尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

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「離してください! 殿下、離してくださいったら!」

「嫌だ」

「子供ですか!?」

クロック領の別荘、その玄関ホールで、私とフリード殿下の攻防は続いていた。

彼はいまだに私をお姫様抱っこしたままである。

その腕の強さと、胸元から漂う高貴な香りに、私の理性が限界を迎えようとしていた。

「殿下、ここは狭い玄関です。どうぞ私を下ろして、王宮へお帰りください。今なら『ちょっとした散歩だった』で済みますから」

「往復で二週間の距離を散歩する奴がどこにいる」

殿下は呆れたように鼻を鳴らすと、スタスタと廊下を歩き始めた。

「ちょっ、どこへ行くんですか!?」

「寝室だ。疲れたから休みたい」

「えっ」

殿下の足が向いているのは、二階の突き当たり。

つまり――『私の部屋』だ。

「ぎゃああああ! 駄目えええええ!」

私は悲鳴を上げ、バタバタと足を暴れさせた。

「あそこは駄目です! 絶対に入ってはいけません!」

「なぜだ? 一番日当たりが良さそうな部屋だが」

「そ、それは……乙女の秘密の花園だからです!」

嘘ではない。

あの部屋の壁一面には、殿下の隠し撮り写真や、自作のポエム、そして等身大の肖像画が飾られているのだ。

もし殿下があの部屋に入ったら、私の異常な愛情(ストーカー気質)がバレてしまう。

そうなれば、「こいつ……引くわ」と軽蔑されるどころか、ドン引きされて騎士団に通報されかねない。

「お願いです! あそこだけは! 私の命がかかっているんです!」

私が涙目で懇願すると、殿下は怪訝な顔をしながらも足を止めた。

「……そこまで言うなら仕方ない。だが、俺はどこで寝ればいい?」

「そ、そこの客間を使ってください! 埃っぽいですが!」

殿下はしぶしぶ私を下ろすと、隣の客間のドアを開けた。

長年使われていなかった部屋は、カビ臭く、埃が舞っている。

「……ふむ」

殿下は眉一つ動かさず、指をパチンと鳴らした。

『浄化(クリーン)』

瞬間、部屋全体が白い光に包まれた。

次の瞬間には、埃一つないピカピカのスイートルーム並みの清潔空間が広がっていた。

「……は?」

「よし、これでいいだろう。今日はもう休む。ラヴィニア、お前も隣で寝ろ」

「は、はい……」

殿下のチート能力を目の当たりにし、私は呆然と頷くしかなかった。

魔法って、掃除に使うものだったっけ?

          ◇

翌朝。

小鳥のさえずりとともに目を覚ました私は、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。

「……ああ、そうだ。別荘だ」

そして、昨日起きた悪夢のような出来事(推しが家に押しかけてきた)を思い出し、ガバッと起き上がった。

「夢じゃなかった……!」

隣の部屋に、あのフリード殿下がいる。

私の推しが、壁一枚隔てたところに寝ている。

「心臓に悪いわ……。早く出て行ってもらわないと」

私は身支度を整え(もちろん村娘スタイルで)、一階のキッチンへと降りた。

「ハンス、マーサ、おはよう。朝食の準備を……」

キッチンに入った私は、そこで言葉を失った。

いい匂いがする。

焼きたてのパン、香ばしいベーコン、そして淹れたてのコーヒーの香り。

エプロンをつけた長身の男性が、フライパンを振っている。

「おはよう、ラヴィニア。よく眠れたか?」

振り返ったのは、爽やかな笑顔のフリード殿下だった。

「……で、殿下?」

「ハンスたちが腰を痛そうにしていたからな。俺が代わった」

「えええええ!?」

私は慌ててハンスたちを探すと、彼らは食堂の隅で恐縮しきって震えていた。

「も、申し訳ございませんお嬢様……! 殿下が『これも社会勉強だ』と仰って、厨房を占拠なさり……!」

「しかも、その手際の良さといったら……プロの料理人顔負けです……」

マーサがうっとりしている。

殿下は皿に完璧な盛り付けをしたオムレツを乗せ、テーブルに運んできた。

「さあ、座れ。冷めるぞ」

「は、はい……」

促されるまま席に着き、恐る恐るオムレツを口に運ぶ。

「……美味しい」

悔しいけれど、絶品だった。

ふわふわの卵、絶妙な塩加減。

「王宮のシェフより上手じゃないですか……」

「昔、お前のために菓子作りを練習したことがあるからな。料理の基礎はその時に覚えた」

殿下はサラリと言った。

「私のために?」

「ああ。……まあ、結局渡せなかったがな」

殿下は少し寂しそうにコーヒーを啜った。

何それ。初耳だわ。

そんな過去のエピソード(供給)を唐突に投下しないでほしい。キュンとしてしまうじゃないか。

「そ、それで殿下。いつお帰りになるんですか?」

私は動揺を隠して話題を変えた。

「公務もおありでしょうし、こんな何もない場所、退屈でしょう?」

「いや、快適だ。それに公務は片付けてきた」

「でも、ここは不便ですよ? お風呂も薪で沸かさなきゃいけないし、虫も出るし……」

「虫か」

殿下は視線を窓の外に向けた。

ブンブンと羽音を立てて飛んでいた大きな蜂が、殿下の視界に入った瞬間、ポトリと地面に落ちた。

「……今、何しました?」

「『威圧』だ。害虫駆除も俺に任せろ」

「殺虫剤代わり!?」

殿下は何でもできすぎる。

このままでは、「不便だから帰る」と思わせる作戦が通用しない。

「それにラヴィニア。俺はここにただ遊びに来たわけではない」

殿下は真剣な眼差しで私を見た。

「お前がここで一人で生きていくと言うなら、俺もここで暮らす。お前が必要とするものは、全て俺が用意する」

「……っ」

その言葉は、まるでプロポーズのように甘く、重かった。

胸が高鳴るのを必死に抑える。

駄目よ、ラヴィニア。絆されちゃ駄目。

殿下にはミナ様という運命の相手がいるの。

私がここで殿下を独占してしまったら、国の未来が変わってしまうわ。

「……殿下のご厚意は嬉しいですが、私は自分の力で生きていきたいのです」

私はフォークを置き、キリッとした顔を作った。

「誰かに頼るのではなく、自立した女性になりたい。それが、私がここに来た理由の一つでもあります(嘘)」

「自立、か」

「はい。ですから、今日から私は働きに出ます!」

「働く? この何もない村でか?」

「ふふふ、私には特技がありますから」

私は不敵に笑った。

そう、私には『前世の知識(という設定のオタク知識)』と、長年の推し活で培った『妄想力』がある。

これを活かせる職業といえば、一つしかない。

「占い師ですわ!」

「……は?」

殿下がポカンとした。

「村の人々の悩みを解決し、未来を指し示す。謎の美女占い師としてデビューするのです!」

これなら元手もかからないし、適当なことを言っても「神秘的」で済まされる。

そして何より、殿下から離れて一人の時間を作れる!

「というわけで、行ってまいります! 殿下はお留守番をしていてくださいね!」

私は残りのパンを口に詰め込むと、逃げるように席を立った。

「待て、ラヴィニア」

「聞きません! ごちそうさまでした!」

私はエプロンを脱ぎ捨て、黒いフード付きのマント(儀式用)を羽織ると、別荘を飛び出した。

背後で殿下が何か言っていたが、聞こえないフリをした。

          ◇

別荘から歩いて三十分。

山の麓にある小さな村に到着した私は、広場の片隅に小さな露店を開いた。

木の板に『あたるも八卦、あたらぬも八卦 伝説の占い師ラビィ』と炭で書き、テーブルには水晶玉(通販)を置く。

怪しさ満点だ。

「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 貴方の未来、ズバリと言い当ててみせるわよ!」

通りがかりの村人たちが、遠巻きに私を見ている。

「なんだあれ……」
「新しい見世物か?」
「若い娘さんだな……」

最初は警戒していた村人たちだったが、暇を持て余したおばちゃんが一人、近づいてきた。

「ねえちゃん、本当に当たるのかい?」

「ええ、もちろん。貴女の悩み、私には視えていますわ」

私は水晶玉に手をかざし、もっともらしい顔をした。

「……そうね。今夜の夕飯の献立に悩んでいるでしょう?」

「あらま! なんで分かったんだい!?」

「(主婦の悩みなんて大体そんなものだからよ)」

「そして……旦那様のイビキがうるさいと思っているわね?」

「その通りだよ! すごいねえ!」

「ふふふ。解決策はこれよ」

私は懐から『耳栓(殿下の演説を聞き逃さないために集中する時に使うやつ)』を取り出し、おばちゃんに渡した。

「これを旦那様の鼻に詰めるのです」

「えっ、鼻に!?」

「嘘よ。耳にしなさい。そうすれば安眠できるわ」

「ありがとう! お代はいかほどかね?」

「初回無料キャンペーン中よ。その代わり、宣伝してちょうだい」

おばちゃんは喜んで帰っていった。

よし、掴みはオッケーだ。

これで評判が広まれば、私も自立した占い師として――。

「ほう。なかなか面白いことをしているな」

不意に、目の前の席に誰かが座った。

「いらっしゃいませ! 貴方の未来を……」

営業スマイルで顔を上げた私は、凍りついた。

そこに座っていたのは、深くフードを被った長身の男。

顔の半分は布で隠されているが、その隙間から覗くアイスブルーの瞳と、隠しきれない王オーラ。

「……で、殿下?」

「客に向かって殿下とはなんだ。俺はただの通りすがりの旅人だ」

殿下(旅人設定)は、ニヤリと笑ってテーブルに金貨を一枚置いた。

金貨!?

この村で一ヶ月は暮らせる額だぞ!

「占ってもらおうか、占い師殿。俺には長年片思いをしている女性がいてな」

「……か、帰りなさい!」

「彼女は鈍感で、俺の愛になかなか気づいてくれない。どうすれば彼女を捕まえられるか、教えてくれ」

殿下は身を乗り出し、私の手をとった。

その手は熱く、水晶玉越しに見える瞳は本気だ。

「……そ、そうですね」

私は震える声で答えた。

「その女性はきっと、一人の時間が欲しいのだと思います。だから、そっとしておいてあげるのが一番の愛ではないでしょうか……!」

「ほう? 俺の占いでは『押して駄目ならもっと押せ』と出ているが?」

「それは占いじゃなくて脳筋の思考です!」

「ラヴィニア」

殿下は私の手を強く握りしめた。

「俺は諦めないぞ。お前がどんなごっこ遊びをしようと、俺の妃になる未来は変わらない」

「ひいいい!」

周囲の村人たちが「あらあら、若い二人が痴話喧嘩?」「美男美女でお似合いだねえ」と温かい目で見守り始めた。

違うんです。これはストーカー被害なんです。

私の田舎での自立計画は、初日から前途多難なスタートを切ることになった。

「分かったら店じまいだ。帰って昼飯にするぞ」

「……はい」

結局、私は殿下に連行されるようにして別荘へ戻ることになった。

この人の有能さと執着心には、どんな魔法も勝てない気がする。
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