逢初橋まで~鎌倉らんぶりんぐ・エピソードⅠ~

戸浦 隆

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三、末はアフリカ女王様か?

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 奈津保の顔に少し落ち着きの色が浮かんでいるのを見て、亮二は安心した。
 奈津保は瑞希よりいくつか年下だろう。色白の透き通った肌が雨に濡れ、青味を帯びている。細面(ほそおもて)の整った目鼻立ちは理知的で、髪を梳(す)き上げながら話す仕草もしとやかだ。上質の和紙を思わせるこの女性の、どこに駆け落ちをするほどの情熱が秘められているのかと、亮二は不思議な気がした。自分こそお節介なのではないかと思ったが、訊いてみた。
「奈津保さん、でしたっけ。で、どうするんですか、彼と落ち合った後」
「彼の友達が一緒に車で迎えに来る筈なの。その車で、取り敢(あ)えず多摩へ行きます。彼、そこに住んでいますから」
「その後はどこかへ雲隠れ?」
「いいえ。彼は大学で博士の学位を取得しないといけないんです。今、彼は寮住まいですから、二人で暮らせる部屋を探します」
 静かに話す奈津保の言葉の底に、覚悟のような強い感情が潜んでいる。亮二はそう思った。
「じゃあ、駆け落ちじゃなく」
「はい。押し掛けです」
 瑞希が、「あらっ」と声を上げた。
「何だ。私の早とちり?」
 いつものことだろと言う代わりに、亮二は口笛を吹いた。
 瑞希がバックミラーの中で、キッと眼を剝く。その眼が、翔子のことは私の早とちりじゃないからね、と言っている。亮二は、また首をすくめた。
 瑞希が親身になって奈津保に訊く。
「でもまた、どうしてこんなことになったの?」
「父が結婚に反対なの。他の人とお見合いさせると言い出して」
「娘の結婚相手が気に入らないからお見合いだなんて古臭いわ」
「父の気持ちも解ります。突然だったから」
「結婚話なんて、親にしてみればいつだって突然よ」
「それに………」
「それに?」
「彼、日本人じゃないんです」
「国際結婚? 今時、珍しい話でもないのに」
「ブルキナ・ファソ」
「な、何。それ」
「彼の国」
「ブル………何とかって聞いたこと無い。どこにある国?」
「アフリカ」
「アフリカぁ?」
 瑞希と亮二が、揃えたように同時に声を上げた。
「彼、来春博士課程が修了したら、両親に会わせたいから一緒に来ないかって言ってくれてるの。もちろん、結婚相手として私を紹介するつもりなんです。ウェドの、あ、ウェドラアゴといいのが彼の名前なんですけど、その両親がワガドゥーグーに住んでいて………」
「ちょ、ちょっと待って」
 瑞希が片手を上げ、奈津保の話を遮(さえぎ)った。
「それじゃあ、奈津保さん。結婚してアフリカの、そのブル何とかって国に住むの?」
「ええ」
「お父さん、反対する筈だわ」
 地球は狭くなった。航空機や通信機器の目覚ましい発達は、半日で人を地球の裏側に運び、同時進行の世界中の出来事を茶の間のテレビに映し出す。インターネットを使えば、膨大な量の情報が即時に届けられるのだ。国際化は国と国だけではなく、人と人とをも結び付ける。だが、それもアメリカやヨーロッパならまだしも、アフリカとなれば話は違う。日本人にはまだ馴染みが薄いし、風俗・習慣などは想像もつかないことが多い。観光旅行ではないのだ。仮に結婚相手が王様だと言われても、聞いたことも無いアフリカの国に嫁がせて安心する親はいないだろう。
 ブルキナ・ファソはアフリカ西部にある共和国である。サハラ砂漠の南に位置し、ちょうどギニア湾岸の国ガーナの北に隣接している。ガーナに河口を持つボルタ川の上流にあるので、オート・ボルタ(上ボルタ)と呼ばれていたフランス領植民地だった。一九六〇年に独立、一九八四年に現在の国名に変わった。ブルキナ・ファソとは「清廉潔白な人たちの国」という意味である。本州と九州を合わせたほどの国土に六十以上の部族、一千万人の人々が暮らす農牧業中心の国で、政情が安定した九〇年代から始まった国際支援に頼るアフリカ最貧国の一つになっている。
 日本はオート・ボルタ独立と同時にこれを承認。対日輸出品は植物性油脂・綿花・果実などで、オートバイ・自動車・鉄鋼などを輸入。オートバイの合弁組立工場の稼動、医療機能強化計画への無償援助など日本も支援に力を注いでいる。


 奈津保によれば、彼女の恋人ウェドラアゴはフランスに統治されたモシ王国の末裔(まつえい)なのだそうだ。
 昔、ガンバガ(現ガーナ北部)に男勝りの王女がいた。
 ある日、馬に乗って出奔(しゅっぽん)した王女は、荒野で北方から来た狩人(かりゅうど)と出逢った。結ばれた二人の間に生まれた子供は、成長するとガンバガから騎馬戦士を率いて北に進み、幾多の部族を統一してモシ王国を築いたという。
 モシ王国はディマ(独立の王)の下にコンベーレ(従属者長)、その下にテン・ナーバ(村の長)を従える支配構造を確立していた。ナーム(王権)はウェンデ(万物の根源的力)によって支えられるものだという観念から、常備軍は置かず献納もさせなかった。臣下たちは、王の畑の耕作に労働力を提供するだけでよかったのである。
 そのモシ王国の祖にちなんで付けられたのが彼の名前で、「ウェドラアゴ」というのは「牡馬(おすうま)」を意味するのだ、と奈津保は言った。
「王族の末裔だとはいっても、ウェドは貧しい発展途上国の一国民でしかない。首都のワガドゥーグーの大学を出て国費で留学させて貰っているけれど、日本での生活は、それは倹(つま)しいの。アルバイトをすれば、それだけ勉強する時間が無くなるでしょう。だから、生活費を切り詰めなければいけないのよ」
「ハッ、ハックション!」
 亮二のくしゃみに驚いて、後部座席の二人は一瞬固まった。
「何、亮ちゃん。雨に濡れずにいる人が風邪引いてどうすんの」
「あ、いや。風邪じゃないよ」
「何だ、例のアレ? 奈津保さん、亮ちゃんのこと心配しなくていいからね」
「何ですか、例のアレって」
「亮ちゃんね、何か引っ掛かることがあると、くしゃみすんの。『歴史アレかも発見鼻炎症候群』よ」
 話のあらましを呑み込んで、驚きが収まった瑞希が奈津保に訊いた。
「彼は国に帰ったら何をするつもりなの?」
「大学で教えることになるだろうって。資源の無い国だから、人が宝なんです。技術にしても医療にしても他国に頼るしかない。国際援助を受けているうちは、自立とは言えないでしょ。国が本当に自立するには、自分たち国民が国を支える力を持たなければならない。それにはまず、教育だって。就業率も二十パーセントくらいだし、字の読めない人も多い。だから、優秀な頭脳を持った人たちを出来るだけ輩出したいのね。その人たちが、いろんな分野で才能を発揮すれば裾野が広がる。農業、工業、科学技術………。産業を発展させるには、とにかく人材が必要だわ。今、ブルキナ・ファソでは農村は若者が都市に流出しているの。都市に出て来ても職が無い。溢れた人たちが様々な社会問題を引き起こしているんです。コートジボワールに出稼ぎに行く人も大勢いるし………」
 瑞希は、もっと身近なところに話を引き寄せた。
「奈津保さんはどこで彼と知り合ったの?」
「私、海外青年協力隊に入っていたんです。その研修でいろんな国の留学生との交流があったのね。その時、みんなが自分の夢を語ったわ。私、ウェドの話に惹き付けられて」
「どんな話をしたの、ウェド君」
「民族博物館を作りたいって。モシ族だけでなく、国中の部族の伝統を残したいのよ。祖先たちの崇(あが)めていたもの、祖先たちの使っていた言葉、祖先から引き継いで来た文化や歴史………。これらは失われてはならない。今は必要とされていなくても、我々子孫は知っておくべきだ。なぜなら、今在る自分たちは祖先無くしては存在し得ないのだからって」
 それまで黙っていた亮二が、両手を挙げて力強く言った。
「賛成!」
「危ない! ハンドル、ハンドル!」

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