尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

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「着いたぞ、ラヴィニア」

馬車が停止し、フリード殿下の低い声が私を現実に引き戻した。

窓の外を見ると、見慣れた、しかし威圧感たっぷりの巨大な建造物がそびえ立っている。

王宮だ。

それも、王族の居住区画である『白の離宮』。

「……あわわ」

私は震えながら座席にしがみついた。

「て、殿下。行き先が間違っているようです。罪人用の地下牢は、あちらの黒い塔の方角では……?」

「誰が罪人だ」

「私です! 王太子に不敬を働き、ストーカー行為を繰り返し、さらに脱走を図った大罪人です!」

「ならば、その罪に対する罰を受けねばならんな」

殿下はニヤリと笑うと、馬車の扉を開けた。

「降りろ。……それとも、また抱っこして運ばれたいか?」

「歩きます! 自力で歩行可能です!」

私は慌てて馬車から飛び降りた。

周囲には近衛騎士たちがズラリと並び、物々しい警備体制が敷かれている。

その中を、殿下は私の手を引いて堂々と歩いていく。

すれ違うメイドや兵士たちが、ギョッとした顔で私たちを見ている。

「あれ、ラヴィニア嬢じゃないか?」
「追放されたはずでは?」
「殿下が直々に連れ戻したのか……?」

ヒソヒソ話が聞こえるたびに、私は小さくなった。

ああ、公衆の面前で「捕まった元婚約者」として晒し者にされているのだ。

これも処刑へのプレリュード(前奏曲)なのだろう。

          ◇

「ここがお前の部屋だ」

殿下に案内されたのは、離宮の最上階にある一室だった。

重厚な両開きの扉。

その前には、厳つい顔をした騎士が二名、仁王立ちしている。

「ひぃっ、看守!」

「護衛だ」

殿下が扉を開ける。

私は「黴臭い独房」や「鉄格子のある部屋」を覚悟して、恐る恐る中を覗いた。

「…………へ?」

そこに広がっていたのは、私の実家の部屋よりも広い、超豪華な空間だった。

ふかふかの絨毯。

天蓋付きのキングサイズベッド。

猫足のバスタブが見える大理石のバスルーム。

そしてテーブルの上には、山盛りのフルーツと焼き菓子。

「な、なんですかここは……?」

「俺の部屋の隣にある客室だ。今日からここがお前の牢獄だ」

「ろ、牢獄……?」

定義が乱れる。

私の知っている牢獄と違う。

「出入り口はこの扉一つ。窓には(転落防止の)魔法結界が張ってある。俺の許可なくここから一歩も出ることは許さん」

殿下はコツコツと部屋の中へ歩み入り、ソファに腰を下ろした。

「衣食住は保証する。欲しいものがあれば何でも言え。ただし、外部との接触は一切禁ずる」

「完全なる軟禁……!」

「そうだ。俺がお前を『赦す』気になるまで、ここで反省してもらう」

殿下は足を組み、冷酷な看守のような顔(でもイケメン)で私を見据えた。

私はゴクリと唾を飲んだ。

なるほど。これは精神的な拷問だ。

こんな豪華な部屋に閉じ込め、甘いお菓子を与え、動けないようにして太らせる気だわ!

そして「かつてのようなスリムな体型には戻れない体」にしてから捨てるという、高度な復讐!

「恐ろしい……! さすが殿下、考えることが悪魔的です!」

「……お前が何を想像したかは知らんが、とりあえず座れ」

殿下が隣のスペースをポンポンと叩いた。

「尋問を始める」

「じ、尋問!?」

私はビクビクしながら、殿下から一番遠い一人掛けのソファに座ろうとした。

「こっちだ」

「はい」

吸い寄せられるように、殿下の隣(距離ゼロセンチ)に着席させられた。

近い。

太ももが触れている。

殿下の体温と、爽やかな香水(シトラス系)の香りが、私の脳を麻痺させにかかってくる。

「さて、ラヴィニア。あの別荘で回収した『証拠品』についてだが」

殿下はテーブルの下から、一冊のノートを取り出した。

私の自作スクラップブック『フリード殿下~尊さの記録 vol.12~』だ。

「ぎゃああああああ!」

私は絶叫してノートを奪い取ろうとしたが、殿下の手は高い位置にあって届かない。

「返してください! それは私の魂です! 見たら呪われますよ!」

「もう見た。……なかなか詳細だな」

殿下はパラパラとページをめくった。

「『○月×日、殿下が右斜め45度で紅茶を飲まれた。喉仏の動きが神』……こんなところまで見ていたのか」

「読み上げないでぇぇぇ!」

羞恥心で死ぬ。

公開処刑どころではない。これは尊厳の破壊だ。

「『○月△日、殿下が執務中にあくびを噛み殺された。涙目が子犬のようで保護したい』……俺は子犬か」

「違います! 比喩です! 最上級の賛辞です!」

私は顔を真っ赤にして弁解した。

殿下はフッと笑い、ノートを閉じた。

「まあいい。お前の愛が『変態的』だということはよく分かった」

「変態じゃありません! 純愛です!」

「そうか、純愛か」

殿下は急に真面目な顔になり、私の方へ向き直った。

その瞳が、スッと細められる。

「なら、なぜ逃げた?」

「え……」

「これほど俺を見て、俺を記録し、俺を崇拝しているお前が、なぜ『婚約破棄』などという茶番劇を仕組んで俺から離れようとした?」

殿下の指が、私の顎を捉える。

逃げられない。

その瞳の奥にあるのは、怒りというより、深い哀しみと、理解できないものへの問いかけだった。

「私……は……」

言葉に詰まる。

「推しだからです」なんて言っても、殿下には伝わらないだろう。

私は視線を逸らし、ぽつりと答えた。

「……殿下が、完璧すぎるからです」

「完璧?」

「はい。貴方は太陽のように輝いていて、有能で、誰からも愛されるお方です。……私のような、影からこそこそ見ているだけの女とは、釣り合いません」

本音だった。

近くにいればいるほど、その眩しさに目が眩む。

自分の至らなさが浮き彫りになる。

「殿下の隣には、もっと相応しい方がいます。ミナ様のような、素直で可愛らしい方が」

「……まだそんなことを言っているのか」

殿下はため息をつき、私の頬を両手で挟んだ。

「い、痛いです」

「聞け、ラヴィニア。俺はお前が思っているような『完璧な王子』ではない」

「いいえ、完璧です。今の顔の角度も黄金比です」

「黙って聞け」

殿下は少しだけ顔を近づけた。

「俺は嫉妬もするし、独占欲もある。お前がいなくなってからの三日間、俺がどれほど情けない顔をしていたか、お前は知らないだろう」

「……情けない顔?」

想像できない。

殿下の辞書に「情けない」という言葉があるとは思えない。

「仕事も手につかず、八つ当たりをし、なりふり構わず馬車を走らせた。……お前がいないと、俺はただの抜け殻なんだ」

殿下の声が、微かに震えていた。

その真剣な響きに、私の心臓がトクンと跳ねる。

「だから、お前が必要だ。完璧な王子としてではなく、ただの男としての俺を見てくれる人間が」

殿下のおでこが、私のおでこにコツンと当たった。

「この部屋は牢獄だと言ったな。……ああ、その通りだ」

殿下の吐息が唇にかかる距離。

「お前が俺を愛していると認め、俺の隣に立つ覚悟を決めるまで、俺はお前をここから出さない。……一生かかってもな」

それは、今まで聞いたどんな愛の言葉よりも重く、そして甘美な『判決』だった。

私は真っ赤になりながら、蚊の鳴くような声で答えた。

「……終身刑、ですね」

「そうだ。覚悟しろ」

殿下は満足げに微笑むと、ようやく体を離した。

「さて、尋問は終わりだ。夕食にしよう」

殿下がベルを鳴らすと、待機していたメイドたちがワゴンを運んできた。

豪華なディナーだ。

だが、私はそれどころではなかった。

心臓がうるさい。

殿下の言葉が頭の中をグルグルと回っている。

『お前が必要だ』

『一生出さない』

(……どうしよう。私、本当に殿下に捕まっちゃったんだわ)

恐怖よりも、奇妙な高揚感が胸を満たす。

この「牢獄」での生活は、私の心臓(ライフ)を削る戦いになりそうだ。

私はフォークを握りしめ、目の前のローストビーフを睨みつけた。

「……負けませんわ。私が陥落するのが先か、殿下が私に呆れるのが先か……勝負です!」

「何をブツブツ言っている。口を開けろ」

「え?」

「あーん、だ」

殿下が肉を切り分け、フォークで差し出してきた。

「し、しません! 自分で食べます!」

「囚人に拒否権はない」

「横暴です!」

結局、私は顔を真っ赤にしながら、殿下に餌付けされる羽目になった。

王宮の夜は更けていく。

私の「悪役令嬢としての断罪」は失敗に終わったが、「溺愛される囚人」としての新しい日々が始まってしまったようだった。
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