尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

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「……限界だわ」

クロック領の別荘、その屋根裏部屋。

私は体育座りをして、小窓から外を覗きながら呟いた。

殿下がこの別荘に住み着いてから、三日が経過した。

この三日間、私の精神(オタク心)は崩壊寸前だった。

朝起きれば、隣の部屋から「おはよう、ラヴィニア」と寝起きのセクシーボイスが聞こえてくる。

昼になれば、「畑仕事か? 手伝おう」とシャツの袖を捲り上げた殿下が、無駄にいい筋肉を見せつけながら鍬を振るう。

夜になれば、「寒いだろう」と自然な流れで暖炉の前のソファに誘導され、膝掛けをシェアさせられる。

「尊い……。尊すぎて、息ができない……!」

供給過多だ。

本来なら、推しの供給は砂漠のオアシスのように貴重なもの。

それを、いきなりダムが決壊したような勢いで浴びせられているのだ。

このままでは、私は糖分過多と心拍数上昇により、間違いなく早死にする。

「逃げなきゃ。物理的に距離を置かないと、私の心臓が爆発してしまうわ」

私は決意を固めた。

この別荘はもう、私にとっての楽園ではない。

殿下という名の『歩く発光体』に占拠された、危険地帯だ。

「狙うは隣町の宿屋……いいえ、もっと遠くの修道院へ逃げ込んで尼になるのもいいかも」

私は屋根裏の物置から、父が使っていた古い変装セット(演劇用)を引っ張り出した。

殿下は有能だ。

普通に玄関から出ようとすれば、即座に捕獲されるだろう。

しかも、最近気づいたのだが、この別荘の周囲には奇妙な気配がある。

森の木陰、茂みの中、屋根の上。

プロの気配遮断スキルを持った何者かが、常にこちらを監視しているのだ。

「間違いなく、近衛騎士団ね」

殿下が一人で来るはずがない。

護衛として連れてきた騎士たちを、別荘の周囲に配置し、アリ一匹逃さない包囲網を敷いているに違いない。

「ふん、甘いわね。私は伊達に殿下のストーカー……いえ、追っかけをしていたわけではないわ」

王宮の警備をかいくぐり、殿下の姿を拝んできたこの私。

隠密スキルだけなら、そこらの騎士には負けない自信がある。

「見てらっしゃい。完璧な変装で、この包囲網を突破してみせるわ!」

私は鏡の前で、付け髭と瓶底メガネを装着した。

さらに、父の古いコートを着込み、帽子を目深にかぶる。

鏡に映ったのは、どこからどう見ても『怪しい行商人のおじさん』だった。

「完璧ね。これなら実の親でも気づかないわ」

私は声を低くする練習をしながら、屋根裏部屋を後にした。

          ◇

「ふんふーん♪」

一階のキッチンでは、今日も殿下が鼻歌交じりにランチの準備をしていた。

エプロン姿が板につきすぎている。

私は背後を忍び足で通り抜けようとしたが、ふと殿下が手を止めた。

「……ラヴィニア? どこへ行くんだ」

ギクリ。

背中越しに声をかけられ、私は彫像のように固まった。

まずい、気配を消していたはずなのに。

やはり殿下の五感は野生動物並みだ。

私はゆっくりと振り返り、野太い声を作って答えた。

「オ、オイラはただの通りすがりの商人だ。お嬢さんなら、二階で寝てたぜ」

「…………」

殿下が振り返り、私を凝視する。

そのアイスブルーの瞳が、私の頭のてっぺんから爪先までをスキャンしていく。

心臓がバクバクと五月蝿い。

バレるか? バレたか?

殿下は数秒の沈黙の後、ふっと口元を緩めた。

「そうか。商売ご苦労。……出て行くなら裏口を使うといい。表は警備が厳しいからな」

「あ、ありがとうごぜぇます……」

私はペコペコと頭を下げ、逃げるように裏口へ向かった。

勝った!

あの有能な殿下を欺いた!

私の変装スキル、ここに極まれり!

心の中でガッツポーズをしながら、私は裏口のドアを開け、外の雪景色へと飛び出した。

          ◇

「ふぅ……ちょろいもんだわ」

別荘から少し離れた森の中。

私は雪道をザクザクと歩いていた。

ここまで来れば、あとは山を越えて隣町へ行くだけだ。

「待っていてね、新しい推し活ライフ。今度こそ静かな場所で……」

「止まれ」

突如、頭上から鋭い声が降ってきた。

ドサドサッ!

雪をかぶった木の上から、数名の男たちが飛び降りてきた。

全身を白い迷彩服で覆った、屈強な男たち。

その胸元には、王家近衛騎士団の紋章が輝いている。

「くっ、やはり配置されていたか……!」

私は足を止め、商人になりきって愛想笑いを浮かべた。

「おや、騎士様方。オイラのような貧しい商人に何か御用で?」

「ここから先は封鎖されている。引き返せ」

騎士の一人が、剣の柄に手をかけて冷たく告げた。

「そ、そんな殺生な。商売あがったりだ」

「王太子殿下のご滞在中につき、関係者以外の立ち入り、および外出は禁止されている」

「へぇー、殿下が。そりゃあ大変だ。でもオイラ、ただの迷い込んだ旅人でして……」

「怪しいな」

騎士が目を細めた。

「この辺りで商人など見かけない。荷物検査をさせてもらおう」

まずい。

トランクの中には、着替えの他に『殿下グッズ(保存用)』が大量に入っている。

これを見られたら一発で正体がバレるし、何より社会的に死ぬ。

「い、いやいや! 大したもんは入ってねぇですよ! ただの芋とか、漬物とか……」

「見せろと言っている」

騎士たちがジリジリと距離を詰めてくる。

万事休すか。

こうなったら、強行突破しかない。

私はコートのポケットに隠していた『煙幕玉(忍者の真似事で作った)』を取り出そうとした。

その時だ。

「――通してやれ」

森の奥から、よく通る声が響いた。

騎士たちが一斉に動きを止め、直立不動の姿勢をとる。

「「「団長!」」」

雪を踏みしめて現れたのは、近衛騎士団長アレク様だった。

長いマントを風になびかせ、相変わらずの苦労人オーラを漂わせている。

「ア、アレク様……」

私は思わず本名で呼びそうになり、慌てて口をつぐんだ。

アレク様は私の前に立つと、深いため息をついた。

「はぁ……。全く、こんな雪の中で何をしているんですか」

「……へ? オイラのことですかい?」

「とぼけないでください、ラヴィニア嬢。その付け髭、ズレてますよ」

「!!!」

私は慌てて口元を押さえた。

髭の片方が剥がれかけ、プラプラと揺れている。

「な、なぜバレた……!?」

「バレないわけがないでしょう。その背丈、その声、そして何より」

アレク様は呆れたように私のトランクを指差した。

「トランクから『フリード殿下LOVE』と書かれたリボンがはみ出しています」

「……不覚!」

私はその場に膝から崩れ落ちた。

詰め込みすぎたグッズが、まさか仇になるとは。

「観念してください。ここは既に我々近衛騎士団が完全に包囲しています。ネズミ一匹、ラヴィニア嬢一人、逃がすつもりはありません」

「そ、そんな……。まるで国境警備レベルじゃないですか!」

「当然です。殿下が『絶対に逃がすな』と仰ったのですから。……私の休日返上でね」

アレク様の目が笑っていない。

彼もまた、殿下の暴走の被害者なのだ。

「さあ、戻りましょう。殿下がランチを作ってお待ちですよ」

「嫌です! 戻りたくない! あの空間にいたら、私は甘死(あまじに)してしまいます!」

私は雪の上に寝転がり、駄々をこねた。

「公爵令嬢が雪浴びをしないでください。風邪を引きますよ」

「放っておいて! どうせ私は捨てられた身! 雪に埋もれて冬眠します!」

「捨てられていませんよ。むしろ拾われすぎて困っているんでしょう」

アレク様が私の襟首を掴み、子猫のように持ち上げようとした瞬間。

「……随分と楽しそうだな、アレク」

背後から、絶対零度の声が響いた。

ヒュッ。

周囲の気温が五度くらい下がった気がする。

恐る恐る振り返ると、そこにはエプロン姿のまま、鬼のような形相をしたフリード殿下が立っていた。

「で、殿下!?」

「ラヴィニアに触るなと言ったはずだが?」

殿下の手には、なぜかお玉が握られている。

だが、そのお玉からは伝説の聖剣のようなオーラが立ち上っていた。

「い、いえ! これは捕獲作業の一環でして……!」

アレク様が慌てて私をリリースした。

私は雪の上にドサッと落ちた。

殿下は私を見下ろし、ニコリと笑った。

「ラヴィニア。裏口から出て行けと言ったが、まさかこんな森の中に散歩に行くとはな」

「……散歩?」

「ああ。まさか、俺から逃げようとしていたわけではないだろう?」

その笑顔の圧がすごい。

『逃げようとしていたと言ったら、この森ごと氷漬けにするぞ』という無言のメッセージを感じる。

「ち、違います! 散歩です! 変装して散歩をするのが、私の故郷の風習なんです!」

「そうか。奇遇だな、俺も散歩が好きだ」

殿下は私の手をガシッと掴み、強引に立たせた。

「冷えただろう。帰って温かいシチューを食べようか」

「は、はい……」

「それと、その髭は外せ。お前の可愛い顔が見えない」

殿下は私の付け髭を剥ぎ取り、ついでに眼鏡も外した。

そして、あろうことか雪で冷えた私の頬に、温かい手を添えた。

「捕まえたぞ。……もう二度と、俺の視界から消えるな」

至近距離での殺し文句。

私は白目を剥きそうになるのを必死で堪えながら、殿下に引きずられて別荘へ戻ることになった。

森の中に残されたアレク様と騎士たちが、「お疲れ様です……」「見てられねぇな……」と遠い目をしていたのを、私は見なかったことにした。

包囲網は突破できなかった。

それどころか、殿下の愛という名の檻は、より強固に鍵をかけられてしまったのだった。
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