逢初橋まで~鎌倉らんぶりんぐ・エピソードⅠ~

戸浦 隆

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二、濡れ手にあわわ美女二人

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 亮二は車を発進せざるを得なかった。瑞希の歩く速さに合わせ、車を進める。開けた助手席のウィンドウの向こうに見えるジーンズの腰に向かって声を掛ける。
「乗れよ」
「やよ!」
「傘ぐらい差せって」
「要らない!」
「風邪引くだろ」
「放っといて!」
 三度目の苛立つようなクラクションに、亮二は仕方なく流れに合わせて車のスピードを上げた。振り返ったが、ガラスが曇っている。ぼんやりと膨らんだ人影が後方に滑り、車の列の間に埋もれてしまった。
「何なんだよ」
 毒ついたものの、亮二は気になって何度もバックミラーやサイドミラーの中に瑞希の姿を探した。だが、緩いカーブが完全に後方の視界を奪ってしまっている。
 ようやく駐車出来そうな路側帯を見つけ、車を滑り込ませた。両手を頭の後ろに組み、欠伸(あくび)をする。
 言い出したら聞かないんだものな。気が済むまで好きにするさ。そのうち姿を現して乗るに決まってる………。
 瑞希はなかなか現れなかった。心配の度数が上がって来たが、亮二は車から降りて迎えに行くようなことはしなかった。妙なところで意地を張ってしまうのである。男の沽券(こけん)に関わる、なんて古臭い信念ではない。男の沽券などというものは出涸らしのお茶っ葉みたいなものだと思っている。香りも味も無くなったものに、しがみつく価値がある筈が無い。亮二の意地は拗(す)ねた子供の虫の居所のようなもので、居心地の良い場所に納まればそれで機嫌が直るのである。
 亮二の心配と意地の綱引きが、拮抗状態から心配の側に引き摺られ始めた。後ろを窺う回数が頻繁になり、眼を凝らす時間が長くなった。
 どうしたんだろう。とっくに来てていい筈なのに………。
 探しに行こうとシートベルトを外しながら、もう一度バックミラーを見た。その時、小走りに駆けて来る見覚えのある上着の赤い色が眼に入った。後部座席のドアが開くと同時に、ドサリと体がシートに倒れ込む。
「びしょ濡れのまま乗るなよ。僕の車じゃないの知ってるだろ。後で文句言われるのは僕なん……」
 振り向き言い掛けた言葉が途中で切れた。瑞希ではなかった。知らない女性が白いコートの立てた襟の奥から、申し訳無さそうな眼を向けている。
「タオル!」
 続けて乗り込んで来た赤い上着が言った。
 亮二はポカンと口を開けたままだった。
「何ぼんやりしてるの!」
「あの、この人………」
「説明は後。いいから早くタオル!」
 亮二は慌てて辺りを見回した。サイドボックスやダッシュボードを見たが、無い。気が付いて、言った。
「ほら、僕のバッグの中」
「バッグ? どこ?」
「後部座席の荷物置き」
 瑞希の後ろを指差した。瑞希も慌てて旅行用の大きめのバッグを手繰り寄せると、急いで中を掻き回した。取り出した新しいタオルを渡し、自分は亮二のものを使った。
「ありがとう」
 受け取ったタオルで濡れた長い髪を拭きながら、白いコートの女性は礼を言った。
 瑞希はタオルに染みた亮二の匂いを嗅ぎながら、優しく言葉を掛ける。
「風邪引くといけないから、よく拭いてよね」
 亮二は二人の濡れた女性を、交互にまじまじと見ていた。
「亮ちゃん、美女二人に見惚れる気持ちも解るけどね。そんな暇あったらヒーター、ガンガンに利かせてくんない?」
「ああ」
 十一月とはいえ、濡れた体では本当に風邪を引いてしまう。女性たちの唇もブルブル震えていた。亮二は前を向くと、ヒーターのスィッチを全開にした。


「亮ちゃん」
「何だよ、今度は」
「急いで車出して」
「わけぐらい言えよ」
「いいから早く!」
「ったく。急ぎたいのはこっちだって。今日中に着かなきゃヤバいのに、手間掛けさせたのはそちらさんじゃなかったっけ」
「男は口より手を動かす!」
「はいはい。かくして男は口から先に生まれた女にこき使われるのでありました、っと」
 言いながら亮二はウィンカーを出してハンドルを切り、上手く車の列に割り込んだ。
「で、この大渋滞の中、どこまでぶっ飛ばせばいいわけ?」
「ええと。何て言ったかしら、その橋」
 瑞希の問いに白いコートが答えた。
「逢初橋」
 亮二が首を傾げながら呟いた。
「あいぞめばし、あいぞめばし、と………」
「亮ちゃん、知ってるの?」
「うーん。聞いたことがあるような………」
「頼りないんだから、ホントに」
「毎度どうも、です」
 口を突き出し、照れ笑いのように亮二は言う。その横顔を見て、瑞希は気持ちが納まるところに納まったように思った。
「亮ちゃん。この人ね、奈津保さんっていうの。駆け落ちするんだって」
「駆け落ちぃ?」
「そ。その逢初橋で彼と落ち合うのよね、奈津保さん」
 奈津保という女性は、こくりと頷いた。
「ロマンチックじゃない、駆け落ちって。いいなあ。ね、亮ちゃん。私、羨ましい」
「何言ってるんだよ。大変なんだぞ、駆け落ちって」
「あら。経験したことあるみたいに言うのね」
「経験したこと無くったって想像はつく。情熱は長続きするもんじゃないし、愛情は腹の足しにはならない。一人だけでも生きていくのがやっとなのに、二人となったら尚更だろ?」
「二人だから頑張れるんじゃない。相手がいないとケンカだって出来ないし」
「ケンカは勘弁して欲しいなあ。でも今どき、駆け落ちなんて古臭いと思うけど………。あ。いや、ごめん」
 バックミラーに映る奈津保に亮二は謝った。奈津保は首を小さく横に振って、亮二に応えた。
「仕方ないでしょ、亮ちゃん。人にはそれぞれ事情ってもんがあるんだから」
 タオルを握り締める奈津保は荷物を持ってはいない。着の身着のまま家を飛び出して来たようだ。余程切羽詰まっていたんだろう、と亮二は思った。
 奈津保が頭を下げて詫びた。
「ごめんなさいね、迷惑掛けて」
 膝の上に置いた奈津保の両手を包むように握りながら、瑞希が首を振る。滴(しずく)が一、二滴、亮二のうなじに掛かった。
「ううん。迷惑だなんて思ってない。私ね、駄目なのよ。見捨てておけない性質(たち)なの。だって、傘も差さないで歩いてるんだもの」
 亮二が首の後ろの滴を手で拭いながら言った。
「傘も差さないで歩いていたのは、お互い様だろ」
「あっ、そうか」
「こういうヤツなんです、瑞希って。自分のことなんて忘れて、人のお節介を焼くのが趣味なんです。お陰で、こっちは焼かれ通しで火傷だらけですけどね」
「何よ。お節介焼かなきゃ今頃は干涸らびたアジの開きよ、亮ちゃん。ダシだって取れやしないんだから。有り難く思わないとバチ当たるからね」
「おお怖っ。ま、そういうヤツなんで。お節介でなければ良かったんですけど」
 バックミラーの中で、奈津保がクスッと笑った。
「お節介なんて、ちっとも。本当に助かったわ。ありがとう」
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