赤の他人ということでよろしいですね?婚約破棄、承りました。

恋の箱庭

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ギルバート王太子とミミアが王都を追放されてから、一週間が経過した。

王城の膿(うみ)が出し切られたことで、国の行政機能は劇的に改善した。

本来なら、私は快適な労働環境で、優雅に電卓を叩いているはずだった。

「……閣下」

「なんだ、リーナ」

「邪魔です」

私はパソコン(魔導計算機)の画面から目を離さずに言った。

私のデスクの横には、なぜか椅子を持ってきたアレクセイ閣下が座っている。

しかも、私の手元をじーっと凝視しながら。

「邪魔とは心外だな。私は君の業務が円滑に進むよう、見守っているだけだ」

「見守る距離ではありません。吐息がかかる距離です」

「君の計算のリズムを肌で感じたいんだ」

「変態の発言です」

私がバッサリ切り捨てても、閣下は涼しい顔で居座り続けている。

最近、彼のおかしい言動(溺愛行動)に拍車がかかっている。

以前は「氷の宰相」らしく、遠くから冷ややかに見守るスタイルだったのが、今は「溶岩の宰相」とでも言うべきか、粘着質で熱っぽいアプローチに変わってきたのだ。

コンコン。

扉がノックされ、部下の若い文官が入ってきた。

「失礼します。リーナ様に、財務省からの決裁書類を……」

文官が私に近づこうとした瞬間。

ギロリ。

アレクセイ閣下の視線が、彼を射抜いた。

「ひっ……!」

「……その書類、そこに置け。私が渡す」

「は、はいっ! 失礼しましたぁ!」

文官は逃げるように書類を置いて去っていった。

「……閣下。これで五人目です」

私は溜息をついた。

「部下たちが怯えて、私に近寄らなくなっています。業務効率が悪化しています」

「構わん。君に近づいていい男は、私と……まあ、百歩譲ってあのチャラい皇子くらいだ」

「へぇ、僕も公認なんだ?」

向かいの席で、クリス皇子がニヤニヤしながら頬杖をついている。

「アレクセイ、君さぁ。最近『重い』よ? 見てるこっちが胃もたれしそうだ」

「黙れ。これはリスク管理だ」

「何のリスク? リーナが他の男に計算(浮気)するリスク?」

「そうだ」

即答した。

私は呆れて天を仰いだ。

「閣下。私は計算高い女ですが、それは金勘定の話であって、男遊びの話ではありません」

「分かっている。だが、君のその『冷徹な事務処理能力』に欲情するマニアックな男が、世の中には意外と多いのだ」

「そんなマニアックな男、閣下以外に存じ上げませんが」

「ここにいるよー」

クリス皇子が挙手した。

「……訂正します。この部屋には変人が二人います」

私は頭痛をこらえながら、仕事を再開しようとした。

すると、アレクセイ閣下が私の手からペンを取り上げた。

「リーナ。少し休憩しよう」

「まだ十時ですが」

「君の指が『疲れた』と言っている」

「言っていません」

「私がマッサージしてやろう。ほら、手を出して」

「結構です! 自分でやります!」

「遠慮するな。これは福利厚生の一環だ」

閣下は強引に私の手を取り、その長い指で私の掌を揉み始めた。

コリコリ、とツボを押される感触。

悔しいけれど、技術が無駄に高い。

「……んっ」

思わず変な声が出そうになり、私は慌てて口を結んだ。

「どうだ? 凝っているだろう」

「……少しだけ、楽になりました」

「そうか。なら、反対の手も」

「調子に乗らないでください」

私が手を引っ込めようとすると、閣下はその手を離さず、逆に強く握りしめた。

「リーナ」

「……なんですか」

「今度の週末、空けておけ」

「週末? 何か公務ですか?」

「視察だ」

閣下は真顔で言った。

「新しく開発されたリゾート地の視察に行く。君の厳しい目で、コストパフォーマンスとサービス品質をチェックしてほしい」

「リゾート視察……。なるほど、仕事なら断る理由はありませんね」

私は手帳を開こうとした。

しかし、横からクリス皇子が吹き出した。

「ぶっ! 視察だって? アレクセイ、それただのデートのお誘いじゃないか!」

「黙れクリス。公務だ」

「リーナ、騙されちゃダメだ。そのリゾート地って『恋人の聖地』として売り出し中の場所だよ? 鐘を鳴らすと結ばれるとかいう」

「……閣下?」

私がジト目で睨むと、閣下はフイと視線を逸らした。

「……現地の観光資源の調査も兼ねているだけだ」

「鐘を鳴らす予定は?」

「……ないとは言いきれん。耐久テストが必要だからな」

苦しい言い訳だ。

しかし、アレクセイ閣下の耳が少し赤くなっているのを見て、私は毒気を抜かれたような気分になった。

(この人、本当に不器用ですね……)

天下の宰相が、デート一つ誘うのに「視察」だの「耐久テスト」だのと理由をつける。

その姿が、なんだか少しだけ「可愛い」と思えてしまった自分が悔しい。

「……分かりました」

私は手帳に予定を書き込んだ。

「業務として承ります。ただし」

「ただし?」

「残業代は休日割増で請求します。あと、現地でのスイーツ代は全額経費で」

「許可する。好きなだけ食え」

閣下はパッと表情を明るくした。

まるで散歩に行ける犬のような喜びようだ。

「やったね、宰相殿。じゃあ僕も『視察』に同行しようかな」

クリス皇子が割り込む。

「却下だ。貴様には国境警備の視察(僻地)を用意してやる」

「うわ、独裁者!」

騒がしい執務室。

以前の私なら「静かにしてください」と怒鳴っていたところだが、今は電卓を叩くBGMとして、この騒音も悪くないと感じている。

(平和ですね……)

ギルバート王太子がいた頃の、胃がキリキリするような緊張感はない。

あるのは、重すぎる愛情と、少しの呆れだけ。

私は窓の外の青空を見上げ、小さく微笑んだ。

「さて、週末の旅行……いえ、視察の準備もしなくては」

新しいドレスの費用を経費で落とせるか、あとで計算してみよう。

そんなことを考えながら、私は再び仕事に戻った。

だが、この週末の「視察」が、単なるデートでは終わらないことを、私はまだ知らなかった。

平和に見えた日常の裏で、隣国ランベールの不穏な動きが、密かに進行していたのである。
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