じゃないか!? なんであいつが着ているんだ!」
「キィーッ! 悔しい! 私のカーテンよりキラキラしてるぅ!」
ミミアが地団駄を踏むが、悲しいかな、遮光カーテンは光を吸い込んで鈍く重たい音を立てるだけだ。
そこへ、一人の青年がワイングラス片手に近づいてきた。
隣国ランベールの第二王子、ルイスだ。
「やあ、アレクセイ公爵。ようこそ我が国へ」
「久しいな、ルイス殿下」
「そちらが噂の?」
ルイス殿下が私を見る。
品定めするような目つきだったが、すぐに感服の色に変わった。
「……なるほど。クリス皇子が一千億出すと言ったのも頷ける。宝石よりも価値のある女性だ」
「お褒めにあずかり光栄です、殿下」
私は完璧なカーテシー(礼)を披露した。
「ふふ、立ち振る舞いも洗練されている。……どうだい? ダンスの予約は空いているかな?」
ルイス殿下が手を差し出す。
しかし、その手は空中で遮られた。
「残念だが、満席だ」
アレクセイ閣下が、私の腰をぐいと引き寄せる。
「今夜の彼女のスケジュールは、秒単位ですべて私が埋めている」
「おや、厳しいね。一曲くらい減価償却させてくれてもいいじゃないか」
「ならん。彼女は私専用の『重要文化財』だ。他国の手垢をつけるわけにはいかない」
閣下の独占欲全開の発言に、周囲のご婦人方が「きゃあ、素敵!」と頬を染める。
私は心の中で電卓を弾いた。
(重要文化財……。維持費が高そうですね。固定資産税はどうなるのでしょうか)
そんな色気のないことを考えていると、会場の音楽が変わった。
ワルツだ。
「行くぞ、リーナ。私に委ねろ」
「はい、閣下。……追加料金は発生しませんのでご安心を」
「フッ、可愛くないことを言う」
閣下が私の手を取り、ダンスフロアへと滑り出す。
私たちは視線を絡ませ、ステップを踏んだ。
その完璧な調和は、言葉など必要ないほどに美しく、会場中の視線を独占した。
一方、その光の輪の外で。
「くっ、くそぉ……! 僕だって!」
ギルバートがミミアの手を引いて踊ろうとした。
しかし。
ビリッ!!
「あっ」
ミミアがドレスの裾を踏んだ瞬間、カーテン生地の耐久限界を超え、背中の縫い目が裂けた。
「きゃあああ! 裂けましたぁ!」
「うわっ、中身が見えてるぞ! 隠せ!」
「ギルバート様のマント貸してくださいぃ!」
「嫌だ! 僕の服まで汚れる!」
ドタバタと騒ぐ二人。
衛兵が飛んできて、「お客様、少々静かに……」とつまみ出そうとする。
その無様な姿は、煌びやかな私たちとは対照的な「喜劇」として、夜会の余興となった。
私は閣下の腕の中で回りながら、その光景を横目で見た。
(……慰謝料五億、安い買い物でしたね)
かつて私を捨てた男の末路。
それは計算するまでもなく、破滅の一途を辿っていた。
だが、夜会はこれで終わりではない。
私たちのダンスが終わった直後、会場の入り口が再びざわめいた。
「――ガルディア帝国、クリス第三皇子のご到着です!」
例の赤毛の皇子が、不敵な笑みを浮かべて現れたのだ。
そして彼は、私とアレクセイ閣下を見つけるなり、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「やあ、僕の女神。そのドレス、最高に似合っているよ。……僕が贈るはずだったエメラルドより美しい」
「クリス……」
アレクセイ閣下の声が低くなる。
「懲りずにまた来たか」
「挨拶くらいさせてくれよ。……それに今日は、ビッグニュースを持ってきたんだ」
クリス皇子はニヤリと笑い、爆弾発言を投下した。
「我が帝国は、アルファポリス王国に対し、正式に『宣戦布告』……いや、訂正。『リーナ争奪戦』を申し込むことにした」
「……は?」
「つまり、武力ではなく、経済力と魅力で彼女を奪い取る。そのための特使として、僕がこの国に駐在することになったんだ」
会場がどよめく。
外交問題、ここに極まれり。
私は頭の中で警報が鳴り響くのを感じた。
(駐在……? つまり、毎日この男が職場に来るということですか?)
「君の執務室の隣に、僕のデスクを用意してね」
ウィンクする皇子。
殺気を放つ宰相。
そして、遠くでつまみ出される元婚約者。
私の優雅な夜会は、新たなトラブルの予感と共に更けていった。
213
あなたにおすすめの小説
断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る
黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」
パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。
(ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)
婚約破棄ありがとう!と笑ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました
ほーみ
恋愛
「――婚約を破棄する!」
大広間に響いたその宣告は、きっと誰もが予想していたことだったのだろう。
けれど、当事者である私――エリス・ローレンツの胸の内には、不思議なほどの安堵しかなかった。
王太子殿下であるレオンハルト様に、婚約を破棄される。
婚約者として彼に尽くした八年間の努力は、彼のたった一言で終わった。
だが、私の唇からこぼれたのは悲鳴でも涙でもなく――。
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。
「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」
そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。
——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。
「最近、おまえが気になるんだ」
「もっと夫婦としての時間を持たないか?」
今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。
愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。
わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。
政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ
“白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!
婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!
パリパリかぷちーの
恋愛
クライネルト公爵令嬢のリーチュは、王太子ジークフリートから卒業パーティーで大勢の前で婚約破棄を告げられる。しかし、王太子妃教育から解放されることを喜ぶリーチュは全く意に介さず、むしろ祝杯をあげる始末。彼女は領地の離宮に引きこもり、趣味である薬草園作りに没頭する自由な日々を謳歌し始める。
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
婚約破棄?悪役令嬢の復讐は爆速で。
八雲
恋愛
「リリム・フォン・アスタロト! 貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの最中、婚約者である王太子エリオットから身に覚えのない罪を突きつけられた公爵令嬢リリム。隣には「真実の愛」を語るマシュマロ系男爵令嬢シャーリーの姿。
普通の令嬢なら泣き崩れる場面――だが、リリムは違った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる