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「……ああ。足りませんわ。圧倒的に足りませんわ、ゼノス様」
グラッセ公爵邸の豪華な応接室。
私は、ふかふかのソファに深く沈み込み、天井を見上げて力なく呟きました。
「どうしたのですか、チューナ様。先ほど、あんなに山盛りのおむすびを平らげたばかりでしょう。……まさか、もう消化したのですか?」
隣で書類をめくっていたゼノス様が、眼鏡を押し上げながら呆れたように私を見ました。
「いいえ、ゼノス様。お腹は満たされていますわ。……ですが、私の『別腹』が、悲鳴を上げているのです! 炭水化物の波の後に必要なのは、脳を痺れさせるような、暴力的な『糖分』ですわ!」
「別腹、ですか。……貴女の体には、一体いくつの胃袋が存在しているのでしょうね」
ゼノス様がため息をついたその時。
執事が慌てた様子で部屋に飛び込んできました。
「お嬢様、ゼノス閣下! 砂漠の国『アザラド』より、伝説の商団が到着いたしました! 王宮へ向かう前に、ぜひとも『食の女神』であるお嬢様に献上したい品があるとのことです!」
「アザラドの商団……。あの、世界中の希少なスパイスと砂糖を牛耳る、強欲な連中ですか」
ゼノス様の瞳が、一瞬で政治家の鋭さを取り戻しました。
「……お嬢様。彼らはただで物を贈るような連中ではありません。……ですが、彼らが持ち込んだのは、あの『溶けるダイヤモンド』だと聞いています」
「……溶ける……ダイヤモンド……?」
私の脳内で、キラキラと輝く甘美な宝石が踊り始めました。
数分後。
応接室に現れたのは、日焼けした肌に豪奢な絹を纏った商団の長、ジャファールでした。
彼は恭しく、一つの小さな、しかし冷気を放つ銀の箱をテーブルに置きました。
「……お初にお目に掛かります、食欲……失礼、美食の令嬢チューナ様。……これこそが、我が国に伝わる禁断の至宝。……砂漠の夜露と、千年に一度しか咲かないサボテンの蜜を凝縮した、究極のスイーツにございます」
ジャファールが銀の箱を開けると、そこには、透明で、内側から淡いブルーの光を放つような、四角い結晶が並んでいました。
「……っ!! なんて美しいのかしら……」
「これは『溶けるダイヤモンド』。……口に含めば、体温で瞬時に液体へと変わり、脳を直接甘みで殴られるような衝撃を与えます。……ただし、これを一箱食べる権利と引き換えに、我が商団の王都での『独占販売権』を認めていただきたい」
ジャファールの目が、ギラリと光りました。
美食の快楽と引き換えに、国の経済を人質に取る。……まさに、悪魔の取引です。
「……チューナ様。ダメですよ。これは明らかに罠だ。……我が国の砂糖の価格を彼らに握らせるわけにはいかない」
ゼノス様が私の肩を強く掴みました。
しかし、私の視線は、その青く光る結晶から一ミリも動きませんでした。
(……この結晶……ただの砂糖ではありませんわ。……わずかに香る、ハーブの清涼感。そして、結晶化しているのに、内側に液体を閉じ込めている……。……これは……!)
私は、ゼノス様の制止を振り切り、その「ダイヤモンド」を一粒、手に取りました。
「チューナ様!?」
「……いただきますわ!」
ポイ、と口に放り込んだ瞬間。
私の世界が、氷と蜜の嵐に包まれました。
「…………っっっっっっ!!!!!!!!」
口の中で、硬い結晶が『パリン』と弾けたかと思うと、中からキンキンに冷えた、超濃厚な蜜が溢れ出したのです。
舌の上で溶ける感覚は、まさにダイヤモンドが魔法で水に変わったかのよう。
「……あ、甘い……! 脳が……脳が溶けますわ……! この甘みの波、暴力的なのに、後味は砂漠の夜風のように涼やか……! ああ……天国は、私の口の中にありましたのね!」
私は、恍惚とした表情でその場に膝をつきました。
ジャファールが勝ち誇ったように笑います。
「くっくっく。……さあ、チューナ様。その快楽を維持したいのであれば、サインを。……この一箱、すべて貴女のものです」
「……待ちなさい」
私は、震える足で立ち上がりました。
そして、ジャファールを冷徹な瞳で見据えたのです。
「……確かに美味しい。……ですが、ジャファールさん。……貴方、これを作る過程で、ある『重大なミス』を犯していらっしゃいますわね?」
「……な、何だと? ミスだと!?」
ジャファールの顔が引きつりました。
「……この蜜。サボテンの蜜だけでなく、少しばかり『塩』を加えましたわね? 甘みを際立たせるためでしょうけれど……その塩のミネラル分が、最後の一口でわずかな『渋み』に変質してしまっている。……これでは、三粒も食べれば、喉が焼けてしまいますわ」
「そ、そんなはずは……! これは代々伝わる完璧な秘法だぞ!」
「……完璧ではありませんわ。……ゼノス様、奥の冷蔵庫から、例の『バルカス産の酸っぱいベリーのエキス』を持ってきてくださる?」
ゼノス様は、驚きながらも素早く動いてくれました。
私は、溶けるダイヤモンドの表面に、一滴だけその赤いエキスを落としました。
「……さあ、これを食べてごらんなさい」
私はジャファールの口に、それを押し込みました。
「……はむっ。…………っ!? ……な、なんだ、これはぁぁぁ!!」
ジャファールが叫びました。
「……渋みが消えた……!? いや、それどころか、ベリーの酸味が蜜の甘さを引き締め、まるで『初恋』のような爽やかさへと進化した! ……くっ、私は……私は今まで、何を食べていたんだ!」
ジャファールは、自分の持ってきた至宝を投げ出し、私の足元にひれ伏しました。
「……負けだ。……私の完敗だ。……これほどの味覚と、瞬時にレシピを修正する知略。……貴女こそ、真の商売人……いや、食の支配者だ!」
「……勘違いしないで。私はただ、美味しいものを、最も美味しい状態で食べたいだけですわ」
私は、ジャファールの独占販売権の書類をびりびりと破り捨てました。
「……代わりに、この『ダイヤモンド』の製法を我が国に提供しなさい。……その代わりに、私がこのベリーとの黄金比を教えてあげますわ。……お互いに、より多くの美味しいものを食べられた方が、幸せでしょう?」
ジャファールは、涙を流しながら頷きました。
こうして、砂糖の独占権を狙った商団の野望は、一滴のベリーエキスによって粉砕されました。
「……ふぅ。……ゼノス様、やっと脳が落ち着きましたわ。……これ、お茶と一緒にいただくと最高ですわよ?」
「……チューナ様。貴女は本当に……。……政治的危機を、美食の追求だけで解決してしまうのですね」
ゼノス様は、呆れ果てたように笑いながら、私に温かいお茶を淹れてくれました。
その夜。ゼノスの手帳には、もはや戦慄に近い敬意が記されていました。
『報告:チューナ・フォン・グラッセ。彼女は、甘い誘惑さえも自らの糧(かて)とし、より高みへと昇華させてしまった。……彼女の味覚を敵に回すことは、世界中の軍隊を相手にするよりも恐ろしい。……追伸、彼女が甘いものを食べて『ふにゃっ』と笑う顔は、どんなダイヤモンドよりも甘く、私の理性を溶かしかねない危険な代物だった』
グラッセ公爵邸の豪華な応接室。
私は、ふかふかのソファに深く沈み込み、天井を見上げて力なく呟きました。
「どうしたのですか、チューナ様。先ほど、あんなに山盛りのおむすびを平らげたばかりでしょう。……まさか、もう消化したのですか?」
隣で書類をめくっていたゼノス様が、眼鏡を押し上げながら呆れたように私を見ました。
「いいえ、ゼノス様。お腹は満たされていますわ。……ですが、私の『別腹』が、悲鳴を上げているのです! 炭水化物の波の後に必要なのは、脳を痺れさせるような、暴力的な『糖分』ですわ!」
「別腹、ですか。……貴女の体には、一体いくつの胃袋が存在しているのでしょうね」
ゼノス様がため息をついたその時。
執事が慌てた様子で部屋に飛び込んできました。
「お嬢様、ゼノス閣下! 砂漠の国『アザラド』より、伝説の商団が到着いたしました! 王宮へ向かう前に、ぜひとも『食の女神』であるお嬢様に献上したい品があるとのことです!」
「アザラドの商団……。あの、世界中の希少なスパイスと砂糖を牛耳る、強欲な連中ですか」
ゼノス様の瞳が、一瞬で政治家の鋭さを取り戻しました。
「……お嬢様。彼らはただで物を贈るような連中ではありません。……ですが、彼らが持ち込んだのは、あの『溶けるダイヤモンド』だと聞いています」
「……溶ける……ダイヤモンド……?」
私の脳内で、キラキラと輝く甘美な宝石が踊り始めました。
数分後。
応接室に現れたのは、日焼けした肌に豪奢な絹を纏った商団の長、ジャファールでした。
彼は恭しく、一つの小さな、しかし冷気を放つ銀の箱をテーブルに置きました。
「……お初にお目に掛かります、食欲……失礼、美食の令嬢チューナ様。……これこそが、我が国に伝わる禁断の至宝。……砂漠の夜露と、千年に一度しか咲かないサボテンの蜜を凝縮した、究極のスイーツにございます」
ジャファールが銀の箱を開けると、そこには、透明で、内側から淡いブルーの光を放つような、四角い結晶が並んでいました。
「……っ!! なんて美しいのかしら……」
「これは『溶けるダイヤモンド』。……口に含めば、体温で瞬時に液体へと変わり、脳を直接甘みで殴られるような衝撃を与えます。……ただし、これを一箱食べる権利と引き換えに、我が商団の王都での『独占販売権』を認めていただきたい」
ジャファールの目が、ギラリと光りました。
美食の快楽と引き換えに、国の経済を人質に取る。……まさに、悪魔の取引です。
「……チューナ様。ダメですよ。これは明らかに罠だ。……我が国の砂糖の価格を彼らに握らせるわけにはいかない」
ゼノス様が私の肩を強く掴みました。
しかし、私の視線は、その青く光る結晶から一ミリも動きませんでした。
(……この結晶……ただの砂糖ではありませんわ。……わずかに香る、ハーブの清涼感。そして、結晶化しているのに、内側に液体を閉じ込めている……。……これは……!)
私は、ゼノス様の制止を振り切り、その「ダイヤモンド」を一粒、手に取りました。
「チューナ様!?」
「……いただきますわ!」
ポイ、と口に放り込んだ瞬間。
私の世界が、氷と蜜の嵐に包まれました。
「…………っっっっっっ!!!!!!!!」
口の中で、硬い結晶が『パリン』と弾けたかと思うと、中からキンキンに冷えた、超濃厚な蜜が溢れ出したのです。
舌の上で溶ける感覚は、まさにダイヤモンドが魔法で水に変わったかのよう。
「……あ、甘い……! 脳が……脳が溶けますわ……! この甘みの波、暴力的なのに、後味は砂漠の夜風のように涼やか……! ああ……天国は、私の口の中にありましたのね!」
私は、恍惚とした表情でその場に膝をつきました。
ジャファールが勝ち誇ったように笑います。
「くっくっく。……さあ、チューナ様。その快楽を維持したいのであれば、サインを。……この一箱、すべて貴女のものです」
「……待ちなさい」
私は、震える足で立ち上がりました。
そして、ジャファールを冷徹な瞳で見据えたのです。
「……確かに美味しい。……ですが、ジャファールさん。……貴方、これを作る過程で、ある『重大なミス』を犯していらっしゃいますわね?」
「……な、何だと? ミスだと!?」
ジャファールの顔が引きつりました。
「……この蜜。サボテンの蜜だけでなく、少しばかり『塩』を加えましたわね? 甘みを際立たせるためでしょうけれど……その塩のミネラル分が、最後の一口でわずかな『渋み』に変質してしまっている。……これでは、三粒も食べれば、喉が焼けてしまいますわ」
「そ、そんなはずは……! これは代々伝わる完璧な秘法だぞ!」
「……完璧ではありませんわ。……ゼノス様、奥の冷蔵庫から、例の『バルカス産の酸っぱいベリーのエキス』を持ってきてくださる?」
ゼノス様は、驚きながらも素早く動いてくれました。
私は、溶けるダイヤモンドの表面に、一滴だけその赤いエキスを落としました。
「……さあ、これを食べてごらんなさい」
私はジャファールの口に、それを押し込みました。
「……はむっ。…………っ!? ……な、なんだ、これはぁぁぁ!!」
ジャファールが叫びました。
「……渋みが消えた……!? いや、それどころか、ベリーの酸味が蜜の甘さを引き締め、まるで『初恋』のような爽やかさへと進化した! ……くっ、私は……私は今まで、何を食べていたんだ!」
ジャファールは、自分の持ってきた至宝を投げ出し、私の足元にひれ伏しました。
「……負けだ。……私の完敗だ。……これほどの味覚と、瞬時にレシピを修正する知略。……貴女こそ、真の商売人……いや、食の支配者だ!」
「……勘違いしないで。私はただ、美味しいものを、最も美味しい状態で食べたいだけですわ」
私は、ジャファールの独占販売権の書類をびりびりと破り捨てました。
「……代わりに、この『ダイヤモンド』の製法を我が国に提供しなさい。……その代わりに、私がこのベリーとの黄金比を教えてあげますわ。……お互いに、より多くの美味しいものを食べられた方が、幸せでしょう?」
ジャファールは、涙を流しながら頷きました。
こうして、砂糖の独占権を狙った商団の野望は、一滴のベリーエキスによって粉砕されました。
「……ふぅ。……ゼノス様、やっと脳が落ち着きましたわ。……これ、お茶と一緒にいただくと最高ですわよ?」
「……チューナ様。貴女は本当に……。……政治的危機を、美食の追求だけで解決してしまうのですね」
ゼノス様は、呆れ果てたように笑いながら、私に温かいお茶を淹れてくれました。
その夜。ゼノスの手帳には、もはや戦慄に近い敬意が記されていました。
『報告:チューナ・フォン・グラッセ。彼女は、甘い誘惑さえも自らの糧(かて)とし、より高みへと昇華させてしまった。……彼女の味覚を敵に回すことは、世界中の軍隊を相手にするよりも恐ろしい。……追伸、彼女が甘いものを食べて『ふにゃっ』と笑う顔は、どんなダイヤモンドよりも甘く、私の理性を溶かしかねない危険な代物だった』
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