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「……呼び出しですか」
その日、イロハの元に王宮から一通の招待状が届いた。
差出人は、王妃エリザベート。
カイル王子の実母であり、シルヴィスの義理の母にあたる人物だ。
「ええ。しかも『お茶会』という名目ですが、参加者はイロハ様ただ一人。……どう見ても『呼び出し(サモン)』ですね」
執事のセバスが心配そうに眉を寄せる。
「イロハ様、お断りしたほうが……。王妃殿下は気性が荒く、特にカイル様の廃嫡騒動で今は気が立っておられます」
「断れば、公爵家の対外的な評判(レピュテーション)に関わります。それに……」
イロハは招待状の香りを嗅ぎ、ニヤリと笑った。
「この紙質、そしてインクの匂い。……どこか『焦り』を感じますね。掘れば何か出てきそうです」
「掘る……? 何をですか?」
「金脈(スキャンダル)です」
***
王宮の奥にある『白百合の離宮』。
そこは王妃エリザベートのプライベート空間であり、男子禁制の花園と呼ばれている。
案内されたサンルームでは、派手なドレスを着た王妃が、扇子をバシバシと叩きながら待っていた。
「ごきげんよう、王妃殿下。お招きいただき光栄です」
イロハが完璧なカーテシーを見せる。
しかし、王妃は挨拶も返さず、いきなり怒鳴りつけた。
「よくものこのこと来られたわね、この泥棒猫!」
「猫ではありません。人間です」
「減らず口を! 貴女のせいで、カイルは王冠を捨ててパン屋などという卑しい商売を始めたそうじゃないの! しかも、あろうことかシルヴィスまで誑かして!」
王妃は立ち上がり、イロハを指差した。
「認めません! 貴女のような守銭奴が公爵夫人になるなんて、この国の恥よ! 即刻シルヴィスと別れて、カイルを王城に連れ戻しなさい!」
「……提案(プロポーザル)の内容が非現実的です」
イロハは涼しい顔で答えた。
「カイル君は現在、マリア様と共に『新作クロワッサン』の開発に命を懸けています。彼を連れ戻せば、王都のパン愛好家たちが暴動を起こしますよ?」
「黙りなさい! これは王命に等しい命令よ!」
王妃はテーブルの上のベルを鳴らした。
「貴女が従わないなら、力尽くでも排除するわ。……衛兵!」
ガシャッ!
部屋の周囲に潜んでいた近衛兵たちが姿を現し、イロハを取り囲んだ。
「あら、暴力による解決(物理交渉)ですか? 野蛮ですね」
「お黙り! この場で貴女を『不敬罪』で投獄することなど造作もないのよ! さあ、どうするの? 牢屋の中で反省文を書くか、私の言う通りにするか!」
王妃が高笑いする。
完全な包囲網。
普通の令嬢なら泣いて命乞いをする場面だ。
しかし、イロハは懐から優雅に一枚の紙を取り出した。
「……反省文の代わりに、こちらの『決算報告書』を提出してもよろしいですか?」
「はあ? 何を訳の分からない……」
「これ、王妃殿下が主催されている『恵まれない子供たちのための慈善基金』の収支報告書です」
イロハは紙を広げた。
「昨年度、国民からの寄付金総額、五億ゴールド。しかし、実際に孤児院に送られたのは五千万ゴールド。……残りの四億五千万はどこへ消えたのでしょう?」
王妃の顔が凍りついた。
「な、何を……」
「調査しました(うちの部下が)。『事務経費』や『視察旅行費』という名目で、隣国の宝石商や、怪しげな『若返りの秘薬』の研究機関に送金されていますね」
イロハは指示棒を取り出し、ビシッと紙面を叩いた。
「特にここ。先月、『孤児院の修繕費』として計上された三千万ゴールド。同日に、殿下のクローゼットに『最高級ミンクのコート』が増えているのは偶然ですか?」
「……ッ!?」
「これは明白な『横領(エムベズメント)』です。国王陛下や国民が知ったら、どうなるでしょうね? カイル君のパン屋転身どころの騒ぎではありませんよ?」
「き、貴様……! どこでその情報を……!」
「私の部下には、優秀な元・スパイがおりますので」
イロハはニッコリと微笑んだ。
「王宮のセキュリティ(防火壁)は穴だらけでしたよ。特に殿下の私室の金庫、暗証番号が『1111』なのは危機管理意識が低すぎます」
「ぐぬぬ……!」
王妃がよろめく。
「ま、待ちなさい! 分かったわ! 金でしょ!? 口止め料を払うわ! いくら欲しいの!?」
「金銭での解決(示談)。賢明な判断です」
イロハは電卓を叩いた。
「口止め料として、横領額の全額返金。および、今後私が公爵夫人として行う事業への『王室公認のお墨付き』。さらに、カイル君のパン屋への『王室御用達』の認定」
「そ、そんなに!?」
「嫌なら、この書類を明日の朝刊にリークします。見出しは『強欲王妃、孤児のパンを奪って宝石を買う』で決まりですね」
「ひぃぃッ! 待って! 払うわ! 何でも言うことを聞くからぁ!」
王妃はその場に崩れ落ちた。
囲んでいた衛兵たちも、主人の敗北を悟り、そそくさと剣を収めた。
「交渉成立ですね」
イロハは満足げに書類をしまった。
そこへ、窓の外からパチパチと拍手が聞こえた。
「……見事だ、イロハ」
テラスから現れたのは、シルヴィスだった。
「シ、シルヴィス!? いつからそこに!?」
王妃が悲鳴を上げる。
「最初からだ。イロハが呼び出されたと聞いて、万が一のために待機していたが……私の出る幕はなかったな」
シルヴィスは呆れつつも、誇らしげにイロハの肩を抱いた。
「義母上。これに懲りたら、二度と私の婚約者にちょっかいを出さないでいただきたい。彼女を怒らせると、国が一つ傾くぞ?」
「うぅぅ……」
王妃は涙目で頷くしかなかった。
「帰りましょう、閣下。ここには生産性がありません」
「ああ。……しかしイロハよ、お前、王妃の裏帳簿まで押さえているとは。いつの間に?」
「備えあれば憂いなしです。敵対的買収(テイクオーバー)を仕掛けてくる相手の弱みを握るのは、ビジネスの基本ですよ?」
二人は悠然と離宮を去っていく。
背後では、王妃が「1111……変更しなきゃ……」とうわ言のように呟いていた。
こうして、王妃による妨害工作は、イロハの圧倒的な情報収集能力と監査スキルの前に、わずか数分で鎮圧されたのであった。
その日、イロハの元に王宮から一通の招待状が届いた。
差出人は、王妃エリザベート。
カイル王子の実母であり、シルヴィスの義理の母にあたる人物だ。
「ええ。しかも『お茶会』という名目ですが、参加者はイロハ様ただ一人。……どう見ても『呼び出し(サモン)』ですね」
執事のセバスが心配そうに眉を寄せる。
「イロハ様、お断りしたほうが……。王妃殿下は気性が荒く、特にカイル様の廃嫡騒動で今は気が立っておられます」
「断れば、公爵家の対外的な評判(レピュテーション)に関わります。それに……」
イロハは招待状の香りを嗅ぎ、ニヤリと笑った。
「この紙質、そしてインクの匂い。……どこか『焦り』を感じますね。掘れば何か出てきそうです」
「掘る……? 何をですか?」
「金脈(スキャンダル)です」
***
王宮の奥にある『白百合の離宮』。
そこは王妃エリザベートのプライベート空間であり、男子禁制の花園と呼ばれている。
案内されたサンルームでは、派手なドレスを着た王妃が、扇子をバシバシと叩きながら待っていた。
「ごきげんよう、王妃殿下。お招きいただき光栄です」
イロハが完璧なカーテシーを見せる。
しかし、王妃は挨拶も返さず、いきなり怒鳴りつけた。
「よくものこのこと来られたわね、この泥棒猫!」
「猫ではありません。人間です」
「減らず口を! 貴女のせいで、カイルは王冠を捨ててパン屋などという卑しい商売を始めたそうじゃないの! しかも、あろうことかシルヴィスまで誑かして!」
王妃は立ち上がり、イロハを指差した。
「認めません! 貴女のような守銭奴が公爵夫人になるなんて、この国の恥よ! 即刻シルヴィスと別れて、カイルを王城に連れ戻しなさい!」
「……提案(プロポーザル)の内容が非現実的です」
イロハは涼しい顔で答えた。
「カイル君は現在、マリア様と共に『新作クロワッサン』の開発に命を懸けています。彼を連れ戻せば、王都のパン愛好家たちが暴動を起こしますよ?」
「黙りなさい! これは王命に等しい命令よ!」
王妃はテーブルの上のベルを鳴らした。
「貴女が従わないなら、力尽くでも排除するわ。……衛兵!」
ガシャッ!
部屋の周囲に潜んでいた近衛兵たちが姿を現し、イロハを取り囲んだ。
「あら、暴力による解決(物理交渉)ですか? 野蛮ですね」
「お黙り! この場で貴女を『不敬罪』で投獄することなど造作もないのよ! さあ、どうするの? 牢屋の中で反省文を書くか、私の言う通りにするか!」
王妃が高笑いする。
完全な包囲網。
普通の令嬢なら泣いて命乞いをする場面だ。
しかし、イロハは懐から優雅に一枚の紙を取り出した。
「……反省文の代わりに、こちらの『決算報告書』を提出してもよろしいですか?」
「はあ? 何を訳の分からない……」
「これ、王妃殿下が主催されている『恵まれない子供たちのための慈善基金』の収支報告書です」
イロハは紙を広げた。
「昨年度、国民からの寄付金総額、五億ゴールド。しかし、実際に孤児院に送られたのは五千万ゴールド。……残りの四億五千万はどこへ消えたのでしょう?」
王妃の顔が凍りついた。
「な、何を……」
「調査しました(うちの部下が)。『事務経費』や『視察旅行費』という名目で、隣国の宝石商や、怪しげな『若返りの秘薬』の研究機関に送金されていますね」
イロハは指示棒を取り出し、ビシッと紙面を叩いた。
「特にここ。先月、『孤児院の修繕費』として計上された三千万ゴールド。同日に、殿下のクローゼットに『最高級ミンクのコート』が増えているのは偶然ですか?」
「……ッ!?」
「これは明白な『横領(エムベズメント)』です。国王陛下や国民が知ったら、どうなるでしょうね? カイル君のパン屋転身どころの騒ぎではありませんよ?」
「き、貴様……! どこでその情報を……!」
「私の部下には、優秀な元・スパイがおりますので」
イロハはニッコリと微笑んだ。
「王宮のセキュリティ(防火壁)は穴だらけでしたよ。特に殿下の私室の金庫、暗証番号が『1111』なのは危機管理意識が低すぎます」
「ぐぬぬ……!」
王妃がよろめく。
「ま、待ちなさい! 分かったわ! 金でしょ!? 口止め料を払うわ! いくら欲しいの!?」
「金銭での解決(示談)。賢明な判断です」
イロハは電卓を叩いた。
「口止め料として、横領額の全額返金。および、今後私が公爵夫人として行う事業への『王室公認のお墨付き』。さらに、カイル君のパン屋への『王室御用達』の認定」
「そ、そんなに!?」
「嫌なら、この書類を明日の朝刊にリークします。見出しは『強欲王妃、孤児のパンを奪って宝石を買う』で決まりですね」
「ひぃぃッ! 待って! 払うわ! 何でも言うことを聞くからぁ!」
王妃はその場に崩れ落ちた。
囲んでいた衛兵たちも、主人の敗北を悟り、そそくさと剣を収めた。
「交渉成立ですね」
イロハは満足げに書類をしまった。
そこへ、窓の外からパチパチと拍手が聞こえた。
「……見事だ、イロハ」
テラスから現れたのは、シルヴィスだった。
「シ、シルヴィス!? いつからそこに!?」
王妃が悲鳴を上げる。
「最初からだ。イロハが呼び出されたと聞いて、万が一のために待機していたが……私の出る幕はなかったな」
シルヴィスは呆れつつも、誇らしげにイロハの肩を抱いた。
「義母上。これに懲りたら、二度と私の婚約者にちょっかいを出さないでいただきたい。彼女を怒らせると、国が一つ傾くぞ?」
「うぅぅ……」
王妃は涙目で頷くしかなかった。
「帰りましょう、閣下。ここには生産性がありません」
「ああ。……しかしイロハよ、お前、王妃の裏帳簿まで押さえているとは。いつの間に?」
「備えあれば憂いなしです。敵対的買収(テイクオーバー)を仕掛けてくる相手の弱みを握るのは、ビジネスの基本ですよ?」
二人は悠然と離宮を去っていく。
背後では、王妃が「1111……変更しなきゃ……」とうわ言のように呟いていた。
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