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三年前の嵐の夜、ヴィーネの母リーシアは突然、倒れた。
何の予兆もなく、その日の昼間はいつものように笑っていたのに――
思いもかけない出来事に、ヴィーネは狼狽え、怯え、母に取り縋った。
まさか緑の、生命の賢者であるレオナの名を持つ母に、このような事態が生ずるとは思ってもみなかったのだ。
失いかけて初めて分かる、穏やかな何気ない日常の大切さ――
震えながら、意識のない母に付き添ったあの夜は、ヴィーネの心に深く刻まれることとなる。
それから、意識を取り戻した後も、母はなかなか寝床から起き上がることは出来なかった。
このまま、母を失うようなことになったら――
不安を押し殺し、ヴィーネは懸命に看病した。
母リーシア=レオナと同様に、ヴィーネには生命の賢者となりうる可能性を秘めた緑の紋が、生まれつき左胸にあった。
いわゆる賢者紋の試しと呼ばれるそれは、第一、第二、第三紋を経て、賢者の紋として形を変える。
第一紋は、素質を指し示すもの。
それは、素養を示す色のついた小さな円形で、大抵額、胸、肩、太腿辺りに多く生まれつき顕れる。
一般には知られていないことだが、色味の強いほど潜在能力が強いとされる。
だが、生まれ持った能力も、磨かねばそれまで。
何もしなければ、普通、色味はどんどん抜けていき、行いによっては最悪無能より悪い白となる。
次に、第二紋――これは、自らの能力を伸ばそうと努力した者へ与えられるもの。
この紋は、能力を磨けば磨くほど、一定の大きさまで育つからだ。
七つの塔それぞれに属する使者の多くが、この賢者紋の試し、通称賢者紋を持つ。
能力の大きさは円の大きさと比例するので、ある意味関係者にとっては分かりやすい。
第三紋となると、円紋に細かな線が入り混じり、七つに分かれ、蕾のような形状となる。
ここまで到達するものは、七つの塔全てを合わせても、ごくごく僅かだ。
いずれも塔の上級使者、時代によっては長級となる。
そして、紋の最終形態である賢者の紋は、その者固有の形状となる。
加えて、賢者の紋を持つ者は、古の七賢者の名も受け継ぐようになる。
母リーシアが賢者の紋の証として見事な樹冠を左胸に抱いているのに対し、当時のヴィーネは賢者の紋へと変ずる手前、第三紋に到達したばかりだった。
ヴィーネは悔やむ。己の力の無さを――――第三紋に達することさえ、極めて稀な、大いに誇れることなのを知らずに。
当時の緑の塔の長でさえ賢者の紋を持たず、若干十一歳のヴィーネがそれと同等の能力を持つ証を得ていたのは、驚異的なことなのを露知らず――――ヴィーネは嘆きつつも、気丈に母に寄り添い、毎日少しでも母を楽にするよう、自分の出来ることを精一杯がむしゃらに取り組んだ。
母様は、きっと良くなる。
希望を胸に頑張り続けるヴィーネを見て、母リーシアはそれから自らの体調不良を隠すようになった、と思い返した今ならば分かる。
弱みを吐かず、いつも穏やかに笑っていた母。
倒れる前と同じように振舞い、閉じられた精霊の森の中で、思えば追立てられるように、ヴィーネへ自らの知識を教え伝え磨かせていた。
そして、その難易度は、格段に上がっていった。
己の力不足を痛感したヴィーネは、死に物狂いで母の指導についていった――もう、あんな思いは二度としたくない、という一心で。
母様は、きっとこのまま元気になる――ヴィーネの強い願いを叶えるように、振る舞っていた母。
だけど、本当は分かっていたのでは?
夜中にじっと息を潜めるようにして、起きていた母を見たとき。
生命力に満ち溢れていた母に、月光のような儚さを感じるようになったとき。
何でもない振りをする母の微笑みが、段々透き通るように綺麗になってきた、と言いようのない不安に捕らわれたとき――
そして、いつしか母リーシアは、ヴィーネに課題を与えては、何処かへ出かけるようになった。
そうして、母の姿を見ない日が増えた頃、ヴィーネは母から思いがけない別離と療養の願いを切り出されたのだ。
何の予兆もなく、その日の昼間はいつものように笑っていたのに――
思いもかけない出来事に、ヴィーネは狼狽え、怯え、母に取り縋った。
まさか緑の、生命の賢者であるレオナの名を持つ母に、このような事態が生ずるとは思ってもみなかったのだ。
失いかけて初めて分かる、穏やかな何気ない日常の大切さ――
震えながら、意識のない母に付き添ったあの夜は、ヴィーネの心に深く刻まれることとなる。
それから、意識を取り戻した後も、母はなかなか寝床から起き上がることは出来なかった。
このまま、母を失うようなことになったら――
不安を押し殺し、ヴィーネは懸命に看病した。
母リーシア=レオナと同様に、ヴィーネには生命の賢者となりうる可能性を秘めた緑の紋が、生まれつき左胸にあった。
いわゆる賢者紋の試しと呼ばれるそれは、第一、第二、第三紋を経て、賢者の紋として形を変える。
第一紋は、素質を指し示すもの。
それは、素養を示す色のついた小さな円形で、大抵額、胸、肩、太腿辺りに多く生まれつき顕れる。
一般には知られていないことだが、色味の強いほど潜在能力が強いとされる。
だが、生まれ持った能力も、磨かねばそれまで。
何もしなければ、普通、色味はどんどん抜けていき、行いによっては最悪無能より悪い白となる。
次に、第二紋――これは、自らの能力を伸ばそうと努力した者へ与えられるもの。
この紋は、能力を磨けば磨くほど、一定の大きさまで育つからだ。
七つの塔それぞれに属する使者の多くが、この賢者紋の試し、通称賢者紋を持つ。
能力の大きさは円の大きさと比例するので、ある意味関係者にとっては分かりやすい。
第三紋となると、円紋に細かな線が入り混じり、七つに分かれ、蕾のような形状となる。
ここまで到達するものは、七つの塔全てを合わせても、ごくごく僅かだ。
いずれも塔の上級使者、時代によっては長級となる。
そして、紋の最終形態である賢者の紋は、その者固有の形状となる。
加えて、賢者の紋を持つ者は、古の七賢者の名も受け継ぐようになる。
母リーシアが賢者の紋の証として見事な樹冠を左胸に抱いているのに対し、当時のヴィーネは賢者の紋へと変ずる手前、第三紋に到達したばかりだった。
ヴィーネは悔やむ。己の力の無さを――――第三紋に達することさえ、極めて稀な、大いに誇れることなのを知らずに。
当時の緑の塔の長でさえ賢者の紋を持たず、若干十一歳のヴィーネがそれと同等の能力を持つ証を得ていたのは、驚異的なことなのを露知らず――――ヴィーネは嘆きつつも、気丈に母に寄り添い、毎日少しでも母を楽にするよう、自分の出来ることを精一杯がむしゃらに取り組んだ。
母様は、きっと良くなる。
希望を胸に頑張り続けるヴィーネを見て、母リーシアはそれから自らの体調不良を隠すようになった、と思い返した今ならば分かる。
弱みを吐かず、いつも穏やかに笑っていた母。
倒れる前と同じように振舞い、閉じられた精霊の森の中で、思えば追立てられるように、ヴィーネへ自らの知識を教え伝え磨かせていた。
そして、その難易度は、格段に上がっていった。
己の力不足を痛感したヴィーネは、死に物狂いで母の指導についていった――もう、あんな思いは二度としたくない、という一心で。
母様は、きっとこのまま元気になる――ヴィーネの強い願いを叶えるように、振る舞っていた母。
だけど、本当は分かっていたのでは?
夜中にじっと息を潜めるようにして、起きていた母を見たとき。
生命力に満ち溢れていた母に、月光のような儚さを感じるようになったとき。
何でもない振りをする母の微笑みが、段々透き通るように綺麗になってきた、と言いようのない不安に捕らわれたとき――
そして、いつしか母リーシアは、ヴィーネに課題を与えては、何処かへ出かけるようになった。
そうして、母の姿を見ない日が増えた頃、ヴィーネは母から思いがけない別離と療養の願いを切り出されたのだ。
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