7 / 69
6
しおりを挟む
しばらく落ち着いて家にいることのなかった母リーシアは、その日、ヴィーネの好きな木の実入りケーキや薬草入りクッキーと共に、ゆったりとお茶の用意をして待っていた。
「母様! お帰りなさい」
久しぶりの母のくつろいだ様子に、嬉しくなって飛びつくヴィーネ。
「ただいま、ヴィー。一緒に、お茶しましょう?」
それを、何処か吹っ切れたような明るい笑顔で、母リーシアはそっと抱きしめてくれた。
そこから始まった会話は、ヴィーネにとって思いもかけないものだったのだけど――
「ヴィー、今まで話したことはなかったのだけど、母様の兄様――あなたの伯父さまは、ルルスにいるの」
「そうなの? ルルスって、東の、大きな港があるところだよね?あの、商人の街とされる」
ちょっと首を傾げながら、問うヴィーネ。
「そう! そうなのよ。ルルスは古くから続く生粋の商人の街でね、あの街独自の特異な文化と慣習があるの。……そう、例えば、あそこでは何でも利益で換算されることが多いのよ。だから、子供さえも両親または後見人の財産とみなされるの。国が成人と認める、十五歳まではね」
「どういうことなの? 母様」
「ここ、リュミエール王国では、個人の自由意志が尊重されているわよね? けれど、一部の地方では、その土地に根差した価値観や慣習が優先されている――ルルスもそんな土地のひとつ。あそこは、商人の街。商人には、目利きが大事。物であれ、人であれ、良いものは早いうちに見つけ出して、手に入れなければやっていけない、という風習が根強く残っているの。……だからあそこでは、成人して自らの意志が尊重される十五歳以前に、優秀な者はみな婚約させられることが多い。とても裕福な家、若しくは子供の意志を尊重するだけの余力と良識――こちら側の考えだけど――のある家を除いて、ね」
それを聞いて、さらに首を傾げるヴィーネ。
「でも、婚約でしょう? 嫌だったら、十五歳になってから、自分で解消すれば良いのでは?」
リーシアは、悲し気に微笑んだ。
「そういうわけには、いかないの。実際、ルルスで家同士の婚約の取り決めが交わされるところまで話が進んでしまったら、もうほとんど取り消せない。――この国では人身売買は禁止されているけれど、そのようなものよ。取り消しには、莫大な慰謝料が取られるし、家の名誉は失墜して、もうルルスにいられない上、何処に逃げようとルルスの影響下にある事柄では、一生横やりが入り、苦しめられるの」
ヴィーネは顔をしかめ、首を振った。
「わたし、そんなところへは、一生行きたくないわ! ……でも母様、何か随分、事情に詳しいのね?」
何気なく言った言葉に、リーシアは苦笑した。
「……実は、やっちゃったのよね」
「何を?」
「だから、――婚約破棄」
「――っっ!! だって、さっき、出来ないって――!」
混乱して、言葉に詰まるヴィーネに母リーシアは冷静に返した。
「そう、ほとんど出来ない、よ。――あの頃、わたし達兄妹は、訳あってしばらくルルスへ滞在していた。元々わたしはルルスに留まるつもりなんてなかったし、人に勝手に値段を付けて売り払うような、強欲じじい共がどうなろうと構わなかったのだけど……」
リーシアはため息を深く吐いた。
「兄様が身代わりを買って出たのよ――」
普段の歌うような柔らかな調子とは別人のように、目を伏せ、低い声で感情を押し込めるように話は続いた。
母曰く、兄妹揃って寝耳に水状態でリーシアの婚約について聞かされたとき、兄リチャードは蒼白になり、すぐさまルルスから逃げろ、と指示したらしい。
自分もすぐ後を追うから――と。
兄妹揃って夜逃げした後に強欲じじい共が破産でもしたなら万々歳だと、胸のすく想いでリーシアが遠くへ逃げた後、知ったのは兄の結婚話だった――と。
「当時、幸運なことにわたしの能力はルルスで知られていなかった。わたしは容姿のみが取り柄の娘だと思われていたの。もちろん、年頃の娘にとって、それは何より縁談話を掴む武器のひとつなのでしょうけど……。それに比べて、兄は容姿はもちろん才能も申し分ないことが知れ渡っていた――容姿端麗、頭脳明晰、体術剣術抜群と、花婿候補としては三拍子揃った最高物件だったのよ、兄様は。ただ兄様――伯父様は当時十八歳になっていたから、後見人としてでも勝手に誰も手が出せなかっただけ……」
この国では成人していれば、個人の自由意志が認められ尊重される。
なので、いくつか年の離れた兄弟姉妹の後見人となることも勿論可能だ。
しかし、商人の街ルルスのような特殊な地域では、それは出来ない。
商売の絡む土地柄で十五歳では信用が足らない、という建前の元、後見人は成人から十年以上経験を積んだ者――最低でも二十五歳以上という地方独自の決まり事を知らなかったリーシア達は、致命的な過ちを犯してしまった。
いつの間にかリーシアの身柄は、兄ではない後見人へと渡り、それ故にこのような屈辱的な出来事が起きてしまったのだ、と。
「母様! お帰りなさい」
久しぶりの母のくつろいだ様子に、嬉しくなって飛びつくヴィーネ。
「ただいま、ヴィー。一緒に、お茶しましょう?」
それを、何処か吹っ切れたような明るい笑顔で、母リーシアはそっと抱きしめてくれた。
そこから始まった会話は、ヴィーネにとって思いもかけないものだったのだけど――
「ヴィー、今まで話したことはなかったのだけど、母様の兄様――あなたの伯父さまは、ルルスにいるの」
「そうなの? ルルスって、東の、大きな港があるところだよね?あの、商人の街とされる」
ちょっと首を傾げながら、問うヴィーネ。
「そう! そうなのよ。ルルスは古くから続く生粋の商人の街でね、あの街独自の特異な文化と慣習があるの。……そう、例えば、あそこでは何でも利益で換算されることが多いのよ。だから、子供さえも両親または後見人の財産とみなされるの。国が成人と認める、十五歳まではね」
「どういうことなの? 母様」
「ここ、リュミエール王国では、個人の自由意志が尊重されているわよね? けれど、一部の地方では、その土地に根差した価値観や慣習が優先されている――ルルスもそんな土地のひとつ。あそこは、商人の街。商人には、目利きが大事。物であれ、人であれ、良いものは早いうちに見つけ出して、手に入れなければやっていけない、という風習が根強く残っているの。……だからあそこでは、成人して自らの意志が尊重される十五歳以前に、優秀な者はみな婚約させられることが多い。とても裕福な家、若しくは子供の意志を尊重するだけの余力と良識――こちら側の考えだけど――のある家を除いて、ね」
それを聞いて、さらに首を傾げるヴィーネ。
「でも、婚約でしょう? 嫌だったら、十五歳になってから、自分で解消すれば良いのでは?」
リーシアは、悲し気に微笑んだ。
「そういうわけには、いかないの。実際、ルルスで家同士の婚約の取り決めが交わされるところまで話が進んでしまったら、もうほとんど取り消せない。――この国では人身売買は禁止されているけれど、そのようなものよ。取り消しには、莫大な慰謝料が取られるし、家の名誉は失墜して、もうルルスにいられない上、何処に逃げようとルルスの影響下にある事柄では、一生横やりが入り、苦しめられるの」
ヴィーネは顔をしかめ、首を振った。
「わたし、そんなところへは、一生行きたくないわ! ……でも母様、何か随分、事情に詳しいのね?」
何気なく言った言葉に、リーシアは苦笑した。
「……実は、やっちゃったのよね」
「何を?」
「だから、――婚約破棄」
「――っっ!! だって、さっき、出来ないって――!」
混乱して、言葉に詰まるヴィーネに母リーシアは冷静に返した。
「そう、ほとんど出来ない、よ。――あの頃、わたし達兄妹は、訳あってしばらくルルスへ滞在していた。元々わたしはルルスに留まるつもりなんてなかったし、人に勝手に値段を付けて売り払うような、強欲じじい共がどうなろうと構わなかったのだけど……」
リーシアはため息を深く吐いた。
「兄様が身代わりを買って出たのよ――」
普段の歌うような柔らかな調子とは別人のように、目を伏せ、低い声で感情を押し込めるように話は続いた。
母曰く、兄妹揃って寝耳に水状態でリーシアの婚約について聞かされたとき、兄リチャードは蒼白になり、すぐさまルルスから逃げろ、と指示したらしい。
自分もすぐ後を追うから――と。
兄妹揃って夜逃げした後に強欲じじい共が破産でもしたなら万々歳だと、胸のすく想いでリーシアが遠くへ逃げた後、知ったのは兄の結婚話だった――と。
「当時、幸運なことにわたしの能力はルルスで知られていなかった。わたしは容姿のみが取り柄の娘だと思われていたの。もちろん、年頃の娘にとって、それは何より縁談話を掴む武器のひとつなのでしょうけど……。それに比べて、兄は容姿はもちろん才能も申し分ないことが知れ渡っていた――容姿端麗、頭脳明晰、体術剣術抜群と、花婿候補としては三拍子揃った最高物件だったのよ、兄様は。ただ兄様――伯父様は当時十八歳になっていたから、後見人としてでも勝手に誰も手が出せなかっただけ……」
この国では成人していれば、個人の自由意志が認められ尊重される。
なので、いくつか年の離れた兄弟姉妹の後見人となることも勿論可能だ。
しかし、商人の街ルルスのような特殊な地域では、それは出来ない。
商売の絡む土地柄で十五歳では信用が足らない、という建前の元、後見人は成人から十年以上経験を積んだ者――最低でも二十五歳以上という地方独自の決まり事を知らなかったリーシア達は、致命的な過ちを犯してしまった。
いつの間にかリーシアの身柄は、兄ではない後見人へと渡り、それ故にこのような屈辱的な出来事が起きてしまったのだ、と。
1
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】魔法大戦 〜失われた古代魔法で無双する!〜
加瀬 一葉
ファンタジー
王立魔法学校。高等部に編入してきた冴えない生徒ラフィト。エリートが集うこの学校で、辺境出身のラフィトは落ちこぼれの劣等生なのだが……。
実は彼は、失われたはずの古代魔法を操る一族の末裔。魔族の脅威が増す時代に、ラフィトは人類を救うことができるのか?
過去と現在が交錯する、魔法ファンタジー。
田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛
タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】
田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる