婚約破棄、清算しましょう。真実の愛は非効率!?

恋の箱庭

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「……高い。高すぎます」

公爵邸の応接室。

テーブルの上に広げられた分厚い見積書を見下ろし、イロハは氷点下の声を絞り出した。

対面に座っているのは、王都で最も予約が取れないと言われるカリスマ・ウェディングプランナー、ミシェルだ。

彼はオネエ言葉で、自信満々に胸を張った。

「あら、何を仰るのイロハ様! これでも公爵家の格式に合わせて、最低限のプランをご提案したつもりよ? 総額五億ゴールド。お安いものでしょ?」

「五億……!」

イロハは計算機を叩きすぎて指から煙が出そうだった。

「ミシェルさん。この内訳の『演出費:一億』とは何ですか?」

「それはもちろん! 誓いのキスの瞬間に、天井から一斉に放たれる二千羽の白鳩と、五万枚の金箔吹雪よ! 幻想的でしょ~?」

「却下です」

イロハは赤ペンで二重線を引いた。

「屋内での鳥類の使用は衛生管理上アウトです。フンの落下リスク、羽毛アレルギーの懸念、そして回収コスト。すべてが無駄(ロス)です」

「ええっ!? じゃあ金箔は?」

「床が滑りやすくなり、転倒事故の原因になります。それに掃除代が嵩みます。却下」

イロハは次々と項目を削除していく。

「『ウェディングケーキ:高さ十メートル』……耐震構造計算書はありますか? 倒壊したら大惨事です。高さは三十センチで十分。味は変わりません」

「三十センチ!? ショートケーキじゃないのよ!?」

「『お色直し:五回』……着替えのたびに中座していたら、ゲストとの対話時間(ネットワーキング)が減ります。一回で結構。なんなら着替えなくてもいいです」

「そんな! 花嫁の夢が台無しよ!」

ミシェルが悲鳴を上げる中、イロハは冷徹に言い放った。

「夢で飯は食えません。結婚式はあくまで『契約の儀式』です。必要なのは法的効力のある署名と、証人の確保だけ。極論を言えば、役所の窓口でハンコを押すだけで事足ります」

「の、ノーロマンティック!」

ミシェルが卒倒しかけた時、背後から不満げな声が響いた。

「……待て、イロハ」

シルヴィスだった。

彼は腕組みをして、削除だらけの見積書を睨みつけた。

「やりすぎだ。私の結婚式だぞ? 国一番の豪華な式に決まっているだろう」

「閣下。豪華さと無駄遣いは違います」

「違わない。無駄こそが貴族の嗜みだ」

シルヴィスはミシェルに向き直った。

「ミシェル。鳩はやめておけ、確かにフンは汚い。だが、代わりに『魔法の花火』を打ち上げろ。屋内でな」

「まあ素敵! 魔導師を十人雇えば可能ですわ!」

「それからケーキだ。高さ十メートル? 低いな。屋根をぶち抜いて二十メートルにしろ。最上段に我々が登って入刀する」

「キャー! 斬新! 命綱が必要ね!」

「お色直しも五回では足りん。十回だ。イロハの美しさを全属性(火・水・風・土・光・闇……)のドレスで表現しろ」

「最高よ公爵様! 予算は倍になるけどいいわね!?」

「構わん。青天井だ」

シルヴィスとミシェルが手を取り合って盛り上がっている。

イロハの中で、何かがプツンと切れた。

「……いい加減にしてください」

ダンッ!!

イロハは見積書を机に叩きつけた。

「閣下! 貴方は経営者(オーナー)としての自覚があるのですか!? 予算青天井なんて言葉、この世で一番嫌いな日本語です!」

「イロハ、金のことばかり言うな。これは『愛』の表現だ」

シルヴィスは真顔で説いた。

「私はお前を世界一の花嫁にしたいのだ。そのためなら、五億でも十億でも惜しくはない」

「……っ」

甘い言葉だ。

普通の令嬢なら頬を染めて「シルヴィス様……♡」となるところだ。

だが、イロハはブレなかった。

彼女はシルヴィスの胸倉を掴み、グイッと引き寄せた。

「よくお聞きください、閣下」

「……なんだ、キスか?」

「違います。説教です」

イロハの瞳が据わっている。

「愛はお金じゃ買えません。……ですが、式場代は『現金払い』なんです!」

「……」

「愛だの夢だのと浮かれている間に、誰がこの請求書の処理をすると思っているんですか!? 私ですよ! 貴方の愛が重ければ重いほど、私の事務作業と資金繰りの負担が増えるんです!」

イロハは叫んだ。

「二十メートルのケーキ? 食べきれずに廃棄するコスト(生ゴミ処理代)を計算しましたか? 十回のお色直し? その間、ゲストを放置して料理が冷めるリスクを考えましたか?」

「そ、それは……」

「貴方の自己満足のために、資源を浪費するのは許しません! 結婚式は『見世物』ではなく、二人の門出を祝う『事業(プロジェクト)』です! 黒字……せめて収支トントンを目指すべきです!」

イロハの剣幕に、さすがの魔王公爵もたじろいだ。

「わ、分かった……。少し落ち着け」

「落ち着いていられません! ミシェルさん、修正案を出します!」

イロハは赤ペンを振るった。

「花火は中止。代わりに、領地の特産品を使った『キャンドルサービス』にします。これなら販促活動(プロモーション)になります」

「は、はい……」

「ケーキは三段で十分。ただし、スポンジの中に『当たりくじ』を仕込みます。当たった人には公爵家特製グッズをプレゼント。これで顧客満足度(CS)を上げます」

「な、なるほど……?」

「お色直しは一回。ただし、ドレスは私がデザインした『機能性ドレス』の試作品を着ます。この式の様子をカタログにして、後日ドレスの受注販売を行います」

イロハは目をぎらつかせた。

「結婚式をただの消費活動で終わらせてはいけません! これは最大の『展示会(エキシビション)』です! 参列する高位貴族たちに、我が領地の産品と技術を売り込むチャンスなのです!」

「……」

ミシェルはポカンと口を開け、やがて震えながら拍手をした。

「……す、凄いわイロハ様……! こんなに商魂たくましい花嫁、初めて見たわ!」

「お褒めにあずかり光栄です」

イロハはシルヴィスに向き直った。

「どうですか、閣下? これなら予算を一億に抑えつつ、将来的な売上で三億の利益が見込めます。愛も示せて、お金も儲かる。Win-Winです」

シルヴィスはしばらく呆然としていたが、やがて深い溜息をつき――そして、破顔した。

「ははは……! 完敗だ」

彼はイロハの頭を乱暴に撫でた。

「全く、色気のない花嫁だ。……だが、そこがいい」

シルヴィスは見積書を取り上げ、サインをした。

「採用だ。お前のプランで行こう。ただし、一つだけ条件がある」

「なんでしょう? オプション追加は有料ですよ」

「誓いのキスだ」

シルヴィスはニヤリと笑った。

「そこだけは、私の好きにさせてもらう。演出も、時間もな。……ゲストが赤面して逃げ出すくらい、濃厚に見せつけてやる」

「……へ?」

「それが私の『宣伝活動』だ。この女は俺のものだと、世界中に知らしめるためのな」

イロハの顔が、計算機の赤字表示のように真っ赤に染まった。

「そ、それは……公序良俗に反する恐れが……」

「却下だ。決定事項だ」

シルヴィスは楽しそうに笑うと、ミシェルに向かって宣言した。

「ミシェル、聞いたな? キスの時間は『無制限』で進行表(タイムテーブル)を組め。他の余興は全てカットしても構わん」

「キャー! 承知しましたわ! 照明をピンク色にしておきます!」

「ちょ、待ってください! そんな恥ずかしいこと……!」

イロハが抗議するが、二人は聞く耳を持たない。

「諦めろイロハ。……覚悟しておけよ?」

耳元で囁かれ、イロハはへなへなと座り込んだ。

(……誤算です。キスの『精神的ダメージ(羞恥心)』をコスト計算に入れていませんでした……)

完璧な予算管理を行ったはずのイロハだったが、唯一制御できない「魔王の愛情」という不確定要素に、今回もまた翻弄されるのであった。
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