婚約破棄、清算しましょう。真実の愛は非効率!?

恋の箱庭

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「全員、揃いましたね」

公爵邸の広間。

急遽招集された使用人たち五十名が、整列してガタガタと震えている。

彼らの視線の先には、ふんぞり返る「魔王」シルヴィスと、片手に指示棒、片手に計算機を持った「新入り」イロハが立っていた。

イロハは使用人たちを品定めするように眺め、シルヴィスに尋ねた。

「閣下。この屋敷の離職率は?」

「先月は三割だな。私の顔を見て気絶したメイドが二人、スープをこぼして私の不興を買うのを恐れて夜逃げした料理人が一人だ」

「非効率の極みですね」

イロハはバインダーに何かを書き込んだ。

「恐怖政治は短期的には統率が取れますが、長期的には人材育成コストの無駄遣いです。本日より方針を転換します」

イロハが一歩前へ出る。

使用人たちがヒッと息を呑む。

「私の名はイロハ・フォン・ローゼン。本日からこの屋敷の財務および人事の全権を掌握します。単刀直入に言います。あなたたちの『働き』を査定します」

「さ、査定……?」

古株らしき執事がおそるおそる声を上げた。

「クビにするのですか……?」

「いいえ。適材適所への再配置(リストラクチャリング)です」

イロハは執事を指した。

「あなた、先ほどお茶を淹れるのに四分三十秒かかりましたね? 適正時間は三分です。一分半のロス。なぜですか?」

「は、はい……閣下の前だと手が震えてしまい、茶葉をこぼさないように慎重に……」

「その『恐怖』がコストです。閣下の顔色を窺う時間があるなら、給湯温度の管理に集中しなさい。今後、閣下への配膳は、すべて私が最終チェックを行います。あなたたちが直接怒られるリスクはゼロにします」

「えっ……」

執事の目が丸くなる。

「その代わり、私の基準を満たさない仕事をした場合は、給与から天引きします。閣下の怒り(プライスレス)と私の減給(実費)、どちらが良いですか?」

「げ、減給でお願いします! 喜んで!」

執事が即答した。

他の使用人たちも「減給で済むなら……!」「命は助かるんだ……!」と顔を輝かせ始めた。

「よし。交渉成立です」

イロハは満足げに頷くと、次々に指示を飛ばし始めた。

「そこのメイド。廊下の掃除にモップを使っていますが、その床材には不向きです。摩擦係数が高すぎて腰を痛める原因になります。ワックスの種類を変更し、モップの柄を五センチ長いものに変えなさい。労災リスクの低減です」

「は、はい!」

「そこの庭師。芝生のカットが不均一です。閣下の視界に入るエリアだけ重点的に整え、裏庭は除草剤で処理しなさい。見栄えとコストのバランスを考えなさい」

「承知しました!」

「厨房! 食材の廃棄率が高すぎます。残った野菜はスープの出汁にしなさい。閣下は味の違いなど分かりません。栄養価さえあれば文句は言わないはずです」

「おい、聞き捨てならないな」

シルヴィスが口を挟むが、イロハはスルーした。

「以上、解散! 直ちに業務に戻りなさい!」

「「「イエッサー!」」」

使用人たちは、先ほどまでの死んだ目が嘘のように、キビキビと動き出した。

誰もが「この新しい上司についていけば、魔王(閣下)に殺されずに済む」という希望を見出したのだ。

広間に静寂が戻る。

残されたのは、イロハとシルヴィスだけだ。

「……見事だな」

シルヴィスが感心したように拍手をした。

「私の恐怖を、お前の管理支配(ルール)で上書きするとは。まるで猛獣使いだ」

「猛獣使いではありません。リスクマネージャーです」

イロハは計算機を懐にしまう。

「これで現場の士気(モチベーション)は確保しました。次は閣下の『査定』です」

「私の?」

「はい。私は二十億ゴールドの債権と引き換えにここに来ました。ですが、閣下が私という資産をどう運用するか、その『経営者としての手腕』を査定させていただきます」

イロハはシルヴィスの正面に立ち、真っ直ぐに彼を見据えた。

「私は有能ですが、維持費もかかります。無能な主人の下では性能を発揮できません。もし閣下が感情論で動くようなら、私は契約解除を申し立てます」

生意気すぎる発言。

普通の貴族なら激昂するところだ。

だが、シルヴィスは楽しそうに喉を鳴らした。

「合格だ」

「は?」

「お前は、私に媚びない。私の地位にも、金にも、美貌にも靡かない。見ているのは『数字』と『結果』だけだ」

シルヴィスは立ち上がり、イロハの頬に手を伸ばした。

「そういう女を待っていた。……イロハ、お前の価値は二十億なんてものではないな」

「当然です。将来的な利益創出額を含めれば、最低でも百億の価値はあります」

「くくっ、なら百億分の働きをしてもらおうか。まずは――」

シルヴィスはテーブルの上にあった封筒をイロハに投げ渡した。

「これを処理してみろ」

「これは?」

イロハが封筒を開ける。

中に入っていたのは、一枚の通知書だった。

差出人は、イロハの実家であるローゼン侯爵家。

「『絶縁状』……ですか」

「ああ。お前の父親からだ。『王家を敵に回した娘など知らん。二度と敷居を跨ぐな』とのことだ」

内容は簡潔かつ非情だった。

着の身着のまま追い出され、実家からも見放された。

普通の令嬢なら泣き崩れる場面だ。

シルヴィスは、イロハがどんな悲痛な顔をするか、あるいは助けを求めてくるかと期待して覗き込んだ。

しかし。

「……ラッキー」

「ん?」

イロハは小さくガッツポーズをしていた。

「あ、いえ。失礼しました。つい本音が」

「お前、実家を勘当されたんだぞ? ショックではないのか?」

「全く。むしろ感謝したいですね」

イロハはペラペラと絶縁状を振り回した。

「実家は古臭いしきたりが多く、私のビジネス提案をことごとく却下する頭の硬い組織でした。それに、赤字続きの領地経営の責任を押し付けられる予感がしていたので、法的関係を断ち切れるのは願ってもないチャンスです」

「……」

「これで私の稼ぎはすべて私のものですし、実家の借金を背負う必要もない。身軽になりました! 閣下、お祝いに今夜の夕食は少し豪華にしましょう。経費で落とします」

イロハは鼻歌交じりに執務室を出て行こうとする。

シルヴィスは呆然とし、やがて肩を震わせて笑い出した。

「はは……っ! 傑作だ! 絶縁を『経費削減』と捉える令嬢など、世界中探してもお前だけだろう!」

「合理的判断です。では、私は荷解きをしてきます。部屋は一番日当たりの良い南向きを用意させておきましたので」

「おい、そこは私の部屋の隣だぞ?」

「警備コストを考えれば、最高戦力である閣下の側が最も安全ですから」

バタン。

扉が閉まる。

残されたシルヴィスは、愛おしそうに扉を見つめた。

「……買い取り査定は『Sランク』だな。とんでもない掘り出し物を手に入れてしまった」

冷徹公爵の顔は、かつてないほどに緩みきっていた。
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