緑の塔とレオナ

岬野葉々

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 しばらく落ち着いて家にいることのなかった母リーシアは、その日、ヴィーネの好きな木の実入りケーキや薬草入りクッキーと共に、ゆったりとお茶の用意をして待っていた。

「母様! お帰りなさい」

 久しぶりの母のくつろいだ様子に、嬉しくなって飛びつくヴィーネ。

「ただいま、ヴィー。一緒に、お茶しましょう?」

 それを、何処か吹っ切れたような明るい笑顔で、母リーシアはそっと抱きしめてくれた。

 そこから始まった会話は、ヴィーネにとって思いもかけないものだったのだけど――



「ヴィー、今まで話したことはなかったのだけど、母様の兄様――あなたの伯父さまは、ルルスにいるの」

「そうなの? ルルスって、東の、大きな港があるところだよね?あの、商人の街とされる」

 ちょっと首を傾げながら、問うヴィーネ。

「そう! そうなのよ。ルルスは古くから続く生粋の商人の街でね、あの街独自の特異な文化と慣習があるの。……そう、例えば、あそこでは何でも利益で換算されることが多いのよ。だから、子供さえも両親または後見人の財産とみなされるの。国が成人と認める、十五歳まではね」

「どういうことなの? 母様」

「ここ、リュミエール王国では、個人の自由意志が尊重されているわよね? けれど、一部の地方では、その土地に根差した価値観や慣習が優先されている――ルルスもそんな土地のひとつ。あそこは、商人の街。商人には、目利きが大事。物であれ、人であれ、良いものは早いうちに見つけ出して、手に入れなければやっていけない、という風習が根強く残っているの。……だからあそこでは、成人して自らの意志が尊重される十五歳以前に、優秀な者はみな婚約させられることが多い。とても裕福な家、若しくは子供の意志を尊重するだけの余力と良識――こちら側の考えだけど――のある家を除いて、ね」

 それを聞いて、さらに首を傾げるヴィーネ。

「でも、婚約でしょう? 嫌だったら、十五歳になってから、自分で解消すれば良いのでは?」

 リーシアは、悲し気に微笑んだ。

「そういうわけには、いかないの。実際、ルルスで家同士の婚約の取り決めが交わされるところまで話が進んでしまったら、もうほとんど取り消せない。――この国では人身売買は禁止されているけれど、そのようなものよ。取り消しには、莫大な慰謝料が取られるし、家の名誉は失墜して、もうルルスにいられない上、何処に逃げようとルルスの影響下にある事柄では、一生横やりが入り、苦しめられるの」

 ヴィーネは顔をしかめ、首を振った。

「わたし、そんなところへは、一生行きたくないわ! ……でも母様、何か随分、事情に詳しいのね?」

 何気なく言った言葉に、リーシアは苦笑した。

「……実は、やっちゃったのよね」

「何を?」

「だから、――婚約破棄」

「――っっ!! だって、さっき、出来ないって――!」

 混乱して、言葉に詰まるヴィーネに母リーシアは冷静に返した。

「そう、ほとんど出来ない、よ。――あの頃、わたし達兄妹は、訳あってしばらくルルスへ滞在していた。元々わたしはルルスに留まるつもりなんてなかったし、人に勝手に値段を付けて売り払うような、強欲じじい共がどうなろうと構わなかったのだけど……」

 リーシアはため息を深く吐いた。

「兄様が身代わりを買って出たのよ――」

 普段の歌うような柔らかな調子とは別人のように、目を伏せ、低い声で感情を押し込めるように話は続いた。

 母曰く、兄妹揃って寝耳に水状態でリーシアの婚約について聞かされたとき、兄リチャードは蒼白になり、すぐさまルルスから逃げろ、と指示したらしい。
 自分もすぐ後を追うから――と。

 兄妹揃って夜逃げした後に強欲じじい共が破産でもしたなら万々歳だと、胸のすく想いでリーシアが遠くへ逃げた後、知ったのは兄の結婚話だった――と。

「当時、幸運なことにわたしの能力はルルスで知られていなかった。わたしは容姿のみが取り柄の娘だと思われていたの。もちろん、年頃の娘にとって、それは何より縁談話を掴む武器のひとつなのでしょうけど……。それに比べて、兄は容姿はもちろん才能も申し分ないことが知れ渡っていた――容姿端麗、頭脳明晰、体術剣術抜群と、花婿候補としては三拍子揃った最高物件だったのよ、兄様は。ただ兄様――伯父様は当時十八歳になっていたから、後見人としてでも勝手に誰も手が出せなかっただけ……」

 この国では成人していれば、個人の自由意志が認められ尊重される。
 なので、いくつか年の離れた兄弟姉妹の後見人となることも勿論可能だ。
 
 しかし、商人の街ルルスのような特殊な地域では、それは出来ない。

 商売の絡む土地柄で十五歳では信用が足らない、という建前の元、後見人は成人から十年以上経験を積んだ者――最低でも二十五歳以上という地方独自の決まり事を知らなかったリーシア達は、致命的な過ちを犯してしまった。

 いつの間にかリーシアの身柄は、兄ではない後見人へと渡り、それ故にこのような屈辱的な出来事が起きてしまったのだ、と。
 
 

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