22 / 28
22
しおりを挟む
「……もう限界だ。国を割るぞ」
ある晴れた日の午後。
平和なはずの公爵邸の執務室で、シルヴィスが書類の束を暖炉に投げ込みながら、不穏すぎる発言をした。
燃え上がる紙束を見つめる彼の瞳は、本気(マジ)だった。
「国を……割る? 物理的にですか? 地殻変動を起こすと地価が下がりますが」
イロハは動じることなく、燃える書類の『灰の処理代』を計算しながら尋ねた。
「違う。政治的な意味だ。『独立』する」
シルヴィスは椅子にドカッと座り、こめかみを揉んだ。
「王家が役に立たん。カイルがパン屋になってから、国王陛下が毎日泣きついてくる。『隣国との条約文が読めない』『予算の計算が合わない』『王妃がまた宝石を買おうとしている』……すべて私のところに回ってくる」
彼は机の上に山積みになった『王家からのSOS書類』を指差した。
「私は公爵だぞ? なぜ王の尻拭いを無償でやらねばならんのだ。……こんな面倒な国など見限って、公爵領を『グランディエ皇国』として独立させる。私が皇帝になり、お前が皇后になればいい」
シルヴィスはニヤリと笑った。
「どうだ、イロハ? 『悪役令嬢』から『建国の母』へクラスチェンジだ。悪くない響きだろう?」
クーデター宣言である。
普通の令嬢なら「まあ素敵! 王妃様になれるのね!」と喜ぶか、「そんな大それたこと!」と震えるかだ。
しかし、イロハは深いため息をついた。
「却下します」
「……なぜだ? お前なら『国家予算を自由に動かせる』と喜ぶと思ったが」
「喜びません。手間(コスト)と利益(ベネフィット)が見合いません」
イロハは指示棒を取り出し、シルヴィスの目の前に突きつけた。
「閣下。独立国家を作るということは、単に旗を立てて万歳することではありません。膨大な『実務』が発生するということです」
「実務だと?」
「第一に『通貨発行』です。独自の貨幣を作る必要がありますが、その鋳造コスト、偽造防止技術の開発、そして他国通貨との『為替レート』の計算……誰がやるんですか?」
「……お前がやればいい」
「死にます。過労死します」
イロハは即答した。
「毎日変動するレートを計算し、両替手数料を設定し、インフレ率を管理する……。想像しただけで吐き気がします。今の共通通貨(ゴールド)を使っているほうが遥かに楽です」
「む……」
「第二に『関税障壁』です。独立すれば、王都との間に国境が生まれます。今まで自由に流通していた商品に、いちいち関税がかかります。税率の計算、税関職員の配置、密輸対策……。ハーブ一本売るのにも輸出許可証が必要になりますよ?」
イロハは畳み掛ける。
「私の試算では、独立に伴う事務作業量は現在の五百倍。私の睡眠時間はマイナス三時間になります。それでも独立したいですか?」
「睡眠時間マイナスは困るな。お前の肌が荒れる」
シルヴィスが怯む。
「極めつけは『外交承認』です。勝手に独立しても、周辺諸国が認めなければただの『反乱軍』です。戦争になります。軍事費で国庫が空になりますよ?」
イロハは冷徹に言い放った。
「結論。独立は『ハイコスト・ローリターン』の極みです。割に合いません」
「……ちっ」
シルヴィスは舌打ちをした。
「正論すぎて反論できん。だが、このまま王家の奴隷として働くのは癪だ。私のプライドが許さん」
「ええ、お気持ちは分かります。ですから、別案(プランB)を提示します」
イロハはニヤリと笑った。
その笑顔は、独立を企む反逆者よりも遥かにタチの悪い、真の黒幕の顔だった。
「独立なんて面倒なことはせず、このまま『寄生』しましょう」
「寄生?」
「はい。王家という『看板』は残したまま、実権だけを我々が握るのです。名付けて『ホールディングス化計画』です」
イロハはホワイトボードに図を描き始めた。
「王家を『親会社』に見立てますが、実質的な経営権は『子会社』である公爵家が持ちます。国王陛下には面倒な儀式や外交パーティなどの『名誉職』だけを押し付け、我々は裏で政策決定と利権を独占します」
「……ほう」
「そして、ここが重要です。王家からの依頼業務には、すべて『コンサルティング料』および『業務委託費』を請求します」
イロハはチョークをへし折る勢いで力説した。
「『条約文の解読:一件につき百万ゴールド』『予算案の作成:削減額の三割を報酬とする』……こうやって契約を結べば、王家の財布から合法的に公爵家へ資金が還流します」
「……なるほど」
「独立すれば、我々が王として責任を負わねばなりません。しかし、この方法なら、責任は王家に、利益は我々に。……どうですか? 『影の支配者』のほうが、儲かると思いませんか?」
シルヴィスはしばらくボードを凝視し、やがて低い声で笑い出した。
「くくっ……はははは! 恐ろしい奴だ!」
彼は立ち上がり、イロハの腰を引き寄せた。
「独立して『皇帝』になるより、国を乗っ取って『黒幕』になるほうが得だと? お前、本当に悪役令嬢だな」
「褒め言葉として受け取っておきます。私はただ、効率的な統治(ガバナンス)を提案しているだけです」
「気に入った。採用だ」
シルヴィスはイロハの頬にキスをした。
「グランディエ皇国はやめだ。その代わり、この国を裏から操る『グランディエ・コンツェルン』を作ろう。……社長は私、副社長はお前だ」
「異議なしです。では早速、国王陛下に『業務委託契約書』を送りつけてきます」
イロハは電卓を叩きながら、意気揚々と部屋を出て行こうとする。
「あ、待てイロハ」
「はい?」
「その契約書に、一つ条項を加えろ。『王家主催の夜会への参加免除』だ。あれは退屈でたまらん」
「承知しました。『参加する場合は特別出演料を請求する』としておきます」
「完璧だ」
二人は邪悪な笑みを交わした。
こうして、公爵領の独立危機は、イロハの「事務作業が面倒くさい」という個人的な理由によって回避された。
その代わり、この国は実質的に「公爵家の私物」へと変貌を遂げつつあった。
王城では、何も知らない国王が「おお! シルヴィスが手伝ってくれると言うのか! 持つべきものは優秀な臣下じゃ!」と涙を流して喜んでいた。
その手元の契約書に書かれた、天文学的な金額の『業務委託費』に気づくのは、翌月の請求書が届いてからである。
ある晴れた日の午後。
平和なはずの公爵邸の執務室で、シルヴィスが書類の束を暖炉に投げ込みながら、不穏すぎる発言をした。
燃え上がる紙束を見つめる彼の瞳は、本気(マジ)だった。
「国を……割る? 物理的にですか? 地殻変動を起こすと地価が下がりますが」
イロハは動じることなく、燃える書類の『灰の処理代』を計算しながら尋ねた。
「違う。政治的な意味だ。『独立』する」
シルヴィスは椅子にドカッと座り、こめかみを揉んだ。
「王家が役に立たん。カイルがパン屋になってから、国王陛下が毎日泣きついてくる。『隣国との条約文が読めない』『予算の計算が合わない』『王妃がまた宝石を買おうとしている』……すべて私のところに回ってくる」
彼は机の上に山積みになった『王家からのSOS書類』を指差した。
「私は公爵だぞ? なぜ王の尻拭いを無償でやらねばならんのだ。……こんな面倒な国など見限って、公爵領を『グランディエ皇国』として独立させる。私が皇帝になり、お前が皇后になればいい」
シルヴィスはニヤリと笑った。
「どうだ、イロハ? 『悪役令嬢』から『建国の母』へクラスチェンジだ。悪くない響きだろう?」
クーデター宣言である。
普通の令嬢なら「まあ素敵! 王妃様になれるのね!」と喜ぶか、「そんな大それたこと!」と震えるかだ。
しかし、イロハは深いため息をついた。
「却下します」
「……なぜだ? お前なら『国家予算を自由に動かせる』と喜ぶと思ったが」
「喜びません。手間(コスト)と利益(ベネフィット)が見合いません」
イロハは指示棒を取り出し、シルヴィスの目の前に突きつけた。
「閣下。独立国家を作るということは、単に旗を立てて万歳することではありません。膨大な『実務』が発生するということです」
「実務だと?」
「第一に『通貨発行』です。独自の貨幣を作る必要がありますが、その鋳造コスト、偽造防止技術の開発、そして他国通貨との『為替レート』の計算……誰がやるんですか?」
「……お前がやればいい」
「死にます。過労死します」
イロハは即答した。
「毎日変動するレートを計算し、両替手数料を設定し、インフレ率を管理する……。想像しただけで吐き気がします。今の共通通貨(ゴールド)を使っているほうが遥かに楽です」
「む……」
「第二に『関税障壁』です。独立すれば、王都との間に国境が生まれます。今まで自由に流通していた商品に、いちいち関税がかかります。税率の計算、税関職員の配置、密輸対策……。ハーブ一本売るのにも輸出許可証が必要になりますよ?」
イロハは畳み掛ける。
「私の試算では、独立に伴う事務作業量は現在の五百倍。私の睡眠時間はマイナス三時間になります。それでも独立したいですか?」
「睡眠時間マイナスは困るな。お前の肌が荒れる」
シルヴィスが怯む。
「極めつけは『外交承認』です。勝手に独立しても、周辺諸国が認めなければただの『反乱軍』です。戦争になります。軍事費で国庫が空になりますよ?」
イロハは冷徹に言い放った。
「結論。独立は『ハイコスト・ローリターン』の極みです。割に合いません」
「……ちっ」
シルヴィスは舌打ちをした。
「正論すぎて反論できん。だが、このまま王家の奴隷として働くのは癪だ。私のプライドが許さん」
「ええ、お気持ちは分かります。ですから、別案(プランB)を提示します」
イロハはニヤリと笑った。
その笑顔は、独立を企む反逆者よりも遥かにタチの悪い、真の黒幕の顔だった。
「独立なんて面倒なことはせず、このまま『寄生』しましょう」
「寄生?」
「はい。王家という『看板』は残したまま、実権だけを我々が握るのです。名付けて『ホールディングス化計画』です」
イロハはホワイトボードに図を描き始めた。
「王家を『親会社』に見立てますが、実質的な経営権は『子会社』である公爵家が持ちます。国王陛下には面倒な儀式や外交パーティなどの『名誉職』だけを押し付け、我々は裏で政策決定と利権を独占します」
「……ほう」
「そして、ここが重要です。王家からの依頼業務には、すべて『コンサルティング料』および『業務委託費』を請求します」
イロハはチョークをへし折る勢いで力説した。
「『条約文の解読:一件につき百万ゴールド』『予算案の作成:削減額の三割を報酬とする』……こうやって契約を結べば、王家の財布から合法的に公爵家へ資金が還流します」
「……なるほど」
「独立すれば、我々が王として責任を負わねばなりません。しかし、この方法なら、責任は王家に、利益は我々に。……どうですか? 『影の支配者』のほうが、儲かると思いませんか?」
シルヴィスはしばらくボードを凝視し、やがて低い声で笑い出した。
「くくっ……はははは! 恐ろしい奴だ!」
彼は立ち上がり、イロハの腰を引き寄せた。
「独立して『皇帝』になるより、国を乗っ取って『黒幕』になるほうが得だと? お前、本当に悪役令嬢だな」
「褒め言葉として受け取っておきます。私はただ、効率的な統治(ガバナンス)を提案しているだけです」
「気に入った。採用だ」
シルヴィスはイロハの頬にキスをした。
「グランディエ皇国はやめだ。その代わり、この国を裏から操る『グランディエ・コンツェルン』を作ろう。……社長は私、副社長はお前だ」
「異議なしです。では早速、国王陛下に『業務委託契約書』を送りつけてきます」
イロハは電卓を叩きながら、意気揚々と部屋を出て行こうとする。
「あ、待てイロハ」
「はい?」
「その契約書に、一つ条項を加えろ。『王家主催の夜会への参加免除』だ。あれは退屈でたまらん」
「承知しました。『参加する場合は特別出演料を請求する』としておきます」
「完璧だ」
二人は邪悪な笑みを交わした。
こうして、公爵領の独立危機は、イロハの「事務作業が面倒くさい」という個人的な理由によって回避された。
その代わり、この国は実質的に「公爵家の私物」へと変貌を遂げつつあった。
王城では、何も知らない国王が「おお! シルヴィスが手伝ってくれると言うのか! 持つべきものは優秀な臣下じゃ!」と涙を流して喜んでいた。
その手元の契約書に書かれた、天文学的な金額の『業務委託費』に気づくのは、翌月の請求書が届いてからである。
0
あなたにおすすめの小説
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。
三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。
何度も断罪を回避しようとしたのに!
では、こんな国など出ていきます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる