悪役令嬢、婚約破棄に即答する、この王子〇〇すぎて私が悪女に見えるだけでは?

恋の箱庭

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「エリオット様、また書類が溜まってきましたぁ……」


王太子執務室。
先日の「チェルシーによる有料大掃除」から一週間。
部屋は再び、カオス(混沌)へと回帰しつつあった。

学習能力のないエリオット王子とミナのペアでは、整理整頓という概念を維持することすら困難だったのだ。


「くっ……なぜだ! なぜ終わらない! チェルシーがいた時は、書類の方から勝手に片付いていくように見えたのに!」


「それはチェルシー様が徹夜で処理していたからです」と側近が突っ込もうとしたが、王子の不機嫌を恐れて口をつぐんだ。

エリオットは羽根ペンをへし折った。


「やはり、チェルシーが必要だ。あの『コンサルタント契約』とかいう高い金ではなく、俺の婚約者としてタダでこき使わねば……いや、側に置いてやらねば!」


「で、でもエリオット様。お姉様はもう結婚しちゃいましたよ?」


ミナが首を傾げる。
エリオットはニヤリと不敵に笑った。


「フン。あんなのは当てつけだ。俺の気を引くための芝居に決まっている。俺から『戻ってきてもいいぞ』と優しく声をかけてやれば、泣いて喜んで戻ってくるはずだ!」


「さすがエリオット様! ポジティブですね!」


「よし、手紙を書くぞ! 俺の溢れる愛と、王太子の威厳を見せつける最高の手紙をな!」


エリオットは新しい紙を広げ、自信満々に筆を走らせた。


***


翌朝、宰相邸。

チェルシーとサイラスは、いつものように並んで朝食をとっていた。
本日のメニューは、チェルシーが提案した「脳の活性化を促すDHA豊富な焼き魚定食」だ。


「……魚の骨を外す作業は、指先の巧緻性を高めますね」


「ああ。だが、君の皿の魚、骨だけが見事に残って標本のようだ。解剖学の講義でもできそうだ」


「効率的に肉だけを抽出しました。……おや?」


チェルシーの手が止まる。
執事が銀盆に乗せて持ってきたのは、一通の封書だった。
差出人の印章は、王家の紋章――獅子(ちゃんと足が四本ある正規のもの)。


「王城から……エリオット殿下ですね」


「チッ。またか」


サイラスが露骨に舌打ちをした。
ナイフを持つ手に力が入り、焼き魚が一刀両断される。


「回収しよう。どうせロクな内容ではない。そのまま暖炉の焚き付けにするのが資源の有効活用だ」


「待ってください。一応、公文書扱いです。内容確認(リード)だけは行います」


チェルシーはペーパーナイフで封を切り、手紙を取り出した。
そして、読み始めてからわずか三秒後。

彼女の眉間に、深い皺が刻まれた。


「……ひどい」


「なんだ? 罵詈雑言でも書かれているのか?」


「いえ。文章構成(シンタックス)が壊滅的です。主語と述語がねじれの位置にあります。これを読むのは、解読不能な暗号資産のログを追うより苦痛です」


チェルシーは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
サイラスが覗き込む。

手紙の内容はこうだ。


『親愛なる(と書いてやってる)チェルシーへ。
 君がいなくなってから、城の空気が悪い。これは君の呪いだろうか?
 俺は広い心で君を許すことにした。今なら戻ってくることを許可する。
 サイラスのような暗い男より、太陽のような俺の方がいいに決まっている。
 すぐに荷物をまとめて城に来い。ミナも「三人で仲良くしましょう」と言っている。
 これは命令ではない、愛の提案だ。返事は「はい」のみ受け付ける。
 追伸:昨日食べたケーキが美味しかった。』


読み終わったサイラスの顔から、表情が消えた。
部屋の温度が五度下がる。


「……『暗い男』だと?」


「そこですか? 私は『君の呪い』という非科学的な言いがかりと、『許可する』という上から目線、そして最後の『ケーキの感想』という脈絡のない情報(ノイズ)に殺意を覚えました」


チェルシーは無表情のまま、懐から一本のペンを取り出した。

鮮やかな赤インクのペンだ。


「……どうするつもりだ?」


「教育的指導(フィードバック)を行います。元教育係としての最後の慈悲です」


チェルシーは手紙をテーブルに広げ、猛然と書き込みを始めた。


「まず、冒頭の挨拶。敬語の使い方が間違っています。『~してやる』は公用文には不適切。減点五」

「『君の呪い』。事実無根。因果関係の証明がなされていません。論理的飛躍により減点十」

「『許可する』。何様のつもりでしょうか? 現在の私の身分は公爵夫人であり、王太子の許可を必要とする立場にありません。認識不足により減点二十」

「『暗い男』。……これは名誉毀損ですね。サイラス様は暗いのではなく『沈着冷静』です。語彙力不足により減点十五」


チェルシーのペンが走るたびに、手紙が赤く染まっていく。
サイラスは、自分の悪口を訂正してくれたことに少し機嫌を直した。


「そして極め付けはここです。『返事は「はい」のみ受け付ける』。これは選択の自由を侵害する憲法違反の可能性があります。独裁者の思想です。減点五十」

「最後の『ケーキ』。……作文における『統一性』を完全に無視しています。小学生の日記でしょうか? 減点三十」


カリカリカリッ!
最後に、手紙の右上に大きく点数を書き込む。


**『合計:-30点(追試が必要)』**


「……完了しました」


チェルシーはふぅ、と息を吐いた。
手紙はもはや原型を留めておらず、真っ赤な添削指導書と化していた。


「これを送り返すのか?」


「はい。『再提出は認めません。二度と送ってこないように』という付箋をつけて」


チェルシーは手際よく封筒に入れ直し、封蝋(シーリングワックス)を垂らして封をした。
その手つきに迷いはない。


「……君は本当に、彼に未練がないのだな」


サイラスがポツリと漏らす。
その声には、安堵と、ほんの少しの呆れが混じっていた。


「未練? 不良債権に未練を持つ投資家がいますか? 私が関心を持っているのは、目の前の優良物件(あなた)だけですよ」


チェルシーは何食わぬ顔で焼き魚の残りを口に運んだ。
サイラスは虚を突かれ、そして耳まで赤くした。


「……不意打ちの『デレ』は心臓に悪い」


「デレではありません。資産評価です」


「それを世間では惚気(のろけ)と言うんだ」


サイラスは苦笑し、チェルシーの頬についた米粒を取ってやった。
(もちろん、また自分の口へ運んだ)。


***


数時間後、王城。

エリオット王子はソワソワと執務室を歩き回っていた。


「まだか? チェルシーからの返事はまだか? きっと感動のあまり、手紙を抱きしめて泣いているに違いない……!」


「殿下! 宰相府より返信が届きました!」


従者が駆け込んでくる。
エリオットは目を輝かせて封筒をひったくった。


「来た! 愛の返事だ! 『はい、喜んで戻ります、愛しのエリオット様』と……ん?」


封を開けたエリオットの手が止まる。
中から出てきたのは、血のように赤く染まった、自分の手紙だった。


「な、なんだこれは……!?」


そこには、びっしりと書き込まれたダメ出しの山。
『論理破綻』『語彙力欠如』『事実誤認』『字が汚い』。
そして右上の『-30点』の文字。


「ま、マイナス!? 0点ですらないのか!?」


「殿下、付箋があります」


従者が読み上げる。


『拝啓 エリオット殿下。
 この手紙の文章レベルは、王立学園の初等部以下です。
 国を統べる者として、まずは国語のドリルからやり直すことを強く推奨します。
 なお、私は現在、サイラス様の「暗くない」知的な会話と、「甘くない」合理的な愛に満たされておりますので、復縁の可能性は天文学的確率でゼロです。
 以上。
 P.S. ケーキの感想は日記帳に書いてください。』


「ぶべらっ!!」


エリオットは謎の奇声を上げて仰け反った。
物理的な攻撃は受けていないはずなのに、精神へのダメージ(クリティカルヒット)でHPがゼロになったのだ。


「ひどい……! 俺の愛を……赤ペンで採点するなんてぇぇぇ!」


王子はその場に崩れ落ち、泣き出した。
ミナが「よしよし、エリオット様。私がケーキ食べて慰めてあげますね!」とトドメを刺す。


王城に平和が訪れるのは、まだまだ先の話になりそうだった。
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