尊すぎて「悪役令嬢」を演じて婚約破棄されましたが、お構いなく!

恋の箱庭

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「このままでは死にます」

王宮のサロン。

私はテーブルに突っ伏し、深刻な声で呟いた。

向かいに座っているのは、私の専属相談役(という名の巻き込まれ役)となったミナ様と、たまたま通りかかったアレク様だ。

「……何がですか、ラヴィニア様」

ミナ様が紅茶を飲みながら首を傾げる。

「結婚式よ! 来月よ! 早すぎるわ!」

私はガバッと顔を上げた。

「いいこと? 現状の私は、殿下と目が合っただけで動悸が激しくなり、手を握られただけで手汗が止まらず、キスなんてされた日には意識が飛びます」

「まあ、重症ですね」

「この状態で結婚式なんて迎えてごらんなさい! 誓いのキスの瞬間に私がショック死して、式場がお葬式会場に早変わりよ!」

私は頭を抱えた。

「『花嫁、祭壇で尊死』なんて前代未聞の不祥事だわ……」

アレク様が遠い目をして口を開いた。

「……それで? どうするつもりなんですか」

「リハビリよ」

私は拳を握りしめた。

「『殿下免疫』をつけるの。殿下の高解像度な美貌と、甘すぎる言動に耐えうる強靭な心臓を作るための、特訓が必要だわ!」

名付けて、『ラヴィニア・クロックのスパルタ・ハート・トレーニング』。

「具体的には、殿下とデートをするわ」

「デート?」

「ええ。ただし、ただのデートじゃない。私が『殿下にときめいたら負け』というルールの、命がけの耐久デートよ!」

          ◇

数時間後。

私は王宮の裏門で、フリード殿下を待ち受けていた。

今日の私は完全装備だ。

動きやすいワンピースに、つばの広い帽子。

そして、鼻には黒いサングラス(紫外線カット率99%)。

「完璧ね。このサングラスがあれば、殿下の『輝き(オーラ)』を物理的にカットできるはず」

視覚情報を制限することで、脳への負担を減らす作戦だ。

そこへ、約束の時間通りに殿下が現れた。

「待たせたな、ラヴィニア」

「!!!」

私はサングラス越しでも目を焼かれそうになった。

今日の殿下は、いつもの軍服ではない。

白いシャツにベスト、そしてラフなジャケットという、いわゆる『お忍びスタイル』だ。

前髪を少し下ろしており、それがまたアンニュイな色気を醸し出している。

「(くっ……カジュアルな殿下も尊い……! 素材が良すぎて何を着てもカタログの表紙じゃない!)」

私は震える手でサングラスの位置を直した。

「……おはようございます、殿下」

「ああ、おはよう。……で、そのサングラスは何だ? 不審者か?」

殿下が私の顔を覗き込む。

「違います! これは『遮光器』です! 殿下が眩しすぎて網膜が焼けるのを防ぐための!」

「俺は太陽か」

殿下は呆れたように笑うと、私の手を取った。

「まあいい。お前がデートしたいと言うなんて珍しいからな。……どこへ行く?」

「下町です! 普通の恋人たちがするような、平凡なデートを所望します!」

「平凡、か。……難易度が高そうだが、善処しよう」

殿下は私の腕を自分の腕に絡ませた。

「行くぞ。離れるなよ」

「は、はい……!」

腕から伝わる体温。

サングラス越しでも分かる、殿下の横顔の美しさ。

私の心拍数計(スマートウォッチ的な魔道具があったら)は、すでに警告音を鳴らしている。

「(落ち着け、私の心臓! これは訓練よ! ときめくな、無になれ!)」

私は心の中でお経を唱えながら、王都の街へと繰り出した。

          ◇

「わぁ……! 人がいっぱい!」

休日の王都は賑わっていた。

露店が立ち並び、大道芸人が技を披露し、子供たちが走り回っている。

普段は馬車で通り過ぎるだけの景色を、こうして歩いて回るのは新鮮だった。

「ラヴィニア、これを見るがいい」

殿下が足を止めたのは、アクセサリーを売る露店だった。

安価なガラス玉やビーズで作られた、庶民向けのアクセサリーが並んでいる。

「キラキラしてて可愛いですね」

「王宮の宝物庫にある宝石より、お前の瞳の方が輝いているがな」

「ぶふっ!」

いきなりの先制攻撃。

私は咳き込んだ。

「で、殿下! そういう歯の浮くようなセリフは禁止です! 今は『平凡なデート』中なんですから!」

「本音を言っただけだ。……これなんか、似合うんじゃないか?」

殿下が手に取ったのは、青いガラス玉のついたヘアピンだった。

値段は銅貨三枚。激安だ。

「つけてやる」

「えっ、ここで!?」

殿下は私の帽子を少し持ち上げ、サングラスのつるに絡まないように、器用にヘアピンを留めてくれた。

その指先が、耳に触れる。

ビクッ。

「……どうだ?」

殿下が満足げに微笑む。

「……あ、ありがとうございます。大切にします」

「ああ。俺からの最初のプレゼントだ」

銅貨三枚のヘアピンが、殿下の笑顔という付加価値によって、国宝級の価値を持ってしまった。

「(やばい……耐性をつけるどころか、好感度がカンスト突破していく……)」

私はフラフラしながら歩き出した。

次は、クレープ屋の屋台だ。

「甘い匂い……」

「食べるか?」

「はい! イチゴとクリームたっぷりのやつで!」

殿下は列に並び、慣れない手つきで小銭を支払ってクレープを買ってきてくれた。

王太子がクレープを買う姿。

それだけでご飯三杯いける映像(レア映像)だ。

「ほら」

「ありがとうございます! ……あむっ」

私は大口を開けてかぶりついた。

美味しい! 甘いクリームと酸っぱいイチゴが絶妙なハーモニーを奏でている。

「殿下も食べますか?」

私が差し出すと、殿下は私の手首を掴み、そのまま私の食べかけのクレープにかぶりついた。

「!?」

「……甘いな」

殿下はクリームを舐めとり、ニヤリと笑った。

「間接キスだ」

「ぎゃああああ!」

私は顔を真っ赤にして叫んだ。

「なんでそういうことするんですか! 心臓に悪いって言ってるじゃないですか!」

「お前が『平凡なデート』を望んだんだろう? 恋人同士なら、これくらい普通だ」

「普通じゃありません! 私の世界線ではR指定です!」

「大袈裟だな。……口にクリームがついているぞ」

殿下の指が伸びてきて、私の唇を拭う。

そして、その指を自分の口に含んだ。

ボンッ!

私の頭から煙が出た。

サングラスが曇る。

「(……強い。強すぎる。この男、天然のタラシだわ……!)」

私は膝から崩れ落ちそうになった。

リハビリ? 無理よ。

これは猛獣の檻に素手で飛び込むようなものだわ!

「大丈夫か、ラヴィニア。顔が赤いぞ」

「貴方のせいです……!」

          ◇

夕暮れ時。

私たちは人混みを離れ、王都を一望できる丘の上の公園に来ていた。

空が茜色に染まり、街に明かりが灯り始める。

ロマンチックなシチュエーション。

まさにデートのクライマックスだ。

私はベンチに座り、ぐったりとしていた。

「……生きてる?」

「かろうじて……」

今日のデートでの被弾回数は数え切れない。

手繋ぎ、あーん、頭ポンポン、耳打ち……。

殿下の『溺愛フルコース』を浴び続け、私のライフはゼロに近い。

「ラヴィニア」

殿下が隣に座り、私の肩を抱いた。

「サングラス、外さないか? 夕焼けが綺麗だぞ」

「……外したら、殿下の顔が見えてしまいます」

「俺を見てほしいんだ」

甘い声。

私は観念して、ゆっくりとサングラスを外した。

夕日に照らされた殿下の顔が、黄金に輝いている。

息を飲むほど美しい。

でも、それ以上に――私を見つめる瞳が、優しかった。

「……今日一日、頑張ったな」

「頑張りました……。心臓が痛いです」

「俺も楽しかったよ。お前とこうして、普通に街を歩けるなんて夢のようだ」

殿下は私の手を握り、指を絡めた。

いわゆる『恋人繋ぎ』だ。

「ラヴィニア。俺は、結婚式でお前が気絶しても構わないと思っている」

「え?」

「お前が倒れたら、俺が抱きとめてやる。誓いの言葉が言えなければ、俺が代わりに言ってやる。……お前はただ、俺の腕の中にいればいい」

殿下の言葉は、どんな甘いセリフよりも、私の心に沁みた。

無理に強くなる必要はない。

殿下が全部受け止めてくれる。

そう思うと、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩んだ。

「……殿下は、甘やかしすぎです」

「妻を甘やかすのが夫の務めだからな」

殿下は私の顎を持ち上げた。

「リハビリの仕上げだ」

夕闇の中、殿下の顔が近づいてくる。

私は今度は逃げなかった。

目を閉じもしなかった。

しっかりと殿下を見つめ、その唇を受け入れた。

触れ合う唇。

甘くて、温かくて、安心する感触。

心臓はやっぱり早鐘を打っているけれど、気絶するような恐怖はもうなかった。

「……ん」

唇が離れると、殿下はとろけるような笑顔を見せた。

「よくできました」

「……不合格です」

私は殿下の胸に顔を埋めた。

「やっぱりドキドキしすぎて、死にそうです」

「なら、一生かけて慣れていこう」

殿下は私を抱きしめ、夕日が沈むまで離さなかった。

結局、『スパルタ・ハート・トレーニング』は失敗に終わった。

私の心臓は鍛えられるどころか、ますます殿下への愛で脆弱になってしまったからだ。

でも、まあいいか。

殿下の腕の中で気絶するなら、それもまた幸せな結末かもしれない。

私は覚悟を決めた。

来月の結婚式、たとえ倒れても、這ってでも、この人の妻になってみせる。

「大好きです、フリード様」

「ああ、知っているよ」

私の小さな呟きは、夜風に溶けて消えた。
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