赤の他人ということでよろしいですね?婚約破棄、承りました。

恋の箱庭

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「……魔女?」

宰相執務室。

私はお茶を吹き出しそうになるのをこらえ、手元の報告書を見つめた。

「はい。現在、王都の社交界でまことしやかに囁かれている噂です」

報告に来たのは、私の部下の文官だ。彼は困惑した顔で続けた。

「なんでも、『リーナ・ベルモンドは闇の魔術を使う魔女であり、アレクセイ宰相とクリス皇子を黒魔術で洗脳して操っている』……と」

「ブフッ!」

隣の席で仕事をしていたクリス皇子が、盛大に紅茶を噴き出した。

「せ、洗脳だって? 僕が? あははは! 傑作だ!」

「笑い事ではありません、殿下。私の社会的信用に関わります」

私はハンカチで机を拭きながら、冷静に分析を開始した。

「火のない所に煙は立たないと言いますが、今回の火種は明らかですね」

「ああ。あの愚か者たちだろう」

アレクセイ閣下が、氷のような目で窓の外――王城の方角を睨む。

ギルバート王太子とミミア。

金もなく、人望もなく、ついに「デマによる印象操作」という最低の手段に出たらしい。

「閣下、どうしますか? 不敬罪で処刑しますか?」

「いや、それだと『魔女の力で消された』と噂が真実味を帯びてしまいます」

私は首を横に振った。

「ここは公開の場で、徹底的に事実を明らかにする必要があります。……ちょうど今夜、王妃様主催のお茶会がありますよね?」

「ああ。私も出席予定だが」

「そこで『公開討論』を行いましょう。彼らの嘘を、数字と論理で粉々に砕いて差し上げます」

私はニヤリと笑った。

その笑顔を見て、クリス皇子が「うわぁ、敵に回したくない顔だ」と呟いたが無視した。

***

その夜。王宮の『白薔薇のサロン』。

王妃様主催のお茶会には、高位貴族の婦人や令嬢たちが集まっていた。

優雅な音楽が流れる中、ひときわ大きな声が響いていた。

「本当なんですぅ! 私、見ちゃったんです!」

中心にいるのはミミアだ。

彼女は周囲の令嬢たちに、身振り手振りで熱弁を振るっていた。

「リーナ様が、夜な夜な変な呪文を唱えて、怪しい儀式をしているのを! 『ケッサン……アカジ……サクゲン……』って、呪いの言葉を!」

「まあ、恐ろしい……」

「それに、ギルバート様も仰っていました! 『急に身体が重くなって、リーナの言うことを聞きたくなる』って! これって洗脳ですよね!?」

「確かに、最近の宰相閣下のご様子も変よね……あんなに女性に興味がなかったのに」

令嬢たちがざわめく。

ミミアは「勝った!」という顔で、さらに声を張り上げた。

「だから、リーナ様は国を乗っ取るつもりの魔女なんです! 早く捕まえないと!」

「ほう。私が魔女、ですか」

凛とした声が、サロンの空気を切り裂いた。

入り口に立っていたのは、私とアレクセイ閣下、そしてクリス皇子だ。

「リ、リーナ様……!」

令嬢たちが蜘蛛の子を散らすように道を開ける。

私は悠然とミミアの前に進み出た。

「ごきげんよう、ミミア様。面白いおとぎ話ですね。私が魔女だなんて」

「ふ、ふん! 事実でしょう! じゃなきゃ、あんな冷徹な宰相様や、他国の皇子様が、あなたなんかに夢中になるわけがないもの!」

ミミアが指差して叫ぶ。

その背後から、ギルバート王太子も現れた。

「そうだ! リーナ、観念しろ! お前が怪しい術を使っていることは明白だ! 私のこの『やる気のなさ』も、お前の呪いのせいだろう!」

「いいえ、それは殿下の怠慢です」

私は即答した。

「さて、ミミア様。先ほど『呪いの言葉』とおっしゃいましたが」

「き、聞いたわよ! 『ケッサン』とか『サクゲン』とか!」

「それは『決算』と『削減』です。財務用語をご存知ない?」

「ざ、ざいむ……?」

「私が夜な夜な行っていたのは『儀式』ではなく『残業』です。殿下が溜め込んだ書類を片付けるためのね」

私は呆れてため息をついた。

「次に、洗脳の件ですが」

私はアレクセイ閣下とクリス皇子を振り返った。

「お二人は、私の魔術で操られているのですか?」

「まさか」

アレクセイ閣下が鼻で笑う。

「私が彼女の言いなりになっているとしたら、それは彼女の提案が『常に正しく、効率的で、利益を生む』からだ。合理的な判断の結果にすぎない」

「僕もだよ」

クリス皇子が続く。

「彼女の魅力に抗えないのは魔法のせいじゃない。彼女の知性と毒舌が、たまらなく刺激的だからさ。……まあ、ある意味『魔法』より強力だけどね」

二人の言葉に、会場の令嬢たちが「きゃあ、素敵……」と頬を染める。

洗脳説は、この時点で崩壊した。

しかし、ギルバートはまだ食い下がる。

「だ、騙されるな! こいつは国を乗っ取る気だ! 王家の財産を狙っているんだ!」

「財産?」

私はキョトンとした顔をした。

「殿下。現状の王家の資産状況を把握されていますか?」

「え? あ、あるだろう? 金庫にいっぱい……」

「いいえ。先日、私が監査した結果、王家の実質資産は『マイナス』です」

「なっ……!?」

「建国祭の赤字、殿下の個人的な浪費、そして私への慰謝料の未払い分。これらを差し引くと、王家は現在、破産寸前です」

私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。

「これは最新のバランスシート(貸借対照表)です。ご覧になりますか? 真っ赤ですよ」

バサッ。

私は突きつけた。

そこには、無慈悲な赤い数字が羅列されていた。

「そ、そんな……嘘だ……」

「嘘ではありません。つまり、私が国を乗っ取ったところで、手に入るのは『莫大な借金』だけです。そんな不良債権、タダでも要りません」

「ぶっ……!」

会場の誰かが吹き出した。

「乗っ取るメリットがない」という究極の証明。

これ以上の反論はない。

「そ、それでも! お前は悪女だ! みんなを騙している!」

ミミアが泣きわめく。

「私をいじめて、ギルバート様をたぶらかして……!」

「ミミア。いい加減にしたまえ」

低い声が響いた。

それまで黙って聞いていた王妃様が、扇を閉じて立ち上がったのだ。

「王妃殿下……」

「ミミア嬢。そなたの言う『いじめ』とやら、調査させてもらいました」

王妃様が冷ややかな目でミミアを見下ろす。

「リーナ嬢がそなたのドレスを破いた? あれはそなたが自分で転んだのを、彼女が助けようとして巻き込まれただけですね? 目撃者が多数います」

「えっ、そ、それは……」

「階段から突き落とされた? その時刻、リーナ嬢は執務室で会議中でした。議事録も残っています」

王妃様は次々と事実を突きつける。

「嘘をつき、無実の者を貶め、王室の品位を傷つけた罪。……重いですよ?」

「ひっ……!」

ミミアが崩れ落ちる。

そして、王妃様の視線はギルバートへ向いた。

「ギルバート。母として情けないぞ」

「は、母上……」

「自分の無能を棚に上げ、元婚約者に濡れ衣を着せるとは。……もはや、庇い立てはできん」

王妃様は、決然と言い放った。

「国王陛下と協議の上、処分を決定しました。……ギルバート、そなたを『廃嫡』とします」

「は、はい……?」

ギルバートが間の抜けた声を出す。

「廃嫡? 私が? 王太子じゃなくなる……?」

「そうだ。王位継承権を剥奪し、辺境の修道院にて謹慎を命じる。二度と王都の土を踏むことは許さん」

「そ、そんなぁぁぁ! 嫌だ! 私は王になるんだ! ミミアと贅沢に暮らすんだ!」

ギルバートが駄々をこねるが、衛兵たちが無情にも彼の両脇を掴んだ。

「離せ! 離せぇぇ! リーナ! リーナ助けてくれぇ!」

「……」

私は無表情で見送った。

「さようなら、殿下。修道院では『清貧』を学べるといいですね。経費削減の参考になるかもしれませんよ」

「うわぁぁぁぁぁ……!」

ギルバートと、一緒に引きずられていくミミアの絶叫が遠ざかっていく。

サロンに静寂が戻った。

「……騒がせてすまなかったな、リーナ嬢」

王妃様が疲れた顔で私に謝罪した。

「いいえ。これでようやく、私の名誉も回復しましたので」

「そなたには苦労をかけた。……アレクセイよ」

王妃様が閣下を見る。

「この国の未来は、そなたと……この賢い『魔女』に任せるわ」

「はっ。謹んで」

アレクセイ閣下が恭しく頭を下げる。

その横顔は、どこか楽しげだった。

こうして、私を悩ませてきた元凶たちは、自らの嘘によって自滅し、表舞台から姿を消した。

一件落着。

……のはずだったのだが。

「いやー、素晴らしいショーだったね! 感動したよ!」

パチパチパチ!

クリス皇子が能天気に拍手をしている。

「で、リーナ。邪魔者も消えたことだし、そろそろ僕と帝国へ来る気になった?」

「なりません」

「なんで? 王太子がいなくなって、この国の『ネタ』も尽きただろう?」

「いいえ。まだ最大のミッションが残っています」

私は電卓を掲げた。

「王太子の残した『巨額の借金』の返済計画です。これを完遂するまでは、私はこの国を離れるわけにはいきません」

「……うわぁ、真面目すぎ」

クリス皇子が呆れる横で、アレクセイ閣下が満足げに私の肩を抱いた。

「そういうことだ。諦めろ、クリス。彼女は一生、私の隣で電卓を叩く運命なのだ」

「一生、ですか。それは契約更新の条件次第ですね」

私が釘を刺すと、二人は顔を見合わせて笑った。

(やれやれ。私の安息の日はいつ来るのやら)

廃嫡騒動の裏で、私の時給がさらにアップしたことだけが、唯一の救いだった。
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