婚約破棄、清算しましょう。真実の愛は非効率!?

恋の箱庭

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「カイル! 貴様、いい加減にしろおおおおおッ!!」

王城の謁見の間。

国王陛下の雷のような怒号が、高い天井に反響した。

玉座の前で土下座しているのは、カイル王子だ。

彼は震える子犬のように身を縮め、国王――実の父親からの罵倒を全身で浴びていた。

「先日のタペストリーの件といい、書類仕事の滞留といい、外交使節団への不適切な対応といい……! 余の顔に泥を塗るのも大概にせよ!」

「も、申し訳ございません父上! ですが、あれには深い事情が……!」

「事情など知らん! 結果がすべてだ!」

国王は真っ赤な顔で、山のような書類の束を投げつけた。

バサササッ!

舞い散る書類。それはすべて、カイルが処理をミスして返送されてきた決裁書だった。

「イロハ嬢がいた頃は、こんなことは一度もなかった! 彼女が去ってから、我が国の行政効率は半分以下に落ちているぞ! 貴様、自分の婚約者一人繋ぎ止められず、あまつさえ彼女を『悪役』呼ばわりして追放したそうだな!?」

「そ、それは……彼女がマリアをいじめていたから……」

「黙れ! 調査の結果、マリア男爵令嬢の証言は『自爆』ばかりではないか!」

国王はこめかみを押さえて呻いた。

「……もうよい。カイル、貴様には王の資質がない」

そして、非情な宣告が下された。

「王位継承権の剥奪(廃嫡)を検討する」

「なっ……!?」

カイルが顔を上げる。

「は、廃嫡……!? そんな、僕は第一王子ですよ!? 僕を廃して、誰が王になるというのですか!」

「誰でもよい! 少なくとも、タペストリーを漂白するようなバカよりはマシだ!」

「父上ぇぇぇッ!」

カイルが絶望の叫びを上げた、その時だった。

「……失礼。取り込み中でしたか?」

重厚な扉が開き、涼しい顔をした二人の男女が入ってきた。

シルヴィス公爵と、その婚約者イロハだ。

「シルヴィス兄上! それにイロハ!」

カイルが救いを求めるように振り返る。

「陛下。先日、我が婚約者が誘拐された件についての『慰謝料請求』と、スパイ組織の『再就職斡旋(天下り)先』の相談に参りましたが」

シルヴィスは空気を読まずに用件を切り出した。

「おお、シルヴィスか……。ちょうどよかった」

国王は疲れ切った顔で、シルヴィスを見た。

「もうお前が王になれ。弟よりお前のほうが遥かに優秀だ。頼む、国を継いでくれ」

「お断りします」

シルヴィスは即答した。

「王になれば公務が増えます。イロハとイチャイチャする時間が減るので却下です」

「くっ……! どいつもこいつも……!」

国王が頭を抱える中、イロハはスタスタとカイルの元へ歩み寄った。

「久しぶりですね、カイル殿下。顔色が悪いですよ? ストレス性の胃炎ですか?」

「イロハ……! 聞いてくれ、父上が僕を廃嫡すると……!」

カイルは涙目でイロハを見上げた。

「どうしよう……僕は王になるために育てられたんだ。王冠を失ったら、僕には何も残らない……!」

「……ふむ」

イロハは懐から電卓を取り出し、カイルの目の前で叩き始めた。

「殿下。落ち着いて計算(シミュレーション)してみましょう」

「け、計算?」

「はい。『国王』という職業のコストパフォーマンスについてです」

イロハは指示棒を伸ばし、空中に仮想のグラフを描いた。

「まず、国王の労働時間は365日24時間。プライベートはありません。寝ている間も暗殺のリスクに怯え、食事には毒見が必要です。精神的負荷(ストレス)はマックスです」

「う、うん……」

「対して、報酬(リターン)は? 確かに権力はありますが、国の借金や外交問題などの『負債』もセットでついてきます。しかも、国民からは常に批判され、何かあれば責任を問われる。……割に合いませんね」

イロハはバッサリと言い放った。

「私なら、こんな『ブラック企業(王家)』のCEO(最高経営責任者)なんて、頼まれても断ります」

「えっ……?」

カイルが目をぱちくりさせる。

「そ、そうなのか? 王になるのは名誉なことだと……」

「名誉で飯は食えません。殿下、貴方は『パン屋』になりたいと言っていましたね?」

「あ、ああ。マリアと二人で、焼きたてのパンを売るのが夢だった……」

「その夢の実現可能性(フィジビリティ)を計算しましょう」

イロハは電卓を叩く速度を上げた。

「廃嫡されれば、貴方は平民、あるいは地方貴族になります。王族としての義務、重圧、父君からの叱責……これら全てが『ゼロ』になります」

「ゼロ……」

「朝は好きな時間に起き、マリア様とパンを焼き、売上で生活する。面倒な書類仕事も、外交儀礼もありません。あるのは小麦粉と、愛する人と、自由な時間だけです」

イロハはカイルの顔を覗き込んだ。

「どうですか? 王冠(ハイリスク・ローリターン)と、パン屋(ローリスク・ハイハピネス)。どちらが『お得』だと思いますか?」

「……あ、あれ?」

カイルの表情が変わっていく。

絶望から、困惑へ。そして、希望へ。

「書類をしなくていい……? 父上に怒られない……? マリアとずっと一緒にいられる……?」

「はい。しかも、貴方は元王子という肩書きがありますから、『王子のパン屋』として売り出せば、ブランド力で集客も容易です。初年度から黒字が見込めます」

「す、すごい……!」

カイルが立ち上がった。

その瞳はキラキラと輝いている。

「すごいぞイロハ! 君の言う通りだ! 僕はなんであんな重くて堅い王冠にこだわっていたんだ!?」

カイルは玉座の父王に向かって、晴れやかな笑顔で叫んだ。

「父上! 分かりました! 僕、廃嫡されます!」

「はあ!?」

国王がずっこけた。

「喜んで廃嫡されます! いや、むしろ退職願を出します! 今日から僕は自由なパン屋になります!」

「ま、待てカイル! 何を言い出すんだ!」

「止めても無駄です父上! イロハが計算してくれたんです! パン屋のほうが幸福度指数が高いって!」

カイルはマントを脱ぎ捨て、清々しい顔でイロハの手を握った。

「ありがとうイロハ! 君のおかげで目が覚めたよ! 僕は自由だああああ!」

カイルはスキップしながら謁見の間を出て行こうとする。

「あ、待てカイル! 逃げるな! 誰がこの書類の山を片付けるんだ!」

「知りませーん! 僕はもう部外者ですからー!」

バタン。

扉が閉まる。

残されたのは、呆然とする国王と、ニヤリと笑うシルヴィス、そして「コンサル料はどこに請求しましょうか」と考えているイロハだけだった。

「……イロハ」

シルヴィスが小声で囁く。

「お前、あれでよかったのか? 一国の王太子を焚き付けて、職務放棄(ニート化)させたぞ?」

「問題ありません。カイル殿下は王に向いていませんでしたから。これは適材適所への人材配置(リストラ)です」

イロハは涼しい顔で答えた。

「それに、彼がパン屋になれば、王家は『平民の生活を知る親しみやすい元王子』という広告塔を手に入れます。王室の好感度アップに繋がりますよ」

「……どこまでも計算高いな」

国王がよろよろと玉座から降りてきた。

「ま、待て……シルヴィスよ。カイルが行ってしまった今、本当に後継者がいない。頼む、お前が継いでくれ……」

国王がシルヴィスの足にすがりつく。

「陛下。交渉は後ほど。まずは私たちの『請求書』の処理をお願いします」

イロハは分厚い羊皮紙の束を、国王の目の前に積み上げた。

「誘拐事件の慰謝料、スパイたちの更生プログラム費用、あとついでにカイル殿下への『進路相談料』です。……分割払いは金利トイチですよ?」

「ひぃぃぃ……」

王城に、国王の悲鳴がこだました。

カイル王子改め、パン屋志望のカイル君は、これまでの人生で一番幸せそうな顔で廊下を走っていた。

だが、彼はまだ知らなかった。

パン屋の開業資金を借りるために、結局はイロハ銀行(高金利)の世話になる未来が待っていることを。
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