婚約破棄、清算しましょう。真実の愛は非効率!?

恋の箱庭

文字の大きさ
3 / 28

3

しおりを挟む
「……ここが公爵邸、ですか」

馬車から降りたイロハは、目の前の光景に絶句した。

そこには、威風堂々とした外観とは裏腹に、どんよりとした負のオーラを放つ巨大な屋敷が鎮座していた。

門番は居眠りをし、庭の芝生は伸び放題。

何より、出迎えた執事やメイドたちの目が死んでいる。

「閣下、お戻り……あ、あれ? その横にいるお嬢様は……新しい生贄ですか?」

「失礼なことを言うな、セバス。今日からここで働くイロハ嬢だ」

シルヴィスは涼しい顔で、イロハを屋敷の中へと促す。

一歩足を踏み入れた瞬間、イロハの鼻を突いたのは、埃の匂いと――「赤字」の臭いだった。

「待ってください、閣下。中に入る前に、まずは先ほどの契約の最終確認を。はい、これ」

イロハは歩きながら、馬車の中で書き上げたばかりの書類を差し出した。

「なんだ、これは。……『債権譲渡に伴う特別清算契約書』?」

「ええ。カイル殿下への請求権を閣下に譲渡する以上、その対価の支払い条件を明確にする必要があります。二十億ゴールドのうち、十億は私の自由口座へ。残りの十億は、この屋敷の運用資金として『投資』扱いにしてください」

「ほう、自分の懐に入れる分を削って、この屋敷に投資すると?」

シルヴィスが面白そうに目を細める。

「投資ではありません。この惨状を見るに、まともな職場環境が整っていないと判断しました。まずは環境を整えないと、私の労働効率が下がります。これは先行投資という名の自己防衛です」

イロハは、廊下の隅に溜まった埃を指先でなぞり、冷徹に告げた。

「ちなみに、この契約書には『税抜』と明記してあります。贈与税、所得税、及びその他の諸税はすべて閣下の負担となりますので、あしからず」

「くくっ、どこまでも徹底しているな。いいだろう、サインしてやる」

シルヴィスが執務室でさらさらとサインを書く。

その横で、イロハは早くも屋敷の帳簿(のような雑多な紙束)を手に取り、高速でめくり始めた。

「……ひどい。これはひどすぎます」

「何がだ?」

「経理の体を成していません。備品購入の領収書がパンの耳で代用されているのはなぜですか? あと、この『不明金:いっぱい』という項目は何ですか?」

「さあな。前の会計係が、あまりの激務に発狂して逃げ出したからな」

シルヴィスは事もなげに言うが、イロハの眉間には深い皺が刻まれていた。

「……閣下。一つ提案があります」

「なんだ?」

「私の役職は『専属管理官』とのことでしたが、範囲を拡大させていただきます。本日より、私はこの公爵家の『最高財務責任者(CFO)』兼『人事部長』を兼任いたします」

イロハは計算機を高く掲げた。

「この屋敷に溜まった『無駄』という名の脂肪を、すべて削ぎ落として差し上げます。覚悟してください」

「おもしろい。やってみろ」

シルヴィスが不敵に微笑んだ、その時。

バタン! と大きな音を立てて、執務室の扉が開いた。

「シルヴィス兄様! 大変です! カイル様が、カイル様が大変なことに……!」

飛び込んできたのは、なぜか目を真っ赤に腫らしたマリアだった。

「マリア嬢? なぜここに。カイル殿下はどうされました?」

イロハが冷静に問いかけると、マリアはイロハにすがりつくように叫んだ。

「イロハ様! 助けてください! カイル様が、さっきの二十億ゴールドを工面するために……王家の家宝を勝手にオークションに出そうとして、国王陛下に捕まってしまったんです!」

「……」

イロハは、無言で計算機を叩いた。

「計算が出ました」

「な、何がですか?」

「カイル殿下の知能指数が、私の予想をさらに下回っていたことに対する、精神的損害の追加請求額です。……一億ゴールド追加ですね」

「お金の話じゃなくて、助けてあげてくださいっ!」

「お断りします。私はもう公爵家の人間ですので。他校の生徒の不祥事に関わる義理はありません」

冷たく言い放つイロハの背後で、シルヴィスが満足げに頷いていた。

「聞いたか、マリア。イロハは忙しいんだ。お前も、そのバカな王子を助けたいなら、自分の足で走れ。……ただし、この屋敷の床を汚したら、掃除代を請求されるから気をつけろよ」

「そんなあ……!」

泣きながら走り去るマリアを見送り、イロハは深くため息をついた。

「閣下、一つ忠告を。今後、あのような非効率なトラブルを持ち込む来客には、入場料を徴収すべきです」

「くはは! お前を雇って本当に正解だった。これからの生活が楽しみで仕方ない」

シルヴィスの熱い視線がイロハを射抜くが、彼女は全く気づかない。

「それより、この『不明金』の追及を始めます。全従業員をホールに集めてください。一人につき三秒で尋問を終わらせます」

イロハの戦いは、まだ始まったばかりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。 一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。 ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。 帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!

〘完結〛わたし悪役令嬢じゃありませんけど?

桜井ことり
恋愛
伯爵令嬢ソフィアは優しく穏やかな性格で婚約者である公爵家の次男ライネルと順風満帆のはず?だった。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

処理中です...