婚約破棄、清算しましょう。真実の愛は非効率!?

恋の箱庭

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「……目が覚めたか、公爵の女よ」

薄暗い石造りの地下室。

イロハが目を覚ますと、そこはカビ臭い牢屋の中だった。

手足は粗末な麻縄で縛られ、目の前には目出し帽を被った怪しい男たちが三人、剣を抜いて立っている。

典型的な誘拐(キッドナップ)のシチュエーションだ。

普通の令嬢なら「キャー! 助けてー!」と叫び、失神するところだろう。

しかし、イロハは冷静に瞬きをし、まずは自分の拘束具合を確認した。

(……縛り方が甘いですね。ロープの結び目は「本結び」ではなく「縦結び」。素人仕事です。これなら三十秒で解けますが……さて)

彼女は次に、周囲の環境(アジト)を見渡した。

壁は湿気ており、塗装が剥がれている。

男たちの装備は剣の刃こぼれが目立ち、ブーツも底がすり減っている。

そして何より、部屋の隅にあるテーブルに散らばった食事――干からびた黒パンと、濁った水。

(……貧乏ですね)

イロハは心の中で「敵対勢力(ヴィラン)」の財務状況を瞬時に査定(アセスメント)し、大きなため息をついた。

「おい、何を余裕ぶっこいてやがる! 怖くないのか!」

リーダー格の男がドスの利いた声で怒鳴る。

「俺たちは隣国ガレリアの精鋭スパイ部隊『黒い牙』だ! お前を人質にして、あのシルヴィス公爵から国家機密と身代金をふんだくってやる!」

「精鋭……?」

イロハは鼻で笑った。

「その装備でですか? 剣の手入れに使う砥石代すら節約しているように見えますが」

「うぐっ……! う、うるせぇ! 予算が少ねぇんだよ!」

「予算不足。なるほど」

イロハは縛られたまま、コンサルタントの顔になった。

「スパイ活動における経費率は通常30%ですが、あなたたちの装備を見るに、資金繰りがショート寸前ですね。本部からの送金が遅れていますか?」

「な、なんでそれを……!? 『給料未払い三ヶ月目』だってことを見抜いたのか!?」

男たちがどよめく。

「簡単な推測です。あなたたちの目の下のクマ、痩せこけた頬、そして漂う『悲壮感』。これらは典型的なブラック企業の従業員の特徴です」

イロハは哀れみの目で彼らを見た。

「かわいそうに。身代金を取ったところで、どうせ上の人間にピンハネされるのがオチでしょう。割に合わない労働(ワーク)ですね」

「うっ……! そ、そうなんだよ! 命がけで潜入しても、手柄は全部隊長のもので、俺たちには危険手当も出ねぇんだ!」

下っ端の男Aが泣き崩れた。

「パンも硬いし……たまには肉が食いたいよぉ……」

「馬鹿野郎! 弱音を吐くな! ここで公爵から一億ゴールド巻き上げれば、俺たちも豪遊できるんだ!」

リーダーが必死に鼓舞するが、イロハは冷徹に現実を突きつけた。

「無理ですね」

「あぁ?」

「シルヴィス閣下は、テロリストとの交渉には応じない主義です。身代金を払うより、このアジトごと殲滅するコストのほうが安いと判断するでしょう」

「ひぃっ……!?」

「ですが、安心してください」

イロハはニッコリと微笑んだ。

「私があなたたちを『救済』してあげます」

「きゅ、救済……?」

「はい。私はプロの経営コンサルタント(自称)です。あなたたちの組織の『資金繰り』を改善し、黒字化して差し上げましょう。その代わり、私に『まともな食事』と『柔らかいベッド』を提供しなさい」

「はあ? 人質が何を……」

「嫌ならいいです。でも、このままだとあなたたちは来月には餓死か、公爵の私兵団にミンチにされるかの二択ですよ? 生き残りたくないのですか?」

イロハの瞳が、金貨のように怪しく輝く。

男たちは顔を見合わせ――そして、ガチャンと剣を捨てた。

「お、お願いします! 先生! 俺たちを助けてください!」

「黒字になりたいです! 肉が食いたいです!」

あっさり陥落した。

「よろしい。では、まずはその縄を解きなさい。そして、アジトの『出納帳』を持ってくること」

***

一時間後。

誘拐現場であるはずの地下室は、熱気ある『経営戦略会議室』と化していた。

「ひどい……これはひどすぎます」

イロハはボロボロの帳簿をめくりながら、スパイたちを叱責した。

「無駄な出費が多すぎます! 『情報収集費』として酒場に通い詰めていますが、成果が出ていないならただの『飲み代』です! 全額カット!」

「は、はいぃぃ!」

「武器の調達ルートも高すぎます。闇市ではなく、型落ちの中古品をリサイクル業者から仕入れなさい。性能は変わりません!」

「め、目からウロコです!」

「それと、あなたたちの潜入スキル。ただ隠れるだけじゃ生産性がありません。潜入先で『不用品回収』や『便利屋』の副業をやりなさい。情報を集めつつ小銭も稼げます。一石二鳥(シナジー)です!」

「すげぇ……! 先生は天才だ!」

スパイたちはイロハの言葉を必死にメモしている。

イロハはふかふかの椅子(リーダーが慌てて用意した)に座り、温かいスープ(ありあわせの食材でイロハがレシピを指定した)を飲みながら、満足げに頷いた。

「ふぅ……悪くないですね」

公爵邸では、シルヴィスの過剰な愛と執務に追われる日々だった。

それに比べてここは、自分の指示一つで男たちがキビキビと働く。

しかも、シルヴィスのような「予測不能な行動(セクハラ)」もない。

「ここは天国(パラダイス)ですか?」

イロハは伸びをした。

「誘拐されたと聞いて焦りましたが、これは思いがけない『休暇(バカンス)』ですね。しばらくここで、彼らの経営再建を楽しみましょうか」

外の世界で、自分の失踪によって『魔王』が覚醒し、国中が大パニックになっていることなどつゆ知らず。

イロハは久しぶりの「誰にも邪魔されない業務改善」に没頭していた。

***

一方その頃、公爵邸。

「……いない」

シルヴィスは、イロハのいない執務室で立ち尽くしていた。

机の上には、書きかけの書類と、彼女が愛用していた電卓が残されている。

「イロハが、どこにもいないだと……?」

「か、閣下! 目撃証言が! 街で怪しい馬車に押し込まれるイロハ様を見た者が……!」

セバスが蒼白な顔で報告に飛び込んでくる。

バキィッ!!

シルヴィスが手を触れていた重厚な執務机が、真っ二つにへし折れた。

「……」

彼は無言だった。

だが、その全身から溢れ出る魔力と殺気で、窓ガラスが一斉にヒビ割れ、屋敷全体が地震のように揺れた。

「……ほう。私の所有物に手を出した愚か者がいるのか」

シルヴィスが顔を上げる。

その瞳は、もはや人間のものではなかった。

完全に『魔王』の目だった。

「セバス。私兵団全軍を招集しろ。王都中の裏路地、地下水道、ネズミの穴まで全て捜索させろ」

「は、はいッ!」

「犯人を見つけ次第、殺すな。……五体満足で私の前に連れてこい。私が直々に『地獄の経理処理(お仕置き)』をしてやる」

「イエッサー!!」

シルヴィスはマントを翻し、嵐のように部屋を出て行った。

「待っていろ、イロハ。……お前を攫った代償、国一つ滅ぼしてでも払わせてやる」

王都に、未曽有の『災害警報』が発令されようとしていた。

犯人のスパイたち(現在はイロハの部下)の命運は、風前の灯火であった。
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