赤の他人ということでよろしいですね?婚約破棄、承りました。

恋の箱庭

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「――というわけで、アズールの丘における慰安旅行……いえ、視察は無事終了しました」

週明けの宰相執務室。

私は爽やかな顔で業務を開始した。

「おはよう、リーナ。……で、後ろにいる彼らは?」

隣の席のクリス皇子が、引きつった顔で私の背後を指差す。

そこには、黒いスーツ(支給品)に身を包み、きびきびと働く男たちの姿があった。

「コピーとりました!」
「お茶を淹れました! 温度は完璧です!」
「シュレッダー係、完了しました! 次は窓拭きします!」

彼らの動きは洗練されており、無駄がない。

「先日の視察でスカウトした『元・暗殺部隊』の皆さんです。現在は総務課の契約社員として、雑務全般を担当してもらっています」

「暗殺者を総務に!?」

「彼らは潜入工作のプロですから、気配を消してのお茶出しや、機密書類の処理(物理的破壊)はお手の物です。しかも、前職がブラックすぎた反動で、労働意欲が異常に高いのです」

私が説明すると、元リーダーの男がビシッと敬礼した。

「はっ! 定時で帰れて、ご飯が三食出る! ここは天国です!」

「だ、そうですよ」

「……君の人事掌握術、怖くなってきたよ」

クリス皇子が引いている横で、アレクセイ閣下が満足げに頷いた。

「優秀な人材は何人いてもいい。……さて、リーナ。本題に入ろうか」

閣下の瞳が、冷徹な光を帯びる。

「我が国の宰相と補佐官の命を狙ったランベール王国への『返礼』についてだ」

「はい。すでに準備は整っております」

私は机の上に、分厚いファイルをドンと置いた。

タイトルは『ランベール王国経済崩壊シナリオ(改)』。

「物理的な戦争はコストがかかりますし、こちらも血が流れます。ですので、今回は『兵糧攻め』……いえ、経済制裁による完全封鎖を行います」

「具体的には?」

「まず、ランベールへの主要輸出品である『魔石』と『穀物』の輸出を全面停止。次に関税を500%に引き上げます。これで向こうの物価は三日で二倍になります」

「鬼だね」

クリス皇子が呟く。

「さらに、我が国を経由するランベールの商船すべての通行許可を取り消します。これで彼らは海に出られなくなります」

「悪魔だね」

「仕上げに、この請求書を送りつけます」

私は一枚の紙を掲げた。

「『テロ行為に対する賠償金』および『私のデートを邪魔された精神的苦痛への慰謝料』。締めて金貨三千億枚です」

「……君を敵に回さなくて本当によかったよ」

クリス皇子が本気で震えている。

その時、執務室の通信用魔道具が光った。

『――緊急入電! ランベール王国より、第一王子バルドル殿下が通信を求めています!』

「来ましたね、黒幕が」

アレクセイ閣下が冷笑し、通信を繋いだ。

空中にホログラムが展開され、ふんぞり返った男の姿が映し出される。

『貴様らがアルファポリスの宰相か! 無礼な! 我が国の精鋭部隊を拉致したそうだな!』

バルドル第一王子。

顔立ちは整っているが、目つきの悪さと知性のなさが滲み出ている。ギルバート王太子と同類の匂いがする。

「拉致? 人聞きの悪い。彼らは自主的に転職したのですよ」

私が横から口を挟むと、バルドル王子が激昂した。

『黙れ女! 貴様ごときが口を挟むな! とにかく、今すぐ輸出停止を解除しろ! さもなくば大軍を率いて攻め込むぞ!』

「攻め込む? 兵士の給料も払えないのにですか?」

『なっ……!?』

「元部下から聞きましたよ。王家が贅沢三昧で、軍事予算を横領していると。そんな状態で戦争を始めれば、兵士たちが先にクーデターを起こすと思いますが」

『き、貴様ぁ……! あることないこと吹き込みおって!』

「事実です。それに、もう一つ面白い情報が入っています」

私は手元のスイッチを切り替え、別の回線を繋いだ。

「――どうぞ、ルイス殿下」

ホログラム画面が分割され、もう一人の人物が現れた。

第12話の夜会で会った、ランベールの第二王子ルイスだ。

『やあ、リーナ嬢。相変わらず仕事が早いね』

ルイス王子は優雅に手を振った。

『なっ、ルイス!? 貴様、なぜそこに!』

兄であるバルドルが狼狽える。

『兄上。あなたの悪政にはもう耐えられません。国のための予算を、自分のカジノ遊びに使っていましたね?』

『う、うるさい! それは機密費だ!』

『その証拠となる帳簿のコピーなら、すでに僕の手元にあります。……提供者はもちろん、そこにいる「神算の令嬢」ですが』

ルイス王子が私にウィンクする。

そう、私はアズールの丘で暗殺者を尋問した際、彼らが持っていた「裏帳簿」を入手していたのだ。

そして即座に、まともそうなルイス王子に接触し、裏取引を持ちかけたのである。

「ルイス殿下との契約内容は以下の通りです」

私は淡々と読み上げた。

「一、我々はルイス殿下のクーデターを経済面で支援する。
 二、バルドル王子が失脚した後、ルイス殿下が新国王として即位する。
 三、新国王は我が国に対し、最恵国待遇での通商条約を結ぶ」

『な、なんだその勝手な契約は! 認めんぞ!』

バルドル王子が叫ぶが、もう遅い。

「アレクセイ閣下。制裁発動の許可を」

「許可する。……徹底的にやれ」

閣下が指を鳴らした。

その瞬間、私が事前に仕込んでおいた魔法陣が発動し、ランベール王国内の主要な物流拠点に「強制停止」の信号が送られた。

『ほ、報告します! 港が封鎖されました!』
『市場から穀物が消えました! 民衆がパニックです!』
『兵士たちが「給料払え!」と王宮を取り囲んでいます!』

バルドル王子の背後で、悲鳴のような報告が飛び交う。

『あ、あわわ……ど、どうなっているんだ!』

『詰みですね、兄上』

ルイス王子が冷ややかに告げる。

『衛兵、兄上を拘束しろ。国家反逆罪および横領の罪だ』

『や、やめろ! 私は第一王子だぞ! くそぉぉぉ! あの女さえいなければぁぁ!』

バルドル王子の絶叫と共に、通信がプツリと切れた。

あっけない幕切れだった。

『……ふぅ。ありがとう、リーナ嬢。君のおかげで、血を流さずに革命が成功した』

残った画面で、ルイス王子が深々と頭を下げた。

『約束通り、新体制では貴国との友好を第一に考えるよ。……それにしても』

彼は苦笑いを浮かべた。

『君を敵に回すと、国が一つ滅ぶというのは本当だったんだね』

「過大評価です。私はただ、未払いの請求書を回収しただけですので」

私がすっとぼけると、アレクセイ閣下が横から口を挟んだ。

「ルイス。礼を言うなら、金ではなく態度で示せ」

『分かっているよ、アレクセイ公。彼女を引き抜こうなんて野暮なことはしない。……怖すぎて扱いきれないしね』

ルイス王子は笑って通信を切った。

執務室に静寂が戻る。

「……終わりましたね」

「ああ。これでもう、ランベールからの妨害はないだろう」

アレクセイ閣下は立ち上がり、私の手を取った。

「見事な手腕だった、リーナ。君は私の誇りだ」

「恐縮です。これでまた、平和な日常業務に戻れますね」

「そうだな。……だが」

閣下は私の手を引き寄せ、真剣な眼差しで見つめてきた。

「平和になったのなら、先日の『鐘』の続きをしてもいいのではないか?」

「続き? 鐘はもう鳴らしましたが」

「違う。正式な契約……つまり、結婚式の話だ」

「結婚式!?」

私が素っ頓狂な声を上げると、クリス皇子が机に突っ伏した。

「あーあ、聞いちゃいられない。僕は帰らせてもらうよ」

「どこへ?」

「帝国さ。ここにいると、砂糖を吐きすぎて死んでしまう」

クリス皇子は立ち上がり、私に向かってウィンクした。

「諦めたわけじゃないけど、今の君たちには入り込む隙間がない。出直してくるよ。……結婚式には呼んでくれよな? ご祝儀は弾むから」

「本当ですか? では、招待状と一緒に請求書も送りますね」

「君ってやつは……!」

クリス皇子は笑いながら、手を振って部屋を出て行った。

ついに、邪魔者はいなくなった。

執務室には、私とアレクセイ閣下だけ。

「……リーナ」

「……はい」

「もう、逃げ場はないぞ」

閣下が私の腰に手を回し、抱き寄せる。

逃げるつもりはない。

ただ、一つだけ確認しておきたいことがあった。

「閣下。結婚式ですが……予算は?」

「青天井だ。君が望むなら、国中の花を集めてもいい」

「……無駄遣いは嫌いです」

「なら、君が管理してくれ。私の資産も、人生も、すべて」

それは、世界で一番甘くて、重たくて、そして私にとって最高に魅力的なオファーだった。

私は電卓を机に置き、彼を見上げて微笑んだ。

「……承知しました。その案件、私が一生かけて黒字にしてみせます」

重なる唇。

執務室の窓から差し込む光が、二人を祝福するように包み込んだ。

(こうして、悪役令嬢と呼ばれた私の波乱万丈な婚約生活は、ハッピーエンドを迎えた……)

――と、思うでしょう?

甘い。
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