赤の他人ということでよろしいですね?婚約破棄、承りました。

恋の箱庭

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結婚式を三日後に控えた朝。

宰相府は、この世の終わりのような空気に包まれていた。

「……いない」

アレクセイ閣下が、私の執務室で立ち尽くしている。

彼の足元からはバリバリと氷が広がり、床板を浸食し始めていた。

「リーナが、どこにもいないんだ……!」

「落ち着けよ、アレクセイ。トイレかもしれないだろ?」

クリス皇子がなだめるが、閣下の耳には届かない。

「違う。彼女のデスクに、こんなメモが残されていた」

閣下は震える手で、一枚の紙切れを差し出した。

そこには、私の字でこう書かれていた。

『探さないでください。人生の墓場に行ってきます』

「人生の墓場……!?」

クリス皇子が絶句する。

「これって、結婚のことだよね? よく『結婚は人生の墓場』って言うけど、まさか直前になって嫌になったんじゃ……」

「そんな……。昨日はあんなに楽しそうに、引き出物のカタログ(卸値表)を見ていたのに……」

閣下が膝から崩れ落ちる。

「私が張り切りすぎたせいか? 五メートルのケーキを諦めきれずに、模型の中に隠れて入刀する案を出したのがいけなかったのか?」

「それは絶対いけないやつだね」

「リーナ……私の愛が重すぎたのか……?」

ゴゴゴゴゴ……。

閣下の絶望に呼応して、屋敷全体が振動し始める。

窓ガラスには霜が張り、観葉植物は一瞬で氷像と化した。

「ちょ、まずいよ! このままだと王都が氷河期になる!」

クリス皇子が叫ぶ。

「衛兵! 総員でリーナ嬢を捜せ! 見つけ出さないと国が滅ぶぞ!」

「はっ! 直ちに!」

宰相府の職員たち(元・暗殺部隊含む)が、血相を変えて飛び出していく。

「リーナぁぁぁ……戻ってきてくれぇぇぇ……!」

最強の宰相が、迷子の子犬のようにむせび泣く。

その冷気は、私の愛用していた電卓さえも凍らせようとしていた。

***

一方その頃。

「……ハックシュン! なんだか寒気がしますね」

私は地下の工房で、煤(すす)にまみれながらくしゃみをした。

場所は、王都の貴金属街にある老舗の宝飾店『ゴールドマン商会』の地下作業場だ。

「り、リーナ様……本当にご自分でやるんですか?」

職人のおじいさんが、おっかなびっくり尋ねてくる。

「当然です。見積もりを見ましたが、加工費が高すぎます」

私はゴーグルを装着し、バーナーを手に取った。

「『王室御用達ブランド料』として三割も上乗せされていますね? 私はブランド名ではなく、貴金属の純度にお金を払いたいのです」

「し、しかし、結婚指輪ですよ? 新婦が自ら鍛造(たんぞう)するなんて聞いたことが……」

「前例がないなら作ればいいのです。貸してください、そのハンマー!」

私は赤熱したプラチナの延べ棒を金床に乗せ、ハンマーを振り下ろした。

カンッ! カンッ! カンッ!

小気味良い音が響く。

今回の目的は、アレクセイ閣下との結婚指輪の製作だ。

既製品では、私の指(電卓を叩くのに最適化された細さ)にも、閣下の指(魔法を行使するのに適した太さ)にも、微妙にフィットしなかった。

ならば、オーダーメイド?

いや、高い。

結論:自分で叩けばタダである。

「愛の重さは、グラム単価と加工精度で決まります。見ていてください、ミクロン単位で仕上げてみせます!」

「ひぃぃ……目がマジだ……」

私は一心不乱にハンマーを振るった。

「これが閣下の指……関節の太さはこれくらい……魔力伝導率を考慮して……」

カンカンカンカン!

熱気と集中力で、時間の感覚が消えていく。

そうして数時間が経過し、ついに世界に一組だけの、完璧なペアリングが完成した。

「できた……!」

プラチナの輝きの中に、アークライト家の紋章と、ベルモンド家の家紋(電卓マークに変えようか迷ったが自重した)が刻印されている。

「美しい……。これぞ『高コスパ・高クオリティ』の結晶……!」

私は満足げに煤を拭った。

「さて、お会計をお願いします。材料費と場所代だけですね?」

「は、はい……。もうお代は結構ですので、勘弁してください……」

職人さんが涙目で言うので、私は丁重に礼を言って店を出た。

「いい仕事をした後は、空気が美味しいですね」

私は伸びをしながら、宰相府への帰路についた。

その時の私は、自分が残したメモがとんでもない解釈をされているとは、露ほども思っていなかった。

***

宰相府に戻ると、そこは南極だった。

「……なんですか、これ」

門番は凍りつき、庭の噴水は氷の彫刻と化している。

そして、屋敷の中から、この世の終わりを嘆くような声が響いてくる。

「リーナ……君がいない世界など、無に帰してやる……」

「ま、まずい! アレクセイが暴走モードに入った!」

「閣下! やめてください! まだローンが残ってるんです、私の家!」

これは緊急事態だ。

私はドレスの裾をまくり上げ(今日は作業用パンツスタイルだが)、廊下を全力疾走した。

「ただいま戻りました!!」

バンッ!

執務室の扉を開け放つ。

そこには、吹雪の中で膝をつき、魔力を暴走させているアレクセイ閣下の姿があった。

「……リ、リーナ?」

私を見た瞬間、彼の手から魔力が霧散した。

「本物か? 幻覚ではないか?」

「本物です。生きてます」

「うわぁぁぁん! リーナぁぁぁ!」

閣下が突進してきた。

すごい勢いで抱きしめられる。冷たい。全身が冷え切っている。

「どこに行っていたんだ! 『人生の墓場に行く』なんて書き置きを残して!」

「は?」

私は自分のメモを思い出した。

『探さないでください。人生の墓場に行ってきます』

「ああ……。言葉足らずでしたね」

私は冷静に訂正した。

「あれは『人生の墓場(と言われる結婚生活)に備えて、指輪の製作(の決着をつけ)に行ってきます』という意味です」

「……は?」

「これです」

私はポケットから、完成したばかりのリングケースを取り出し、パカッと開けた。

そこには、二つのプラチナリングが鎮座している。

「既製品の手数料に納得がいかなかったので、自分で打ってきました」

「……」

閣下もクリス皇子も、口をあけたまま固まった。

「……き、君が作ったのか? これを?」

「はい。閣下の指のサイズ、魔力の流れ、すべて計算して調整済みです。市販品の三倍の耐久度と、十倍の愛(労力)がこもっています」

「リーナ……ッ!」

閣下は再び私を抱きしめた。今度は冷気ではなく、熱い体温が伝わってくる。

「君というやつは……! どこまで私を驚かせれば気が済むんだ!」

「驚かせるつもりはありません。経費削減の一環です」

「愛している! もう絶対に離さん! トイレに行くときもついていく!」

「それはお断りします」

私は閣下の背中をポンポンと叩いた。

「とにかく、私は逃げたりしません。これだけの投資(結婚準備)をしておいて、回収前に逃げるなんて、私のポリシーに反しますから」

「……ああ。そうだな」

閣下は泣き笑いのような顔で、私を見つめた。

「この指輪、一生外さんぞ。指が腐り落ちてもつけている」

「怖いことを言わないでください。メンテナンスが必要なので、定期的に外してくださいね」

こうして、花嫁失踪(疑惑)事件は解決した。

「やれやれ。人騒がせなカップルだ」

クリス皇子が、凍りついた部屋の中で焚き火(魔法)を起こしながらぼやく。

「でもまあ、雨降って地固まる……いや、氷漬けになって地固まる、かな」

彼は完成した指輪を見て、少しだけ羨ましそうに目を細めた。

「……綺麗だね。僕もいつか、そんな計算高いお嫁さんが欲しいよ」

「帝国にはいないでしょうね、こんな変人は」

私が言うと、三人は顔を見合わせて笑った。

結婚式まで、あと三日。

トラブルはこれで打ち止めであってほしいと願うが、神様(と作者)はまだ私たちに試練を与えるつもりらしい。

なぜなら、式当日の天気予報が、まさかの『百年ぶりの大型台風』となっていたからだ。
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